DeNAの中村紀洋内野手が日米通算2000安打をマークした。
四回の第2打席、ヤクルト先発・赤川が投じた137キロをとらえ、2試合連発となる4号ソロを左翼席へ運んだ。
39歳の中村は渋谷高(大阪)から1991年ドラフト4位で近鉄に入団。日本ではオリックス、中日、楽天、横浜・DeNAでプレー。
今季が21シーズン目で、通算1995安打。
2005年に大リーグ・ドジャースで5安打を放っている。
中村紀洋といえば、大阪の渋谷高校の内野手兼投手で甲子園に出たときの事をいの一番に思い出す。
1990年の夏である。
優勝候補は、前年甲子園で大活躍した上宮、1990選抜優勝校・近大附、同選抜ベスト4・北陽。
前年、元木を擁して春は準優勝、夏は、その年準優勝した、エース大越率いる仙台育英に準々決勝で敗退。
が、その時のエース宮田が健在で、他にも後にプロ入りするタレントぞろい。
2年連続は確立1/2と読んでいた。
一方、その年の春の甲子園優勝校・近大附は、エース里田や主砲・犬伏を擁していた。
北陽も春ベスト4で、「アルバトロス」と呼ばれていた奪三振マシーン寺前を擁していた。
選抜以降、寺前は調子を落としていたが、それでも夏には復活するだろうと思われた。
その他、翌年夏には全国優勝する大阪桐蔭、入来や坪井が居たPLもダークホースとして虎視眈々と甲子園を狙っていたのだが、まずこの三校のうちどれかで決まりだと思っていた。
いたのだが…。
北陽もベスト8目前で敗退。
近大附は、準々決勝で伏兵柏原(現東大阪大柏原)に敗れ去った。
それらを尻目に大本命の上宮は順当に決勝へ。
決勝の相手は公立高校の渋谷。
池田市にある無名の学校だ。
楽勝と見られていたが、結局、決勝も大波乱で幕を閉じてしまう。
この試合でホームランを二本かっ飛ばしたのが当時二年生の中村三塁手。
劇的な二打席連発のホームランを打ったあとは、なんとリリーフに立っての胴上げ投手。
二年生中村のワンマンチームであった。
甲子園では逆に、山口の宇部商業に劇的なホームランを打たれてしまい初戦敗退。
卒業後に近鉄へ。
やがて近鉄いてまえ打線の主砲となりアーチストとして開花。
しかしその後は除々に階段を踏み外してゆく。
渡米後はドジャース入団。
しかし、17試合でたったの5安打。
解雇。
出戻り後は中日へ。
あまりぱっとせぬまま、再度戦力外となり浪人生活。
その間、自腹でのバッティングセンター練習が報道されたこともある。
DeNAに入団後は全盛期ほどではないが、いい感じでプレイしている。
今年はいい感じのホームランも出ているし、なんか去年よりも調子がいいんだなと感じていた矢先、このニュースが流れた。
日米通産2000本。
要するに、日本で1995本のヒットを、米ドジャースで5本のヒットを放ったわけである。
あと5本打てば日本で2000本だ。
日米通産2000本のうち、1995本までが日本というのはかなり稀有なケースである。
松井秀やイチローは別としても、松井稼もこんなに極端ではない。
逆に言えば、ドジャースから帰り、中日を退団した時点で選手生命が終わりそうなものを、良くぞ持ち直して1995本まで記録を伸ばしたもんだなと驚嘆しきりである。
Ocean Side
南回帰線
波になりたい
雨のリアライズ
真夏のSequence
もう逢えないかもしれない
SUMMER EYES

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四回の第2打席、ヤクルト先発・赤川が投じた137キロをとらえ、2試合連発となる4号ソロを左翼席へ運んだ。
39歳の中村は渋谷高(大阪)から1991年ドラフト4位で近鉄に入団。日本ではオリックス、中日、楽天、横浜・DeNAでプレー。
今季が21シーズン目で、通算1995安打。
2005年に大リーグ・ドジャースで5安打を放っている。
中村紀洋といえば、大阪の渋谷高校の内野手兼投手で甲子園に出たときの事をいの一番に思い出す。
1990年の夏である。
優勝候補は、前年甲子園で大活躍した上宮、1990選抜優勝校・近大附、同選抜ベスト4・北陽。
前年、元木を擁して春は準優勝、夏は、その年準優勝した、エース大越率いる仙台育英に準々決勝で敗退。
が、その時のエース宮田が健在で、他にも後にプロ入りするタレントぞろい。
2年連続は確立1/2と読んでいた。
一方、その年の春の甲子園優勝校・近大附は、エース里田や主砲・犬伏を擁していた。
北陽も春ベスト4で、「アルバトロス」と呼ばれていた奪三振マシーン寺前を擁していた。
選抜以降、寺前は調子を落としていたが、それでも夏には復活するだろうと思われた。
その他、翌年夏には全国優勝する大阪桐蔭、入来や坪井が居たPLもダークホースとして虎視眈々と甲子園を狙っていたのだが、まずこの三校のうちどれかで決まりだと思っていた。
いたのだが…。
北陽もベスト8目前で敗退。
近大附は、準々決勝で伏兵柏原(現東大阪大柏原)に敗れ去った。
それらを尻目に大本命の上宮は順当に決勝へ。
決勝の相手は公立高校の渋谷。
池田市にある無名の学校だ。
楽勝と見られていたが、結局、決勝も大波乱で幕を閉じてしまう。
この試合でホームランを二本かっ飛ばしたのが当時二年生の中村三塁手。
劇的な二打席連発のホームランを打ったあとは、なんとリリーフに立っての胴上げ投手。
二年生中村のワンマンチームであった。
甲子園では逆に、山口の宇部商業に劇的なホームランを打たれてしまい初戦敗退。
卒業後に近鉄へ。
やがて近鉄いてまえ打線の主砲となりアーチストとして開花。
しかしその後は除々に階段を踏み外してゆく。
渡米後はドジャース入団。
しかし、17試合でたったの5安打。
解雇。
出戻り後は中日へ。
あまりぱっとせぬまま、再度戦力外となり浪人生活。
その間、自腹でのバッティングセンター練習が報道されたこともある。
DeNAに入団後は全盛期ほどではないが、いい感じでプレイしている。
今年はいい感じのホームランも出ているし、なんか去年よりも調子がいいんだなと感じていた矢先、このニュースが流れた。
日米通産2000本。
要するに、日本で1995本のヒットを、米ドジャースで5本のヒットを放ったわけである。
あと5本打てば日本で2000本だ。
日米通産2000本のうち、1995本までが日本というのはかなり稀有なケースである。
松井秀やイチローは別としても、松井稼もこんなに極端ではない。
逆に言えば、ドジャースから帰り、中日を退団した時点で選手生命が終わりそうなものを、良くぞ持ち直して1995本まで記録を伸ばしたもんだなと驚嘆しきりである。
Ocean Side
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