今回は、不登校 背景のこと できること 2 にしてみました。
少し理論的な部分が多くなりましたが、やはり理論は不登校支援の指針としてとても大切なことだと思われますので、理論に触れたり、現実のできそうな手立てに触れたりしながら、多面的に考えていきたいと思っています。
理論に裏付けられた実践が必要で、実践の中で理論の有効性を実感し、さらに新たな理論や視点を開発していくことが大切なことと感じています。
前回は、聴くことの大変さと効用について触れてみました。相手の聴くことは、相手の立場というか、立ち位置を尊重してあげることを意味しますので、相手は、聴かれることで気持ちがよくなるのですね、立場が上になったかのような感じにもなるのですね。これを聴く人の方から、聴く先生の方から見ると、話を聴いてあげる(聴いてあげるとしましたが、尊大な気持ちではダメです。謙虚に聴く。)ことで相手を尊重する姿勢を示すことと考えられます。
一方、話を聴くことは至難の技で、聴いているとついつい言いたくなってしまう、聴き続けられない、辛くなる、言っている内容について、矛盾を感じたり、自分勝手を感じてしまう。このようなことが続いて聴けなくなってしまうことが多いわけです。
すると、相手と聴く人の関係には、何か微妙な関係が生じてきて、相手も自分も両者ともに何か違和感を感じるようになってきて、話が続かなくなってしまうようになる。
それで、結局、話を聴く気でいても、聴く立場の人が聴かずに話してしまって相手が不満足になっても、どちらにしても何か互いに理解が進まない、話が共有されずに、具体的な方針ややり方が見つけられないで終わる。仮に見つけられたように思われても、見つけられたように見えても、どちらか一方の考えや立場が強くて、端的に言えば、聴く人の立場の方が結果的に強くなってしまって、「こうしてください」、あるいは少し柔らかに「こうしてみてください」と言うくらいで対話が終わってしまう。
でも、相手は気持ちも安らがないし落ち着かない、今のままではダメだから何かしてくださいと一方的に言われた、自分がダメな親と一方的に言われてしまった、自分の気持ちは伝わらなかった。等の感想を持つ対話になってしまう。そして互いに相手を非難する(言わなくても心の中で)ようなことになってしまう。
残るのは相互に不信感と対立的な要素ばかり、と言うようなことになってしまって、協力できる関係は作れない、作られないことになってしまう危険性があります。
そのようになると、何とかしようと言う折角の熱意が無駄になってしまう、それ以上進展しない状態になることも考えられます。
話すことと聴くこと、両方あります。話すことも有効性がありますが、聴くことはさらに大きな有効性を持っています。相手の人をよい気持ちにさせて、前向きに取り組もうとする意欲を育てる基になります。そのようなことを頭に置きながら、柔軟に考えて取り組んでいくことが不登校の子どもの保護者に対する基本的な考え方だと思われます。
保護者を味方につける、保護者を学校や担任への協力者にする、そのような考えから、保護者の話に耳を傾けて聴いていく、不登校支援への一つのポイントと考えています。
どうにもしようがなかったら、諦めてしまいそうな保護者がいたら、「何とかしましょう」「できることは地道にやっていきましょう」「諦めなかったら何とかなりますよ」等の言葉で勇気づけていくのがよいと思います。
今回は、聴くことの意味・意義でしたが、これはやってみて、相手の反応を見て感じて、その中で実感できることだと思われます。実践できそうな場面がありましたら、実践してみることをオススメしたいと思います。
不登校の支援は、やることが多くありますので、多面的にやっていく必要があるのですね。なので、次には、今までとちょっと違って、実際に本人に対してできそうな手立てについて触れてみたいと思います。
少し理論的な部分が多くなりましたが、やはり理論は不登校支援の指針としてとても大切なことだと思われますので、理論に触れたり、現実のできそうな手立てに触れたりしながら、多面的に考えていきたいと思っています。
理論に裏付けられた実践が必要で、実践の中で理論の有効性を実感し、さらに新たな理論や視点を開発していくことが大切なことと感じています。
前回は、聴くことの大変さと効用について触れてみました。相手の聴くことは、相手の立場というか、立ち位置を尊重してあげることを意味しますので、相手は、聴かれることで気持ちがよくなるのですね、立場が上になったかのような感じにもなるのですね。これを聴く人の方から、聴く先生の方から見ると、話を聴いてあげる(聴いてあげるとしましたが、尊大な気持ちではダメです。謙虚に聴く。)ことで相手を尊重する姿勢を示すことと考えられます。
一方、話を聴くことは至難の技で、聴いているとついつい言いたくなってしまう、聴き続けられない、辛くなる、言っている内容について、矛盾を感じたり、自分勝手を感じてしまう。このようなことが続いて聴けなくなってしまうことが多いわけです。
すると、相手と聴く人の関係には、何か微妙な関係が生じてきて、相手も自分も両者ともに何か違和感を感じるようになってきて、話が続かなくなってしまうようになる。
それで、結局、話を聴く気でいても、聴く立場の人が聴かずに話してしまって相手が不満足になっても、どちらにしても何か互いに理解が進まない、話が共有されずに、具体的な方針ややり方が見つけられないで終わる。仮に見つけられたように思われても、見つけられたように見えても、どちらか一方の考えや立場が強くて、端的に言えば、聴く人の立場の方が結果的に強くなってしまって、「こうしてください」、あるいは少し柔らかに「こうしてみてください」と言うくらいで対話が終わってしまう。
でも、相手は気持ちも安らがないし落ち着かない、今のままではダメだから何かしてくださいと一方的に言われた、自分がダメな親と一方的に言われてしまった、自分の気持ちは伝わらなかった。等の感想を持つ対話になってしまう。そして互いに相手を非難する(言わなくても心の中で)ようなことになってしまう。
残るのは相互に不信感と対立的な要素ばかり、と言うようなことになってしまって、協力できる関係は作れない、作られないことになってしまう危険性があります。
そのようになると、何とかしようと言う折角の熱意が無駄になってしまう、それ以上進展しない状態になることも考えられます。
話すことと聴くこと、両方あります。話すことも有効性がありますが、聴くことはさらに大きな有効性を持っています。相手の人をよい気持ちにさせて、前向きに取り組もうとする意欲を育てる基になります。そのようなことを頭に置きながら、柔軟に考えて取り組んでいくことが不登校の子どもの保護者に対する基本的な考え方だと思われます。
保護者を味方につける、保護者を学校や担任への協力者にする、そのような考えから、保護者の話に耳を傾けて聴いていく、不登校支援への一つのポイントと考えています。
どうにもしようがなかったら、諦めてしまいそうな保護者がいたら、「何とかしましょう」「できることは地道にやっていきましょう」「諦めなかったら何とかなりますよ」等の言葉で勇気づけていくのがよいと思います。
今回は、聴くことの意味・意義でしたが、これはやってみて、相手の反応を見て感じて、その中で実感できることだと思われます。実践できそうな場面がありましたら、実践してみることをオススメしたいと思います。
不登校の支援は、やることが多くありますので、多面的にやっていく必要があるのですね。なので、次には、今までとちょっと違って、実際に本人に対してできそうな手立てについて触れてみたいと思います。