愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

藤堂高虎、良勝と宇和島藩

2023年06月11日 | 地域史
宇和島藩伊達のお殿様が入ってくる前(の前)。南予を治めていたのが藤堂高虎。南予各地の寺社の整備や今の宇和島城や城下町の基礎を築いた高虎。

藤堂高虎の治世下で、今の西予市宇和町多田の武将だった宇都宮石見守宣綱の遺児が、高虎の家臣の藤堂新七郎良勝と結婚する。

高虎の今治、伊勢、伊賀への転封により、良勝と宇都宮宣綱の娘も今治その後に伊賀(三重県)へ。

それでも、宇和島の殿様が富田信高から伊達秀宗に変わるつなぎの期間、夫の藤堂良勝は宇和島城代に任じられ、宣綱の娘も伊賀から南予に帰省していた時期があった(あくまで推測)。

直後、夫の良勝は大坂の陣に出陣して戦死。そして宇都宮宣綱の娘はその後も伊賀にて1660年代まで長く暮らして、子ども、孫にも恵まれ、今も立派なお墓が残っています。

いまの西予市宇和町多田の出身者の人生。そして今回、それを辿るバスツアーが週明けに開催されます。多田地区から三重県伊賀市へ。現地での交流会や、宣綱の娘の墓参りなど。

私は都合つかず不参加ですが、地域の歴史をベースとした南予と伊賀市の新たな交流が始まりそうです。

今回の交流ツアーの事前学習として、西予市多田地域づくり活動センターで講演してきました。

多田地区だけではなく、西予市、宇和島市はじめ南予全体+高虎が治めた今治含めて、三重県との交流が深まることを期待しています。

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