民俗学的に見て、八幡浜市内で最も興味深い祭りは川名津の柱松神事である。この祭りは松を立てる行事だけではなく、神楽や牛鬼、五つ鹿踊り等、様々な民俗行事が混在しているからである。
この祭りは毎年、天満神社の例祭として四月第三土曜日から日曜日にかけて行われる。祭日は、大正二年までは三月二十五、二十六日、昭和四十年代までは三月二十八、二十九日に行われていたが、八幡浜市内の春祭りの日程に統一したため、四月十八、十九日に行われるようになった。しかし、祭りが平日開催では参加者が少なくなるということで、平成七年からは現在の日程で開催されている。
この行事の起源は、寛政六(一七九四)年、川名津にあいついで大火がおこり、火難を恐れた住民が地区全体の厄火祓いのために始めたといわれており、行事には厄年の者が積極的に関与し、個人の厄年の厄も祓うとされている。
さて、川名津柱松といえば、天満神社前に十二間(約二十二メートル)の柱を立てて、その柱に松明を背負った男性(ダイバン役つまり鬼役)が登って、鎮火を祈願する行事が有名であり、新聞記事等ではその場面のみが取り上げられることが多いのであるが、二日間にわたる柱松の行事内容は実に多岐にわたっているので、ここで簡略に紹介しておきたい。
まず、土曜日の早朝に天満神社で神事が行われた後、松を切り出すため、山に神主、四十二歳の厄年の男達、青年団が山に入り、柱松に用いる松切り神事が行われる。この松切りは女性は一切参加できないことになっている。なお、松の虫害のため、昭和五十七年からは松にかわって杉を用いている。その後、切った松を山から地区まで運び出す松出しが行われる。切った大木に綱をつけて厄年の男や青年連中が「ボーホンイエーイ」などの掛け声とともに曳いて山を降りるのである。松や、松を引く綱に関しても女性がまたぐことは禁忌とされ、幼い女の子にまで徹底されている。
昼前になり、ようやく松が地区に到着すると、川上小学校脇の柱松川原という場所に松は安置され、祭り関係者は公民館で昼食をとる。この時の食事は、四十二歳の女性達が男が松を曳いて山から降ろしている時に準備したものである。ここで酒類も入り、祭りの緊張感は高まってくる。(次回につづく)
2000年04月13日 南海日日新聞掲載