酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

招かれざる客って誰 それはアリババから始まった

2011-10-14 10:14:24 | 大学演劇部の頃の話
写真はご覧の通り、東北福祉大学演劇同好会第三回公演の物です。
演出の部分が白抜きになってますが、ここには「ある友人君」の名前が入ります。
この「ある友人君」(「くだまき 東日本大震災 ある友人の手記」を書いた人物 です)
塩竈二小の後輩でもあります。が、小学校の劇とこの公演が繋がるのでした。

「大学演劇部の頃の話」ですが、今回は酔漢の舞台遍歴を少しばかりお話し致します。
昭和47年秋。塩竈市立第二小学校。酔漢4年生。

「酔漢ねぇ放課後残ってくれる?」
「先生、何っしゃ?おれまた何かしたすか?」
「そうじゃなくてぇねぇ・・・少し話があって、掃除終わってから」
「宮崎ばっぱ」は小学校4年生時の担任。
酔漢、この先生の明るさが好きでした。前年に塩竈三小から転勤。
三小でも4年生の先生でして、その時は「丹治さん」の学級担任でもあった訳です。
これが縁で、丹治さんと知り合った。これは何度もお話いたしました。
職員室に入ります。
「酔漢ねぇ。こっち」
「先生、何だべ?話って・・」
「実はね、あんたに劇やってもらいたいんだけど・・」
「劇すか?劇って・・・あの・・劇だすぺ・・」
「そう、あんた漢字書ける?」
「まだ、書けねぇっちゃ・・んでも、芝居って言うんだすぺ。先生」
「あんたは、言葉知ってんねぇ・・そこがいいとこなんだけどさぁ。だからね、今度の学習発表会で劇をやることになって、あんたに『アリババ』やってもらうよ!」
「先生!勝手に決めねぇでけさいん。何して俺さぁ・・『アリババ』何すか?」
「アリババって知ってる?」
「盗賊が出てくる話だすぺ・・『NHKのおとぎの部屋』で人形劇見たっちゃ」
「なら話が早いなぁ。それでね、各クラス代表で役決めてやるんだけど・・カシムはね6組の『まこと』にやってもらうんだ」
「もう決めてんのすか?・・あの先生『アリババ』役は・・・」
「はぁ?あんた話聞いてた?『酔漢』あんただよ」
「おらいすか?やんだっちゃ!」
「あら、あんたが一番度胸ありそうだし。絶対はまるヨ!」

半分、強引に話が決められておりまして、ここから先は、放課後、毎日練習の日々。
脚本との格闘は人生で初めてでございました。
酔漢の母親って、こういうのに俄然燃えるタイプでしたので、特に、衣装を誂えてくれました。
妹がバレエをしてた関係で、その伝手から衣装を調達。
「何これ魚の鱗みてぇに光ってるボタンが一杯だべ」
「これねぇ、スパンコール。アリババってお金持ちになっちゃ。その時に着る衣装にしようって」
恥ずかしいすべ。
とは、酔漢だけでしょうか。
今にして思えば、この位の方がちょうどいいのですが。

「あっ!あれは馬の蹄の音だ!それも凄い数だぞ」

小学生には膨大な台詞の量だったのですが、覚えているのはこの部分だけ。
最初の台詞のみ。

盗賊やら、通行人やら、カシム(アリババの兄)モルジアナ他多数。
途中、台詞を忘れかけた瞬間もありましたが、モルジアナ役の女の子の機転で回避!
「助かったっちゃ」とは今でも思うのですが、彼女の名前を失念。
こうして、昭和48年秋、塩竈二小の学習発表会は無事に済みました。
「酔漢、がんばったねぇ。歴代のアリババと違ったあんたらしいアリババだったよ!」
「先生、歴代って?」
「そうなのよ。一小でも三小でもアリババやってねぇ。あんたのが一番良かったねぇ」

その当時は何も気にしなかった酔漢ですが、そぞろに「歴代?んでおらいの他にもアリババいたんだっちゃ」とふとこう思うわけです。
今年の五月二日。
「くだまき」にもいたしましたが、七ヶ浜を徒歩で半周した日。
帰り際、梅の宮を経由した酔漢。
「宮崎ばっぱの家」の脇を通りますと。家の中に先生がいらっしゃるご様子。
玄関の呼び鈴を押しました。
「誰?酔漢?あれまぁ、あんたいつ戻ってきたのよ!」相変わらずの声。
玄関先でおいたましようとしましたが、先生ご自宅でお茶。
昔話をしておりまして、やはりあの劇の話題に。
「そうよねぇ、あれ面白かった。あんた三代目だもんね」
「三代目、そう言えば、一小でも三小でも『アリババと40人の盗賊』はやったと・・」
「一小の時は、『よしかず』がやったんだヨ」
「『よしかず』って・・あの『さとちゃん』(タモリさんが本人を呼ぶときの名)すか?」
今は独立されておられますが、「笑っていいとも」や「おれ達ひょうきん族」の名物ディレクターだったあのお方でございます。
「『よしかず』は声が良くてねぇ。遠くまでボーイソプラノが響いてたなぁ。あんたは、演技派だったからね。アドリブなんて平気だし」
「先生、あれは、台詞忘れただけだったんですがぁ・・」
「あれがあんたの味なのよ」
と、他にもいろいろな話をしましたが・・。
後になって、三小の時はだれがやったか、聞き忘れたのでした。

「丹治さん、三小の時、劇やりませんでした?」
と昨日メールを送ると・・その返事。
「五年のときだから、酔漢と同じ年だね」と。
肝心の役でしたが。
「盗賊に道を聞かれる通行人の役」
だったそうです。
「宮崎ばっぱの時は『ごさむのりこうばか』で、家来の役だった」
そして、三小でのアリババ役は。
「ひろし君」だったそうです。
昨日、アリババ三人の名前が分かりました。
やっぱり「宮崎ばっぱ」は、劇がすきだったんだねぇ。とお互いに納得しておりました。

再び、五月二日、宮崎邸での会話に戻します。

「あんたも落語やるんだよね。やっぱり、小学生の頃からそんな雰囲気あったよねぇ・・」
「そんなの分かるもんなのすか?」
「だって、『よしかず』だってそうじゃない。尤もあれはプロ中のプロになったけど」
先生は、その「よしかずさん」から送られた本(ご本人が御出筆されたものでした)を、僕に見せてきました。
「んでも、少しばりでもっしゃ、先生に褒められなかったら、芝居やるなんて考えねかったっちゃ」
「そうだ、ところであんた『けんちゃん』と知り合ったんだって?」
「そうなのっしゃ。大学の演劇部で知り合ったのっしゃ」
「元気なの?」
「元気だっちゃ。今奥さんと一緒に仙台さぁいんだおん」

この「けんちゃん」「ある友人君」の事なんです。
という事は、「丹治さん」「酔漢」「ある友人君」=「けんちゃん」は宮崎ばっぱの教え子なのです。

大学演劇部、練習の帰り。
「けんちゃん、二小で劇ばやんねかったすか?」
「ああ、おれ、あんときは興味ねがったからっしゃ。んでも、三年生のとき、『アリババ』やってんの見た覚えが・・」
(あれ・・・やったの俺っしゃ!と、言いかけたのですが)
今の今、「招かれざる客」の練習中。演出の彼からは厳しい指導を受けております酔漢です。

幕があがったとき、フランス窓はしまっているが、カーテンは窓の両側にひかれている。窓の外には霧がうずまき、ブリストル海峡の霧笛が、一定の間隔をおいて自動的に陰気な音を響かせる。リチャード・ウォリックがフランス窓に向かって、中央奥の車椅子に坐っている。端正な容貌の中年の男、椅子に坐ったまま眠り込んでしまったかのような姿勢ある。膝には膝掛がかかっている。ローラ・ウォリックが中央奥、アルコーヴの角に近く立っている。三十歳くらい、金髪の魅力的な女性で、カクテル・ドレスに対のジャケットをはおっている。しばらく舞台は暗いまま、ややあって、車が近づいてくる音がして、そのヘッドライトの光が室内をよぎり、ローラの姿をてらしだすので、彼女はアルコーヴの奥の暗がりに後退する。車が止まり、ヘッドライトが消え、ドアがばたんとしまる。しばらくして、懐中電灯の光が窓のなかをうごいているのがみえてくる。スタークェッダーが手探りで現われ、外から手のひらでガラスを拭って、なかをのぞきこむ。窓をノックし、さらにもう一度、強くノックする、それから、窓の取ってを動かしてみる。窓は開き、彼は室内によろめきいる。

「ストーーーップ!『ねこ写真家』ねぇ。酔っ払いじゃないんだから!『よろめきいる』の部分。『よろめき』より『い・る』の方が大事なんだ。解る?ここの入りは、しつこく行く。もう一度、やるから・・・最初から。音響!ボリュームに注意!タイミングずれ無いように。ドアの音大きすぎ!おまぇなぁ、戦車のドア閉めてんじゃぁないんだからさぁ・・」

「けんちゃん」の声に皆が緊張してます。
誰も、無駄口をきく余裕などありませんでした。

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7 コメント

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主演すか? (ひー )
2011-10-16 19:41:10
自分は40人の盗賊
つまり、その他大勢の一人でしたよ。
舞台に上がるのが嫌で大道具に隠れてばかり。

幼稚園の時は浦島太郎だったのに(笑)

ひー様へ (酔漢です)
2011-10-17 09:00:08
ひーさんもやったのですね。
当時、結構流行った劇なのかなぁ。
落語も演劇も、始まる直前は袖でもう緊張しっぱなしなんですね。
出てしまえば、その緊張感もわすれんるんだけど。浦島太郎、主役ですね。
幼稚園の時は、そのた大勢合唱ばかりでした。
定番だったのかも (丹治)
2011-10-17 17:25:07
『アリババと四十人の盗賊』定番だったのかもしれませんね。
それと「宮崎バッパ」‥‥‥この劇にどんな思い入れがあったんでしょうね。

演劇に関わった酔漢さんなら分ると思うけど、
一回やってやり足りない。
「あそこはこうすればよかった」とか
「ここはああするんじゃなかった」とか。
そんなこんなで、回を重ねるんじゃないでしょうか。

それにしても先生に呼ばれて
「俺、何かやったすか?」
酔漢さんがどんな子供だったかを髣髴とさせるエピソードですね。
二小にいったばっぱが酔漢さんに
「三小にもあんたみたいなのがいたのよ」。
そう、小生も酔漢さんとご同様でございました。

『アリババと四十人の盗賊』
演劇以外で覚えているのは、
パゾリーニ監督の映画『アラビアンナイト』です。
ストーリーとは殆ど関係ないところで、一人の盗っ人が
「俺たちは四十人の盗賊だ!」

ところがこの盗っ人、捕まえていた奴に逃げられてしまうんじゃなかったでしょうか。
アリババの兄ちゃんのカシムの上を行く情なさが好きでした。
私の話ではありませんが… (クリス)
2011-10-19 15:34:13
上の弟が、小学3年生前後の頃に、アリババやりましたよ。

こちらのアリババは、5人兄弟の設定で、上から順に、
アリババ
イリババ
ウリババ
エリババ
オリババ
という名前だったので、衣装の背中には頭文字(紙製)を縫い付けてありまして、各自が『ア』『イ』『ウ』『エ』『オ』と自分の背中を見せながら自己紹介するシーンがありました。
この兄弟の中には、女の子も入っていたように記憶しています。

舞台だけでなく、盗賊との立ち回りで登場する時に、保護者席の後ろから颯爽と現れて、舞台に駆け寄る、という演出に、予行演習で初めて見た姉は、度肝を抜かれました(笑)
それまで、そういう演出をする先生がいなかったのです。


弟が劇で着たアラビア風の衣装は、説明を聞いた母親が作ったように思います。
学習発表会(←我が校では劇か演奏会が定番です)の衣装は、必要ならば親が作るものでしたが、うちの母はミシンが商売道具だったから良かったものの、他のお母さん達は苦労されたのではないかと思います。


小道具は自分達で作っていたので、弟2人はしばらくの間、段ボールで作った剣で、チャンバラ的な遊びを堪能しておりました。


余談ですが、姉は小1の劇には人数余りで出られず、他も劇はその他大勢、演奏もリコーダーなどのよくありがちパートだったので、舞台上で全く目立つことはありませんでした。
あ、小さい頃から身長だけはありましたから、そういう意味では目立ってたかも(笑)
丹治様へ (酔漢です)
2011-10-20 10:23:42
やはり定番でしたか!
カシム役の「まこと君」これがなかなかの名演技でした。
彼が主役でもよかったかなと、実はそう思っております。ですが、あの舞台の感覚は、今でも覚えております。
芝居は落語とは全く異なる緊張感。
小学校での経験が生きております。
ばっぱに感謝です。
クリス様へ (酔漢です)
2011-10-20 10:26:19
お芝居の経験は、貴重なものですよね。
学生で芝居をやった時も、そう思いました。
弟様もそうなのかと思います。
そうですか、客席から登場!
これ使えますネ!
野田秀樹風「アリババ」
これいいかも。
お元気ですか? (クロンシュタット)
2020-01-20 04:17:01
「丹治さん」「酔漢」「ある友人君」=「けんちゃん」は宮崎ばっぱの教え子なのです。
   ↓
「丹治さん」「酔漢」「ある友人君」=「けんちゃん」「クロンシュタット」は宮崎ばっぱの教え子なのです。

アリババの記憶はありますよ。
自分が出演したのか、裏方だったのか、その辺の記憶があいまいなのですが。
放送部の「機械担当」の私は、学習発表会は放送機器の操作をしてましたので、袖で見ていたのかもしれません。

6年生の1年間は、毎週月曜日の朝礼も、自分で君が代を流して日の丸掲揚をしてたのですが、
当然見ていた弟も、忘れてしまっておりました。

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