不登校の子どもの気持ちという標題にしました。
今日はいろいろな関係で少しですがUPしたいと思います。
標題を上のようにしたのは理由があります。
多くの方々が、不登校に対処する時に、少し適切でない、もっと言えば誤った対応をしていることが多いと感じられる場面があるからです。
特に学校の先生の場合には、学校の教育が理性に基づいて行われることが多いという観点から、理性的な働きかけが必要以上に多いように感じられます。
このことは本当に、一般的にはそのとおりなのでしょうが、不登校等の子どもたちへの対応の場合には必ずしも適切ではないかも知れないと思うことがあるからです。
情緒的な問題で悩んだり不安になったりしている相手への対応の場合には、対応する人も、当面は情緒的に対応することがよろしいように思われるからです。
と言うか、情緒的に近づいて行かないと、相手の情緒的な反発を受けて、それ以上の支援の関係に進まないのが現実でしょう。
相手の心情に近づくことができない限り、相手も心情を表現することはないでしょうし、心情的な部分が解決しない限り、理性的な思考や行動は現実化しないでしょう。
このことは指摘しても指摘しすぎることはないと思っています。それ程大きなポイントだと思っています。
でも、このポイントの重要性を感じられる指導者が少なすぎると思います。
少なくとも、情緒的な問題が解決しなくても、せめて安定していないと、動きが出ないと思われます。
動かそう動かそうとするよりも、落ち着かせよう、安定させよう、せめてある程度冷静になって局面、現実を見ることができるように促そうと思って対応していかないと、支援の効果は出ないように思われるからです。
ここんところ肝ですね。
不登校の子どもたちが、現実の中で、ストレスを抱え込みやすい特性を持っていることが多いことは、そのようなに思われます。本等にナイーブな感じやすい特性を持っています。そのことはよい点でもあります。
一方で、現実の影響を受けすぎて、受けとめすぎての方がよいかも知れませんが、そのようにして、苦しくなってしまうことが多いように思われます。
なので、対応する時には、本当は理性的に説明して、理解できるようにして、それで動けるようにしたいと思うのですが、一方で、その理性的な働きかけを、相手が受け止められるようになるまでは、心情的な部分を、こちらが受け止め理解することで、相手の安定を図る働きかけを行っていこうとする考え方や具体的な働きかけが必要になると思われます。
これがまた、支援する人にとっては、あるいは保護者にとっても、先の見えない不安な状況の連続になるので、継続的に安定して支援することが難しくなるわけです。
一時的にはできても、時間をかけて継続的に同じようにすることはけっこう難しく、支援する人にとっても精神的な負担になることです
この負担が重いために、継続ができにくく、せっかくよい方に向かいかけたのに、またこわしてしまうことが多いわけだと思われます。
支援者の熱意は半端な熱意では継続はできないでしょうし、きちんとした理論・考え方に裏打ちされた働きかけでないと、迷い等も生じてきて、継続的に支援することは難しくなるでしょう。
冷静な心とホットな意志等は支援者に求められることでしょう。
しかし、今の学校のように、多忙な中で先生が上のような考えや思いで継続的に動いていくのが、本当に難しい状況でもあるようです。
不登校の子どもたちに接する時、いろいろな課題や現実はあるけれど、相手の子どもが今の状況の中でどのような心情になっているのだろうか、できることならそれを聴いてみたい、聴くことができれば、何か一言でも言ってあげられること、共感できることがあるかもしれない、そんなお気持ちで相手に向かって頂くと、相手の子どもも喜ぶと思いますし、相手の心の負担も少しは軽減するかとも思いますし、聴く人にとって知りたい情報も得られるかも知れませんので、そのようにして頂けるのがよいのではないかなと思っています。
何分にも不登校問題は、教育や子どもの成長ついての課題を示すサインのようなことでもあるようにも思われます。
改善は少しずつしかできないのが現実ですが、そのようにできればいいと思います。
不登校をしているご本人がこの記事を見てくださっている場合もあると思いますが、まずは心を落ち着けるように工夫してみてもらって、それで、先のことを考えてみて、できることをして行くことでよいかなと思っています。
中・高校生、大学生等の場合には、特に大きい子の場合には、多様な生き方があるように思われますので、できることにはチャレンジしてみてくださいね。くれぐれも自分を責めすぎたりしませんように。過去にとらわれすぎませんように。
今日はいろいろな関係で少しですがUPしたいと思います。
標題を上のようにしたのは理由があります。
多くの方々が、不登校に対処する時に、少し適切でない、もっと言えば誤った対応をしていることが多いと感じられる場面があるからです。
特に学校の先生の場合には、学校の教育が理性に基づいて行われることが多いという観点から、理性的な働きかけが必要以上に多いように感じられます。
このことは本当に、一般的にはそのとおりなのでしょうが、不登校等の子どもたちへの対応の場合には必ずしも適切ではないかも知れないと思うことがあるからです。
情緒的な問題で悩んだり不安になったりしている相手への対応の場合には、対応する人も、当面は情緒的に対応することがよろしいように思われるからです。
と言うか、情緒的に近づいて行かないと、相手の情緒的な反発を受けて、それ以上の支援の関係に進まないのが現実でしょう。
相手の心情に近づくことができない限り、相手も心情を表現することはないでしょうし、心情的な部分が解決しない限り、理性的な思考や行動は現実化しないでしょう。
このことは指摘しても指摘しすぎることはないと思っています。それ程大きなポイントだと思っています。
でも、このポイントの重要性を感じられる指導者が少なすぎると思います。
少なくとも、情緒的な問題が解決しなくても、せめて安定していないと、動きが出ないと思われます。
動かそう動かそうとするよりも、落ち着かせよう、安定させよう、せめてある程度冷静になって局面、現実を見ることができるように促そうと思って対応していかないと、支援の効果は出ないように思われるからです。
ここんところ肝ですね。
不登校の子どもたちが、現実の中で、ストレスを抱え込みやすい特性を持っていることが多いことは、そのようなに思われます。本等にナイーブな感じやすい特性を持っています。そのことはよい点でもあります。
一方で、現実の影響を受けすぎて、受けとめすぎての方がよいかも知れませんが、そのようにして、苦しくなってしまうことが多いように思われます。
なので、対応する時には、本当は理性的に説明して、理解できるようにして、それで動けるようにしたいと思うのですが、一方で、その理性的な働きかけを、相手が受け止められるようになるまでは、心情的な部分を、こちらが受け止め理解することで、相手の安定を図る働きかけを行っていこうとする考え方や具体的な働きかけが必要になると思われます。
これがまた、支援する人にとっては、あるいは保護者にとっても、先の見えない不安な状況の連続になるので、継続的に安定して支援することが難しくなるわけです。
一時的にはできても、時間をかけて継続的に同じようにすることはけっこう難しく、支援する人にとっても精神的な負担になることです
この負担が重いために、継続ができにくく、せっかくよい方に向かいかけたのに、またこわしてしまうことが多いわけだと思われます。
支援者の熱意は半端な熱意では継続はできないでしょうし、きちんとした理論・考え方に裏打ちされた働きかけでないと、迷い等も生じてきて、継続的に支援することは難しくなるでしょう。
冷静な心とホットな意志等は支援者に求められることでしょう。
しかし、今の学校のように、多忙な中で先生が上のような考えや思いで継続的に動いていくのが、本当に難しい状況でもあるようです。
不登校の子どもたちに接する時、いろいろな課題や現実はあるけれど、相手の子どもが今の状況の中でどのような心情になっているのだろうか、できることならそれを聴いてみたい、聴くことができれば、何か一言でも言ってあげられること、共感できることがあるかもしれない、そんなお気持ちで相手に向かって頂くと、相手の子どもも喜ぶと思いますし、相手の心の負担も少しは軽減するかとも思いますし、聴く人にとって知りたい情報も得られるかも知れませんので、そのようにして頂けるのがよいのではないかなと思っています。
何分にも不登校問題は、教育や子どもの成長ついての課題を示すサインのようなことでもあるようにも思われます。
改善は少しずつしかできないのが現実ですが、そのようにできればいいと思います。
不登校をしているご本人がこの記事を見てくださっている場合もあると思いますが、まずは心を落ち着けるように工夫してみてもらって、それで、先のことを考えてみて、できることをして行くことでよいかなと思っています。
中・高校生、大学生等の場合には、特に大きい子の場合には、多様な生き方があるように思われますので、できることにはチャレンジしてみてくださいね。くれぐれも自分を責めすぎたりしませんように。過去にとらわれすぎませんように。