映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
〔他〕ブログ名の由来
2007年02月17日 / 雑
当ブログのタイトル「しづのをだまき」は静御前の歌からとったものである。
囚われ人となった義経の愛妾、静は、鶴岡八幡宮の社前で、参詣に訪れた頼朝の命により、舞を舞うことになる。伴奏をする楽人は、笛が畠山重忠、鼓が工藤祐経、鉦が梶原景時。金色の立烏帽子に水干姿の静が、紅色の扇を翻しながら舞う。
「しづやしづ しづのをだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな
吉野山 峰の白雪踏分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
美しい声で切々と歌う夫恋しの歌に、頼朝は激怒するが、政子のとりなしでようやく怒りを鎮め、引き出物を与えてその場を収める。
有名な「義経記」の一節なのだそうだ。
「しづ」は「しづをり」(倭文織)ともいい、奈良時代以前から日本に伝わっていた日本固有の織物で、絹織物などが普及するにつれて、古風あるいは粗末なものとされるようになった。「をだまき」は「しづ」を織るための糸を内部を空洞にして丸く巻いたものをいう。
和歌の世界では「しづのをだまき」は、「繰る」「繰り返す」を起こす序として使われ、特に意味はない。(以上は、ブログ名「花の素顔」 花のアルバム オダマキ・伝説の花 から)
男装の舞姫、静御前の、生殺与奪の権力を握る頼朝を少しも畏れず、歌い、舞う、その姿が子供心にカッコいいと思った。ブログ名に採用した理由は、この「カッコよさ」プラス私の
主要な性質である過去追慕性が大きいと思う。(特定の誰かを追慕する訳ではない)
「しづ」に「静」の字をあて、「静や静」ととれば、「かつて彼に”静や静や”と呼ばれた、あの日をもう一度取り戻したい」の意味があると、稲みのる氏は書いておられるが、私は閨房を暗示するようなことは静には言ってほしくない。
「しづのをだまき」が「伊勢物語」にも出てくるとは、ラクサナさんのブログ「Welcome
aboard!」の「プラダを着た悪魔」06Nov29のコメントのやり取りまで知らなかった。
「稲みのるの思考回路」でFeb13に私のブログを紹介された中でも同じことを教えていただいた。今日「夜明けの曳航」というブログ06Nov06「お三輪としずの苧環」で言及されているのを、たまたま発見したので、お節介の本性を発揮し、急遽この記事をアップし、TBさせてもらった。
稀代の色事師?業平は好む所にあらず、出典はこちらではない。
小学5・6年の時の担任の先生に教わった(それとも、絵本で見たのかな?定かでないが)静御前の歌からとったものである。
囚われ人となった義経の愛妾、静は、鶴岡八幡宮の社前で、参詣に訪れた頼朝の命により、舞を舞うことになる。伴奏をする楽人は、笛が畠山重忠、鼓が工藤祐経、鉦が梶原景時。金色の立烏帽子に水干姿の静が、紅色の扇を翻しながら舞う。
「しづやしづ しづのをだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな
吉野山 峰の白雪踏分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
美しい声で切々と歌う夫恋しの歌に、頼朝は激怒するが、政子のとりなしでようやく怒りを鎮め、引き出物を与えてその場を収める。
有名な「義経記」の一節なのだそうだ。
「しづ」は「しづをり」(倭文織)ともいい、奈良時代以前から日本に伝わっていた日本固有の織物で、絹織物などが普及するにつれて、古風あるいは粗末なものとされるようになった。「をだまき」は「しづ」を織るための糸を内部を空洞にして丸く巻いたものをいう。
和歌の世界では「しづのをだまき」は、「繰る」「繰り返す」を起こす序として使われ、特に意味はない。(以上は、ブログ名「花の素顔」 花のアルバム オダマキ・伝説の花 から)
男装の舞姫、静御前の、生殺与奪の権力を握る頼朝を少しも畏れず、歌い、舞う、その姿が子供心にカッコいいと思った。ブログ名に採用した理由は、この「カッコよさ」プラス私の
主要な性質である過去追慕性が大きいと思う。(特定の誰かを追慕する訳ではない)
「しづ」に「静」の字をあて、「静や静」ととれば、「かつて彼に”静や静や”と呼ばれた、あの日をもう一度取り戻したい」の意味があると、稲みのる氏は書いておられるが、私は閨房を暗示するようなことは静には言ってほしくない。
「しづのをだまき」が「伊勢物語」にも出てくるとは、ラクサナさんのブログ「Welcome
aboard!」の「プラダを着た悪魔」06Nov29のコメントのやり取りまで知らなかった。
「稲みのるの思考回路」でFeb13に私のブログを紹介された中でも同じことを教えていただいた。今日「夜明けの曳航」というブログ06Nov06「お三輪としずの苧環」で言及されているのを、たまたま発見したので、お節介の本性を発揮し、急遽この記事をアップし、TBさせてもらった。
稀代の色事師?業平は好む所にあらず、出典はこちらではない。
小学5・6年の時の担任の先生に教わった(それとも、絵本で見たのかな?定かでないが)静御前の歌からとったものである。
コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )
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高校の担任は国語教師で万葉集を研究していた方だった所為か
話の合間に好んで短歌を読みました。
「しづやしづ」と首を振り振り朗々と読み上げていた女教師の姿を思い出しました。
映画や本など興味深いジャンルを取り上げていらっしゃるんですね。
過去記事や皆さんのコメントを拝見して懐かしさに浸りました。
古今和歌集 雑上に、
いにしへのしづのをだまきいやしきも良きもさかりはありし物也
(身分の卑しい者も良い者も等しくかつては人生の盛りがあったのだ)
これが元歌のようです。やがてこれを本歌に伊勢物語32段に取り上げている。以下32段全文。
むかし、物いひける女に、年ごろありて、
いにしへのしづのをだまき繰りかへし昔を今になすよしも哉
といへりけれど、何とも思はずやありけん。
伊勢物語のこの「昔を今に」の部分は、やがて源氏物語「賢木」に引用された(藤原伊行が「源氏釈」<源氏物語最古の注釈本>で言及)ようです。その引用されたという部分は以下の箇所。
源氏が、「かけまくはかしこけれどもその神の秋おもほゆる木綿襷かな」(口に出して申すのも畏れ多いが、あの昔の秋が思い出される木綿襷<ゆうだすき>だ、の意。木綿襷は神官らが肩にかける襷で、斎院をさす)と歌を詠んだあとに、「むかしをいまにと思ひたまふるかひなく…」と続くが、ここが伊勢物語を下敷きとしている。
義経記では、「いにしへの」を「しづやしづ」に置き換えて詠んでいる。
尚、頼朝は、静御前の舞いをみるや、
「御簾をざと下し給ひけり。白拍子は興醒めたるものにてありけるや。今の舞ひ様、歌の歌ひ様、怪しからず。頼朝田舎人なれば、聞き知らじとて歌ひける。しづのをだまき繰り返しとは、頼朝が世尽きて九郎が世になれやとや」とご立腹の呈。
ブログの由来についてご解説を有難うございます。
おかげで久し振りに古典を紐解き、勉強してしまいました。お節介でしたね。ご容赦の程を。
ようこそ、お出で下さいました。
高校の担任が女性とは珍しくは?
子供のころから複眼思考の貴女には、
社会科に弱い私は教わることが多そうです。
今後ともどうぞよろしく。
みのるさま
私のお節介に輪をかけるお節介、イヤイヤ、冗談です。懇切なるご教示、かたじけなく存じます。
これからは、Biancaさんのブログ名を、
きちんと「しづ・の・をだまき」と、読みますね。
ところで、私も、凛とした女性が好きなんです。
なんて言ったら良いのか・・・
そう、きっとその人から、生きてる!っていうパワーを感じるからだと思います。
凛とした女性、いいですよねっ!!
実を言うと私も、ちゃんと語源を調べたのは今回
が初めてでした・・・
「凛とした女性」、「毅然とした男性」、「澄みきった人物」・・・でありたい!
と続けようと思いましたが、不慣れのため勝手にコメントが飛んで行ってしまいました。
これは、続きでした。
J.T.さんが「かっこいい」などと安易に流れていた私に、思い出させて下さったのですが、多分かれはアカデミー賞助演女優賞候補の菊池凛子さんが頭にあったのだと思いますよ。負け惜しみかもしれませんが。
語感を磨くことは大事ですよね。若者ことばに媚びることなく、いい言葉は日々使うようにしたいと思います(反省!サルの次郎クンのポーズ)
「昔を今に なすよしもがな」とか「負け惜しみ」とか、Biancaさんらしくない響きが聞こえます。Biancaさんは、本来「いい子」で「澄みきって」いたのではないですか?どうも「わるい子」ぶってみたいのかなァ。不自然な響きがあるのですが。
非常に恵まれた資質のBiancaさんが、わざと悪ぶっているようで、少し苦しい。資質をワザと押し殺しているように観えてなりません。偉そうに済みません。
いつしかファンの Dairyu でした。
いつしかファンになってくださったなんて、ありがたいやらコワいやらですが・・・
ちょっと勘違いされているような。
「昔を今になすよしもがな」とは、「ああ、昔はよかった、あのころがよみがえってほしいものだ」と、昔を肯定しているわけで。別に悪ぶっているわけでは・・
あなたは私に自分を投影していらっしゃるのでしょうか。
私は Bianca さんを良くご存知らしい二人の知己に Bianca さんのこと、ブログのことを伺い、ブログと言うものに初めて接し、また初めてコメントなどと言うものを投稿したようなことでございまして失礼してしまったようでございます。済みませんでした。
「ああ、昔はよかった、あのころがよみがえってほしいものだ」と、昔を肯定しているのは私も Bianca さんに劣らないつもりです。
しかし、Bianca さんのブログを全てではございませんが大部分を丁寧に読ませていただき、消化醗酵しないうちに不用意にコメントしてしまい、アチコチに混同が生じたのでございましょうか。また、二人の知己のお話により無意識にバイアスがかかってしまったようでございます。
「あなたは私に自分を投影していらっしゃるのでしょうか」: Bianca さんと違いまして「昼行灯」ですから、滅相もないことでございます。
何もかもが初めてでございましたので、少しは勉強してから出直すことにいたします。
重ねて少しでも「コワがらせて」しまったこと、深くお詫び申し上げます。
なじみの深いHNなので、誰からだろうとこの一両日忙しく想像をめぐらせておりましたが、さては、震源地はあのあたりでしたか。あなたは想像力の豊かな方であろうと思っています。どうぞ、これに懲りず、お寄り下さいませ。
「古へのしづのをだまき繰り返し昔を今になす由もがな」
が由来かと思ってました。確か業平の思い人、伊勢斎宮の歌にも「しづのをだまき」が入った歌ありましたよね。
よく覚えてないんですが、伊勢斎宮の歌はこの歌への返歌だったんでしょうか?
エミさんは微生物だけでなく、日本の古典にも詳しいのですね。
ええ、業平ではなく、静御前で、でも昨今のTVドラマの影響ではなく、半世紀ほど前から、好きな歌でした。ところで業平には伊勢斎宮と言う人がいたのですか?俄か勉強で得た知識ですが、斎宮とは未婚の処女で神に仕えつつ国政に関わる身でしょう?業平のような男に思いこまれるとは、とんだ迷惑ですわね。そもそも私のブログは、それ程清らかなイメージのものではなく、もっと世俗的だと思いますよ!