愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

川名津柱松神事と神楽

2018年11月06日 | 祭りと芸能
八幡浜市川名津の柱松神事は四国では類例のない柱松行事である。この祭りは毎年、天満神社の例祭として四月第三土曜日から日曜日にかけて行われる。起源は寛政六年(一七九四)、川名津に大火がおこり、火難を恐れた住民が地区全体の厄火祓いのために始めたといわれており、行事には厄年の者が積極的に関与し、個人の厄年の厄も祓うとされている。
 川名津柱松神事では天満神社前に長さ一二間の柱を立てて、その柱に松明を背負った男性(ダイバン役つまり鬼役)が登って、鎮火を祈願する行事が有名であるが、二日間にわたる柱松の行事内容は実に多岐にわたっているので、ここで簡略に紹介しておきたい。
 まず、土曜日の早朝に神社で神事が行われた後、松を切り出すため、神主、四二歳の厄年の男達、青年団が山に入り、柱松に用いる松切り神事がある。その後、切った松を山から地区まで運び出す松出しが行われる。切った大木に綱をつけて厄年の男や青年連中が「ボーホンイエーイ」などの掛け声とともに曳いて山を降りる。昼前になり、松が地区に到着すると、川上小学校脇の柱松川原という場所に松は安置され、祭り関係者は公民館で昼食をとる。午後一時頃になると、柱松川原において川落としが行われる。これは厄年、青年連中、地区の役員らが松を引いてきた綱を用いてお互いを川に落としあうというものである。余興的要素が強く、地区中から観客も集まり、初日の昼間では最も賑やかな行事である。この川落としが終わり、海岸へ松を曳いていく。海に松を降ろして、松を海に浸ける。これは潮垢離やみそぎの意味があるのであろう。そして、松は陸上げされ、天満神社境内前に運ばれる。
 神社前に松が到着すると、松に稲藁を巻いて装飾する。松の頂上にはショウジョウサマと呼ばれる藁人形が取り付けられる。松の装飾が終わり、夕方五時頃になると、松おこしが行われる。四方から綱を引きながら二〇メートル以上ある松を立てる。そして、立てられた松の脇には神楽が舞われる「ハナヤ」という建物が建てられる。そこには三基の神輿と祭壇、中央に二畳程度の板が敷かれ、四本の柱には御幣が付けられる。天井にはキンカイ(天蓋のこと)を下げる。さらに脇には「サンポウコウジン」という笹竹が設けられる。これは一種のオハケ(神の依り代)である。
 夕方七時からは、ハナヤで地元の神楽団により、川名津神楽が奉納される。囃子は大太鼓・小太鼓・笛・手拍子である。同時に、ハナヤの前では鹿踊や唐獅子も奉納される。神楽は夜中の一二時頃まで行われるが、その神楽の最後の演目に鎮火の舞があり、松明に火を燃やし、その後、クライマックスである御柱松登りが行われるのである。この行事をもって、初日は終了する。
 神楽の演目は次のとおりである(×は現在実施していない演目)。
清祓(きよめばらい)、事始(ことはじめ)、神酒(みき)の舞、手草(たぐさ)舞、神請(かみしょうじ)、巴那(はな)の舞、魔祓(まばらい)、路志(ろじ)、神衹(じんぎ)、山の内(やまのうち)、将軍(しょうぐん)舞、鎮火(ちんか)の舞、×長刀(ちょうとう)の舞、岩戸開(いわとびらき)、古今(こきん)舞、飛出(とびで)舞、神躰(しんたい)の舞、幣帛(へいはく)、鈴神楽(すずかぐら)、大魔(だいま)、二人鈴(ににんすず)の舞、羅刹(らせつ)、八雲(やくも)舞、古老(ころう)の舞、四天(してん)の舞、大蛇退治(おろちたいじ)、大母天の舞、×東方青龍王の舞、×中央黄龍王の舞、×姫龍王の舞、御柱松登り(おはしらまつのぼり)、成就(じょうじゅ)の舞
 翌日の日曜日は、朝から神輿が出され、牛鬼、鹿踊、唐獅子とともに地区内の家々をまわり、午後五時頃、祭りの最後として柱の立った神社前で踊りが奉納される。そして、青年連中の担いだ牛鬼と、厄年の男の担いだ榊台という神輿の先導役が鉢合わせをし、その間に神輿が宮入りする。そして、松が倒されて二日間の祭りが終了する。
 さて、川名津柱松神事の類似行事について紹介しておきたい。同様の行事は、山口県に数箇所見られる。川名津と同じく松登りの神事を行っているのは、山口県岩国市行波、柳井市伊陸、熊毛郡田布施町大波野、同平生町曽根であり、いずれも神舞と呼ばれる神楽と一体の行事となっている。川名津も神楽と柱松が一体であり、これらは、荒神神楽に九州北部の松会の祭礼が合体したものと考えられている。川名津柱松神事と山口県の神舞の歴史的な交流は解明されていないが、山口県のものと同系統であることには違いはない。
 例えば、伊陸の神舞は別名八席神楽ともいい、南山神社の二五年目ごとに奉納される神事芸能である。登る松の高さは平年で一二間、閏年で一三間であり、これは川名津柱松と全く共通する。山に入って適当な松を選定し、そこで神事を行って伐採する。その松は神舞を舞う神殿から三〇メートル離れた場所に立てる。立てた松を関松と呼ぶ。神楽の奉納の最後に、短刀を持った九人の若者や鬼役が関松まで舞いながら行き、神主のお祓いの後に松登りがある。白鉢巻きをして松を登って行き、関松の先端に日、月、星のあんどんを三つ立て、その中のローソクに火をつけてから紙吹雪を撒き散らし、それが流れた方向の綱から逆さまに降りてくるが、途中、片手でぶら下がったり、曲芸的な見世物で観衆をはらはらさせる。この点も同じである。川名津のように松明を背負って登るわけではないが、柱上で火を灯すことは共通している。川名津柱松神事の歴史性を調べるには、山口県と九州の松会などとの比較が今後必要となるだろう。
 また、川名津柱松神事で立てられた松の土台に、関(せき)と呼ばれる高さ二メートル程の壇が設けられる。行波でも同様に「関」と呼び、伊陸の神舞でも松のことを関松と呼んでいるが、関とは一般に国境や要所にある検問所つまり関所のことであり、境界を示す言葉である。柱松行事では厄火祓いをするが、祓われた厄をダイバン(鬼)が松に登って昇華させる。関という壇は、神楽殿と松との中間にあり、模擬的にこの世とあの世または地上と天を分ける境界を示すために設置されていると考えることができる。この世の厄を、関を通過させ、ダイバンが松に登ることであの世(天)へ祓え捨てるとも解釈できる。伊陸の関松も同じ意味であろう。
また、川名津神楽の詞章を見ると、「大魔の舞」(ダイマもしくはダイバン)の歌詞に「鬼、当初にては岬(筆者註:ミサキ)となり、河にては大蛇(オロチ)、山にては荒神となって 此の鬼が災いをなす」とあり、大魔(鬼)は当初「ミサキ」つまり九州豊前神楽に見られる駈仙(ミサキ)に共通し、また河では「大蛇」になるとあるが、これは宇和島市の伊予神楽で鬼を「大蛇」と表現することにも共通する。また山では「荒神」となって災いをなすとあり、中国地方の神楽にも共通する可能性もある。また、この「大魔の舞」の歌詞に大魔の正体が「大六天の魔王(だいろくてんのまおう)」とあるが、これは「沙石集」や「中臣祓訓解」で天地開闢の中世神話に登場する「第六天魔王」に由来するものと思われる。このように川名津柱松、神楽の諸要素を見てみると、中世以来の神楽の流れや、中国地方、九州北部との関連性、共通性を無視することができない。この行事、芸能の伝播の背景やそれを担った者がどのような存在なのかは今後の研究課題となるが、近世文化史の視点で解明していく必要があると思われる。

*平成30年10月20日の愛媛大学での日本近世文学会シンポジウムで口頭報告した内容の一部である。

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津波防災の日

2018年11月06日 | 災害の歴史・伝承
11月5日「津波防災の日」。なかなか浸透しない愛媛県。

(写真は南海トラフを震源とする巨大地震での松前町での津波ハザードマップ)

その中でも松前町では津波防災訓練を実施。明日7日。エミフルでも。11月7日9時15分~12時 会場 松前公園、エミフルMASAKI

11月5日の「津波防災の日」に合わせ、全国の約10市町村が内閣府と共催で地震・津波防災訓練を実施。(四国では松前町と四万十市)

松前町は昭和21年の昭和南海地震で伊予市とともに犠牲者、家屋倒壊、道路亀裂など県内でも大きな被害の出た地域。南海トラフでは地盤の沈降も想定され、津波被害も現実の問題。平成3年台風19号での高潮被害を見ても、津波防災は喫緊の課題。「瀬戸内海だから津波は来ない」という誤解は払拭されるべきと思ってます。

http://www.town.masaki.ehime.jp/site/bousai/jishintunami.html

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豪雨災害と愛媛の祭り

2018年11月04日 | 災害の歴史・伝承
祭りは地域の今を表象する。

この秋、豪雨での被災後の大洲市菅田町、宇和島市吉田町、西予市宇和町などの状況を見て回りましたが、復興祈願の祭りとして行ったところ、祭りは縮小せざるを得なかったところなどなど。祭りがやれたから復興、復旧だ、とはとてもいえない現実を目の当たりにする。

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