自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

日本人とは何者なのか~我々はどこから来たのか?

2015-12-16 17:47:55 | 自然と人為
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 我々の祖先はおよそ10万年前にアフリカを出て世界に拡散して移住したとされている。今後の研究で新たな事実が明らかにされるかも知れないが、ここで考えたいのはいつごろ、なぜ我々の祖先は日本列島に住み着いたのであろうか、1万年以上も続いたとされる縄文文化と聖徳太子に代表される天皇制の始まりはどうつながっているのであろうかという点だ。

参考:人類の出アフリカ 地球史年表
    ~人類の出アフリカとモンゴロイドの誕生~
    日本人の起源と「人類大移動」
    遺伝子の旅 ~先祖が歩んだ道
    特別展「グレートジャーニー 人類の旅」
    対話を通して-:関野吉晴×中村桂子 2. 太古の人々が動いた理由

 日本人の祖先も気候変動下で食物を求めて日本列島に住み着いたと思われるが、ここでは古代人類の旅(グレートジャーニー)を辿り冒険家としても有名な関野吉晴氏が指摘する「戦いを避けて逃れた人々」という視点が刺激になり、そのことを想像しながら書いている。

 最も古い縄文遺跡(大平山元遺跡)は1万6500年前と推定されているので、今のところ考古学的にはこれが最も古い縄文人であろう。縄文時代は1万年以上続いたとされているが、少人数が日本に移り住み、他民族との接触も少なく、稲作よりも里山でクリ等を栽培して争いのない平和な生活を長年維持していたのであろう。

 縄文時代から弥生時代への移行は、中国大陸の春秋戦国時代に逃れてきた農耕民族が、土着の縄文人と争うことなく混血しながら稲作文化を広めて、地方の豪族が出現する古墳時代まで続いたのではないかと思う。国境のない時代であり、静かに暮らす縄文人と中国大陸から移住してきた人々との間には争いもなく、弥生人は平地に居住し保存のできる水稲で富を蓄積して行ったのではなかろうか。
 参考:弥生時代の世界情勢

 弥生時代の平地への水田稲作の普及は水資源の管理の一元化、生産のための共同体を必要とするようになった。土地を基盤とした生産の管理と富の蓄積により地方に豪族が育ち、それぞれの「クニ」が乱立し争うよりも中国大陸との交流で存在価値を高めようとしたと思われる。

 この弥生時代から天皇制の確立した飛鳥時代までの古墳時代は日本という国が成立した時期であるが、考古学的には空白の時代となっている。どの国も始まりは神様の降臨により地球上に初めて生まれたとされ、日本も天孫降臨の神話を生み、戦前はそれが日本の誇りだと神話を歴史として皇国史観の教育をしているが、私は「神の国」より「慈悲の仏の国」こそ誇りにしたい。

 日本の歴史について最初に編纂されたのは、聖徳太子と蘇我馬子による天皇記と国記(620年)と日本書紀に書かれているが、写し等で現存している最古のものが「古事記」(712年)である。平城京遷都(710年)の頃であるが、奈良時代の日本列島の総人口は約550万人と推定され、このうち都の人口は20万人と大都市であったそうだ。

 古事記についてはいろいろな解説があるが、最初の部分は出雲神話で天照大御神が武勇に優れたタケミカヅキを送り込んで大国主に国譲りさせるところまでの物語である。卑弥呼の時代に造られた出雲独自の古墳 島根県「西谷古墳群によれば出雲国はヤマトに協力したと推定しているが、ここで解説のように倭国大乱が起こったしたらそれを卑弥呼が武力ではなくてカリスマ性(呪術性)で鎮めて天皇制への道が始まったと考えることもできよう。物語の後半では天照大御神が日本を支配するために宮崎、日向へニニギノミコを降下(天孫降臨)させて天皇制が始まることになっているので、天照大御神が天皇制の日本を作った神話と受け取れるが、聖徳太子の時代に神話のモデルになったのは卑弥呼ではないか?なお、魏志倭人伝に現れる邪馬台国の卑弥呼は「日本の古文献「古事記」、「日本書紀」の中から探すなら誰に当たるのか? 」という問いは面白く、このブログでは天照大御神が卑弥呼であると推定している。

クリックで拡大! 古事記 第3回 出雲神話という謎(2)

 古事記は日本各地で伝承されてきた神話を集めて日本向けの物語にしたものだが、縄文文化と弥生文化の混合で、北方的、弥生的垂直統合の日本(天皇制)ができたという物語は面白い。蘇我氏は高句麗系の出身なので、聖徳太子を含めた飛鳥時代の支配層への朝鮮半島の文化や仏教への理解への影響は大きかったと思われる。

クリックで拡大! 古事記 第3回(2)「混じり合う世界」
 「日本は大陸から来ても南から来てもどん詰まり、全てが溜まって行き場がないから混じり合うしかない」という縄文文化と弥生文化の混合は、先に紹介したNHK「ドナルドキーンの日本」後編 日本人とは何者なのか」でも、司馬遼太郎氏は同じことを言っている。
クリックで拡大! 司馬遼太郎の言葉

クリックで拡大! 古事記 第4回 古事記の正体とは(1)

参考:NHK 100分de名著 「古事記」
古事記 第1回 世界と人間の誕生(1) (2)
古事記 第2回 文化と農耕の起源(1) (2)
古事記 第3回 出雲神話という謎(1) (2)
古事記 第4回 古事記の正体とは(1) (2)

 参考:卑弥呼の墓と邪馬台国論争
     卑弥呼の時代に造られた出雲独自の古墳、島根県「西谷古墳群

 縄文時代から弥生時代、そして天皇制が生まれる日本の物語を私なりに考えてみた。専門家でないものが無責任なことを言うと叱られそうだが、専門家でないからこそ無責任なことも、いろいろな柵から解放されたことも言える。

 物語には意図があり、戦前の皇国史観などは神話を歴史に塗り替えて、それが日本の誇りだとして世界平和を無視した幼稚な物語であり、日本は慈悲の仏の国であるとし古事記編纂のきっかけにもなったと思われる聖徳太子の方がよほど偉い。私は平安時代まで争いの少なかった日本の歴史を誇りたい。平安末から釈迦の教えの届かない末法の時代となるが、現代においても政治、経済が「何食わぬ顔で弱いものを虐げ」、国民が平成27年度、「今年の漢字」に「安」を求める不安な時代にしている。「安」とは安倍を皮肉った文字だという世間の声も聞こえてくる。


トンイ第33回(1)2分13秒~5分18秒 動画
 「力あるものが何食わぬ顔で弱いものを虐げる理由は何だと思う。
  それが力というもので、権力というものだからだ。


初稿 2015.12.16



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