ばどばーど

主に神奈備の筑波山を中心にした、里や沼のネイチャーフォト、植物や野鳥たちをご紹介します。写真をクリックすると拡大します。

変数を変える

2019年10月31日 | Weblog
 昨日は御託を並べてしまいました。でも、これは壊れていく自分の頭の状態を見つめるための行為でした。
耳鳴りが激しく、毎朝起床の度に苦しんでいるのです。頭の中が壊れているのではないかと、句を詠んで日々確かめたり、畠でも連作障害が発生しないように、コンパニオンプランツを組み合わせたりと、元々凡庸な頭なので堂々巡りしています。
 読書にもどれだけ耐えられるかと、天候不順と台風の連続の中で、井上ひさしの「四千万歩の男」長編3冊を読んでみました。これは1986年刊の初版で書庫に眠っていたものです。伊能忠敬が50歳過ぎてから星学・暦学を修め、1800年に誰も測ったことのない子午線1度の長さを、自分の足で歩いて求めたことは、誰でも知っていることです。現在の測量技術との差も千分の1とか。その記録を縦糸に、前後100年程の様々な同時代人を登場させ、物語が織り上げられていました。
 さらにエッセイ集の「遅れたものが勝ちになる」も読んでみました。ここには井上ひさしの方程式が書かれていました。
すなわち、
      未来の地球・大自然=自然法則×定数×変数    というものです。

 これは、プレストン・クラウドというアメリカの古生物学者の言葉を式にしたものとのことです。自然法則と定数は変えられないが、変数は我々の態度であるから変えられると云うものです。今年、この変数を変えようと国連で演説し呼びかけた少女がいました。グレタ・トゥンベリというスエーデンの16才の女子高生です。《一人一人が「自分も地球の未来を決定する変数のうちの1個だ」と信じて生きたらどうかしらん、と考えます。》と、井上ひさしは30年前に訴えていました。



頑張った遊水地

2019年10月30日 | Weblog
 千葉方面に出かけてみました。出発するとすぐナビが「10km先右折禁止です。」と。私のルートでは右折は無いはずなのにどこなのか?と、しばらく進むと思い当たりました。我孫子の遊水地の中央道路のようです。使えない為、国道6号は利根川の大橋の上から渋滞が始まっていました。この遊水地へ水が入ったのは、小貝川の決壊以来ではないかと思います。常総市の決壊の際は何事もなかったように稲刈りがされていたと記憶しています。マスコミのヘリが浸水箇所ばかり映していましたが、何故、すぐ下流の遊水地の菅生や稲戸井そして柏・我孫子側の田中の遊水地を撮影しないのかと、いつか撮ってくれるのではと思ったものです。
 今回、利根川流域が河口の銚子や波崎を除いて無事だったのは、渡良瀬遊水地とこれら3カ所の遊水地に越水させたからのようです。銚子や波崎は河口のため、高潮で逆流が発生したようです。これらの遊水地の貯水能力は2.5億立方メートルとか。東京ドーム200杯分で、八ツ場ダムの3.3倍とのことです。遊水地ですから、普段は殆どが広大な稲作地になっています。人家はありません。我孫子では、すでに稲刈りが終了していたようですから、大きな被害にはならなかったようですが、道路はしばらくは全通しないのでしょう。国道6号からは入れないように柵が張られていました。
 佐倉市の鹿島川や高崎川も氾濫したとか。印旛沼が近いのに何故?中小河川の決壊や反乱の恐ろしさを思い知らされました。
国土強靭化などと云っても、国中ずたずたの状態です。堤防造ってお仕舞では解決しないでしょう。停電になれば排水ポンプも動かず、通信も寸断状態となりました。流通も途絶え、被災した家屋が元に戻るのか、戻ると希望しても何年かかるのか?それまで気持ちを身体を保てるのか?
 あの大震災の時、屋根瓦が落ち、普段からお付き合いのある工務店に依頼してブルーシートを張って戴き、すぐに屋根の修理をお願いし、屋根屋さんの来てくれたのが、半年後の9月末で、何とか正月までに間に合いました。これでも地区では、早い方でした。(息子と二人で素人作業で張ったブルーシートは、あっという間に剥がれてしまいました。)災害は一生に一度で十分です。もう経験したくありません。
 AIもロボットも何一つ解決出来ないでいます。デジタルの便利さとのギャップを認識しておく必要があると思っています。