ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.35 金沢城

2011年04月17日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2011年4月17日(日)


この日は、3つの100名城を巡る予定にしている。先ずは、金沢城である。
兼六園近くの駐車場に車を停めて城へ向かった。
石川門に通じる紺屋坂は、桜がちょうど満開を迎えていた。 


紺屋坂から、兼六園に向かい合って建つ石川門を望む。
石川門はかつては搦手門と呼ばれる裏門であった。
鉛瓦屋根が雪のように白く輝いて眩しい。


石川門は、現在は金沢城の顔であり、橋爪門、河北門とともに「三御門」と呼ばれた。
銀色に輝く鉛瓦が特徴で、溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったとも言われている。
この日は日曜日で快晴、大勢の観光客でごった返していた。


石川橋の下は堀大街通りが通っており、橋の右側が金沢城、左側は兼六園となっている。


石川門の二重櫓
野面積みの石垣と海鼠壁が美しい。


内側から見た石川門の渡り櫓。


石川門は昭和二十五年(1950)に重要文化財に指定されており、現在特別公開されている。
二重櫓側から中に入ることが出来る。入場料は無料


石川門の内部、渡り櫓部分。
堅牢な造りだ。


金沢城三の丸広場は広い。動画で見るとご覧の通りである。



石川門をくぐって左に曲がると、三の丸広場が広がる。
その向こうに左から橋爪門続櫓五十間長屋菱櫓が見える。
遠くから見ると、映画のセットのようにも見えたが・・・


近づいてみるとその堂々とした造りに圧倒されてしまう。
正面右は菱櫓


菱櫓の石垣と堀
石垣は、打ち込みハギ造りである。


菱櫓の堀に沿って桜並木が続く。


桜並木の突き当り(土門橋上)から堀を見たところ。


いったん引き返して、河北門へ向かった。
河北門は、金沢城三の丸の正門で、橋爪門、石川門とともに「三御門」と呼ばれた。
大手筋の要所を防御する重要な門で、金沢城の実質的な正門である。


見学用の階段から見た河北門
安永元年(1772)に再建され、明治15年(1883)頃まで存続していたものだが、
多数の資料の調査と検証に基づいて、昨年(平成22年)4月に復元された。


河北門から菱櫓を望む。ビューポイントのひとつになっている。


河北門の内部も木の香りがして、明るい。
石川門の内部と比較すると、その明るさが際立つ。


河北門も枡形門型式の城門である。


河北門から菱櫓をみたところ。一服の絵のようだ。


河北門の城壁から新丸広場を望む。
盆栽に似た松と桜がなかなか良い。


二の丸広場



二の丸広場の全景



二の丸と本丸の間の空堀に架かる極楽橋
この橋を渡ると、本丸である。


本丸側から見た、左から菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の全景。


三十間長屋
宝暦の大火(1759)の後、安政五年(1858)に再建された長屋式倉庫。


本来は食器類などを納めた倉庫であったが、江戸時代後期には武器・弾薬を納めたと云われている。
現存する金沢城の遺構の一つで、昭和32年(1957)国の重要文化財に指定されている。
現在、特別公開されている。入場料は無料。


本丸への入場門跡、鉄門(くろがねもん)の切り込みハギ造りの石垣
寛永の大火(1632)以降、この門が二の丸から本丸に入る正門となった。
渡し櫓が乗った重厚な門で、本丸の防御にあたっていた。
扉に鉄板が貼り付けられていたことから、鉄門の名前が付いた。


本丸跡
天正十一年(1581)賤ヶ岳合戦後に前田利家が入城し、天正十四年(1586)頃に天守閣を設けたと云われる。
天守閣は慶長七年(1602)に焼失し、代わって三階櫓が建てられた。
寛永の大火(1631)までは、本丸に御殿がおかれ、金沢城の中心であったが、大火後は二の丸に移った。
現在、本丸跡は緑地公園となっており、散策する人が絶えない。


戌亥櫓跡


戌亥櫓跡から、橋爪門続櫓、三の丸広場が見える。
手前は、橋爪門続櫓の二の橋の復元工事中である。


丑寅櫓跡


丑寅櫓跡から正面の兼六園の眺めが美しい。


辰巳櫓跡からの眺望もまた素晴らしい。


東の丸の石垣


角は切り込みハギ造り、平面部分は打ち込みハギ造り併用の石垣である。


鶴丸倉庫
現存する金沢城の数少ない遺構の一つ。
嘉永元年(1848)に建て替えられた武具土蔵。
全国の城郭内土蔵の中でも最大規模を誇る。
腰の石貼りや窓回りなど意匠的にも優れた遺構として平成二十年(2008)国の重要文化財に指定されている。


鶴の丸の表側の内堀石垣
打ち込みハギ造りの石垣である。
平成11年から12年にかけて復元されたもので新しい。



金沢城はとても広く、まだまだ見たいところはたくさんあったが、
時間の都合上、金沢城を後にし、次の丸岡城へ車を走らせた。


ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 贅沢なひととき 和倉温泉「... | トップ | 日本100名城巡り No.... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウマさんの「日本100名城」巡り」カテゴリの最新記事