考えるための道具箱

Thinking tool box

青木淳悟を考えてみる(1)

2005-03-12 02:03:24 | ◎読
小説というものに、なにか自分を安心させてくれるようなストーリーを求めているような人にとって、青木淳悟の2作はきっととっつきにくいものに違いない。それはつまり、「安心できない」なかで読み続けなければならないし、「ストーリー」はつねに偽装の可能性をはらんだ安定していないものだからということになる。

なにか意味があるのか?と、さまざまに思案する読み方も玉砕する。彼の小説には、おそらく、おおむねのところ意味はない。というか、そこに書かれていること以上の含意はない。

つまり、彼の小説を読んだことで得る成果はなにもないということだ。

しかし、それでも読み手は、都度立ち止まって考え、確認を繰り返さなければならない。いったいわたしはいまどこにいて、どこに向かおうとしているのか?そこで、数ページ前に戻ったとしてもそこに答えがあるわけでもない。遡行した瞬間に、遡行したことを忘れその地点から新しい物語を読み始めたかのような錯覚に襲われるだけだ。それは、『四十日と四十夜のメルヘン』において、七月四日から七月七日までの四日間の日記が延々と繰り返され、にもかかわらずなんの違和も感じられず、つねに新しい七月四日を過ごしていると思えてしまう感覚に似ている。前世の記憶(=読み進めた記憶)を忘れてしまうリインカネーションのようでもあるし、ヴォネガットの『タイムクエイク』のようなことかもしれない。

これは何度も何度も新しい言葉の断片が発見でき、その組み合わせにより何度も何度も新しい読み方できる、ということにほかならない。実際の物語においても「断片の集積」が散見する。あちこちのチラシの裏に書き付けられた作中メルヘン、小片の護符の裏にに書き付けられた手記をこれも断片の象徴である京大式カードに翻訳したものを再編集することでうまれた作中小説、これらを束ねるこれもまたチラシの裏に書かれた日記としての形式。主人公の行動すらも、文芸創作学校にいってみたり、フランス語講座に通ってみたり、染物教室に行ってみたりといったまったく安定しない断片の集積である。しかし、冷静に考えたとき、すべての人間のコミュニケーションと行動は、断片の集積であり、なにか一貫したシナリオ・ストーリーのまま、リニアに正確に積み上げでまい進ししているわけではなく、ここに書かれた実態こそが、実態であるともいえ、その点では、あるべき普通の生活をより正確に文字に転写した小説ということになる。

したがって、もちろん「成果はなにもない」とういうのは、人生訓的な成果がないということにすぎない。人間のコミュニケーション、記号によるコミュニケーションの有効性と無効性を考えるうえで、これを小説という表現形式に落としたという成果は大きいし、なにより、あくまで文字断片の集積である小説というものの新しい読み方を提起したという成果は傑出といっていいかもしれない。あのとき平野啓一郎は斬新だったかもしれないが、それすらまやかしと思えてしまうこの卓越を新潮社は、もっと過激にプロモーション(=しっかり研究)したほうがよいかもしれない。

現在、青木淳悟の『四十日と四十夜のメルヘン』、『クレーターのほとりで』についてのまとまった評価は保坂和志の『ピンチョンが現れた!』、斎藤環の『「聴覚的小説」の手触り』(『新潮』4月号)、山之口洋の『利己的な「チラシの裏の日記」』などであり、どれも的を得た正しい評価といえる。これこそが、多角的な読み方の成立を許すということにほかなならない。保坂の言うところの「ピンチョン」というのもよくわかるが、読み終わった直後の盲目的な感想としては、むしろ島田雅彦の「日本語を使ってこんな芸も可能なのだという驚き」が端的かもしれない。正確には、「書かれた言葉」を使ってこんな嘘も可能なのだという驚き、ということになるだろう。

しかし、いずれの批評もその題材の特質から、一定のリテラシーがなければ理解しにくいものにはなっている。当然のことながら、ここまでわたしが書いてきた文章も、とてもわかりにくいものになっている。

わたしとしては、この青木淳悟の2つの作品~私小説の構造を援用した『四十日と四十夜のメルヘン』、SFの構造を援用した偽史『クレーターのほとりで』~の魅力を、彼が次回の芥川賞をとるまでに、できるだけ平明な言葉でできるだけ多くの人に伝えることにトライしてみたいと考えている。文字という記号による攪乱。断片と分裂と統合。いとも簡単な作者の死。スリリングな形式と形式の破壊。終わりという形式(=『グランド・フィナーレ』とまったく同じ枠組み)。そして数々のトラップ。さまざま、視点をもってこの虚構を解読したいところだ。

これから青木淳悟の小説論を進めるにあたって、2つの作品のストーリーラインを、これも断片の継ぎ合わせで紹介しておく。

●『四十日と四十夜のメルヘン』
-住宅地へのチラシの配布を生業とする主人公。
-主人公の家(公営団地)には、配りきれなかったチラシが山のようにたまっている。
-いつの頃からか、隣りの家から盗み始めた新聞も堆積している。
-主人公は、そのチラシの裏に、日記を書き付けている。
-文芸創作教室に通っていたこともあり、チラシの裏には、日記だけではなく『チラシ(=クロードとクロエ)』というメルヘンを書き付けている。この創作作業が主人公の内面で肥大していく(ようにみえる)。
-文芸教室の先生は作家。有名というわけではないが、少なくともひとつは作品を残している。基本的にまじめな創作態度ではない。唯一承認された物語『裸足の僧侶たち』は、11世紀のキリスト教弾圧のため虐げられた修道士の話。そもそもは、修道士が残した小片の護符の裏にに書き付けられた手記をもとにした編集であり、オリジナルの小説ではない。
-主人公の書く日記は、なぜか7月4日から7月7日の4日間を何度もくりかえす(10回?)
-主人公は地元でもっとも安いスーパーについて確信的である。
-主人公の勤め先のチラシ(印刷)ブローカーはグーテンベルクという名であり、作中メルヘンでは、グーテンベルクによって発明された印刷機そして複製という行為が巻き起こす騒動が中心的な話題となる。
-主人公はチラシを配りつつ、ときには担当地域を離れ、北海道東北までさまよう。
-しかし、ここに書かれたことは思弁的に書かれた嘘である可能性を多いに孕む。しかし、真偽のほどはわからない。し、取りざたされるものではない。
-小説の冒頭には、「必要なことは、日付を絶対に忘れずに記入しておくことだ。」という、
野口悠紀雄『「超」整理法』からのエピグラフが置かれている。
-登場人物の内面、性別など定かなことは罠にまみれている。

●『クレーターのほとりで』
-人類の起源を考えてみる偽史である。もうひとつの歴史の可能性というほうが正しいかもしれない。
-古代のようなところで、沼のほとりのようなところにあつまった原生人類が営みをはじめ共同体のようなものを形成していく話が端緒である。
-ネアンデルタール人とクロマニヨン人がこの場で、精神的に生殖的に融合する。つまり猿と人間が結ばれる。
-古代に人類のひとつの家族の埋葬された時点で、視点は現代に切り替わり、彼らの生活場の発掘作業をめぐる顛末が描かれることになる。
-発掘の場において対立してるのは、創世記で語られている人類の起源を科学的に証明しようとしている「創造科学研究所」のシオン賢者による「エデン調査団」と、その場を天然ガスの宝庫とみた狡猾な企業LNGである。
-シオン賢者は、この地にエデンの東を求める。立脚点は「ケルビム幼獣の骨」の発掘であり、これがある以上アダムとイブの骨が埋葬されているということだ。
-発掘作業において、古代の沼があったようなところに、クレーターのような穴を掘削する。
-ひょんなことから、企業の思惑はつぶれ、あまつさえ、古代人骨が発掘される。
-古代と現代をつなぐのは、歌である。
-といったようなようなことが、もっともらしい(ほんとうかどうかはわからない)科学的根拠のなかで語られている。


もちろん、書かれたことはすべて嘘の可能性もあるわけで、これを考えると、つぎに青木の作品を語る日が来るかどうか、つまり「青木淳悟を考えてみる(2)」がエントリーされるかどうかはわからない。


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2 コメント

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Unknown (LIN)
2005-03-12 12:46:50
あ!ほしい!

早速、近所の書店に問い合わせてみましたが

田舎ゆえやっぱりありませんでした。

しょうがないのでAmazonに注文します。

でも「これ、話題になってますよね」と反応していたので

近いうちに平積みになるかもしれません(笑)
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コメントありがとうございます。 (urat2004)
2005-03-12 15:37:32
どうかなあ、とあまり期待せずに、読み始めた青木淳悟ですが、個人的には入れ込んでしまいそうです。次の作品が愉しみですが、あまりあせらず、たくさんのトラップがある言語の戯れをじっくり時間をかけて書いてほしいところですね。



LINさんも入手のあかつきには、行きつ戻りつゆっくりお読みください。



現在は、ややスノッブな書店に限って、平積みにはなっているようですが、それが新潮新人賞というのが理由なのか、新刊だからという理由なのか、目利きによるものなのかは、わかりません。

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