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挨拶と発達障害

ある時、私に会ったら「伯父さんにいつもお世話になります」と挨拶せよと連合いが姪に教えたのに、「伯父さんいつもお世話になります」と言ってしまい、その場は3人で顔を見合わせて笑ったが、姪は「滅多に挨拶というものをしないので緊張して間違えてしまった」と言い訳していた。思うにこの「が」は「おじさんが挨拶しろと言ったからしますけどね」の前置きがつい出てしまったのだろう。

これは傑作だ、たとえば「男はつらいよ」の中で渥美清のフーテンの寅が旅先で厄介をかけているところに駆けつけて来た甥の光男の言いそうなセリフである。さもなくば、夫の馴染みの芸者と本妻のやりとりであるかも。長い間ふたりで思い出し笑いしていたが、考えれば私も偉そうなことは言えない。単なる挨拶である年賀状を、年末になるたびにすらすら書けない。敢えて言訳すれば「単なる形式」ということ自体が、どうにも気持に引っかかるのである。

姪をあれこれ批評する私自身も、子供が年ばかり重ねたようなものかも知れない。

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コメント
 
 
 
義理を欠くと楽になれますよ (りんご)
2017-02-06 17:56:41

挨拶?笑ってはいけないが笑えますね。
私は昨年の寒中見舞いのどさくさ紛れに「卒年賀状宣言」をしました。本音は ズボラと悪筆の為。もちろんパソコン仕様(筆ぐるめ)なので悪筆には頬かむり。
年も明けないうちから「何が~おめでたい」という思いと募る厭世観の為に浮世の義理とは「はいさようなら」御かげでまったりとした歳末でした。あまつさえ
その顛末を地元紙に投稿、巻頭掲載となり少しく巷で物議をかもしたようです。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2017-02-06 19:40:37
りんご様

挨拶は、若くてちゃんとできると格好よく見えたりしますが、、かと言ってできすぎる人には距離を感じますね。
「卒年賀状宣言」つまり昔で言う虚礼廃止、いまでは断捨離のひとつですか。新聞に掲載とは快挙でしたね。
わたしは結構義理を欠いているのですが、年賀状に関しては義理堅さの権化の夫がかせになります。
何かの切掛け、たとえば引越しとか葬式とかで考えようと話し合っています。
 
 
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