ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.32 春日山城

2010年09月26日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2010年9月26日(日)

昨日の小諸城・松代城に続き、この日は日本100名城のひとつ、
春日山城」を訪れた。

駐車場の先に春日山神社への石段がある。

       息を切らしながら石段を上ると春日山神社の鳥居があり、
       その先に神社の本殿が見える。
       
              先ずは、お参りをして行こう。
              
       
神社にお参りして鳥居を右に曲がると、上杉謙信公の像が目に付く。
ここが春日山城の上り口になる。       

       謙信像の左手を上っていくと、正面に二の丸辺りの杉木立が見える。
       地図からすると天守台跡、本丸跡はそのずっと上の方にあるようだ。
       
              途中右に曲がって山道を登ると二の丸・本丸へ至るとの案内板があり、
              どちらにしようか迷ったが、そのまま真直ぐ進むことにした。
              
                     しばらくは農道のような山道が続く。
                     このまま進んだらどこに行くのだろう? 
                     ちょっと不安な気持ちに駆られながら進む。
                     

10分ほど進むと、写真のような案内板が見えた。
どうやら間違ってはいないようだ。

       案内板に従って左側へ進むと、「南三の丸屋敷跡」がある。
       ”(ジョウ)城の畑”と呼ばれていた、そうである。
       
              今は畑だが、当時は土塁や塀で区画された屋敷が連なり、
              春日山城の最も重要な屋敷が集まっていた、そうだ。
              

いったんさきほどの案内板まで引き返し、本丸跡方向へ進む。
全くの農道で、城内とは思えない景色が続く。

       次第に道が細くなり、坂道になってきた。
       
              汗をかきかき歩くこと7分、「柿崎和泉守屋敷跡」に出た。
              上杉謙信の重臣柿崎景家の屋敷跡と伝えられる。
              春日山城で最も大きな郭のひとつである。
              
                     屋敷跡からの眺めは素晴らしい。
                     

上杉景勝屋敷跡
「御館の乱」で勝利し、謙信公の跡目を相続した景勝公の屋敷跡。
景勝公は謙信公の姉仙桃院の子で、直江山城守兼継という知将を得て、
豊臣秀吉五大老の一人にまでなった。

       今はあちこちに木が生えて狭く感じるが、かなり大きな郭だった、
       と推測できる。
       昔はどうだったか知らないが、柿崎和泉守屋敷跡ほどの眺望はない。
       
              さらに先に進むと、鐘楼跡がある。
              
                     鐘楼跡からの眺めは柿崎和泉守屋敷跡に劣らず素晴らしい。
                     

まだまだ上りが続く。

       井戸曲輪があった。
       こんなに高く上ったところにどうして? と思うほどである。
       廃城後400年経った今でも水を満々と湛えている。
       

井戸曲輪をさらに上ると・・・

       ようやく天守閣跡に到着した。
       謙信公像を出発してから45分経っていた。
       
              天守閣跡からの眺めは素晴らしいの一言に尽きる。
              




こちらは、本丸跡
こちらからの眺めも素晴らしい。最高である。
3Kmほど先に関川が見えるが、その向こう側は当時の景色とあまり変わっていないそうである。
謙信公も同じように眺めていたのだろう。






本丸跡を少し下ると、謙信公が出陣前に戦勝を祈願した毘沙門堂がある。
当時とは場所が少し異なるそうだ。
中には謙信公が信仰した毘沙門天(四天王の多聞天)が安置されている。



直江屋敷跡
三島郡与板城主であった直江大和守実綱(のちの景綱)、続いて信綱が住んだ屋敷跡。

       上杉景勝の小姓だった樋口与六が直江家を継ぎ、直江兼継と名乗った話は
       NHK大河ドラマでやったので記憶に新しい。
       


三の丸屋敷跡

       春日山では最も良好な状態で土塁が残る「米蔵跡」と
       
              謙信公が自らの名を与えて住まわせた養子「三郎景虎屋敷跡」を
              を総称して「三の丸屋敷跡」と呼ぶ。
              三郎景虎は、謙信公死後に起きた「御館の乱」で敗れ、悲運の死を遂げた。
              

当時の土塁がそのままの状態で残っている。
土塁の上に城壁があり、鉄砲や弓を射た。                     

       土塁からこれまで上ってきた道を望む。
       ここから敵兵は丸見えである。簡単には攻めることは出来ない。
       

この後、春日山を下り、駐車場に着いた時には、出発してから2時間を過ぎていた。
ちょっとしたハイキング気分を味わった。


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