Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

旅から旅

2017年05月31日 | Weblog
東京から岡山に入って二日間の研修を終え、
ようやく福岡に舞い戻ってきました。

新たな地で「親心の学び舎」が
新たにスタートしたことを嬉しく思います。

そして、一人でも多くの人たちの心に、
より良い教育に向かう灯を灯せたらと思います。

すっかり私の人生は、
旅から旅の人生になってしまいましたが、

限られた人生の時間の中で、
多くの人と出会い、

その出会いが、
新たにより良い教育の力を
生み出していく事に繋がればと思います。

祈るようにして、
全国を走り回っていこうと思います。

山口、鹿児島、大阪と、
新たな展開が始まります。
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矜持

2017年05月29日 | Weblog
お金は大切なものです。

しかし、
私にとっては、
教育者としての矜持の方が大切です。

それが理解できない人が多いのですが、
それも当然のことだと思います。

志がなければ、
志ある生き方など理解できないのは当然です。

それは仕方の無いこと。

お金の方が偉いと思って生きていくのも人生です。
地位や肩書きが大事だと思うのも人生です。
それで満足するのもありだと思います。

しかし、私は、貴重な人生の時間を、
志の教育につぎ込んでいこうと思っています。

大人の打算には目もくれず、
未来ある子供たちに、
真剣に向き合っていこうと思います。

教育は、
私の心が死なない限り、
そして、
その思いが本気である限り、
一人でも、どこでもやっていけると思います。
包丁一本晒しに巻いて生きていくようなものです。

幸いここは日本ですから、
飢え死にすることはないだろうと思います。

聞く意味の無い雑音に、
無駄に時間を奪われないようにするためには、

また、0からやっていくことも一つの方法です。





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エクスプレッションアカデミー

2017年05月27日 | Weblog
エクスプレッションアカデミーの
第1講座が終了しました。

講座の中身はいざ知らず(笑)、
懇親会も楽しく終了しました。

薩摩スチューデントの一人、
長沢鼎ゆかりのワインも楽しめましたし、

ペリーやハリスが飲んだ酒も楽しめました。

学んで、飲んで、食べて、話して、
これこそが学びだと私は思います。

そして、これこそが人生!

また、次回、お目にかかれますことを
楽しみにしています。

貴重な時間を割いてご参加いただき、
本当に有り難うございました。
心より感謝申し上げます。



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会社がなくなったら

2017年05月25日 | Weblog
会社がなくなったら
自分はどうなるのかを考えてみると、
色々なことが見えてきます。

会社の伝統と看板のおかけで食べているのか、
自分の才能と努力で食べているのか。

後者の人間は、
会社から放り出されても、
また、一から仕事を生み出して、
食べていくことができる人です。

後者の人間は、
会社の売り上げを
生み出している人でもあります。

しかし、
売り上げを生み出していなくても、
経理や人事などの管理部門も大切です。

結局は、全ては互いに支え合って、
成り立っているのです。

大きな会社とて、
取引先やお客様があってこそ成り立つものです。

それぞれ様々に、
大切にしていることや
存在価値は違うのです。

自分が偉いと勘違いした時から、
終わりが始まります。

その上から目線に気づけないところから、
崩壊は始まっていると思います。





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批判

2017年05月24日 | Weblog
他人の批判をするのは簡単だ。

しかし、
自分が「こうしたい」というビジョンを、
「思い」と共に人に伝えるのは難しい。

具体的に行動し、
実現していくことは、
更に難しい。

批判は、他人の考えという
土台があって成り立っているものであり、

言ってみれば、
他人のふんどしで
相撲をとっているようなものである。

大切なことは、
自分が何をするのかということだ。

面白いことに、
その人が、
日々、考え抜き、磨き抜いてきたことは、
誤魔化しようもなく人に伝わる。

信念というものは、
その人の言外のオーラとして、
また、存在感としてにじみ出てくる。



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誰のための、何のための教育か。

2017年05月19日 | Weblog
本当に教えたいことはあるのか?
そのことは本当に教える価値があることなのか?
そして、
誰のために、何のために教えようとしているのか?

教育者としての自問自答の日々は続きます。

教育が力を失ってきたのは、
教師が指導書に頼り、
本気で教えたいことを見失い、
子供が好きと言うだけで教育をし、
日本の未来や子供の未来を真剣に考えず、
自分の給料のために教育をしている人が
増えたからではないかと思います。

師道を興さんとならば、
妄りに人の師となるべからず、
又妄りに人を師とすべからず。

それではいけないということを
吉田松陰は端的に語っています。

師となることの重さと、
私たちはもっと真剣に
向き合う必要があると思います。

そして、そのことが、
教育再生の大きな手がかりとなるのだと思います。

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広島へ

2017年05月18日 | Weblog
久しぶりに、
広島平和記念資料館へ行ってきました。
小学校六年生の時の修学旅行以来です。

平和教育は、如何にあるべきなのか。
その可能性を探しに行った旅でもあります。

平和教育や人権教育から感じられる
何とも言いようのない嘘くささを、
子供心に感じていて、
できるだけ関わりたくないと
ずっと思っていました。

でも、
嘘くさくない、
本当に平和の実現に繋がる教育、
本当に人権を尊重する教育とは何かを
自分なりに改めて探究してみたくなりました。

平和を勝ち取るための闘争と言った瞬間に、
それはもう平和的ではないという
矛盾や欺瞞を抱えてしまう。

平和のための武力が大切だという方が、
よほど信頼ができます。
しかし、
それもまた矛盾であることに
違いはありません。

この矛盾には、
人間の根源的問題が潜んでいるのだと、
つくづく思います。

そこに向き合ってみようと思います。







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エクスプレッション・アカデミー

2017年05月16日 | Weblog
エクスプレッションアカデミーは、
Vision&Education,Ltd.唯一の
自社セミナーであり、

私が研修の場で語っていないことを、
新たに語っていくチャレンジの場でもあります。

http://v-edu.co.jp/info/expressionacademy2017/

そして、同志との語らいの場でもあります。

よろしければお運び下さい。
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提出物

2017年05月16日 | Weblog
今、多くの方と関わってきて、
確信を持って言えることは、

多忙で重責を担っていらっしゃる方ほど、
何かをお願いしたときの
レスポンスや提出期限が速く、
最低でも期限内を厳守されると言うことです。

大勢の人と関わっていると、
その仕事の後ろにどれだけの人たちが
存在しているかということが痛いほどよくわかり、

自分が遅くなることで、
後ろにいる人たちに、
沢山の迷惑がかかることが
見えているからだと思います。

ある企業の工場で、
「後工程はお客様」と掲げていたのも、
同じ意味の心懸けだと思います。

また、
時間の大切さが、
一分一秒の単位で、
心に刻まれているのだろうと思います。

時間は信頼そのものだという考えが、
徹底して、ご自身のものに
なっているからだと思います。

そこへ行くと、
私はまだまだ駄目だなぁと思います。

しかし、そうなれるように頑張ろうと思います。



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教育

2017年05月16日 | Weblog
運動として教育をやろうとする人たちがいます。

しかし、

一時的なムーブメントが生まれても、
いずれは消えて行っていると感じます。

それは、教育と運動が本質的に、

相容れないものを持っているからです。

教育は、一人一人の子供や親の
具体的な姿を見ているけれども、

運動は、子供や親や国家という、
抽象に過ぎぬものしか
見えなくなってしまうということです。


やはり、教育は、
地を這うような、
地道な営みでしかありません。

一人一人の親や子供の悩み、
そして、成長と向き合うしかない。

私の教育も、そのようなものでありたいと思います。
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