不登校 いじめ 教育相談 生徒指導 解決支援ブログ

不登校やいじめ 教育の課題、教育相談 カウンセリング 生徒指導等について、課題解決のための具体的方法について述べます。

不登校の子どもの気持ち

2016-06-28 10:03:55 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
不登校の子どもの気持ちという標題にしました。

今日はいろいろな関係で少しですがUPしたいと思います。
標題を上のようにしたのは理由があります。

多くの方々が、不登校に対処する時に、少し適切でない、もっと言えば誤った対応をしていることが多いと感じられる場面があるからです。

特に学校の先生の場合には、学校の教育が理性に基づいて行われることが多いという観点から、理性的な働きかけが必要以上に多いように感じられます。

このことは本当に、一般的にはそのとおりなのでしょうが、不登校等の子どもたちへの対応の場合には必ずしも適切ではないかも知れないと思うことがあるからです。

情緒的な問題で悩んだり不安になったりしている相手への対応の場合には、対応する人も、当面は情緒的に対応することがよろしいように思われるからです。

と言うか、情緒的に近づいて行かないと、相手の情緒的な反発を受けて、それ以上の支援の関係に進まないのが現実でしょう。

相手の心情に近づくことができない限り、相手も心情を表現することはないでしょうし、心情的な部分が解決しない限り、理性的な思考や行動は現実化しないでしょう。

このことは指摘しても指摘しすぎることはないと思っています。それ程大きなポイントだと思っています。

でも、このポイントの重要性を感じられる指導者が少なすぎると思います。

少なくとも、情緒的な問題が解決しなくても、せめて安定していないと、動きが出ないと思われます。

動かそう動かそうとするよりも、落ち着かせよう、安定させよう、せめてある程度冷静になって局面、現実を見ることができるように促そうと思って対応していかないと、支援の効果は出ないように思われるからです。

ここんところ肝ですね。

不登校の子どもたちが、現実の中で、ストレスを抱え込みやすい特性を持っていることが多いことは、そのようなに思われます。本等にナイーブな感じやすい特性を持っています。そのことはよい点でもあります。

一方で、現実の影響を受けすぎて、受けとめすぎての方がよいかも知れませんが、そのようにして、苦しくなってしまうことが多いように思われます。

なので、対応する時には、本当は理性的に説明して、理解できるようにして、それで動けるようにしたいと思うのですが、一方で、その理性的な働きかけを、相手が受け止められるようになるまでは、心情的な部分を、こちらが受け止め理解することで、相手の安定を図る働きかけを行っていこうとする考え方や具体的な働きかけが必要になると思われます。

これがまた、支援する人にとっては、あるいは保護者にとっても、先の見えない不安な状況の連続になるので、継続的に安定して支援することが難しくなるわけです。
一時的にはできても、時間をかけて継続的に同じようにすることはけっこう難しく、支援する人にとっても精神的な負担になることです

この負担が重いために、継続ができにくく、せっかくよい方に向かいかけたのに、またこわしてしまうことが多いわけだと思われます。

支援者の熱意は半端な熱意では継続はできないでしょうし、きちんとした理論・考え方に裏打ちされた働きかけでないと、迷い等も生じてきて、継続的に支援することは難しくなるでしょう。
冷静な心とホットな意志等は支援者に求められることでしょう。

しかし、今の学校のように、多忙な中で先生が上のような考えや思いで継続的に動いていくのが、本当に難しい状況でもあるようです。

不登校の子どもたちに接する時、いろいろな課題や現実はあるけれど、相手の子どもが今の状況の中でどのような心情になっているのだろうか、できることならそれを聴いてみたい、聴くことができれば、何か一言でも言ってあげられること、共感できることがあるかもしれない、そんなお気持ちで相手に向かって頂くと、相手の子どもも喜ぶと思いますし、相手の心の負担も少しは軽減するかとも思いますし、聴く人にとって知りたい情報も得られるかも知れませんので、そのようにして頂けるのがよいのではないかなと思っています。


何分にも不登校問題は、教育や子どもの成長ついての課題を示すサインのようなことでもあるようにも思われます。
改善は少しずつしかできないのが現実ですが、そのようにできればいいと思います。

不登校をしているご本人がこの記事を見てくださっている場合もあると思いますが、まずは心を落ち着けるように工夫してみてもらって、それで、先のことを考えてみて、できることをして行くことでよいかなと思っています。
中・高校生、大学生等の場合には、特に大きい子の場合には、多様な生き方があるように思われますので、できることにはチャレンジしてみてくださいね。くれぐれも自分を責めすぎたりしませんように。過去にとらわれすぎませんように。









学期末に向けて

2016-06-19 22:47:20 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
学期末に向けて 

今回は、表題のことについて考えてみます。

もう6月も下旬で、もう少しで7月になり、それから夏季休業になります。
早いものですね。

今回は学校の先生方にと思っています。
6月は微妙な月ですが、7月はそれなりに落ち着く月だと思います。

テストは終わりましたし、休みは近くなるので、生徒も気が楽になるでしょう。
これからはとりあえず夏の大会もあるし、気が勉強以外に行くこともあるでしょう。

不登校の子どもたちも、たとえ学校に来ていなくても、心は登校している子供と同じなので、
休みが近づくことは歓迎です。もう少しの辛抱と思っていることでしょう。
本当は、学校のことを気にせずに、休んでくれるといいと思うのですが。
学校のことを考えなければ、一応、リセットになることができるのですが、それが不登校の子は結構真面目なので、学校のことを考えてしまうことが多いのですね。

それほど、学校が心に占める割合が高いのですね。
何とかして学校に来させたいのですが、一度リセットして、新たな気持ちになれるといいのですが、
残念ながら中途半端になってしまうことが多いのですね。それで動きにくくなると思われます。

とは言え、この時期は少しは気持ちが楽になるので、ある意味では何とかなりやすいかもしれないのですね。

先生としても動いて、子どもと関係をつくりたいですね。
いつも同様のことを言っているようですが、関係ができていればどんどん先に行っていいわけですね。
関係が少ない場合は、これからは作りやすいのではないでしょうか。時期としては・・・

7月に先生や学校の友達といい関係ができて、学校のことがそんなにつらいところではなさそうのイメージができるといいのですが・・・

不登校の子どもは、自分の一方的な自己イメージで感じてしまうことが多いので、それをストップしたり、変更したりすることができれば、本当に動きやすくなると思います。

そのイメージをどのように作っていくか、それが大きな課題ですね。
先生に対する親和的なイメージはどうしたらできるでしょうね。親近感を持ってくれるようになるにはどうしたらよいでしょうね。

これらが考える対象であり、動いてみる対象でもあると思っています。
楽に接してくれる先生は、子どもたちにとっては救世主であり、宝です。
子どもからすれば、親からでも、自分の心の寄り添ってくれる先生、自分の心にスーッと近づいて来てくれる先生は神様のような人です。

そんなことを考え、動いてみながら夏休みを迎えるのがいいのではないかと思っています。

学期末を楽に送れて、学校に対する肯定的なイメージを持つことができれば、きっと、2学期初めの動きが違ってくると思いますよ。

そんな風に考えると、あるいは考えて動くと、きっと良い風が吹いてくると思います。
人を支援することは、やはり地道な活動ですね。でも有意な活動ですね。

周りの人は何も言わないかもしれませんが、誰かがきっと動きを見ていると思いますよ。もちろん、自分自身が一番よく見ているのですが、・・・。自己満足でもいいんですよね。

子どもはとても正直ですよ。人の心を読みます。特に不登校の子どもは読心術の天才です。形式を作っただけでは何の反応も示しません。

人間の心ほど微妙で偉大なものはありませんね。

多くの方が見てくださっているのに、記述が少なくなってしまいました。また忙しくなって時間が十分にはなくなってしまいました。なるべくがんばります





不登校の子どもたちに情報を与える

2016-06-07 17:16:01 | 不登校支援 子どもの養育 学校教育
今日は標題のことについて考えてみます。

 不登校の子どもたちはいつの間にか、得る情報がとても少なくなっていると思います。欠席が多くなることで、本来の教室の中にいれば自然に得られる情報が少なくなります。また、友人等との関係も薄くなることが多いので、やはり情報が少なくなります。
 家族関係も、元々情報が少ない場合が多いですし、欠席が多くなることで、親も周りや学校から得られる情報が少なくなりがちです。

 そのような状況で、益々、学校との縁が薄くなってしまうこともあります。この点を何とかしないと、子ども自身が自分の身で何かを感じて、自分で自分なりに感じて考えて動くと言うことが本当にできにくくなってしまいます。また、不登校の子どももスマホは持っていることが多いので、偏った情報は入ってきます。バランスのとれた、発達の時期に必要なことをどのように伝えていくかが課題になっていると思われます。

 学校では、校内の適応教室に登校している子どもたちへの対応を行って頂いていることが多いと思いますが、先生方の多忙もあって、意識的に多くの情報を与えていこうという活動は必ずしも多くないようです。
 と言うか、圧倒的に少ない場合が多いと思われます。

 学校の人員がもっと多くて、不登校の子どもたちにかかわる職員がたくさんいるような状況であると、それらの人が担任や学年の先生と連携しながら、情報を与える活動ができると思うのですが、残念ながらそのような状況にはなっていないように思われます。

 どうしたらよいのであろうかですが、さまざまな条件が恵まれていないのは現実で仕方ないので、工夫をすることが必要なのだと思われます。

 学年の先生の中で、不登校の子どもたちと、ノートの交換等でかかわって頂ける人がいるといいなあと思っています。
 子どもたちは、生活ノートとかを出していることが多いと思いますが、不登校の中学生とかは、それもいつの間にか出すことが少なくなり、担任の先生も出すのを促すことが少なくなり、出しても不登校の子どもたちにはうれしくないことが多く書いてあったりして、出すのがおっくうになってしまうことも多いようです。

 ある意味では、不登校の子どもたちは、他の子どもたちと少し違う特性を持っている面もあるので、担任の先生も何を書いて返してやったらいいのか迷って、それで、不登校の子どもの望まぬことを書いてしまうことが多いように思われます。
 ここは、日本の教員養成の問題、研修制度の不十分さ、個別の生徒への指導力・支援力の不足等、さまざまな問題を内包している部分でしょう。
 本当は、このような部分にもっともっと光が当たるといいのですが、それは継続的に不十分なようです。

 ノートの交換は、子どもたちの本音を書けるものであってほしいし、返信も、節度は維持しながらも、柔軟な内容であってほしいと思います。と言うか、子どもの本音への親近感を持ちながら、理解を示しながらも、それに流されるばかりではなく、生きる道を示唆できると言うようなものであるといいなあと思っています。
 それらのことは、青年期の不登校の子どもたちが本当に欲していることで、また、そのことは、先を考える素晴らしい情報源であると思っています。
 先生の中でそのようなことをやってくれる人が多くいることを望んでいます。

 情報というと、何かもののように思われるかも知れませんが、情報は人によってもたらされます。情報を与えると言うことは言い換えれば、人との接触、ふれあいを多くすると言うことでもあります。
 人とのふれあいを多くする。その点で何でも利用できるもの、利用できる人は誰でも利用させてもらう、不登校対応への協力をお願いすることはやる意味があると思っています。
 この時期は、教育実習の大学生も学校に多く来ている時期でしょうから、それらの学生さんに、話してもらうのもよいと思います。
 趣旨をきちんと話して、自分が大変だった時にどのように考えて動いてきたか、これまでの学生の経験を話してもらうことで、少し年上の青年の話とする、情報源とすることは有効性があるのではないかとも思っています。
 
 不登校経験者の保護者の話もいいかも知れません。親の立場からみた不登校の話は、不登校の子どもたち本人にも多面的に役に立つのではないかと思います。
 そのような観点で、ふれあってくれる人を探して、対話の機会を作ってみることも必要なことと思われます。

 不登校への対策に特効薬はないように思っています。また、一人の人だけががんばるのは、負担が大きすぎて大変なことと思います。
 また、一人の人では情報源が限られて、多様な情報を与えることが難しくなり、そのこと、不登校の子どもたちが考える機会を少なくしてしまうことにもつながると思われます。

 不登校は、対策・対応が本当に難しい課題で、この現象が長く続き人数も多くなると、将来の世の中に与える影響も大きいのではないかと思われます。 
 そんな大きな課題に、対策・対応は、残念ながら十分ではないように感じられます。多くの人に動いてもらう、協力してもらう、校内外で協力することが必要な状況にまで現実が進んできているようにも思われます。
 工夫をしながらの現実的な対応を期待したいところです。過剰な期待ではありませんが、先生の皆さんにも期待したいところです。

 今回は、今できそうなことを考えてみましたし、これからも必要なことを考えてみました。子どもたちの個々の成長を促すシステムが校内外にできるといいなあと思っている次第です。