2011年4月17日(日)
この日は、3つの100名城を巡る予定にしている。先ずは、金沢城である。
兼六園近くの駐車場に車を停めて城へ向かった。
石川門に通じる紺屋坂は、桜がちょうど満開を迎えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/58/096cfd32bbcb5361b686a622357b266f.jpg)
紺屋坂から、兼六園に向かい合って建つ石川門を望む。
石川門はかつては搦手門と呼ばれる裏門であった。
鉛瓦屋根が雪のように白く輝いて眩しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/af/6fdc50fa103966c4a1f5607f7a645795.jpg)
石川門は、現在は金沢城の顔であり、橋爪門、河北門とともに「三御門」と呼ばれた。
銀色に輝く鉛瓦が特徴で、溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったとも言われている。
この日は日曜日で快晴、大勢の観光客でごった返していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/7b/a563039b6718c9128d90eaf0d6fcbdb5.jpg)
石川橋の下は堀大街通りが通っており、橋の右側が金沢城、左側は兼六園となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/55/3ad7ce89292654432dfe1b02f4e84dd7.jpg)
石川門の二重櫓
野面積みの石垣と海鼠壁が美しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/76/88e36e6df3c43984b06da2d7e5792476.jpg)
内側から見た石川門の渡り櫓。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/95/5880f9cdf38d7aa7c44a31d0f5ba1c1e.jpg)
石川門は昭和二十五年(1950)に重要文化財に指定されており、現在特別公開されている。
二重櫓側から中に入ることが出来る。入場料は無料
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/75/864fe1dc310f4eda1fbf670aa5b3bb0f.jpg)
石川門の内部、渡り櫓部分。
堅牢な造りだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/1a/e59c87adeadb45c362a3d3fcb8040d85.jpg)
金沢城三の丸広場は広い。動画で見るとご覧の通りである。
石川門をくぐって左に曲がると、三の丸広場が広がる。
その向こうに左から橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓が見える。
遠くから見ると、映画のセットのようにも見えたが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/85/ddbb386dbd3e1aa2d2a6b47c75c81c4a.jpg)
近づいてみるとその堂々とした造りに圧倒されてしまう。
正面右は菱櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/67/6b4bc5d80428e052d7a5509fdfc66aa2.jpg)
菱櫓の石垣と堀
石垣は、打ち込みハギ造りである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/a7/defbd5a6d18c6221d087f1138175780c.jpg)
菱櫓の堀に沿って桜並木が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ce/a11d5bd333c7fb85f43922e7d6dc2c7a.jpg)
桜並木の突き当り(土門橋上)から堀を見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/c8/1d3527e1dcb502d0da6c32d88446e152.jpg)
いったん引き返して、河北門へ向かった。
河北門は、金沢城三の丸の正門で、橋爪門、石川門とともに「三御門」と呼ばれた。
大手筋の要所を防御する重要な門で、金沢城の実質的な正門である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/5a/eec2384372bc167956166c72b09a4e5f.jpg)
見学用の階段から見た河北門
安永元年(1772)に再建され、明治15年(1883)頃まで存続していたものだが、
多数の資料の調査と検証に基づいて、昨年(平成22年)4月に復元された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d7/8f4b7ea7d44b04d587fbcc025a054102.jpg)
河北門から菱櫓を望む。ビューポイントのひとつになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/98/0c72d4980d23dfe84554e5c90aa34966.jpg)
河北門の内部も木の香りがして、明るい。
石川門の内部と比較すると、その明るさが際立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/3c/6edcd080ef0f9ce09708491e114f83bd.jpg)
河北門も枡形門型式の城門である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/4b/ca86d3746769955c4f727901c35f03e7.jpg)
河北門から菱櫓をみたところ。一服の絵のようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/3c/6f45e66421f4d22421adabc053fc79fb.jpg)
河北門の城壁から新丸広場を望む。
盆栽に似た松と桜がなかなか良い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/4d/76801daa002ded01da6b073f51ccf99c.jpg)
二の丸広場
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c8/a6957d34a62f25ee7d6605a229a31253.jpg)
二の丸広場の全景
二の丸と本丸の間の空堀に架かる極楽橋
この橋を渡ると、本丸である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/11/9883b15b86ca16a5f0b8caa605f0d56f.jpg)
本丸側から見た、左から菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の全景。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/cb/7483f7dbda76983ddec8d3b7448d30f8.jpg)
三十間長屋
宝暦の大火(1759)の後、安政五年(1858)に再建された長屋式倉庫。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/36/d30eb9f71ca04c86c7a7e2073d003ab1.jpg)
本来は食器類などを納めた倉庫であったが、江戸時代後期には武器・弾薬を納めたと云われている。
現存する金沢城の遺構の一つで、昭和32年(1957)国の重要文化財に指定されている。
現在、特別公開されている。入場料は無料。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/8e/33a8a6f56959d43f99a28d8a5d2f44ab.jpg)
本丸への入場門跡、鉄門(くろがねもん)の切り込みハギ造りの石垣
寛永の大火(1632)以降、この門が二の丸から本丸に入る正門となった。
渡し櫓が乗った重厚な門で、本丸の防御にあたっていた。
扉に鉄板が貼り付けられていたことから、鉄門の名前が付いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/b4/0191a127a15ada57c5726b61779d3f27.jpg)
本丸跡
天正十一年(1581)賤ヶ岳合戦後に前田利家が入城し、天正十四年(1586)頃に天守閣を設けたと云われる。
天守閣は慶長七年(1602)に焼失し、代わって三階櫓が建てられた。
寛永の大火(1631)までは、本丸に御殿がおかれ、金沢城の中心であったが、大火後は二の丸に移った。
現在、本丸跡は緑地公園となっており、散策する人が絶えない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/ae/05e5c2d211ea3984b6dd434101dde722.jpg)
戌亥櫓跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/d0/cfb36591cefc19012b84aa09069fd84a.jpg)
戌亥櫓跡から、橋爪門続櫓、三の丸広場が見える。
手前は、橋爪門続櫓の二の橋の復元工事中である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ea/d8bf38027060ced2ec8c983e6b8f19ee.jpg)
丑寅櫓跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ef/2fbb56e966685e4df18b06d939e4e1e5.jpg)
丑寅櫓跡から正面の兼六園の眺めが美しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/fd/6e71082398f188869e89e97f99ee9795.jpg)
辰巳櫓跡からの眺望もまた素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/8f/fc413ec120588e80d33f1dc6544471cb.jpg)
東の丸の石垣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c7/31b03f6da1d966b140016067c457ef32.jpg)
角は切り込みハギ造り、平面部分は打ち込みハギ造り併用の石垣である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/7b/1391ac369b743570414c29bf212e5be4.jpg)
鶴丸倉庫
現存する金沢城の数少ない遺構の一つ。
嘉永元年(1848)に建て替えられた武具土蔵。
全国の城郭内土蔵の中でも最大規模を誇る。
腰の石貼りや窓回りなど意匠的にも優れた遺構として平成二十年(2008)国の重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/a7/cad322616f1e7fefe6d0ab6a414091d8.jpg)
鶴の丸の表側の内堀石垣
打ち込みハギ造りの石垣である。
平成11年から12年にかけて復元されたもので新しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ed/225c3bf020f2682d3aa5dbc250903866.jpg)
金沢城はとても広く、まだまだ見たいところはたくさんあったが、
時間の都合上、金沢城を後にし、次の丸岡城へ車を走らせた。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。
この日は、3つの100名城を巡る予定にしている。先ずは、金沢城である。
兼六園近くの駐車場に車を停めて城へ向かった。
石川門に通じる紺屋坂は、桜がちょうど満開を迎えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/58/096cfd32bbcb5361b686a622357b266f.jpg)
紺屋坂から、兼六園に向かい合って建つ石川門を望む。
石川門はかつては搦手門と呼ばれる裏門であった。
鉛瓦屋根が雪のように白く輝いて眩しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/af/6fdc50fa103966c4a1f5607f7a645795.jpg)
石川門は、現在は金沢城の顔であり、橋爪門、河北門とともに「三御門」と呼ばれた。
銀色に輝く鉛瓦が特徴で、溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったとも言われている。
この日は日曜日で快晴、大勢の観光客でごった返していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/7b/a563039b6718c9128d90eaf0d6fcbdb5.jpg)
石川橋の下は堀大街通りが通っており、橋の右側が金沢城、左側は兼六園となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/55/3ad7ce89292654432dfe1b02f4e84dd7.jpg)
石川門の二重櫓
野面積みの石垣と海鼠壁が美しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/76/88e36e6df3c43984b06da2d7e5792476.jpg)
内側から見た石川門の渡り櫓。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/95/5880f9cdf38d7aa7c44a31d0f5ba1c1e.jpg)
石川門は昭和二十五年(1950)に重要文化財に指定されており、現在特別公開されている。
二重櫓側から中に入ることが出来る。入場料は無料
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/75/864fe1dc310f4eda1fbf670aa5b3bb0f.jpg)
石川門の内部、渡り櫓部分。
堅牢な造りだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/1a/e59c87adeadb45c362a3d3fcb8040d85.jpg)
金沢城三の丸広場は広い。動画で見るとご覧の通りである。
石川門をくぐって左に曲がると、三の丸広場が広がる。
その向こうに左から橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓が見える。
遠くから見ると、映画のセットのようにも見えたが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/85/ddbb386dbd3e1aa2d2a6b47c75c81c4a.jpg)
近づいてみるとその堂々とした造りに圧倒されてしまう。
正面右は菱櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/67/6b4bc5d80428e052d7a5509fdfc66aa2.jpg)
菱櫓の石垣と堀
石垣は、打ち込みハギ造りである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/a7/defbd5a6d18c6221d087f1138175780c.jpg)
菱櫓の堀に沿って桜並木が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ce/a11d5bd333c7fb85f43922e7d6dc2c7a.jpg)
桜並木の突き当り(土門橋上)から堀を見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/c8/1d3527e1dcb502d0da6c32d88446e152.jpg)
いったん引き返して、河北門へ向かった。
河北門は、金沢城三の丸の正門で、橋爪門、石川門とともに「三御門」と呼ばれた。
大手筋の要所を防御する重要な門で、金沢城の実質的な正門である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/5a/eec2384372bc167956166c72b09a4e5f.jpg)
見学用の階段から見た河北門
安永元年(1772)に再建され、明治15年(1883)頃まで存続していたものだが、
多数の資料の調査と検証に基づいて、昨年(平成22年)4月に復元された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d7/8f4b7ea7d44b04d587fbcc025a054102.jpg)
河北門から菱櫓を望む。ビューポイントのひとつになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/98/0c72d4980d23dfe84554e5c90aa34966.jpg)
河北門の内部も木の香りがして、明るい。
石川門の内部と比較すると、その明るさが際立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/3c/6edcd080ef0f9ce09708491e114f83bd.jpg)
河北門も枡形門型式の城門である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/4b/ca86d3746769955c4f727901c35f03e7.jpg)
河北門から菱櫓をみたところ。一服の絵のようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/3c/6f45e66421f4d22421adabc053fc79fb.jpg)
河北門の城壁から新丸広場を望む。
盆栽に似た松と桜がなかなか良い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/4d/76801daa002ded01da6b073f51ccf99c.jpg)
二の丸広場
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c8/a6957d34a62f25ee7d6605a229a31253.jpg)
二の丸広場の全景
二の丸と本丸の間の空堀に架かる極楽橋
この橋を渡ると、本丸である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/11/9883b15b86ca16a5f0b8caa605f0d56f.jpg)
本丸側から見た、左から菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の全景。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/cb/7483f7dbda76983ddec8d3b7448d30f8.jpg)
三十間長屋
宝暦の大火(1759)の後、安政五年(1858)に再建された長屋式倉庫。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/36/d30eb9f71ca04c86c7a7e2073d003ab1.jpg)
本来は食器類などを納めた倉庫であったが、江戸時代後期には武器・弾薬を納めたと云われている。
現存する金沢城の遺構の一つで、昭和32年(1957)国の重要文化財に指定されている。
現在、特別公開されている。入場料は無料。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/8e/33a8a6f56959d43f99a28d8a5d2f44ab.jpg)
本丸への入場門跡、鉄門(くろがねもん)の切り込みハギ造りの石垣
寛永の大火(1632)以降、この門が二の丸から本丸に入る正門となった。
渡し櫓が乗った重厚な門で、本丸の防御にあたっていた。
扉に鉄板が貼り付けられていたことから、鉄門の名前が付いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/b4/0191a127a15ada57c5726b61779d3f27.jpg)
本丸跡
天正十一年(1581)賤ヶ岳合戦後に前田利家が入城し、天正十四年(1586)頃に天守閣を設けたと云われる。
天守閣は慶長七年(1602)に焼失し、代わって三階櫓が建てられた。
寛永の大火(1631)までは、本丸に御殿がおかれ、金沢城の中心であったが、大火後は二の丸に移った。
現在、本丸跡は緑地公園となっており、散策する人が絶えない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/ae/05e5c2d211ea3984b6dd434101dde722.jpg)
戌亥櫓跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/d0/cfb36591cefc19012b84aa09069fd84a.jpg)
戌亥櫓跡から、橋爪門続櫓、三の丸広場が見える。
手前は、橋爪門続櫓の二の橋の復元工事中である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ea/d8bf38027060ced2ec8c983e6b8f19ee.jpg)
丑寅櫓跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ef/2fbb56e966685e4df18b06d939e4e1e5.jpg)
丑寅櫓跡から正面の兼六園の眺めが美しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/fd/6e71082398f188869e89e97f99ee9795.jpg)
辰巳櫓跡からの眺望もまた素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/8f/fc413ec120588e80d33f1dc6544471cb.jpg)
東の丸の石垣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c7/31b03f6da1d966b140016067c457ef32.jpg)
角は切り込みハギ造り、平面部分は打ち込みハギ造り併用の石垣である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/7b/1391ac369b743570414c29bf212e5be4.jpg)
鶴丸倉庫
現存する金沢城の数少ない遺構の一つ。
嘉永元年(1848)に建て替えられた武具土蔵。
全国の城郭内土蔵の中でも最大規模を誇る。
腰の石貼りや窓回りなど意匠的にも優れた遺構として平成二十年(2008)国の重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/a7/cad322616f1e7fefe6d0ab6a414091d8.jpg)
鶴の丸の表側の内堀石垣
打ち込みハギ造りの石垣である。
平成11年から12年にかけて復元されたもので新しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ed/225c3bf020f2682d3aa5dbc250903866.jpg)
金沢城はとても広く、まだまだ見たいところはたくさんあったが、
時間の都合上、金沢城を後にし、次の丸岡城へ車を走らせた。
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