酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

祖父・海軍そして大和 大和を生みし者達 六

2009-08-13 08:57:32 | 大和を語る
「久しぶりですね。お待ちしておりました」
独逸に滞在しております技術士官、造船監督官の杉山秀です。
「杉山さん、全く・・・艦政でお会いして以来ですね」
と西島。
「到着して早々、忙しくさせて申し訳ないが時間も限られている。早速造船所巡りを始めようではないか」
「もちろん、そうさせて頂きます」

最初はハンブルグ。そしてキールへと向います。
キールでは駆逐艦建造の様子を視察しております。
「この鋼材は?」
「これは、今独逸艦船で多く使われている高張力鋼で『ST52』と言うんだよ」
「わが国ではD鋼ですね。(DS鋼⇒デュコール・スティール)」
「そこが、面白いところでね。D鋼の方が引っ張り応力が62kg/1mm2に対して、ST52 は52/1mm2なんだ。D鋼の方が強度は高い。だがな、独逸では溶接のし易さからST52をさかんに使っているんだ」
「溶接性を高めている・・・」
「そうだなぁ。それとST52 の特徴として溶接した後に強度変化が極端に見られないことも挙げられる」
日本で使われているD鋼は、溶接による高温で材料の変化が激しく強度が低くなる欠陥があったのでした。こういった背景があってD鋼の溶接は禁止されているのでした。

再び牧野茂艦船ノートから。
「平賀博士の強力がアドバイスにより、熔接使用大幅な後退が決定され、以後は現場熔接の使用を禁じ、主要強度材やDS材には熔接を一切用いないこととなった」

「横須賀の福田烈さんは、熔接可能で高張力を維持できるDS鋼の開発をしているのですが」西田は横須賀工廠での福田の姿を思い出しておりました。
「ですが、この開発にはかなりの時間がかかりますね」
「何時かはわかりませんが・・・」西田はA140には到底間に合わないと感じているのでした。
「もう少しST52鋼を調べてみたいのですが」

ベルリンオリンピックが終わった9月8日。ナチス党大会が開かれました。この大会でヒットラーは再軍備四ヵ年計画を発表しております。この時を境に軍事産業が盛んになり、西島の調査へも影響しました。
「杉山さん。造船所への見学は最早無理でしょうね」
「いや、造船所以外でも独逸ではあちこちで熔接が使われている。そこを見て見たらどうだろう。当然応用は利くのだから」
なるほど、そうでした。
独逸では、インフラの整備も急速に進んでおりました。道路建設です。その道路に使われる橋梁工事も盛んに行われておりました。
「艦艇の建造見学は許可にならなかったので、専ら橋梁の工事で熔接の現場を見学した。」(西島手記)
「やはり橋梁でもST52を使っているんですね」
「独逸ではやはり熔接性を重視して使っているのだと思いますが・・」
「どうでしょう、DS鋼を熔接に適するようにするより、このST52の強度を高める方向性で研究を重ねてみたらどうでしょう」
「そうか、早速手配しよう」
西島はST52とその熔接棒を横須賀の福田の元に送るのでした。

「福田主任。電報です。独逸の西島さんからです」
「西島から?どんな内容だ」
「独逸よりST52サンプル日本に送付」ですが。
「ST52か?・・・研究を始めよう」福田は即決しました。
官民一体の研究開発が進みます。横須賀・呉の海軍工廠。九州八幡製鉄製鉄技術者達。ですが、福田は遅れて届いた西島の手紙を思い返しておりました。
「熔接棒・・か。独逸の日本のよりも遥かにすぐれていると西島君は話しておったが・・」
独逸では各メーカーが自社製品を売り込むのにカタログを使っていたのでした。
「俺のところじゃブローホール(ガスの気泡が入ったまま固まる現象)なんてぇできねぇべさ!」
「何言ってんのっしゃ!おらほさぁアンダーカット(溶融した金属が冷えるときに引っ張られてできる溝の事)なんてできねえんだど」
「おらいはクレーター(あばたのようなへこみ)が出来にくいのっしゃ」
(久しぶりに宮城語だぁぁ)
と言うように、熔接のこれらの原因は溶接棒の質によるものだと考えられていたのでした。
日本では、これらの現象は熔接工の技量と考えられ、溶接棒にはその原因はないとされておったのです。ですから、溶接棒には一定の基準がなく、例えば呉の溶接棒とか横須賀の溶接棒とかが存在しているのでした。
「熔接棒を独逸と同じ技術で作られたなら、熔接技術は格段に飛躍する。そして比較を平賀さんに提出でき、熔接の制限も大幅に軽減されればその用途は一挙に拡大し、軽量化も実現できる。しも材料を初めあらゆるコストを削減できる。そして・・あの方法・・・が・・・現実味を帯びて実行できる」
西島が密かに考案している工法「早期偽装」がこれにより具体化できるのでした。
西島は確かに、手応えを感じて独逸にいるのでした。
ですが・・・。
再び、独逸橋梁工事現場。
「あの大きな写真機のようなものは・・・」
「移動式のX線カメラで」
「X線!移動式のですか?」
「そうなんだ、独逸では熔接の検査では以前から使われている移動式X線写真機なんだ。これにより大きなブローホールを早く発見できるようになったんだ」
「日本には・・まだ移動式はなかった・・・」
固定式はあったものの、移動式は日本国内にはなく、この西島の助言により、この年(昭和11年1936年)の秋、ドイツザルトヘルツ社へ発注するのでした。
「もし、日本の熔接棒で熔接したものをX線撮影したとしたら・・」
西島はそう思ったとたん、頭を何度も振ったのでした。

ある日の朝、西島は新聞の見出しにある大きな事故が掲載されているのに気づくのでした。
「橋が落下!これはST52を使った鉄橋のはずだが・・」
日本では、こういった事故が発生した場合。まず工事関係者がいかに工事したかに焦点があつまり、例えば、設計や材料。はたして金属の疲労度なんどの視点には欠ける部分が往々にしてある。いや、そういったことが原因として挙げられることが無いのが実情であった。
だが独逸ではどうか、橋の設計の視点。組み立て過程の強度の問題。部品や材料の強度試験のデータなどが一般紙にも掲載されている。
「この文化の違い、人々が科学と言うものにこれほど関心が集まる国なのか」
橋落下の原因は疲労強度不足による。こう発表されたのでした。
西島は改めて独逸の文化を知るのでした。
ですが、さらに驚きの事実が。
「疲労強度の試験がこいつでわかるんだべ!」
ローゼンハウゼン社の広告です。
「小さな民間企業が!この機械があれば、そして使うことが出来たとしたら『第四艦隊事件』は未然に防げたのかも知れない・・それよりも、やはり強度試験、疲労試験、衝撃試験、硬度試験。この国は何度も試験を繰り返す。日本では、こうした認識が極めて低い・・」
そして、西島は「疲労強度試験機」を発注。日本へ送っております。
同時に「バルブプレート」も。
これは、熔接を下向きで行う際、熔接部分を回転させて使うもので、この道具により、潜水艦の甲板熔接に大いに役立つこととなります。潜水艦への応用は「西島の考案」したものです。

数々の事を学び、経験し、一年あまりの独逸留学が終わりを告げようとしております。
「杉山さん、いろいろお世話になりました。杉山さんは今後も独逸で?」
「そうだね、まだ帰国命令が出ていないし・・でも造船所に入れなかったら仕事にならないところもあるのだが・・西島君は横須賀へ?」
「いや、呉へ参ります」
「呉の工廠か・・・」
杉山はA140計画は知らない。だが、西島の「呉」という言葉を見逃さなかったように眼光が光った。というように西島は感じました。
それにしても・・・だ。
「名も無い、地方の工場が新しい工法、技術を開発し世界に冠たるドイツ海軍を動かしている・・・技術に関する頑固さは・・・深く敬意を払うべきなんだ」
西島がドイツの文化に思いを馳せている間、ふとこうも思うのでした。
「独逸はわが国の遥か先を行く科学技術を持っている。その独逸でも作ることが可能かどうか判らない未知なる戦艦を作ろうとしている自分がいる・・」
西島は事の大きさを感じ身震いするのでした。

昭和12年5月。西島帰国。

コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 祖父・海軍そして大和 大和... | トップ | 祖父・海軍そして大和 大和... »
最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ブレーメンハーフェンにロストック (クロンシュタット)
2009-08-14 22:37:42
いわゆる「技術大国」が、国策的技術の致命的失敗を引き起こした時を記憶しています。

アメリカではスペーシャトルの2度の爆発事故でした。
ドイツでは1998年に起きたICE(ドイツの新幹線)の脱線事故でした。

失礼な話ですが、ソ連や中国が同様な規模の事故を起しても、「やっぱり」感覚がありますよね。
某半東北部のミサイルも、どこかで「当たりっこないや」の思いがあります。

でもアメリカとドイツと、そして日本だけは「技術力」で「のしてきた」国家なわけです。
致命的な技術上の失敗が、なにかしらその国家の凋落の始まりを示しているようで、寂しさを感じました。

で、日本における致命的な失敗って?

為になりますね~ (ひー)
2009-08-15 10:25:55
医学の先進国のドイツがあったのは、それだけの研究熱心な科学者や医学者が居たからなのでしょう。
溶接で思い出したのが、いとこに同級生が居りまして、東北造船で船の溶接をしていました。若い時リストラになりましたがね。
それと、昨夜の未来創造(TVの番組)でフルートの作成で総銀の溶接についてやってました。その繊細な匠の技は、世界中の演奏家の6割が日本の個人企業製作のフルートを使っているそうです。
これに似たストーリーを大和造船に感じます。

さて、致命的な失敗とは・・・・?
Ⅹ線溶接検査機が! (ぐずら)
2009-08-18 00:16:19
もうこの時代のドイツに存在したんですねぇ~!!
オイラの会社でもときどき配管の溶接検査でⅩ線を使ってますが、てっきり戦後の技術だとばっかり思ってました。
ところで、オイラの会社の近所に電磁波の定点観測地点があるらしくて、
このⅩ線検査をやると途端に調査機関から問い合わせがきます。
んだげんと電磁波の定点観測って、なしてしねげねんだべねぇ~?
X線と溶接と・・・ (丹治)
2009-08-20 11:24:32
校務やら研究会の予習やらで、コメントが遅れました。
ちょこちょこお邪魔はしとったんですけどね・・・
申し訳ありません。

第二次世界大戦以前に、ドイツはすでに移動式X線撮影機を実用化していたのですね。
僕ら普通に「レントゲン」て言ってるけど、
あれ・・・X線を発見した物理学者の名前なんだよね。
Röntgen、文字化けした場合のために書き直せばRoentgen。正しくはoの上に横並びの点が二つつきます。
第一回ノーベル物理学賞の受賞者です(一度でいいから、ああいうヒゲを蓄えてみたいです)。

あのX線、何だかよく分らないのでとりあえず「X」線って名前にしておいたんだそうです。
物理学者ですら「よく分らない」んだから、そうでない人たちにはなおのこと、よく分んなかったんでしょうね。
「何でも見通せる」という話が誤解を呼んで・・・
「X線を塗ったオペラグラスの使用を禁止する」
なんてことを真面目に提案した人たちがいたらしいですよ。
話が横道にそれました。

移動式X線撮影機を溶接の際にできる空洞の発見に利用する・・・
この発想には驚きました。

それから第二次大戦当時、ドイツではすでに潜水艦をブロック工法の逃れ作業で建造しておったそうですね。
日本では丙型(丁型だったか?)の海防艦と松型(改松型も含めて)の駆逐艦の建造で採用された工法です。
ドイツでの導入時期が正確にいつかは分らないので(勉強不足です)、「どちらが先」とは一概に言えません。
しかし工数の削減と工事期間の短縮による量産体制を、ドイツはかなり早い時期に確立していたということは言えると思います。
クロンシュタット様へ (酔漢です )
2009-08-21 16:23:47
致命的な欠陥?
大和が就航したときにお話いたします。
牧野茂がこれは、設計段階では全くノーマークだった大和の欠陥を戦後明らかにしております。
ですが、クロンシュタット様の言う欠陥?が気になるところです。
お知らせ下さい。
ひー様へ (酔漢です )
2009-08-21 16:27:48
8日連続出勤でした。コメントもさることながら、自身で更新もままならず、ようやく本日コメントすることができました。
熔接の弱点が尽く大和では解決させている西島は凄いと思いました。
これからの展開で語ろうと思います。
大和建造は思いの他テーマが深く、勉強不足も多々あって時間がかかっております。
器完成まではしっかり語ろうかと思っております。
ぐずら様へ (酔漢です )
2009-08-21 16:30:36
電磁波の定点観測・・・
何の為にあるのでしょうか。そういった施設があることさえ知りませんでした。

考えた事・・・宇宙人来襲・・・でした。

また、いつもの癖がぁぁぁ

コメントを投稿

大和を語る」カテゴリの最新記事