ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.64 松江城

2011年05月19日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2011年5月19日(木)


松江城は、慶長十二年(1607)から足かけ5年の歳月を費やして、堀尾吉晴によって築かれた城である。
以来、堀尾氏3代、京極氏の治政を経て、寛永十五年(1638)からは松平氏が城主になり、
その間一度も戦乱に巻き込まれることもなく明治維新を迎えた。
山陰地方で唯一、天守を現存する貴重な城郭である。
松江城は、別名を千鳥城という。


かつての大手木戸門跡が「松江開府400年博」の入場門になっている。


堀には遊覧船が浮かんでいた。
高岡城でも見たので、これが2例目だ。


入場門を入ると、正面に石垣がど~んと迫る。
圧倒されるほどの迫力がある。
左は二の丸の中櫓、右は太鼓櫓


右手に進むと大手門跡がある。
かつては鯱鉾を付けた大きな門で、防御の要となる門であった、とのこと。
長さ8間(14.5m)、幅3間半(6.4m)というからでかい。


角度を変えて、大手門跡から二の丸を見る。
左は中櫓、右は太鼓櫓である。


大手門跡を進むとなんじゃもんじゃがまさに満開を迎えていた。


ちょうど1年前に埼玉県鴻巣市の勝願寺の境内で見た覚えがある。


ニの丸下の段広場
二の丸下の段は、東西100m・南北210mの広大な平地で、江戸時代には米蔵がたくさんあったところである。


米蔵に貯えられた米は主として、藩士の扶持米に供されていたが、洪水や飢饉がしばしば発生するようになったので、
米蔵を増築し、より多くの備蓄米を貯えるようになった。


明治維新となった以降は、不要な建造物は明治八年までに天守閣を除き、ことごとく取り壊されてしまった。
その後、一帯は運動場となり、明治三十三年には、島根一中と鳥取中による両県初の野球試合が行われたりもしている。


松江城の石垣は、慶長年間に築かれた城によく見られる、打込ハギという工法で築かれている。
石切り場から切り出した石の平坦な面の角をたたき、突き合せ易くした積み方が殆どだそうだ。


また、自然石を積んだ野面積みや全面加工した切込ハギも一部に見られる、とのこと。


石段を二の丸へ進む。


石段の途中に楠の大木があった。
樹齢350年ほどになるそうである。


二の丸の三の門辺りから振り返ってみたところ。
見えているのは二の丸の太鼓櫓だ。

ニの丸は、本丸の南側に位置する曲輪である。
江戸時代のニの丸は、藩主が公的な儀式をつかさどる「御広間」や、生活をしたり、
私的な接客や面会などを行った「御書院」はじめ「御台所」、「御式台」などの御殿があった。
また時打ち太鼓を置いた「太鼓櫓」や、城下の監視や倉庫として使われた「南櫓」「中櫓」をはじめとする
5つの櫓が建ち並んでいた、とのこと。

城内に時刻や号令を告げる太鼓が置かれていた太鼓櫓(平櫓)


幕末には御具足櫓とも呼ばれていることから、武具などを保管する倉庫として使われた中櫓(平櫓)


城下町の南東を監視する櫓であったと考えられる、南櫓(二階櫓)


南櫓の二階内部


南櫓二階から島根県庁東庁舎方面を見たところ。


明治三十六年(1903)建築の興雲閣
明治天皇をお迎えする際の御宿所とするために建てられたものだが、
まもなく日露戦争が勃発、天皇の行幸は実現しなかった。
しかし、明治四十年(1907)、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が山陰行啓の時の御旅館となり、
念願だったその務めを果たすことができた、そうである
現在、県指定文化財となっている。


明治三十二年(1899)に東照宮を移築した松江神社


三の門


正面から見た三の門
この門をくぐると本丸である。


松江城天守閣
5層6階で、高さは30mあり、望楼形式の天守閣で、最上階からは四方を見渡すことができる。


現存する12天守のうちの一つで貴重な天守閣である。
昭和十年(1935)に国宝に指定されたが、昭和二十五年(1950)に重要文化財に改称されている。


地下1階(俗称穴蔵の間)には井戸があった。
天守閣の中に井戸があるのは、珍しい。
長期戦や籠城に備えて、米や塩や食糧などを貯蔵したものである。


天守閣内部には、兜がずらりと陳列・展示されている。


お馴染みの


本丸の模型


天守閣最上階
最上階は、「天狗の間」と呼ばれ、戦いのときは城主が全軍の指揮を執るところである。


天守閣からの眺望(その1)


天守閣から動画で見ると・・・



天守閣からの眺望(その2)
宍道湖の「嫁が島」が見える。


天守閣からの眺望(その3)


お茶屋から天守閣をみたところ。
素晴らしい眺めである。


可愛らしい若武者隊の誘いに乗って抹茶(有料)を頂くことにした。
正面から撮れていないが、3人とも美人であった。


天守閣を見ながらの一服の抹茶は、格別である。


堀から見た南櫓と中櫓


堀にはたくさんの亀が棲んでいて、バンくずのような餌を投げると、集まってくる。


アオサギがじっと粘り強く小魚を狙っていた。



この後、山陰は初めてだったので、記念に「出雲大社」に寄ることにした。
明日は、今回の旅行の最後の締めくくりとして、「鳥取砂丘」を見て、
鳥取城を訪問し、帰路につくことにしよう。


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