不登校 いじめ 教育相談 生徒指導 解決支援ブログ

不登校やいじめ 教育の課題、教育相談 カウンセリング 生徒指導等について、課題解決のための具体的方法について述べます。

不登校 背景のこと できること 2

2015-09-29 10:40:56 | 子どもの養育 不登校等 教育の問題 
今回は、不登校 背景のこと できること 2 にしてみました。

少し理論的な部分が多くなりましたが、やはり理論は不登校支援の指針としてとても大切なことだと思われますので、理論に触れたり、現実のできそうな手立てに触れたりしながら、多面的に考えていきたいと思っています。 
 理論に裏付けられた実践が必要で、実践の中で理論の有効性を実感し、さらに新たな理論や視点を開発していくことが大切なことと感じています。

前回は、聴くことの大変さと効用について触れてみました。相手の聴くことは、相手の立場というか、立ち位置を尊重してあげることを意味しますので、相手は、聴かれることで気持ちがよくなるのですね、立場が上になったかのような感じにもなるのですね。これを聴く人の方から、聴く先生の方から見ると、話を聴いてあげる(聴いてあげるとしましたが、尊大な気持ちではダメです。謙虚に聴く。)ことで相手を尊重する姿勢を示すことと考えられます。
 一方、話を聴くことは至難の技で、聴いているとついつい言いたくなってしまう、聴き続けられない、辛くなる、言っている内容について、矛盾を感じたり、自分勝手を感じてしまう。このようなことが続いて聴けなくなってしまうことが多いわけです。
 すると、相手と聴く人の関係には、何か微妙な関係が生じてきて、相手も自分も両者ともに何か違和感を感じるようになってきて、話が続かなくなってしまうようになる。
 それで、結局、話を聴く気でいても、聴く立場の人が聴かずに話してしまって相手が不満足になっても、どちらにしても何か互いに理解が進まない、話が共有されずに、具体的な方針ややり方が見つけられないで終わる。仮に見つけられたように思われても、見つけられたように見えても、どちらか一方の考えや立場が強くて、端的に言えば、聴く人の立場の方が結果的に強くなってしまって、「こうしてください」、あるいは少し柔らかに「こうしてみてください」と言うくらいで対話が終わってしまう。
 でも、相手は気持ちも安らがないし落ち着かない、今のままではダメだから何かしてくださいと一方的に言われた、自分がダメな親と一方的に言われてしまった、自分の気持ちは伝わらなかった。等の感想を持つ対話になってしまう。そして互いに相手を非難する(言わなくても心の中で)ようなことになってしまう。
 残るのは相互に不信感と対立的な要素ばかり、と言うようなことになってしまって、協力できる関係は作れない、作られないことになってしまう危険性があります。
 そのようになると、何とかしようと言う折角の熱意が無駄になってしまう、それ以上進展しない状態になることも考えられます。
 話すことと聴くこと、両方あります。話すことも有効性がありますが、聴くことはさらに大きな有効性を持っています。相手の人をよい気持ちにさせて、前向きに取り組もうとする意欲を育てる基になります。そのようなことを頭に置きながら、柔軟に考えて取り組んでいくことが不登校の子どもの保護者に対する基本的な考え方だと思われます。
 保護者を味方につける、保護者を学校や担任への協力者にする、そのような考えから、保護者の話に耳を傾けて聴いていく、不登校支援への一つのポイントと考えています。
 どうにもしようがなかったら、諦めてしまいそうな保護者がいたら、「何とかしましょう」「できることは地道にやっていきましょう」「諦めなかったら何とかなりますよ」等の言葉で勇気づけていくのがよいと思います。
 今回は、聴くことの意味・意義でしたが、これはやってみて、相手の反応を見て感じて、その中で実感できることだと思われます。実践できそうな場面がありましたら、実践してみることをオススメしたいと思います。
 不登校の支援は、やることが多くありますので、多面的にやっていく必要があるのですね。なので、次には、今までとちょっと違って、実際に本人に対してできそうな手立てについて触れてみたいと思います。

不登校 背景のこと できること 

2015-09-20 09:10:13 | 子どもの養育 不登校等 教育の問題 
不登校 背景のこと できること

今回はこのような標題にしてみました。
ここ何日かは、いろいろなことであまり気が進まず、滅入ることが多くて、あまりPCの前に座ることもありませんでした。

 今の世の中は、相互に関連していて、世の中が不安定になると、子どもの成長にも自然と影響が出てくるように感じます。
 報道によると、前年度の不登校も、小学校でけっこう増加しているようです。中学校から小学校へと低年齢化しているのでしょうか。
 確かに不安定な小学生も増えているようです。低学年から、さまざまな状態を示す場合もあるようです。すでに幼稚園の段階でもさまざまな現状が出現しているのかも知れません。統計資料とかがないので、数的な現実はわかりませんが。
 何事を進めるにも、ある程度の合意が必要なことは自明の理でもあるでしょう。
近年のこの国は、何がなにやら、どのような基本原則があるのやら、殆ど、民がばらばらに、自分の目指す方向に進んでいるようです。子どもたちも、何を目安にしたらいいのかわからずに、気持ちも落ち着かないでしょう。大人はもっとでしょうが・・・。

 標題のことですが、不登校が多くなる背景には、いろいろな要素があって、要素を見る人の立場によっても見え方が違い、全体的な見方は異なるのが現実でしょう。
 しかし、子どもが日常の中で日常的に経験していることが、子どもの成長に大きな影響を与えているのは事実かと思われます。
 子どもを取り巻く環境の様子は、現代の世の中で大きな変化をしていると思われます。テレビ、ゲーム、ネット、などの物的環境、家庭内の様子などの人的環境、学校や地域社会の変化などの社会的環境、それぞれが本当に大きくしかも変動が素早く進んでいるのが現実かと感じます。
 保護者の、毎日の生活の多忙感、不安感、子どもへの願望、などが、いろいろな形で子どもに伝わり、本来であれば子どもに養われる資質や特性が十分には育てられない状況が生じるものと考えられます。
 このことは実は保護者ばかりでなく、社会全体に於ける子どもの養育能力が低下していることと感じられます。
 大人にも、子どもにも厳しい社会状況が進行している、そして、その厳しい社会状況に対応する、対策等の方面の考え方や手立ては十分には広がっていない、これらの狭間で現在の状況、不登校をはじめとする教育、子どもの成長の問題、大人の不安定、社会のさまざまな問題の噴出、等につながっているように思われます。
 大分、幅が広がってしまったようですが、いろいろなことが相互に関連しながら、現在の社会問題として出現していると言うことでしょうか。そして、この問題の根は深く、大きいので、対応も難しいし、一気に解決するものでもなく、長期に渡って、今後の課題としてあり続けていくように思われます。
 ですので、取り組みも長期的な視野に立って行うことが求められるでしょうし、地道に、しかし、着実に行われる必要があると思われます。
 本当は、もう少し具体的にも触れたい部分もあるのですが、いろいろな方が読んで頂いているかと考えると、あまり直接的なことも触れにくいですし、かえって気持ちが沈んでしまうようなことになってはすみませんので、これにしておきます。

 で、できることですが、もし読者が先生であれば、今までにも多面的に触れてきたつもりですが、子どもにできること、保護者にできること、校内でできることがあると思われます。前回は、休みがちな子どもへの対応を考えましたが、保護者にできることを記してみたいと思います。

 まずは、先生から保護者にいろいろと伝えたいことがある、言いたいことがある、場合によっては直してほしい部分がある、との気持ちも多くあるでしょうことはよく理解できますが、しかし、それを伝えようと思ってもなかなか伝わらないのが現実であることが多いように思います。
 かえって、学校が、先生が悪いんでしょ、のような反応も返ってくることもあり、戸惑うことも多く、保護者との協力関係もできにくくなってしまうことが多いと思います。
 人は、そこそこ自分の悪い点についてうすうす気づいていることが多いものです。しかし、そこを直接に言われると、感情を害してしまう、素直に聴けないと言う面も多くあるものです。また、気づいていてもどうにもできない、変えられないと言う場合もあると思います。
 このような中では、先生と保護者の気持ち的な共有はできにくく、協力関係ができない場合が多くなってしまうでしょう。
 子どもの成長はある程度の期間が必要なのですから、この時点での協力関係が形成されないと、共通理解に基づく手立ては実行できずにいたずらに時間がかかり事態は進展しない、子どもの成長は促されないことになる可能性が高いでしょう。
 この時点での子どもの成長とは、子どもが精神的に安定すること、意欲的になること、人の話が伝わること、前向きに進もうとする姿勢が見えるようになること等を意味しています。と言っても来れも少しずつなので、まずは、そのような気配が感じられればよいでしょう。
 それで、先生にできることなのですが、何とか努力をしてでも、保護者の言葉に耳を傾けることをして頂けますでしょう。
 話す、と、聴く は、聴く方がとても辛くて、やりにくくて、やっても効果がないのではなどと思ってしまうことなのですね。
 問題を指摘して伝えないと相手はわからないと思ってしまうのですが、伝えてわかってもらえる時もあるのですが、でもそこまでのことが多いんですね。問題はわかった、自分の子どもの特性や行動はわかった、でもどうしたらいいの、となってしまって、停滞してしまうことが多いのですね。
 課題や問題を多少伝えてもいいと思いますが、その後のやるべきことは、「聴く」という作業なのですね。そこで先生の方が耳を傾けて聴く姿勢を示すと、その時点での親の思いをいろいろ話し始めるんですね。
 これを聴くのが、聴く人には辛いのでしょうね。時には感情的な表現もあるでしょうから。でも感情的な表現も一度出て、聴かれると、そこで軽減されるのですね。軽減しないと何度でも出てくるので、相手は感情に巻き込まれて、気づきの方には行かないんですね。それで関係悪化で泥沼ですね。
 こんな状況にならないようにするのがまずはじめの一歩ですね。聴くこと、積極的傾聴、アクティブ・リスニングには思わぬ力が宿っているように感じます。
 今回ははじめの一歩だけになってしまいました。できること、次回以降にさらに・・・







































 

不登校 学校での対応 断続的な欠席等

2015-09-11 10:01:15 | 子どもの養育 不登校等 教育の問題 
不登校 学校内での対応

 今回は、不登校、学校内での対応としました。

子どもの状態によってですが、継続的に休んでいる子どもがいます。たまに欠席する子どもがいます。時々欠席する子どもがいます。欠席の方が多いような子どももいます。
 子どもの状態が、その子どもの心の状態を表現しているかも知れません。状態の重さが子どもの姿に反映しているように思われます。

 それぞれの子どもに、それぞれの対応が必要と考えられますが、けっこう対応しにくいのが、時々休む、の例かと思います。
 背景に何かあるのでしょうが、それもはっきりとはわからない。学校にいる時はそれなりに活動している。友だち関係もそんなに悪いわけではないというような場合には、どうしたらよいか迷うところです。

 このような場合には、その子どもとの関係を多くする、例えば、校内のいろいろな活動の時に接触を多くする、掃除やその他の時に話しかけてみる、等で、内面的な状況を確認してみるように努めることがまず必要かなと思います。
 関心があることを伝えるようにすることと思われます。
 その時には、否定的な関心では子どもも否定的な感情を持ちやすいので、中立的あるいは肯定的なかかわりがよいと思います。この間は、けっこう動いていたけれど、どんな感じだった? 最近はどうかな? 家族の人はどう、みんな元気? お母さんは何か言う? どんな感じ? とかで質問もいいと思います。

 そのようなかかわりで様子を見ながら、時には、対象の子どもを、別の部屋でも、相談室でも、保健室でも、放課後の教室でも、ちょっと機会を作ってみて、対応するのがよいと思います。
 放課後に残すのはしにくいかも知れませんが、本人の負担にならないようにやる、その機会が本人にとってはうれしい機会になる、貴重な時間になるようにすれば、放課後に残すのも負担にならず、かえって本人にとってはうれしい、よい時間になったと言うようなこともできるのではないかと思います。

 放課後に面談等を行う時の注意点としては、
 まず時間のことをいう。早く帰りたかったかも知れないけれど、残ってくれて有り難う。長い時間じゃないから、10分くらいだからね。了解して、
 もちろん叱るとか、お説教するとかじゃないからね。できたら少し話を聞いてみたかったんだ。子どもを安心させる言葉を言う。
 それから、例えば、まず、子どもがうれしく思う、プラスに受け止められる言葉を最近の生活の中から見つけ出して伝える。いくつか伝えられるとよいと思います。
 その後、一緒に生活してて、最近こんな感じがするんだけど、学校や勉強、クラスや友だちのこととか、何でもいいのだけれど、どんな感じかな、よかったら話してくれるかな。話せること、話したいことなどがあったら話してくれるかな。
 その後は、ある程度時間をとって、待ってあげることが必要です。よかったら話してくれるかなと言いながら、先生の方が話しを再開してしまったら、とまどいながらいる子どもの気持ちに逆らってしまうし、話す機会を奪ってしまいますので、待つことが大切です。
待っても何も出ないようであれば、今はあまり話せないようだからまた別の機会に・・とか、いつでも、話せる時には話してね・・・。話しがあったらいつでも話していいよ。とか言って、子どもとの関係づくりに役立てればよいと思います。無理に話させようとすると、プレッシャーになるので、無理しないことが大切と思います。
 残されたこともマイナスに感じないように注意しながら対応することが大切と思います。
 先生の配慮が子どもに伝わることがとても大切と思います。そのようなことを機会を見つけながら行っていくことで、ともすればエネルギー水準が下がって、休みが多くなってしまいそうな子どもの心をサポートし、何とか休まずに学校に来られるように下支えして行くことが大切と思われます。

 断続的な欠席とか、欠席が多くなってきているとか、あまり理由のはっきりしない欠席がある、等の場合は、そのままに放置しても状況は改善しないことの方が多いと思いますので、やはり、先生の方から可能な限り行動して、対応してみるのがよいと思います。そのような活動が、結果的に予防にもつながっていくと考えられます。
 このような状態の時には、また、保護者への対応も必要なのですが、それはまた、別の機会に。
 できれば多くの人に見てもらえるとうれしいので、できましたら、他の方への本ブログのご紹介もお願い致します。

不登校 予防のこと

2015-09-09 11:05:32 | 子どもの養育 不登校等 教育の問題 
不登校は予防することも大切だと思います。

 不登校は、一度そのような状態になってしまうと、対応がとても大変な例もあります。
不登校の予防ができるものかどうか、あまりはっきりとしない面があるのですが、学校としての予防的な手立てがあれば、それに越したことはないと思いますので、最近、記している具体的な日常的な対応の手立てとその考え方と違うのですが、触れてみたいと思います。
 とは言え、不登校の予防と不登校の対応には同様の面も多くありますので、何かしら参考にして頂けるかなとも思います。

 不登校の子ども達の多くは、何かしらの発達上の課題を持っている場合が多いように感じています。但し、その程度というか実際の状態は、それぞれの子どもによってけっこう違うように思われ、言葉は悪いですが、根の深い例とそうでもないかなと思われる例とがあります。
 背景要因の程度に応じて、状態の出方も、深い・浅い、よくない・軽い等の違いにつながっているようにも思われます。
 そんな考え方で見ると、不登校になってもやむを得ないかなと思う例もありますし、何でこのようなことに、と不思議に思う例もあります。
 それなので、当然のように不登校になったという子どももいますし、ちよっとよく見てみないと背景がつかめないなと思う例もあるように感じられます。

 予防と言うことからすると、すべての例で予防することができるかどうか、難しい面があるように思います。また、環境的な要因や生育過程の経験で、不登校になっても仕方ないし、むしろ不登校になることで、周囲に何かを考えてもらいたい、自分でも考える時期になってきた等、一つの表現の形態として不登校になっているような例もあるように感じます。
 必然的に不登校になるような例の場合には、予防と言ってもかなり困難な部分があるように思います。
 特に学校の活動をとおして、予防をすることは困難な面があると思いますが、一方で、不登校になりかねない資質を持った子どもたちも多くなってきているので、やはり、予防と言うことも大切と思います。
 子どもが不登校になると、保護者の方は、いじめがあるのではないかとか、先生が何か言ったのでは、先生の対応が、クラスがとかさまざまなことを言います。子どもも自分の気持ちも正確につかめないし、保護者がいろいろ言うと、それに抵抗できずに、いろいろ言うこともあります。
 事情や背景要因が理解できないと、不登校の原因を何か探そうと思い、思い当たりそうな、ある意味で予測の範囲であることに、原因をすべて押しつけてしまうこともよくあることです。
 本来の背景要因がはっきりすると、対応もしやすくなるのですが、何分にも背景は複雑ですし、重なっていることが多いので、わかりやすくはないですし、とにかくきっかけになったと表面的にはかんじられることにすべての原因を見出したように感じ、そこからいろいろ言うと言う保護者もいます。
 逆に関係者も、家庭が悪いというような言葉で処理してしまうこともあるようです。互いに原因探しをして、互いに指摘し合うようになってしまうと、それぞれの協力は成立しませんので、解決や軽減までに余計に多くの時間と手間がかかってしまうこともあるようです。
 学校としては、できる限り、きっかけになりそうなことを少なくしようと努めることは必要なことと思います。
 但し、それが行き過ぎると、子ども間の必要な交流も制限するようなおかしなことにもなりかねませんので、そこは注意が必要と思います。
 子ども間のいろいろな行き違いやトラブルを上手に解決する、適切に解決する方法、ソーシャル・スキルを身につけられるように指導することで、不登校のきっかけになりやすい人間関係の問題を少なくすることは大切なことと思われます。この点ではスキルの学習も大切で必要なことと思われます。
 チャンスがあれば、その具体的な方法についても触れてみたいとは思っています。・・・

 さて、予防の具体化ですが、これがけっこう難しくて、やりがいもあることです。簡単に言ってしまえば、勝手な表現ですが、学級づくり、部活等の集団づくりと言うことになるのでしょうか。
 集団内の良好な人間関係を作る、具体的には、交流があって、ある程度自分の考えや思いを率直に表現することができて、また反対の考えや思いも表現できて、それらの交流の中で、新たな意見の形成や妥協ができて、互いにある程度の満足と相互理解をして、日々の集団での生活が送れる。このような状況ができれば、かなり安定的に毎日が進むように思われます。このようなことが目標になるでしょうか。
 
 上の目標、状態を目指して、先生ができること、行うべきこと、とは言え、あまりまじめに考えすぎることでなく、できることならそれを目指したいでよいと思いますが、やはり目指すことが大切と思われます。
 
 子ども間の関係、中学以上なら生徒間の人間関係ですが、これをよくするには、その前に、前提として、先生と子どもの関係がよいということがあると思います。いろいろな意味で、先生は子どもにとって、身近にいるモデルですので、先生の姿は子どもにとっての手本になることも多いと思います。
 先生が、子どもにとって、親しみやすく信頼のできる存在だと、自然に近寄りよい関係ができると思います。
 その影響で、学級内の人間関係も親和的な雰囲気や関係になるものと思われます。一つの人間関係のモデルが近くにあると言ってもいいかも知れません。無言のうちに取り込む事柄は本当に自然に影響を醸し出します。
 そんな部分を意識して出していく、やって行くことが、まずは集団づくりの出発点になるのではないかと考えています。いろいろな工夫で実践を試みることが大切なことと思われます。 予防の話から抽象的なことになってしまいましたが、何となく伝わればうれしいことだなと思っています。
 別の機会には、なるべく具体的なことを記してみたいと思います。
 では・・・



 











  

















不登校 細かな対応 補足

2015-09-08 09:27:47 | 子どもの養育 不登校等 教育の問題 
不登校 細かな対応

 前回に書き漏らしたことでいくつか追加します。

まずはじめに、
子どもとの安易な約束、逆効果の可能性が大。

家庭訪問をして、子どもと会うことができた。子どもも趣味や関心のあることなど、けっこういろいろと話してくれた。元気もありそうだ。
 訪問の最後に、先生の方から、話してくれて有り難う。いろいろわかった。元気も出たようだから明日は必ず登校するんだぞ、待ってるからな とか。
 子どもが再登校ができるようになり、しばらくぶりに登校した。先生はうれしさや安堵で、また、明日からのことに期待も加わって、登校できてよかった、よかった、明日からも必ず登校するんだぞ、玄関で待ってるからな、などと言ってしまう。
 これらは子どもの気持ちに沿わない、子どもの本当の心情がどうか確認しない、来いと言うことで、子どもに必要以上のプレッシャーをかける発言や行動と言ってよいと思われます。

 子どもと会えて、話ができてそれですぐに先生と子どもの人間関係ができる、できたというふうに考えたり判断することは早計の場合が圧倒的に多いです。
 ここのところで、先生の思惑が子どもに悟られてしまって、子どもの気持ちが弱くなってしまう可能性が高いのです。
 先生は、結局、自分が登校すればそれでいい、それで済みと考えているんだ。自分の本当の思いや内面の状況には気づかないんだ、関心がないんだ、この混乱したいらいらや複雑な気持ちは、やはり先生にはわからないんだ、等の感情を持つようになって、結局、信頼関係もできずに、再び登校を嫌になるようになってしまうことが多くあります。
 大切なことは、学校でよく言われる言葉ですが、話し合って約束する、これは悪いことではないのかも知れませんが、不登校の子どもにとってはありがたくないことである場合が多いと言うことです。

 会えても、話せても、元気そうに見えても、「待てよ、無理していないかな」「本当はどうかな」「他に何か言いたいこともあったのではないか」とか、せめて幅広く考えるようにしないと、子どもとの強い関係はできません。
 それで、あの先生がいるから学校に行ってもけっこう安心だ、何かあったらあの先生なら言える、先生は自分の気持ちをわかろうと努力してくれる、そのような気持ちを子どもが感じられるような関係になれば、それが子どもを学校に引き寄せる力になると言うことです。
 この部分を考えないと、不登校への有効的な対応は進まないのではないかと考えています。

 先生の熱意や善意が背景になっている場合が多いのですが、先生からの一方的な働きかけは子どもにとっては現実的でない、可能ではない、不安になってしまう等の働きかけが多くなっているのが現実だと思われますので、留意点とするのがよいかと思われます。

 場所と時間を共有することが大切な部分であるので、まず、一緒にいる時間が作れるとよいと思います。
 子どもが何も話さなかったら、いろいろ話してと言われても、急には困るよね、とか、特に話せなかったら、話さなくてもいいからねとか言ってあげて、様子を見る、何か話せそうなことを振ってみる、それでも出なかったら待ってあげる、黙っていることも時間の共有ですし、先生が待ってあげる余裕を示すことで、子どもも安心したり、無理に何かされるのではないかという不安も軽減することができます。
 それらで、全体的に子どももゆとりが持てて、気持ちも安定に向かい、そこでいろいろ考えたり、したりできるように思われます。

 不登校で、保護者が子どもに暴力をしたり、暴言を吐いたり、場合によっては虐待みたいな状況になることも考えられます。そのようなことがあった場合には、上司にも伝えておくことがよいと思われますし、繰り返されるようであれば、関係機関への相談等も必要かも知れません。
 校内での子どもの情報の扱いには、担任だけが持つのではなく、共有しながら校内協力で進むのがよいかと思っています。
 いろいろなことがありますが、今回はこれで。











































不登校 細かな 細やかな対応

2015-09-06 09:25:11 | 子どもの養育 不登校等 教育の問題 
不登校 細かな 細やかな対応

今回は、上の標題にしました。
細かなとは、子どもの不登校が続いている中で、必要だけれども見落とされそうなこと。細やかなとは、細やかな心配りをしながら対応することについて触れてみたいと思います。
 
 はじめに、細かな・・・の方ですが、やっていただいているとは思いますが、プリントを届けるとか、連絡事項をきちんと電話等で伝える活動を行うことです。
 保護者は、子どもの欠席が続くと、学校での全体的な状況がわからなくなり、その上、プリントが届かない、先生からの電話等の連絡もない、と言うような状況になると、保護者自身の孤立感や孤独感、どうしようもない感がとても強くなります。
 いわば学校から見放されたと思うような状況になるわけです。保護者の中には、本当に精神的に悩んでいる人、挫折感等を強く感じている人もいますので、それらの場合には連絡等がないと言うことで、一層のマイナス感情を抱いてしまって、不登校の課題に向かう気持ちが弱くなってしまうことがあるわけです。
 先生の日常がとても忙しいので、つい目の前にいる子どものこと、目の前にあることへの対応が優先されてしまうかも知れませんが、可能な限り、何とか対応を行いたいところです。
ある意味では、物理的にでもけっこうですので、プリントを届ける、一定の間隔で電話をする等が必要かと思われます。
 それから、逆のことになるのですが、欠席の時には学校に連絡を入れてくださいと、先生の方から依頼することがあるかと思いますが、欠席が続くと、保護者の方も何となく学校に連絡しにくい気持ちが強くなってきます。
 そのようなことから、保護者の方からの欠席連絡は、必ずしも必要ではないとも思われます。
 学校内の申し合わせ等で、家庭からの連絡をもらうことが決まっているかも知れませんので、何とも言いにくいところですが、保護者の気持ち的な毎日の負担を考えると、電話しにくかったら毎日でなくてもいいですよとか、朝のご都合もあるでしょうから、電話連絡はいいですよとか、言うこともよいのではないかと思われます。柔軟に考えてやってください。

 代わりにと言っては何ですが、先生の方から保護者の方に、可能であれば、週の後半にでも、今週の様子はこのようでしたと、保護者からの連絡をいただけるように依頼するとか、
週に一度は、放課後にでも、先生の方から電話して、子どもの様子を聞くとかを継続するので言いように思われます。放課後は子どもも気が楽ですから。

 保護者と話をする時には、その多くは、子どものようす等が中心になると思います。それは当然のことと思いますが、保護者が子どもに対してどのような気持ちを抱いているか、どのような感情で見ているか、を感じるようにしながら聞くのがいいと思います。
 ここは少し細やかな対応の部分なのですが、保護者が子どもを否定的に見ている、批判的に見ている等の要素が強いと、それは無言の内に子どもに否定的なシグナルを出すことになるので、状況が好転しない場合が多くなってしまうと思います。
 そうではなく、子どもも大変なのでしょうが・・・とか、私の方にも何か変えることがあるのかも知れませんが・・・とか、私がつい・・・のようにしてしまうので、子どもにも影響が行ってるのかも知れませんとか、と言葉や反応があれば、保護者の方も内省的になってきているので、少なくとも、子どもにそれ以上のマイナスは及ばないかも知れません。
 ですので、保護者の在り方が子どもに影響を与えますので、保護者の気持ちに立って話を聴くのがよいと思われます。
 少し難しい部分なのですが、いわば先生が話を聴く役になればよいと思います。保護者も気持ちが少しは楽になったり晴れたりするでしょう。
 保護者も子どもも、情緒、気持ちが安定することが大切で必要なことですから。子どもの現状が、保護者にとってあまりよくなくても、先生からの一定の連絡や働きかけがあれば、保護者も何とか動いて行けるのではないかと思います。放置すると、いたずらに時間ばかりかかっても、事態が変化しないと言うことにもなりかねません。

 それから、細かなことをいくつか、前にも触れたかも知れませんが、不登校の期間中、子どもと保護者の言語的なコミュニケーションをなるべく多くするように、保護者に依頼してみてください。話題は何でもいいです。子どもが話せることでいいのです。なるべく多く子どもが話すようにすることが大切です。保護者は、子どもから話を聞かせてもらうでいいです。何か食べながらでも、テレビを見ながらでも、食事の準備等を手伝ってもらいながらでも。
 小さい子どもが何か家庭の中でしたいと言ったら、可能であればさせてよいです。例えば料理でも、一緒に作って一緒に食べるのはとてもよいでしょう。その他でもやることがあればそれはいいことだと思います。但し、危険は防ぎましょう。
 外出は、危険のない場合はOKです。不安な時は一緒に出かけるとか、工夫しましょう。
散歩、運動、その他よいと思います。
 例えば車で外出の時に、学校の近くを通ってみる、可能なら学校の敷地の中に入ってみる、校舎は無理かも知れませんが。無理はしないことが大切です。

 今回は、先生から保護者に話していいこと、依頼すること等についてふれました。先生が保護者と話す時のポイント、連絡等はきちんとしながら、保護者の気持ちを聴き取るようにして、それに対して、いろいろ考えながら適切に対応するように努めること、適切にの部分は、それぞれの先生の創意や工夫でよいと思います。保護者を支える気持ち、できるなら何とかするように努めたいと言う気持ちが相手に伝わればそれでよいのではないかと思います。
 何とか工夫しながらやって行くことが必要なことと思われます。
 

































不登校 初期 保護者と先生

2015-09-04 11:05:30 | 子どもの養育 不登校等 教育の問題 
不登校 初期 保護者と先生

 不登校への対応は本当に難しい部分がありますね。でも、難しくて手も足も出ないと言うわけでもありません。
 結構やることもやり方もあると思っています。その方法について、保護者も先生も、あるいは社会全体も知っていない、と言う面が強いと思っています。
 社会的に言えば、こらだけ広範に事例が見られ、社会全体の問題であるのに、もっと言えばこれを放置しておくと、将来的にもっと大きな国全体の課題になり解決が余計に困難になるとわかっているのに、何も十分な手が打たれていない、人的資源もお金もかけて研究や課題解決への動きがないと言うことが問題なのでしょう。

 以上のことはさておき、少しここまでのことを集約しておきます。
 不登校は怠けとか、難しいことを避けているとか、自己中心的とか、外面的に見るとそのように見えると思います。子ども達の行動を見ると、どこも悪いところもないし、悪い環境でもないのに動かない、とか見えると思います。
 とは言え、最近は社会状況が家庭に大きく影響して、家庭の困難により動けない子どもも多くなっていることは考えられることだと思われます。
 不登校現象は、子どもが、これまでの生活の中で、または今の生活の中で、困難に対処する力だとか、意欲的に活動する力だとかを養われることがなかった、あるいは今の生活でもそれらの力を育てる状態になっていないと言うことを意味しているかと思われます。
 ですので、それらを叱責やお説教で、根性を説くことで解決できるとはとうてい思えないことと感じています。
 この点等を基本にしないと、不登校への支援はできにくくなってしまうかも知れません。子どもの様子によって違いますが、いろいろな面がまだら模様のように強弱を持って子どもの中に存在しているというのが現実的な解釈かも知れません。
 それで、対応においては、保護者も担任も、学校も、その他かかわりのある人は、まずあわてふためかないで、落ち着いた考えでいろいろ考えながら、子どもの様子をきちんと観察しながら対応していくことが極めて大切なことと思います。
 保護者は特にあわてる、いらいらする、不安になる、時には絶望や自責の気持ちを持つ等がありますので、先生が保護者の話を聴きながら、落ち着いてもらうように伝えることが必要です。先生が、不登校の原因を作ったのは自分だ、これは自分の責任だ、自分への周りの評価が下がる、とかの不必要な考えを持つと、感情的にも安定せず、親と共倒れにもなりかねないので、そのようなことは考えず、現実は冷静に受け止めて、着実に手を打っていくのがよいと思います。先生は教育活動のプロ、あるいはプロになることを目指して活動しているわけですから、不登校の子どもへの対応も、これからはさらに必須の項目になると思われます。子どもへの具体的な対応をしながら、創意や工夫を繰り返して、それぞれの先生のメソッドを発見していくのが大切なことと思われます。
 今まで違った考え方や違った方法で対応されてきた先生は、もしよかったら、このブログを参考にして頂いて、やってみるのがよいかと思います。うまくいく部分がありましたら、それを繰り返せばよいわけですから・・・。と言っても子どもの様子が、ステージが違ってきたのに(よくも悪くも)、同じことをやっていても意味はありません。ステージが違ってきたらそれに合わせてやることも違ってくるわけです。違った対応については、またその時に触れてみます。

 ここまでの理解は大丈夫でしょうか。考え方はいろいろあるので、個人の自由ですが、当方は、一応、そのような考えで進んでいます。

 で、保護者に伝えることは、前にも記したとおりでよいと思います。子ども本人への対応についてもこれまでに触れてきましたので、それをやって頂ければいいかと思います。
 このような対応を必要に応じて行っていったら、しばらくして、と言っても期間の差は当然ありますが、だんだん安定してきて、再登校するようになってくれればありがたいのですが・・・。
 あまり深刻ではない事例の場合には、けっこう再登校したり、再登校に近づくような状態を示したりになることも多くあります。本当にここまでで回復してくれるといいのですが・・・。 
 
 すっと再登校した場合は、特に余計に気を使いすぎることなく、病み上がりみたいな扱いをすることなく、自然に迎えることでいいと思います。この点も前に触れたかと思います。
 無理に一日いさせる必要もありません。せっかく登校してきたから、勉強も遅れるから、全部やって帰ったらとか、少しがまんしたらとか、言ってみるのはいいですが、絶対にそうしなさいとは言わないでください。まして、ふだん休んでいるのだからとか言わないでください。逆効果です。先生の子どもへの見方が子どもに影響してしまいます。
 校内での居場所も、教室が望ましいですが、あまりそれにこだわりすぎないで、可能であれば、保健室でも、会議室でも、相談室でも、図書室でも、いられる場所でよいと思います。中学生等なら、校内に適応教室もあるでしょうから、そこでも当然いいと思います。
 気まま・自分勝手に感じるかも知れませんが、それがこれらの子どもの特性で、その特性を変えることは本人にとってもけっこう難しいことでもあるわけです。少し時間がかかっても、変容(成長・適応)に向かうことの方が大切だと思いますので、まずは現実を受け入れる子tが必要と思います。

 再登校しても、よかったよかったで終わりではないのです。また、再登校後、断続的な出欠席になる子どももいます。一時的に登校しても、また欠席になる子どももいます。

 これらの子どものどのように対応していくか、保護者との協力をどのように図るか、校内では何かできることがあるか、何をしたらいいか、学級の子どもには何をしてもらうか等々、多くのことが山積しているわけです。
 それぞれの状態での対応や活動は、一度には触れられませんので、これからできるだけ、少しずつでも記してみたいと思っています。
 ではまた、























不登校 初期 保護者に伝えることは 2

2015-09-03 13:36:46 | 子どもの養育 不登校等 教育の問題 
不登校 初期 保護者に伝えること 2

 続きで記してみます。
 家庭訪問や電話で保護者と話す時には留意点がいくつかあります。まずは、学校は悪くない、学級には問題ない、本人と家庭の問題等と言うことは避けます。また、そのようなニュアンスが漂う、伝わりそうなことも避けるようにします。
 親は混乱、いらいら、不安、絶望、怒り、あるいは時には被害妄想を感じていることも多くあります。
 それらの状態に注意して対応しないと、親の気持ちが学校や担任への攻撃となって生じてくることもあります。
 あるいは、いろいろ言うと、渡りに船と、先生がいろいろ言ったので、かえってやる気がなくなってしまったとか、やらなくてもいい理由を見つけたかのようなことを言ったり反応したりすることもあります。
 うかつなやり方は問題を大きくしたり、解決を困難にする方向に進んでしまうこともあります。いじめのこととかになると、本さらに本当にそうです。学校の対応次第です。注意と工夫の必要な点ですね。
 でも、そう言ったからと言って、対応から逃げるのではありません。逃げようとしたら、相手は追ってくるか、あるいかさらに遠ざかってしまって、解決に向けての協力を得られないと火の状況になりかねないわけです。
 不登校の場合は、いじめの問題ほどでありませんが、似たようなことが生じてくるおそれは十分にあります。注意したいところです。
 
 どのような問題でも、家庭だけの力で、学校だけの力で、ではうまくいかないことが多いです。学校と家庭、保護者が協力してやらなければ時間が多くかかります。その間に、子どもの不登校はさらに本格化してしまいます。
 そうならないようにすることが大切です。

 さて具体的に考えましょう。他のところでも触れているのですが、保護者、学校、担任等、
まずは焦らずに気持ちを落ち着けて取り組みましょう。子どもの行動の背景に子どもなりに感じていること、考えていることがあるのかも知れない、その子なりの理屈づけがあるのかも知れない、それがどのようなものか知れれば何かやることが見えてくるかも知れないと思って、気持ちを冷静に保つようにすることです。
 先生が落ち着きながら、保護者に対しても、「何か本人なりに事情があるかも知れない」「それを無視した形でやると子どもの方が余計にいらだってマイナスの効果になるかも知れないので、落ち着いて、情報交換をしながら、協力してやりましょう」と言ってください。この時は本当に先生も心を落ち着かせることが必要だと思いますよ。言葉だけではありません。

 まずは、それで終わりにしてもいいのですが、先生は何もしてくれないと親が思っても不満の状態になるので、少し時間がかかっても、親から見た子どもの様子とか、親の気持ちとか話してもらうのもいいと思います。
 先生の聞ける時間でいいです。あまり長くなって先生の方が耐えられなくなってしまっては、二度と電話しない、家庭訪問したくないと思っては逆効果なので、聞いていられる時間でいいです。程よく時間になったら、他の用事がありまして、とか行くところがありまして、とか言って終了することでいいと思います。
 先生の、親とともにやって行こう気持ちが伝わればそれでOKだと思われます。
 次の回とか、次にですが、朝、時間になったら子どもに声かけしてくださいねと言います。一度でなく二回か三回ぐらいは声かけをお願いします。しつこくやると、子どもの心を逆なでして逆効果になるのでやりすぎないでください。と言います。
 ご飯は用意してあげて、食べるか食べないかは本人の意志に任せてくださいと言います。
登校は、ていねいにきちんと促してみてください。感情的にやらないでください。車で送れば登校する、登校できる場合は、送ってください。途中で帰ってもいいです。無理しすぎることはありません。でも、少し促すことはしても大丈夫です。保護者が送れない場合は、やむを得ないと思いますので、仕事等、次のことをしてもいいと思いますよ、と言う。
 そんなことで当面やってみましょうと言うことで話し合いを成立させてください。
今は、いろいろ記しましたが、それを全部一度に言う必要はありません。
時間をかけて、必要に応じて、子どもや保護者の状態に応じて言っていくことでよいと思います。焦らないでください。落ち着いてやりましょう。
 次の電話や訪問は何日か後でも、次週でも可です。でも放置しないでくださいね。先生に忘れられてしまうことが、子どもも保護者も怖いのですね。特に保護者は・・・。
ではまた、、














































 

不登校 初期 保護者に伝えることは

2015-09-03 08:45:11 | 子どもの養育 不登校等 教育の問題 
不登校 初期 親に伝えること

 これは意外に難しいかも知れません。特に不登校の現象の意味するところ、背景にある事情についてあまりよくわかっていない場合には、何をどのように伝えてよいのかわからず、先生も保護者もともにあわてふためいてしまうことはよくあることだと思われます。
 そのような混乱の中で、本当は言わない方が望ましいこと、言うとかえって状態が悪くなる可能性のあることを言ってしまったりも起こるようになります。 
 そこで、今回は、子どもが休み始めた時に、先生が落ち着いて活動できるようにしていただきたいために、いくつかのことに触れてみたいと思います。

 まず理解しておきたいことですが、不登校は、例えば、子どもが学校での生活に周囲の人が感じる以上に、わかりやすくストレスと表現しますが、困難や避けたい気持ち、心地よく過ごせない、というような感情を持っていることが多くあります。避けたい対象は、勉強かも知れませんし、友達関係かも、あるいは場合によっては先生かも知れません。
 他の子どもだったらそんなに気にしない、あるいは気になっても休むほどではないことも、その子どもの特性で、耐えられない、乗り越えられない、自力で解決できない、避けるのが当然と思っている、柔軟な臨機応変の考え方ができない、等の特性を、これまでの成長や経験の中で身につけて来たと言うことを意味していると思います。
 不登校現象の理解の仕方には、理解者のそれぞれの立場で多様な見方があって、理解が一定しているわけではありません。同じ現象を見ても視点の置き方で違う現象に見えるというのと同じだと思われます。

 いずれにしましても、現在の状況の中で、子どもが周囲の環境をそのように見る、そのように感じる特性を身につけていると言うことは言ってよいかと思います。
 これまでの育てられ方や育ち方、経験をどのように内面化したか、が影響しているのでしょう。
 その意味で、保護者のかかわりは影響を及ぼしたでしょうし、学校の中でどのように扱われてどのような経験をしたかも影響しているでしょう。
 それで、誰が悪い、どこが悪いと言っても今の時点では問題の解決にはつながらないと思われます。
 少し時間をかけながら、保護者と学校が互いに相手が悪い等と反目し合うのではなく、冷静に話し合いを行っていけば、自然に背景が明らかになってくると思います。そのような経過になれば、家庭、学校ともに落ち着いて対応することができるようになり、必要な対策が徐々に行われるようになるのではないかと思われます。

 そこで話を戻して、初期に先生方が落ち着いて保護者に対応できるようになっていただくために、いくつか触れておきたいと思う次第です。
 まずは、不登校には上に記したような背景があると思いますので、改善までには、ある程度時間がかかることが多いと言うことを確認しましょう。
 性格を短時間で直せと言っても、それは誰にも難しいことです。不登校の子どもは、自分の性格をはっきりとつかんでいるわけではありませんので、あなたの性格が悪いと言っても聞き入れませんし、そう言う人への反発を強めるだけでしょう。何しろ合理的な認識が不得意なのですから。あるいはそれだけ心が傷ついているとも言えるでしょう。根が深い場合ほど、時間がかかります。
 保護者に家庭が悪い、育て方が悪いと言っても、反発を買うだけで、原因を作ったのは学校だ、担任等の先生だと言うことにもなり、互いに指摘しあって、対応が全く進まないと言うことにもなりかねません。

 家庭訪問をして、明日から必ず登校させてください等、きつく言うことは当面避けておきたいものです。親も登校してほしいと思っているので。
 時間がなくなり、次は時間のある時。



































心情を読みとる努力をしながらの支援

2015-09-01 09:48:11 | 子どもの養育 不登校等 教育の問題 
今回は子どもの心情を読みとりながらの支援についてにします。

 休みが明けて、少し時間が経った学校と、始まったばかりの学校があると思いますが、少し経過した中での考え方と支援について触れましょう。
 いつの場合でもそうだと思うのですが、子どもの心情に添わない支援は、あまり効果的でないように思われます。
 先生の場合は、ともすると、先生自身の考え方や学校の考え方が強く出過ぎて、子どもの気持ちと離れてしまうので、せっかく熱意を持って話したり指導したりしても、子どもの心に届かない場合がよく見られるようです。
 やはり、子どもとの関係性と、子どもが何をどのように感じているか、その感じていることをわかりながら、あるいは完全にはわからないまでも。わかろうと努力しながら支援するとではかなり影響力が違うと思われます。 
 それぞれの子ども、特に中学生以上の場合は、どの子どもであれ、本人としての心の動きがありますので、それをある程度明確に聴き取りながら、その状態の中で、何をどのように話したらよいのか、場合によっては何も話さずに、認めてあげることだけでいいのか、ここは本人が少しでも新しい考え方や気づきがえられるように、こう言ってみようとか、先生の方が考えながら行ってみることが必要かと思われます。
 中学生が、教室に入ろうとすると、視線が気になる、自分の言うことにみんなが違和感を感じているみたいに感じる、静かな授業だと何か緊張してしまう、と言う場合に、それを聴き取った先生が、何をどのように返すか、そのようなことが課題になっていると言うことかと思われます。
 その生徒が、周りの状態について、敏感すぎるぐらいに受け止めている、他の生徒と違うような感じ取り方をしている、そしてその生徒は、そこが自分の持っている特性だ、あるいは課題だと感じ始めている.
そのような生徒なりの感じ方、発達、言い換えれば成長の始まりを示している時に、その生徒に対して、先生は何をどのように伝える努力をするか、伝えなくても何をどのように対応するか、そのようなことが課題になっていると言うことかと思われます。
 少し難しいことですが、せめて、生徒にとってマイナス効果となるようなことは言わない、やらないことが大切と思われます。
 どの子どもも、その子どもなりに、適応の状態に成長しようとする気持ちを持っています。何とかよい方向に進みたいという気持ちを持っています。一方で、その気持ちは進んだり退いたりの繰り返しが多いです。でも全体としてみると、適応の方向に進みつつある、進んでいる、そんな状態で一歩ずつ進のが現実的な状態かと思われます。
 また、そのようなサイクルに全く乗れていない子どもも、乗ろうとしない状態を示しているように感じられる子どももいます。
 でも、よーく見ると、変化の芽みたいなものが見える時もあります。子どもの状態をていねいに観察することで、それらを見つける努力は極めて大切です。
 何か努力などと根性主義みたいなことを記しましたが、先生方の勘、ほんの少しの気づきと言うのが適切かと思われます。
 変化の芽を何とかみつけだして、それをできる限り育てるようにする、子どもの心情を感じ取りながら、それを理解しながら、それぞれの子どもにあった支援を継続することが大切なのであろうと思います。
 教育は、教えることと育てることの二つの側面を持っています。課題を持っていると思われる子どもの場合には、育てる側面の方が、まずは必要になると思われます。育てるには、けっこう工夫が必要になると思われます。 
 理屈、理論に基づいた育て方を基本としながら、現実の子どもに適した支援を創意工夫で実践しながら進むことが必要かと思われます。
 今回は、けっこう抽象的なことが多くなりましたが、やり方は、いろいろなやり方があると思われますので、先生の持ち味を発揮していただければそれでよいかなと思っています。
 別の機会では、また、現実にいると思われる子どもの様子等を具体的に上げてみて、それに対してどのように実践するか等、具体性を持って考えてみたいと思います。よかったらまた読んでください。