不登校 いじめ 教育相談 生徒指導 解決支援ブログ

不登校やいじめ 教育の課題、教育相談 カウンセリング 生徒指導等について、課題解決のための具体的方法について述べます。

親の不一致についてです。

2024-04-20 17:38:05 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 前回は一人の人が時と場合で言うことややることが違うと、その人の周囲にいる人がとても困るということについて記してみました。
 今回は、主に複数の人の間で、言うこと、やることが違うと、混乱が広がり、能率も上がらず、大変な状況になることが多いということです。
 集団でも、会社のような組織でも、成員の考え方や行動はある程度の一貫性や一致が必要と思いますが、例えば、会社のような場合には、トップと中間の言うことやることが不一致の状態にあると、成員はどのように行動したらよいのか、規則性もなく、何が正しいのかもわからず、本当にまずい状態になると思われます。
 学校でも同じで、同じ行動をとっても、ある先生は𠮟り、ある先生は何も言わない、あるいは時には奨励するような状態であると、生徒は本当に困ります。
何が正義かわからなくなりますからね。生徒指導も機能しないことになるでしょう。そしてこのような学校で学ぶことを拒否するようになり、意欲も学力も低下することでしょう。
 おそらく私立の学校等では、そのような評判が立てば生徒も集まらなくなることでしょう。
 公立では生徒が集まらないということはないでしょうが、学校としての機能は著しく低下することでしょうね。ある程度の秩序感や一貫性はとても大切なことです。
 必要なことは、よくよく話しあいや検討が行われて、成員がある程度納得したものを出すということが大切と思われます。
 
 親と子どもの関係では、父と母が言うこと、やることが違いすぎるのでは、子どもの気持ちはとても不安定になることでしょう。
 具体的には以下のようなことが該当すると思います。
・どちらかの親がとても厳しく、一方は甘すぎる。
・子どもを育てるうえで、両親の考え方が違いすぎる。
・どちらかの親の意見ばかりが尊重されている。
・子どもの前で夫婦けんかをしていることが多い。
 影響としては、
・子どもの混乱、精神的な不安定な状態が強くなる。
・親に対する不信が強くなり、人を信じないようになる。
・反社会的・非社会的行動をとることも考えられる。
・攻撃性が強くなるか、あるいは引っ込み思案等になる可能性がある。等々で、何もよいことはありません。子どもの成長を遅らせたり、曲げたりする可能性がありますので、親は日頃の子どもへのかかわり方を常に見直していくことが大切と思われます。
 今回はここまでにします。感想等がありましたらコメント等をよろしくお願いいたします。

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子どもへの一貫性の不足したかかわりについて

2024-04-18 17:27:16 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 今回は表題のようなことについて記してみます。一貫性のない状態とは時と場所により、人に対して言うこととやることがつじつまが合わない状態であるということを意味しています。
 朝に、何か言ったかと思うと、夕方にはつじつまの合わない、理解のできないことを言っているようなことです。
 組織や集団の中に、そのような人がいると周囲の人は困りますね。特に、その人が上役であった場合には、どちらのことが本当の言葉かわからなくなって何をどのようにしたらよいのかがわからなくなってしまいます。組織や集団は当然のように混乱して、うまく機能しないようになることでしょう。

 子どもと親の関係でも同じようなことが起こります。例えば、母親が子どもに対して一貫性のないことを言ってばかりいたら、子どもは何を信じたらよいのか、どのようにしたらよいのかわからなくなって、非常に心が混乱します。
 少し具体化してみましょう。子どもが同じ行動をしても、時には叱ったりやめなさいと言ったりしながら、同じようなことをしても、時には何も言わなかったり、逆に進めたりすることもある。これらを矛盾型と言ってもよいと思います。
 子どもは、生活の中に一貫した規則性等を見出すことができなくなり、本当に困った状態になります。何が正しいのか、何をしたら叱られて何をしたら認められるのかわからないのですから、常に緊張した状態に置かれることになるでしょう。この状態が長い時間にわたって行われた場合には、緊張や混乱から、ものごとに対して積極的に取り組もうとする気持ちはすごく少なくなってしまうでしょう。いわゆる意欲の低下ですね。
 また親が自分の気分で勝手なことを言うのですから、親を信じることもできなくなるでしょう。それが一般化すると、大人は信じられない、大人を信じない、となるわけですから、大人の言うことは聞かないということにもなるかもしれません。
 学校の先生も大人ですから先生の言うことも聞かないとなれば、ほとんど、先生の言うことが伝わらないことになると思います。意欲が下がっているうえに先生の言うことも聞かない、聞けないということになれば、学習の成果も得られないということになるかと思われます。
 次のようなことが多くならないように注意してかかわることが大切と思われます。
・その時の親の気分で子どもへのかかわり方が大きく変わる。
・同じことをしても、時に叱り、また見逃すこともある。
・叱った後で、逆に機嫌をとったりする。
・近くに知っている人がいる場合とかに、子どもに接する態度が大きく変わる。大きく変える。
・子どもの生活に干渉することが多いのに、いざとなると相談も受けず放任する 等

 これらが長く著しく続くと、子どもの心の成長に影響してくる可能性があるので、親としては、日常的なかかわり方を、自分で注意深く見直しながら、適切な状態に保っていくように努力することが大切と思われます。
 今日はここまでにします。
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ちょうどよい親子関係

2024-04-15 16:45:20 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 今日は上のような題にしました。ちょうどよいは程よいとか、バランスの取れたと言ってもよいかと思われます。
 これまで、過大な保護とか、過大な服従とか、支配とか、拒否とか言ってきましたが、それらに関してマイナスの要素が全くなければそれが理想かと言われると、それもどうかなと思う次第です。
 いつどもどこでも、理想の・・・とかはなかなか成立しにくいと思います。仮に成立したとしても、それがどなたかの多大な犠牲で成り立っているとしたら、それもおかしなこととも思われます。
 親子の関係が理想的に行われていれば、子どものストレスも全くなくなるのかもしれませんが、それがよいことかと言われますとどうだろうかなと思ってしまいます。
 大切なことはバランスであったり、程よいであるかと思います。親と子どもの関係でいえば、概ね65%から85%程度うまくいっていればそれでよいかとも思います。親の方の無理も禁物ですし、子どもの方の我慢が多すぎるのもよくないと思います。
 70%から80%程度の間で、子どもの気持ちや希望が満たされていればよいのではないかと思います。いかがなものでしょうか。
 あまり満たされ過ぎていると、満たされることが当たり前と思いすぎて、考え等に偏りが生じるかもしれないとも思います。
 満足の気持ちが本当に少ししか満たされない場合には、子どもの方に何らかの影響が生じるかもしれませんので注意が必要と思います。
 
 実は話は少し変わるかもしれませんが、現在の日本では、いろいろな事情で子どもの心の満足が少ないケースが多く出ているのではないかと思われます。
 成長の時に与えられた方がよいことが与えられずに大きくなっている子どもが大勢いると思います。それは長い期間にわたっては、大きなマイナスの影響を与えるかもしれません。子どもが健全に育ちきれないという事柄です。
 社会全体とその影響を大きく受ける親の側に、子どもに十分にかかわり切れない状況が広がってきているように思われます。
 経済的、時間的、物理的に必要なかかわりができない、親の心理的な状況が適切なかかわりを持てないほど圧迫されている等の状況と思います。
 これらが循環的に相互に影響を与え合って、次第に拡大する方向に進んでいて、社会全体の問題になり、国としても個人の人としても成長できない、成長しにくい、能力を十分に生かせないような状況になってきているようにも思われます。
 人の率直な交流や対話を進めることによって、事態に気づくことと何らかの方策を考えて試行錯誤することが早急に必要な状況にさえなっているように思われています。
 
 話を戻して、親子の場合でいえば、バランスの取れた人間関係、程よい、ちょうどよい関係を作ることが大切と思われています。
 今日はここまでにします。コメント、感想等ありましたらよろしくお願いいたします。
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親と子どもの関係の濃淡について

2024-04-14 17:18:06 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 これまでに、親子におけるいろいろな関係性、特性について考えてみてきましたが、今回は関係の濃淡について考えてみます。
 関係性が親の働きかけが適度で、子どもの自由も適度に保たれている場合、バランスがとれている場合がよいと思われますが、関係が濃すぎる、あるいは薄すぎる場合も、その影響が現れるように思われます。
 初めに濃すぎることについて考えてみます。濃すぎるとは、関係性が強すぎるという意味で、密着状態のようなことを表現していると考えてよいと思います。
 密着の状態であっても、時々離れることもあり、子どもの自由に活動できる範囲が保たれていればそれでよいと思いますが、それがなくて、親からの一方的な言葉やかかわりが行われている場合には、今までに記してきたような支配や服従、過保護などが生じる可能性があり、それでいろいろな影響が生じてしまうことになり、子どもの成長にとってはあまり望ましくない状況になってしまう場合もあると考えられます。

 今回記すことは、一言で表現すると、「拒否」という言葉で表現されるかと思います。関係が薄くて、親の気持ちが子どもの方に向けられていない場合、あるいは向けようと思っても、社会生活上の条件で向けることができない等があります。労働における長時間の問題でかかわれない、一人での子育てでゆとりがない、あるいは気持ちが向けられない等、様々なことで薄くなることがあります。現代は、子育てをするのがいろいろな意味で難しい状態で、関係が薄くなってしまうこともあるように思われます。
 具体的な状態としては、
・子どもの存在を認めないこと。
・子どもを放任しておくこと。
・子どもを信用しないこと。
・子どもへの否定的な感情や、何となくしっくりしない感じを持つ 等
 さらに強く出た場合は、
・体罰を与えたり、虐待を行ったりする。
・言葉や行動で子どもをおどかす。
・過剰な要求をする。
・養育の責任を放棄する。等がみられることがあります。

 これらが子どもの成長に大きな影響を与えることは当然のことで、いろいろなマイナスとなるような行動が見られるようにもなりかねません。
 例えば、以下のような行動がみられることがあります。
・何かにつけて、必要以上に目立ちたがりになる。顕示性が強くなるということです。人の注意を惹きたいのでしょう。
・攻撃性が強まり、乱暴な行為をすることがある。承認の欲求が満たされないので、心が荒れるのだと思われます。
・年齢よりも幼い行動をとることが多くなる。精神的な発達が遅れやすいということと思われます。
・ルールを守る気持ちも弱まり、日常生活に不適応な部分が現れやすい。
・神経が過敏な状態を示すことが多くなる。 等

 これらの状況が生じやすいので、親の子どもとのかかわり方を、親自身がよく見て注意をしていくことが大切と考えられる。
 また、この要素はなかなか気づきにくい部分でもあるので、子どもの状態を見て、必要に応じて、早めに相談機関等に相談をして、関係性を適切に見ていけるようにすることも必要と考えられます。
今回はここまでにします。
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ストレス対策 出会いの時間

2024-04-09 17:21:02 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
ストレスフルな毎日の連続、心が折れるようなときもある。そんな日常の場合、やはり対策が必要。心身一如といいますから、心と身体はつながっています。心の中の基盤にある自律神経は、心の働きだけではコントロールしにくいので、身体も活用して、じわじわとコントロールし平衡を保つようにする。運動、ストレッチ、自律訓練法、漸進的弛緩法等々、いろいろなやり方があると思うので、ネットで検索や本で調べてやってみるのもよいと思います。無理なく自分の可能な範囲でやってみることです。

 それから、前回は他のストレス対策の方法も触れてみました。試しをしてみてください。
 今回は、さらに別のことですが、述べてみます。簡単なことです。人は人によって傷つけられ、人によって癒される、と言います。
 ですので、人との関係で癒される、救われることがいいと思うのですね。それには、日常の中で、人との出会いの時間があるといいと思います。ここで言っている「出会い」とは、会社や組織等の中の人間関係、ある意味表面的な関係、営業的な関係ではなく、もう少し深い「わかってもらえる」「受け入れ、受け入れられる関係」とでも言ってよいと思います。
 ある程度深く共感してもらえる言葉をもらえる関係等と言えると思います。わかってもらえるのはうれしいですよね。もしわかってみらえないとしても、真剣に話を聴いてもらえるだけでも少し心が軽くなるような感じがしますね。
 そんな関係を日常の中で持てると、よいなあと思っています。できることなら自分の話を聴いてくれる人を作っておくとよいと思います。
 相談の面接練習の中でのロールプレイで、ペアを組んで、聴き手・話し手に分かれて、聴く練習をしますが、その時に一つの方法として、少し極端ですが練習ですので了解してください。
 相手が何を言っても、肯定的なことでも否定的なことでも、怒りでも悲しみでも、言ったことに対して「そうですね」としか答えてはいけない練習をします。相手をすべて受け入れる、しかも無視も否定もしないというような練習です。これをしたときに話し手は、全肯定をどのように感じるか、あるいは聴き手はどのように感じるか、受け入れることができるか、その感情を味わう練習です。
 これは思いのほか多くの感情を双方に引き起こします。話し手は、単純に相手が練習として答えているだけなのですが、相手の肯定的な関心や受容を感じることが多くあります。

 日常の生活の中で、そんな、気の休まる人間関係が持てるといいなあと思っている次第です。
 何とか工夫すればそのようなことができないかなとも思っています。町中の日常にある小さな出会いを繰り返して持てるようにする、一つのポイントかと思われます。
 組織の上司の方も、部下に対して、そのような上手な聴き役になる機会を作っていただけるとありがたいです。きっと若い人もその他の人も一層動き出したり輝きだしたりすると思います。
 今回はここまでです。
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ストレスと自律神経、そして対策

2024-04-07 15:44:02 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 前回は、ストレスの意味や、それが強すぎると心や身体に影響が出て、心も身体も凝り固まってしまって、自由な人間らしい生活・思考、活動等もしにくくなるということを述べさせてもらいました。
 その結果、理論の投稿の時よりも多くの人に見てもらいましたので、皆さんが、ストレスの強い状態に置かれていて困っていることもあるのかなと思い、今回もストレス関連で投稿することにしました。ご了承お願いします。
 子どもにもストレスが多くかかっていて、大変なようです。私が知り合いの家に行っているときに、ちょうど小学生の下校の時刻だったようで、その家のお孫さんが帰ってきました。小学校の低学年ということで、男の子でした。普通は、小学生と言えば、帰ってくるなり、おなかがすいたとか、遊びに行ってくるとか言って、カバンを放り出して出かけてしまうものですが、その子は、そんなことはなく、茶の間の私がいるところから少し離れた椅子に座って、何か疲れ果てたような、放心したような姿で、ずっと座っていて動くこともありませんでした。
 それを見て、私は、この子どもが学校で過ごした時間の意味がすぐに分かりました。ぐったりと疲れて動けないような心情の世界で生活してきたのであろうと感じたわけです。
 このように本来エネルギーにあふれている子どもでも、ぐったりしてしまう生活を送っていることが、その子の表情や身体の姿から自然と伝わってきました。現代の子どもも大変だなー、昔と違うのだなと思った次第です。
 大人の社会も同じで、会社では効率や能率が極限まで求められ、何事よりも営業利益等が優先され、その他の組織では間違いやマイナスが絶対に出ない、出さないように細かすぎるほどの部分にも注意するように求められていることが多いと思います。
 少しのゆとりも持てない社会で生活することは、本当に心身に影響を与えられるものと思います。
 人と人が孤立的に存在することを日常的な状態とする組織では、当然ふれあいの時間もなく、人は競争的な状態に置かれるわけですから、ただただ疲労するばかりかと思われます。
 疲労の蓄積は、心情の在り方にも影響し、人の持つホメオスタシス(恒常性)も保てなくなると思われます。

 私がある精神科の医師に聴いた対処法では、次のようなことを聴きました。
 1 いる場所を変えてみること。旅行などはとても良いでしょうね。でもいつも旅行に行くというわけにもいきませんので、その代わりに何か少し変えてみるでもよいでしょう。毎日の通勤経路を変えてみる、ちょっとふだんいかないところへ行ってみる。(但し危険は避けてくださいね。)場所や時間の変化ですね。
 2 優れたものに接してみる。優れたものはたくさんありますね。音楽、絵画、芸能、学問、食べ物、そして優れた人、等々ですね。
 3 感情を吐き出せる経験を持つ。上のものと合わせると、うまくできると思いますね。例えば怒りの感情が起こった時、映画でそのような感情を表現しているものを見るとか、怒りのときはバイオレンスものとうがよいかもしれませんね。悲しいときは悲しさを表現した音楽等はいいかもしれません。
 自分の心に合ったものがいいです。さみしいときに心を奮い立たせようと思って元気すぎる映画でも音楽でも見聞きしたら、心に合わずかえっておかしくなるかもしれませんね。いろいろと工夫はできると思いますね。
 4 最後は「寝る」です。ストレスフルなときは、睡眠も浅くなりがちなのですね。なので、いろいろあるとは思いますが、とりあえず寝るがよいと思います。
 私自身も短睡眠が何日か続いた場合は、思い切って早くに寝てしまうことにしています。睡眠の時間と質はとても大切なことと思います。
 スマホの時間が長すぎる、PCの使用時間が長すぎる等は、心の不安定をもたらしますので注意が必要です。
 子どもも年齢に合わせておなじような対応ができると思いますし、必要とも思います。
 自分以外の人との会話もストレスを軽減するよい方法なのですが、それについては別の機会に触れてみたいと思います。今回はここまでです。 
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ストレスと自律神経

2024-04-06 17:15:25 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 今回は、少し趣を変えて、表題のようなことに触れてみたいと思います。
現代は、本当に複雑怪奇な社会で、何が何だかわからないような状況を示す面が強いと思います。社会での人々の心持が安定せずに、ふわふわしているような感じも受けています。中心的な安定した軸がどこにも存在しないような状態と言ってもよいかもしれません。
 なので、時には突発的にも不思議でおかしな出来事が発生したりしています。
また、自然の方も不安定で、季節感があいまいになったりして、法則的な変化が失われて、それに合わせるのもまた難しいような感じです。
 さらに地震等も多く発生していて、気の休まるときが少なくなってしまっているようにも感じられます。
 人の心にいつも得体のしれない圧力がかかっていると、強いストレスを受け続けているということと思います。
 ストレスの語はもともとは物理学の用語ですね。何かがあるものや人に圧力を加えることを言いますね。
 長くストレスにさらされていると、それが人間のもともと持っている自律的な神経にまで影響を及ぼして、体調の変調などが起こってきます。
 人間は、自分で自律的に調節する機能を持っていて、恒常性を保っているのですが、圧力が長く続くと、さすがに恒常性も保ちにくくなって、圧力に応じきれなくなってということですが、自律神経が自律的な調節力を失ってしまうことにもなるかと思います。病的になってしまった場合には、「自律神経失調症」ということかと思います。
 ですので、日頃から気を付けて自律神経の機能が働くように注意をしていく必要があると思います。但し、自律神経は、人間の意識や気持ちとは別に自律的に動いているものですから、これを意識の持ち方や気持ちの持ち方でコントロールしていこうというのもなかなか難しい面もあるように思われます。
 とは言え、一方で「心身一如」とも言われますので、人間の身体と心はつながっているとも考えられます。
 とすれば、身体を整えることで、心を整える、自律神経の働きを回復することもできそうです。
 皆さんもすでに知っておられることと思いますが、マインド・フルネスなどもこの一つの方法かと思います。
 もっと簡単に、YOU・TUBEなどでもたくさんアップされていますが、自律神経を整えるエクササイズなどを自分の体調に合わせて、ある程度継続的に行うのがよいのではないかと思います。これならば、いつでもあるいは少しの時間があればできるものが提示されていますので、可能なものを選んで行うのがよいと思います。長く続けていると、結構な効果が出てくるのではないかと思われます。
 また、瞑想法や仏教での座禅なども良いでしょうし、ヨガや整体もよいのではないかと思われます。
 身体から心に働きかけるのも立派な心理療法の一つと思っています。何かやってみると、思っていなかったような変化が現れるのではないかとも思います。よろしかったら何はともあれ実行してみてください。今回は、理論的な話はお休みでした。今後も見ていただけると幸いです。
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いわゆる服従の続きです。

2024-04-05 17:16:23 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 前回は、親が子どもの言うなりになる、いわゆる服従のことについて概括的に触れてみました。少し短くて、内容も十分ではなかったかもしれませんので、そう少し補充的に記してみようと思います。
 服従にも二つの形態があると思われます。一つは溺愛でもう一つは盲従とでもいうべきことです。
 前者は、前にも触れましたように子どもの要求を盲目的に受け入れてしまうことです。可愛がり過ぎ、かかわりすぎ、等があると思われます。
 このような場合には、そうしてしまう親の側に、何らかの要因があるかもしれません。それに気づくことも大切なことで、行動ばかりを修正しようとしてもうまくいかないことが多くあるようです。
 具体的な例としては、以下のようなことがみられることも多い。
 ・子どもをほかの子と遊ばせないで、いつも親が相手をしている。
 ・子どもを叱ることができない、あるいは叱らない。ほめてばかりいる。
 ・子どもが先生に叱られたりすると腹が立つ。
 ・子どもに嫌と言われれば、なんでも許す。 等々のことです。

 盲従的とは、子どもに過度にかかわり、手助けしたりして、愛情過多のような状態を示すことです。
 具体的な例としては以下のようなことがみられることもあります。
 ・親との間で決めたことでも、それを守れない。
 ・子どもの希望の多くを聞いてあげようとし、制限が守れない。
 ・何事でも子どもを優先する状態が著しくなっていることが多い。

 このような環境の中で成長する子どもには、それに特有の特性が育ちやすい。前回は自己中心性が強くなると記しましたが、加えて、心の発達が遅れるようになりやすく、いわゆる幼児性が強くなりやすい。大きくなっても、「泣く、わめく」等で要求を通そうとする。
 社会生活の中で、幼児性が影響して、生活技術の発達が遅れる、役割を引き受けられない、無責任や依存性の強さを示す等が現れる可能性があると考えられます。
 いずれにしても、集団や組織の中での生活がしにくくなることがあるので、行き過ぎた過剰な子ども中心は避けることが大切と考えられる。
 子どもに身につけさせたいことは、親とのていねいな対話・会話の中で、ことの理を理解できるようにすることが必要で、粘り強くていねいな会話の交流を持つことで、子どもの本来持っている理性を育てることが肝要と考えられる。今回はここまでで・・・ よかったらコメント等をお願いします。
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親が子どもの言いなりになると 

2024-04-04 15:19:49 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 親子の関係に関する理論を先に進めましょう。
 今回のことは、以前に触れた保護しすぎるに近い部分があるのですが、やや違う側面もありますので、別の項目として考えていきたいと思います。
 親が子どもの言うなりになっているということです。子どもに服従しているといってもいいかもしれません。親は子どもに対して、「かわいい」という自然な感情を持っていると思いますが、それが行き過ぎて何でも子どもの言うとおりになるとやはりいろいろな影響が出てきます。
 子どもの求めや気持ちを何でも無条件に受け入れてしまうと、子どもが勘違いして、自分の言うことは何でも通るのだというような気持ちが強くなってしまって、いわゆる自己中心的な特性が強く出てしまうこともあると思います。
 自己中心性が育って、それが大きくなるまで修正されないで心の強い特性になってしまうと、その本人自身がセルフコントロールできなくなったりして、社会生活で困るようなことにもなりかねないので注意が必要と思います。
 今回はここまでです。コメント等がありましたらよろしくお願いします。
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親の子ども支配についての続きです。

2024-04-02 17:13:43 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 前回は、親による子ども支配ということでしたね。人が人を支配することはしてはいけないことです。日常の人間関係でもそうですし、もちろん親子の関係でも絶対と言っていいくらいダメなことだと思います。
 支配された人の心は本当にダメになってしまいます。支配が長く続けば、心が壊れてしまうでしょう。
 人間は、共感性と言って、自分以外の人やことに共感できる能力を持っています。でも、その共感性が働かなくなってしまうこともあるのです。
 今、世界で戦争が行われていますが、戦争などの極限的な状況では共感性が働かなくなってしまいます。なので、どのような残虐なことでもしてしまうわけです。
 日本では、日本以外でもその傾向があるように思われますが、特に変わった環境でもないと思われるのに、共感性が十分には働かない、働きにくい状況が広がっているようにも思われて心配な部分が多くあります。
 子どもへの各種の虐待、職場や組織の中でのパワハラ等々、いろいろな現象が起こっています。これらは人々が他者の心に気づけないことの証明かとも思われます。
 これがさらに進行していったら、どのような状況になるのか、大きな問題であると思われます。

 心理学の方に話を戻しますが、表面的に見るとよいことではないかとも思われそうなことにも、支配ということを見て取ることができる場合があります。それは、親子の場合は、親からの過剰な期待ということです。親が子どもに期待するのは当然のように思われるかもしれませんが、それが強すぎるときには、子どもにとっては非常につらい場面ということになるかもしれません。というより確実につらすぎる状況ということになると思います。
 具体的にはどのような場合か、場面をあげて考えてみます。
 ・親の思いや要求を子どもに強く押し付ける。学習の成果や学習等の水準の  
  場合が多いですね。
 ・それぞれの子どもの特性を無視して、いつも誰かや求める水準と比較する。 
 ・成績などの成果を必要以上に求めて、物を与えたり機嫌を取ったりする。
 ・子どもがやりきれないような、できないような課題を与える。スポーツや 
  習い事等で見られますね。
 ・子どもの将来を親が一方的に決めてしまう。
 等々ですね。もっと他にもあるようにも思われます。子どもの感情的な側面 
 を無視してしまうということです。
 以上のこと等は、親による子どもの支配ということになりますね。支配が強いとその影響は自然と子どもの心に現れます。
 親が子どもの気持ちを無視して押しつぶしているのですから、子どもの気持ちはたまったものではありません。
 子どもの心の働きに現れる現象は、どのようなものがあるでしょうか。共感力のある皆さまには、自然に思うところがあると思います。
 一番の影響は、意欲がなくなりやすいということでしょうかね。みずみずしい心の働きができないのですから、当然ですが、やる気も弱くなります。形だけ整えておく、とか、進んで何かやるというような行動は少なくなると思います。
 さらに無気力や無感動、無関心等も生じると思います。昔言われた「三無主義」のようなことです。
 将来に希望も感じず、冷たい心になることもあるかと思います。
よいことは何もありません。子どもを生かすことはありませんから、すぐにでも見直して改める必要があることと思われます。
 今回はここまでにしておきます。意識して行動していかないと、思わず支配になってしまう要素が多い社会になっていますので注意が必要と思われます。
 ではまた・・・
  

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親子関係を中心とする人間関係の話に戻ります。

2024-04-01 17:24:54 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 個々のところ、話が横道にそれ過ぎて面接技術等の話が多くなってしまいましたので、話題を本来の目的である表題のように戻って考えてみたいと思います。
 保護の過重な場合について触れていたのですが、今回は、支配ということについて触れます。
 支配は文字通りに理解すれば、立場の強い人の思うとおりにするということです。親子の場合は、親の思うとおりに子どもを扱うということです。親の言うとおりに行動させようとすることです。
 厳しく言えば、子どもを親の所有物のように見なして、強い力で統制しようとする、動かそうとするということです。
 これには、二つのタイプがあることが考えられます。一つは、とても厳しく接することです。子どもへの愛情はあるのかもしれませんが、常に親の考え等を押し付け、親の思うとおりに育てようとすることです。
 例えば、次のようなことが該当するでしょう。
 ・子どもに厳しく容赦ない。
 ・子どもの言うことを全く聞かない。親の意見だけが通る。
 ・いつも子どもの行動等を認めず、親の考えを押し付けたり命令を行ったり  
  する。
 ・子どもへの禁止用語がとても多い。
 ・いつも子どもを批判したり、見張ったりしていて子どもの思うようにさせ  
  ない。
 これらの環境が子どもに与える影響を考えると、言い換えれば、子どもの気持ちはどのようになるか考えると、かなり恐ろしいような感じがします。
 このような環境の中で育ったら、子どもの心に育つものは何であろうか、とても不安な気持ちになるものがあります。
 具体的にどのようなかかわりの例があるか、考えてみていただけると嬉しです。
 今回はここまでにして次回はもう少し続けて考えてみます。

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よい人間関係を作る技術

2024-03-31 17:12:12 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 今回は表題のようなことに触れて見たいと思います。
これまで親子関係をはじめとして、日常の生活における人間関係のもたらすものについて、いろいろな面から考えてきました。
 今回は、ではそのよい人間関係を作るための技術やテクニックについて触れてみます。
 技術とかテクニックとか言うと、それを行えばどのような場合でもうまくいくとか考えてしまいそうですが、それはそうでもなくて、やはり人間と人間ですから、表面的なことではなく、内面的な意識、心の働きもきちんと伴っていないとうまくいかないのは当然のことと思います。
 ですので、人の表現する姿や姿勢に、その背景として心の働きが伴っているときに、よい人間関係が作られやすいのは当然のことと思います。

 これまで、臨床心理学等の考え方も引用して、関係づくりや話を聴く姿勢の在り方に触れてきたつもりですが、今回はさらに具体的にして考えてみたいと思います。
 相手の話を聴くときに、以下のようなことが大切としてきました。聴く姿勢は、傾聴の姿勢ですから、まず相手にきちんと正対すること。面と向かうことですね。そして、目を見ましょうね。よく見ることでしたね。観察といってもよいですね。さらに自分の身体を少しだけ前に傾けましょう。不自然にならない程度ですね。これは相手に肯定的な関心を示すためでしたね。
 これらが結構大事になると思います。それから、相手の話に合わせて、頭を前に傾ける、頷くですね。程よく頷いて聴くと、相手は聴く人の態度を好感してくれるわけですね。
 さらに相づちを打つことも同じような効果がありますね。相手の表現に対して、言葉に出していろいろと反応を示します。すると相手は本当に話しやすくなると思うのですね。
 相づちといっても、ただ一種類ではありませんね。相手の人の年齢や立場、聴く人との関係によっても違えた方がいいですね。親しみを増そうと思って、例えば上司に友人みたいに相づちを打つとおかしなことになりますね。
 ある人は七色の相づちと言っていました。一番の基本は「はい」ですね。少し親しい関係なら「うん」もあるでしょう。それから「ええ」とか、「うーん」「ふーん」「なるほど」「たしかに」とかありますね。親しい間であれば「そっかー」「だね」とか、「まじっ・・」とかもありかもしれませんね。
 私の知っている人は、いつも「はあー」でした。それがとてもうまくて、時と場や状況に応じて、少しずつニュアンスを変えての「はあー」でした。それは経験に裏打ちされた絶妙な相づちでした。その人とお話しすると自然に言葉が出てしまうような雰囲気でした。
 また、別の人は、言葉はほとんどないのに、頭を振るのがとてもお上手でした。これも絶妙ですし、この人と会話をするときにも、ちゃんと聴いてくれていることが自然に感じられて話が弾みました。
 聴く人の心の持ち方と聴き方で、本当に人間関係が異なってくるのを感じた覚えがあります。
 人間は複雑なように見えて、基本は単純です。やはり基礎基本にある人間観が大きな影響を生み出すのでしょうね。

 さてもう一つ、基本的なこととして、繰り返しというのがあります。カウンセリングの面接を研修された方は、これをかなり訓練されますね。相手の人が言った言葉をそのまま繰り返すということです。
 これも、相手から見たらどのように感じられるでしょうかね。お考えになってみてください。
 小さい子どもの言うことを例にして考えてみます。

 小さい子どもが嬉しそうに次のようにたどたどしく言いました。たどたどしいと言葉のスピードが遅いので、繰り返しがしやすいですね。

 「昨日ね、僕の誕生日だったんだ。それでみんなでレストランに行ったんだ。おじいちゃんもおばあちゃんも行ったんだよ。僕はお子様ランチを食べたんだ。おいしかったよ。」(今はお子様ランチは食べないかもしれませんが)

 繰り返しは、昨日ね と言ったら、うん、昨日ねと繰り返します。
 僕の誕生日と言ったら、そう誕生日だったんだと繰り返します。以下もおなじようにしていきます。
 その小さい子は、話がきちんと聴かれて、気持ちの満足を覚えるかと思います。
 こんな感じで応答していきます。日常の会話はもっとスピードが速く進みますので、繰り返しも結構難しくなります。でも全部繰り返さなくてもいいので、大切な言葉だけ、キーワードだけでも繰り返せる、あるいは繰り返すように努力すると、結構関係が違ってくると思われます。
 参考になりましたら試してみてください。今回はここまでです。よかったらコメント等をお願いいたします。では・・・
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人を理解することの大切さ

2024-03-29 17:08:16 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 前回は、不登校の子どもの心について、その傷つきについて、報道の記事を参照しながら触れて見ました。また、そのような子どもの心について、大人の見方はほとんど違うように見ていることも触れてみました。
 子どもの心は、周囲に理解者がいなくて孤独で孤立で、ほとんど回復できない状態になって、それが続いている可能性が多くて、困ったことと思えます。
 もしかしたら大人である親が悪いのだ等と思われた方もいるかもしれませんが、確かにそのような面もあるにはあるかもしれないのですが、親も子供を不登校等にしようと思ってやっているわけではないのですが、何かわからないが喧嘩的にそのようになっているという方が多いのではないかと思われます。
 ただし、今日の報道にもありましたように、子どもへの虐待がものすごく多くなっているという記事がありましたので、一部の親御さんの中には、意識しながらも子どもへのいろいろな暴力を行っているというケースもないわけではないと思います。
 しかし、そのような場合も、親は自分の内面を意識できないのでしょうが、いろいろな事情やもやもや等があって、それが子どもに向かっている場合が圧倒的に多いと思われます。親の行為は許されませんので、是非きちんと対処されることが必要ですが、それも十分には行われていない場合が多いと思われます。
 話を戻して、子どもの心を理解してくれる人が一人でもいると、それこそ一筋でも光が差してきたように感じられるのではないかと思われます。
 心の孤独な子どもは、心の中に魔物を生じさせてしまい、人を信じることができなくなってしまいます。それがさらに子どもを人の間に出ていくことを不可能にしてしまいます。 
 ですが、わずかの光でもあると、少しずつでも人間性の回復につながり、それが継続してより強くなると、また人の間に出ていこうとする力が出てくることになると思います。 
 いわゆる社会化だと思います。つながりそして聴くことが回復の大きな力になると思います。かかわり、聴くことの大切さが指摘されます。ただ聴くことが一番良い方法と思っています。
 そばにいてただ聴くことが子どもたちの心にとっては一番大切なことと思われます。心が病んでいたら、そばでただ聴くこと、それが一番良い方法と思います。いろいろということはこの時点では必要ないと思います。
 聴くことは相手を受け入れようとする気持ちがなければできないことと思います。何とか動かそうなどと思って聴くと、それは子どもは望まないことが多いですし、子どもの要望にも合っていませんので受け得られない場合の方が多いと思われます。動きたいと思っていても動けないのがその子どもの状態だと思います。
 不登校の子どもたちも、本当は、できることなら学校に行きたいと思っています。学校に行って、みんなと一緒に勉強もしたいし、遊びたいし、給食も食べたいと思っている場合がほとんどと思います。
 ただし、その段階を過ぎてしまって、心が全く学校に向かっていないケースもあります。心はスマホの世界に行ってしまっている、別世界で生活している、この場合は、対応が結構難しいですね。学校というよりも、架空の空間に漂っている心を現実の空間に戻れるように、何か考えて対応することが必要と思われます。強制的に戻そうとすると、架空の空間に余計にしがみついてしまいますので、強制はダメです。
 現実の空間にも少しはよいことがありそうだなと思える経験を持てることが必要と思います。架空の空間の力が強くて、しかも子どもから見ると興味も感じられて、一定の時間は何も考えずにその場しのぎになるので、どうしてもそちらに行ってしまうことが多くなります。また架空の空間には同じような事情の大人も子どももいますので、関係ができてしまうとさらに戻りにくくなってしまいます。
 なので、戻るのに時間がかかってしまうことが多くあるのだと思います。
 ただし、別空間に行っていた子どもたちも、自然にあるいはかかわる人がいて、また現実空間に戻る場合も多くあります。特に年齢が重なると、自分を客観的に見ることもできるようになって、何とか殻の中から出られる場合も多くあるのも現実です。
 でも、なかなか戻れないのもあるので、とても大変です。相手の状況をきちんと見分けながら、だんだんとそばに近づき、少しずつ言葉の表現や活動・身体での表現をできるように接しながら一定の時間をかけて、現実の中に戻れるようにすることが大切と思います。
 その時に、接し方と聴き方がとても大切になると思うのですが、理解のためにすることを今日は触れようと思いましたが、ちょっと触れられませんでした。あまり長いと読みにくいでしょうと思いますので、今回はここまでにします。次回は少し聴く技術のことに触れたいと思います。コメント等ありましたらよろしくお願いします。
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子どもたちの心のこと

2024-03-28 16:47:34 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 また横道ですが、感じるところがあったので投稿したいと思います。
一週間ほど前だったかと思いますが、テレビや新聞で、不登校あるいは不登校気味の子どもの心の状態について、「抑うつ」や「不安」、「睡眠が浅い」「よく眠れない」、「朝起きられない」等の状態を示している子どもが、80%近くに上るということが報道されていたと思います。
 一方で、学校の先生や周囲の人は、子どもの心の変調に気づいて理解している人は10~20%程度と報道されていました。
 この二つの間には、大きさ差があり、深刻なギャップがあるように思われましたので、この文章を書いてみようかと思った次第です。
 多少なりとも不登校の子どもたちに接する機会のある私から見ても、子どもの自己理解というか、表現の方が、「とてもそうだろうな」と思えて共感できるものです。一方で大人の方は、甘えているとか、さぼりだとか、怠けだとかを感じているのではないかと思います。
 いろいろな生活上の問題や状況で、子どもの心が病みがちになっている、そしてそれは不登校等の状態に密接に関係しているように思われます。
 心が病んでいればいるほど、重い不登校等の状態になるように思います。不登校の状態が深刻で長く続いていればいるほど、その子どもの心の状態が病んでいるというように、比例的になっているように思われます。
 したがって、対応・対策もそれぞれの子どもの精神的状態をきちんと読み取って、そのレベルに合わせて、個別的に行っていくことが大切で必要なことに思われます。
 さらに加えて考えてみると、不登校になる、あるいはなりかねないと感じる子どもの心は、親御さん、祖父母、兄弟とか家庭内の関係者、幼稚園・保育園の先生、学校の先生、しかも低学年の時から高学年、中学生になるまでの先生が、その子どもに与えたものの影響、質、内容、人間関係の様子、等、多くの要因・因子が複雑に重なり合っていて、一定の年月の中で作られることであり、しかも子どもは自分の本心を意識することもできないし、子どもという立場から表現することもできない、等で、相当たくさんの因子を内包しているように思われます。
 高校ぐらいになってから、「小学生の低学年の時に給食の完食を強制されてそれが今も心の傷として残っていて、気持ちがすっきりしない」と表現するような子どももいます。
 子どもの心が何らかの理由で傷ついてしまって、あるいは自分に肯定的な気持ちを持つことができなくなり、それが集団の中でのマイナス感情等にもつながり、学校やクラス、集団の中でのスムーズな生活を難しくして、結果的に不登校等につながることと感じられます。
 要素が複雑で、重層的に横たわっているので、これを一つ一つ解きほぐしていくのは本当に難しいことで、長い時間もかかることと思われます。

 子どもの心が傷つきそうになっているとき、そのことに気づいて、傷つきを浅くしてくれるような人がよいのですが、時代のせいか、あるいは日本のひとの特性か、学校の特性か、わかりませんが、うまく手が打てていないのが現状かと思われます。  
 中学校での不登校の出現率は、はっきりとした率はわかりませんが、実態としてはけっこう高い割合になっているかもしれません。
 子どもの心の傷つきは、大人の状態を間接的に示しているのかもしれません。おそらくそうかなとも思われます。現在は、何かおかしな事件がとても多く発生しているように思われます。
 周りに、話を聴いてもらいたいと思っているように感じられた人がいたら、
耳を傾けあうこと等から、地道にやるしかないかなとも思われています。
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聴くときのポイント2

2024-03-27 17:37:52 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
 聴くときのポイントと言いながら少しも具体的なポイントにたどり着かずに来てしまっているように思えるので、今回は本当にポイントについて触れてみたいと思います。
 カウンセリングの場面では、うなづくとか相づちを打つとか、どうでもよいような風に見えることですが、結構大事にされています。前にも言いましたように、話をしている人は、聴いている人の姿や形を見ていろいろなことを判断しています。
 その時に聴いてくれているのか聴いていないのかわからないような態度では安心して話せないわけです。
 安心できなければ本音も話せないし、話すことで得られる心の落ち着きも得られなことになるでしょう。
 心情を吐露して心が軽くなることをカタルシスと言います。心の「浄化」ということですね。
 知り合いや友達との会話でも、いろいろと話して、「ああすっきりした」と思う時は、浄化が行われているわけです。
 フロイト流に言えば、煙突掃除ができたということかと思います。心の中にあって外に出せない感情は詰まった煤のようなものです。掃除をすることで遠煙突がきれいになって煙がスムーズに出せるように、浄化によって心の中のつまり物が取れるわけです。それですっきりしてまた元気に生活できるようになるわけです。
 つまりを出せるような聴き方がとても大切であるということですね。
 聴く方からすれば、相手がその人の思いを適切に出せているか、出せるような会話になっているか、聴いてもらって、その内容が聴き手に伝わって、理解されていると思えるかがとても大切なことです。
 ですから聴き手は、相手が聴いてもらえている、理解されている、伝わっていると感じられるような話の聴き方が必要であるということです。
 聴き手の姿勢が影響するということです。
 ですので、聴くときには、相手の話に合わせて、うなづきをしたり、相づちを打ったりすることが結構大切になるわけです。
 こんな簡単とも思えることですが、かなりの影響力を持っているのですね。
もし、このことを信じられないようでしたら、日常の生活の中で、特定の人等と話すとき、聴くときにやってみてください。
 そしてその時に相手の様子をちゃんと観察してみてくださいね。うなづき、相づちをやっているときの相手の様子はどうか、以前と違うか、話がスムーズに出ているように感じられるか等です。
 適切に行えていれば、それだけで相手の様子が変わってくると思います。
 相手の人の、あなたに対する反応の仕方も変わってくると思います。ほとんどの場合、よい方に変化すると思いますが、場合によっては、相手が聴く人の変化をうまく受け止められずに、かえってぎこちなくなることもあるかもしれませんが、少し重ねてやっていれば、ちゃんとよい方に変化すると思います。
 これは、日常のどのような人間関係でも使えることです。簡単なことで効果のあることですので、使わない手はないと思います。親子関係でももちろんです。
 ぜひ試しにでもやってみてください。次回は、実際の相づちでもいろいろなやり方がありますので、その具定例をお伝えしたいと思います。
 感想・コメント等ありましたらよろしくお願いいたします。
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