2010年9月26日(日)
昨日の小諸城・松代城に続き、この日は日本100名城のひとつ、
「春日山城」を訪れた。
駐車場の先に春日山神社への石段がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/bf/adbb3d0e40c309e5008e11752de90afb.jpg)
息を切らしながら石段を上ると春日山神社の鳥居があり、
その先に神社の本殿が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a4/35aca3ea6b11881b026c86346865f697.jpg)
先ずは、お参りをして行こう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/0d/9237d91245cd5ef1668546fac83d658d.jpg)
神社にお参りして鳥居を右に曲がると、上杉謙信公の像が目に付く。
ここが春日山城の上り口になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/d5/63f53cd9d070c19bac570a41b7cc0efe.jpg)
謙信像の左手を上っていくと、正面に二の丸辺りの杉木立が見える。
地図からすると天守台跡、本丸跡はそのずっと上の方にあるようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/93/53c15bb7dd8041e2b9d69926ea5687d0.jpg)
途中右に曲がって山道を登ると二の丸・本丸へ至るとの案内板があり、
どちらにしようか迷ったが、そのまま真直ぐ進むことにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/ae/45614cb495acf3f6fb11d0f988758dd1.jpg)
しばらくは農道のような山道が続く。
このまま進んだらどこに行くのだろう?
ちょっと不安な気持ちに駆られながら進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/11/11358399c948023798b8ebbe63a2a287.jpg)
10分ほど進むと、写真のような案内板が見えた。
どうやら間違ってはいないようだ。
案内板に従って左側へ進むと、「南三の丸屋敷跡」がある。
”(ジョウ)城の畑”と呼ばれていた、そうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/c6/a12c305f558d74d378e83c45093c2608.jpg)
今は畑だが、当時は土塁や塀で区画された屋敷が連なり、
春日山城の最も重要な屋敷が集まっていた、そうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/fd/3cc4aab107ffd324b3d3965c875c547b.jpg)
いったんさきほどの案内板まで引き返し、本丸跡方向へ進む。
全くの農道で、城内とは思えない景色が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/8d/4be9f95a26b9fe6b6c7b12e1ad1fe99d.jpg)
次第に道が細くなり、坂道になってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/44/71c6500fd3937b5bd1792a68d2d76d9f.jpg)
汗をかきかき歩くこと7分、「柿崎和泉守屋敷跡」に出た。
上杉謙信の重臣柿崎景家の屋敷跡と伝えられる。
春日山城で最も大きな郭のひとつである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ef/9813cf42e6c8467a61704e2b9d078a87.jpg)
屋敷跡からの眺めは素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c0/a9be9e1ab17380c3a7b4b51f7348386e.jpg)
上杉景勝屋敷跡
「御館の乱」で勝利し、謙信公の跡目を相続した景勝公の屋敷跡。
景勝公は謙信公の姉仙桃院の子で、直江山城守兼継という知将を得て、
豊臣秀吉五大老の一人にまでなった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/41/f2526fcbcdaf5730b5c3352728facb87.jpg)
今はあちこちに木が生えて狭く感じるが、かなり大きな郭だった、
と推測できる。
昔はどうだったか知らないが、柿崎和泉守屋敷跡ほどの眺望はない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/fe/3f305d8342b11f5dfe4f2a0b3644f82a.jpg)
さらに先に進むと、鐘楼跡がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c4/8cf910d609014173585784f10a002063.jpg)
鐘楼跡からの眺めは柿崎和泉守屋敷跡に劣らず素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/09/204bd4f0017480a42e5c7d9851c04328.jpg)
まだまだ上りが続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/d7/803ab26c44821bdb1e4e4434c211cbaa.jpg)
井戸曲輪があった。
こんなに高く上ったところにどうして? と思うほどである。
廃城後400年経った今でも水を満々と湛えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/91/8248440a3150559f127ebfd8e0c29812.jpg)
井戸曲輪をさらに上ると・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/2a/2a93af0f74b62f1f9cbd6aeececc22e7.jpg)
ようやく天守閣跡に到着した。
謙信公像を出発してから45分経っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/38/85c3b4d50ca5f6e3241fef4b3f2d9f5a.jpg)
天守閣跡からの眺めは素晴らしいの一言に尽きる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/e3/394d71d34ef506c5db3cd8cf5374bd43.jpg)
こちらは、本丸跡
こちらからの眺めも素晴らしい。最高である。
3Kmほど先に関川が見えるが、その向こう側は当時の景色とあまり変わっていないそうである。
謙信公も同じように眺めていたのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a0/ec06471cc85e2bbd3f02bc97220aa8b8.jpg)
本丸跡を少し下ると、謙信公が出陣前に戦勝を祈願した毘沙門堂がある。
当時とは場所が少し異なるそうだ。
中には謙信公が信仰した毘沙門天(四天王の多聞天)が安置されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/a4/cc343eef1d57df8066a8a5b54bea7b84.jpg)
直江屋敷跡
三島郡与板城主であった直江大和守実綱(のちの景綱)、続いて信綱が住んだ屋敷跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/86/2e76f925db631f096dad7b2d14d32d1d.jpg)
上杉景勝の小姓だった樋口与六が直江家を継ぎ、直江兼継と名乗った話は
NHK大河ドラマでやったので記憶に新しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/f1/881fa665e20a6260dc7562e87ca082ec.jpg)
三の丸屋敷跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/51/8ccc010ece29fa0c90da85c43c3bc13e.jpg)
春日山では最も良好な状態で土塁が残る「米蔵跡」と
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/75/58babaaba4343d078672d1797d6ede06.jpg)
謙信公が自らの名を与えて住まわせた養子「三郎景虎屋敷跡」を
を総称して「三の丸屋敷跡」と呼ぶ。
三郎景虎は、謙信公死後に起きた「御館の乱」で敗れ、悲運の死を遂げた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/1b/4401f17ecbdadfcb87db218fe0cdec10.jpg)
当時の土塁がそのままの状態で残っている。
土塁の上に城壁があり、鉄砲や弓を射た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/39/0830078b789b0684815d016ef968514f.jpg)
土塁からこれまで上ってきた道を望む。
ここから敵兵は丸見えである。簡単には攻めることは出来ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/85/5104b1e6f1edbe4129f246843ed55c55.jpg)
この後、春日山を下り、駐車場に着いた時には、出発してから2時間を過ぎていた。
ちょっとしたハイキング気分を味わった。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。
昨日の小諸城・松代城に続き、この日は日本100名城のひとつ、
「春日山城」を訪れた。
駐車場の先に春日山神社への石段がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/bf/adbb3d0e40c309e5008e11752de90afb.jpg)
息を切らしながら石段を上ると春日山神社の鳥居があり、
その先に神社の本殿が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a4/35aca3ea6b11881b026c86346865f697.jpg)
先ずは、お参りをして行こう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/0d/9237d91245cd5ef1668546fac83d658d.jpg)
神社にお参りして鳥居を右に曲がると、上杉謙信公の像が目に付く。
ここが春日山城の上り口になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/6e/d47d350a2cdc8988ef1ed6c34e673cc2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/d5/63f53cd9d070c19bac570a41b7cc0efe.jpg)
謙信像の左手を上っていくと、正面に二の丸辺りの杉木立が見える。
地図からすると天守台跡、本丸跡はそのずっと上の方にあるようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/93/53c15bb7dd8041e2b9d69926ea5687d0.jpg)
途中右に曲がって山道を登ると二の丸・本丸へ至るとの案内板があり、
どちらにしようか迷ったが、そのまま真直ぐ進むことにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/ae/45614cb495acf3f6fb11d0f988758dd1.jpg)
しばらくは農道のような山道が続く。
このまま進んだらどこに行くのだろう?
ちょっと不安な気持ちに駆られながら進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/11/11358399c948023798b8ebbe63a2a287.jpg)
10分ほど進むと、写真のような案内板が見えた。
どうやら間違ってはいないようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/3f/3f4d50df9b8ad43b098163a04202ab50.jpg)
案内板に従って左側へ進むと、「南三の丸屋敷跡」がある。
”(ジョウ)城の畑”と呼ばれていた、そうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/c6/a12c305f558d74d378e83c45093c2608.jpg)
今は畑だが、当時は土塁や塀で区画された屋敷が連なり、
春日山城の最も重要な屋敷が集まっていた、そうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/fd/3cc4aab107ffd324b3d3965c875c547b.jpg)
いったんさきほどの案内板まで引き返し、本丸跡方向へ進む。
全くの農道で、城内とは思えない景色が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/8d/4be9f95a26b9fe6b6c7b12e1ad1fe99d.jpg)
次第に道が細くなり、坂道になってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/d7/08d81cb393558f430deb547013436775.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/44/71c6500fd3937b5bd1792a68d2d76d9f.jpg)
汗をかきかき歩くこと7分、「柿崎和泉守屋敷跡」に出た。
上杉謙信の重臣柿崎景家の屋敷跡と伝えられる。
春日山城で最も大きな郭のひとつである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ef/9813cf42e6c8467a61704e2b9d078a87.jpg)
屋敷跡からの眺めは素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c0/a9be9e1ab17380c3a7b4b51f7348386e.jpg)
上杉景勝屋敷跡
「御館の乱」で勝利し、謙信公の跡目を相続した景勝公の屋敷跡。
景勝公は謙信公の姉仙桃院の子で、直江山城守兼継という知将を得て、
豊臣秀吉五大老の一人にまでなった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/41/f2526fcbcdaf5730b5c3352728facb87.jpg)
今はあちこちに木が生えて狭く感じるが、かなり大きな郭だった、
と推測できる。
昔はどうだったか知らないが、柿崎和泉守屋敷跡ほどの眺望はない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/fe/3f305d8342b11f5dfe4f2a0b3644f82a.jpg)
さらに先に進むと、鐘楼跡がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c4/8cf910d609014173585784f10a002063.jpg)
鐘楼跡からの眺めは柿崎和泉守屋敷跡に劣らず素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/09/204bd4f0017480a42e5c7d9851c04328.jpg)
まだまだ上りが続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/d7/803ab26c44821bdb1e4e4434c211cbaa.jpg)
井戸曲輪があった。
こんなに高く上ったところにどうして? と思うほどである。
廃城後400年経った今でも水を満々と湛えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/91/8248440a3150559f127ebfd8e0c29812.jpg)
井戸曲輪をさらに上ると・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/2a/2a93af0f74b62f1f9cbd6aeececc22e7.jpg)
ようやく天守閣跡に到着した。
謙信公像を出発してから45分経っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/38/85c3b4d50ca5f6e3241fef4b3f2d9f5a.jpg)
天守閣跡からの眺めは素晴らしいの一言に尽きる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/e3/394d71d34ef506c5db3cd8cf5374bd43.jpg)
こちらは、本丸跡
こちらからの眺めも素晴らしい。最高である。
3Kmほど先に関川が見えるが、その向こう側は当時の景色とあまり変わっていないそうである。
謙信公も同じように眺めていたのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a0/ec06471cc85e2bbd3f02bc97220aa8b8.jpg)
本丸跡を少し下ると、謙信公が出陣前に戦勝を祈願した毘沙門堂がある。
当時とは場所が少し異なるそうだ。
中には謙信公が信仰した毘沙門天(四天王の多聞天)が安置されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/88/061242924ec593a8e3472873e156e278.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/a4/cc343eef1d57df8066a8a5b54bea7b84.jpg)
直江屋敷跡
三島郡与板城主であった直江大和守実綱(のちの景綱)、続いて信綱が住んだ屋敷跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/86/2e76f925db631f096dad7b2d14d32d1d.jpg)
上杉景勝の小姓だった樋口与六が直江家を継ぎ、直江兼継と名乗った話は
NHK大河ドラマでやったので記憶に新しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/f1/881fa665e20a6260dc7562e87ca082ec.jpg)
三の丸屋敷跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/51/8ccc010ece29fa0c90da85c43c3bc13e.jpg)
春日山では最も良好な状態で土塁が残る「米蔵跡」と
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/75/58babaaba4343d078672d1797d6ede06.jpg)
謙信公が自らの名を与えて住まわせた養子「三郎景虎屋敷跡」を
を総称して「三の丸屋敷跡」と呼ぶ。
三郎景虎は、謙信公死後に起きた「御館の乱」で敗れ、悲運の死を遂げた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/1b/4401f17ecbdadfcb87db218fe0cdec10.jpg)
当時の土塁がそのままの状態で残っている。
土塁の上に城壁があり、鉄砲や弓を射た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/39/0830078b789b0684815d016ef968514f.jpg)
土塁からこれまで上ってきた道を望む。
ここから敵兵は丸見えである。簡単には攻めることは出来ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/85/5104b1e6f1edbe4129f246843ed55c55.jpg)
この後、春日山を下り、駐車場に着いた時には、出発してから2時間を過ぎていた。
ちょっとしたハイキング気分を味わった。
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