これから少しずつ不登校についてのいろいろな面からの考察等について触れてみたいと思います。
今回は最初の会ですので、不登校の歴史といいますか、これまでの経緯について触れておきたいと思います。
今は不登校という用語で一般的に表現されていますが、その前は、登校拒否と呼ばれることが多かったと思います。
さらにその前には、学校恐怖症とも言われることが多くありました。時代によって呼び方も変化しているわけです。
この背景には、今は不登校と呼ばれている現象についての特性の違いや解釈の違いがあると思われます。
学校恐怖症と呼ばれた背景には、1960年ころになりますが、ある研究者が、「学校に行くのが怖い」と言って、登校できない状態になっている子どもがいることを心理系の学会に報告したことから次第に明らかになってきたわけです。
実は、太平洋戦争と言われる先の戦争の後には、我が国の社会的な状況や経済的な状況等から学校に通っていない、通えない子どもがたくさんいたわけです。例えば、当時の東京都の調査でも、11パーセントほどの子どもが欠席しているという調査報告もあるようです。1割程度の子どもが登校できない、登校しないという状態は今では考えられませんが、当時はそのような状況であったのだろうと思います。子どもにとっては大変な状況であったのだろうと思います。まあ大人にとっても大変でしたでしょう。戦争の影響は普通の人に一番多くの影響を与えるようです。
その後、年代が進むにつれて混乱も次第に落ち着いてきましたから、欠席率も次第に改善されてきました。戦後の日本で、子どもたちの学校への通学における欠席率が一番低かったのは、昭和の年号でいうと、52年、53年ころです。この時期には、我が国の経済的な発展も著しかったですし、教育や進学への関心も社会的に高まっていましたので、教育熱も高まり学校への登校も当然のこととされていたわけです。
加えて、この時期には、すべての子どもが平等に教育を受ける機会を持つことが当然と考えられて、それまで心身の障害等で義務教育を免除されていた子どもたちや、一応普通の学校に籍を置いていても、実際には登校できず欠席の状態になっていた子どもたちも、現在では特別支援学校と呼ばれている学校に登校できるような仕組みになっていったわけです。障害のある子どもたちを通学させる学校を、当時は特殊教育学校と呼んでいました。
このような事情もあり、我が国の子どもたちの欠席率もぐんぐんと下がっていったわけです。ところが、
話は戻りますが、ところが1,960年ころになりますと、先に触れましたように「学校に行くのが怖い」と言って、登校しないあるいは登校できない子どもたちが見られるようになってきたわけです。学校という場面が彼らにとっては恐怖を感じる場面となったのかと思います。
普通に考えれば、学校に行くというようなことはあまりにも当然のことで、何も怖いものではありませんし、自然に行けるものと考えられます。また、小・中学校は義務教育でもありますので、学校に行くのは義務と考えられて、登校を促したわけです。しかし、登校はできないので、困った親や学校が医療や児童相談所に対応をお願いしたわけです。ここから今の不登校、当時呼ばれた「学校恐怖症」ということに目が向いていったわけです。
都合で、今回はここまでにさせていただきます。次はまたこの続きにします。こうしてまずは不登校の概略を振り返っていきたいと思っています。