3匹の子豚との日々 =DIAS CON MIS TRES CERDITOS=

スペインSpainのサラマンカSalamancaのラ・アルベルカLa Albercaから不定期につづります。

ガンジーの遺言詩とムヒカ大統領のスピーチ

2013-12-31 07:29:12 | Hymne a l'amour
昨日、今日と、寒さが一層厳しいアルベルカです。
この数日、続けて日の出を見たので、今朝はちょっと
ゆっくりしようかと思っていたのですが、ふと、窓の外が
ピンク色になっているのが目に入り、これは、きっと
きれいな朝焼けだ~!って思って、急いで準備をして
外に出たら、案の定・・・。

360度の空がピンク色に染まっていました。
東の空は、雲がかなり出ていたのですが、朝焼けが
きれいでした。
(下の写真)

いつものごとく、目の前の庵の丘に登ってストレッチを
しながら、日の出を待ちました。

今日、たまたまfacebookのお友達のともちゃんの
ところで見つけた、ガンジーの言葉。。。
すごく、心に響いたので、英語の原文も探しちゃいました。

で、創作ブログのほうに、勢いで転載記事を書いたので、
こちらでもシェアします。

【転載開始】



『マハトマ・ガンジーの遺言詩』


束縛があるからこそ、
私は飛べるのだ。

悲しみがあるからこそ、
私は高く舞い上がれるのだ。

逆境があるからこそ、
私は走れるのだ。

涙があるからこそ、
私は前に進めるのだ。   

by マハトマ・ガンジー


Because there is restraint,
I can fly

Because there is sadness,
I can soar highly

Because there are adverse circumstances,
I can run

Because there is a tear,
I can move forward


Mahatma Gandhi


今日、facebookのお友達のところで、見つけました。

今、苦しみ、悩み、悲しみ、辛さの中でもがいている人が
少しでも、心が軽くなりますように・・・。
そして、希望を見出すことができますように・・・。

祈りを込めて・・・。

30/12/2013
11.28


過去に書いた同じようなテーマの記事
「祈り・・・」

愛の詩

【転載終了】



この詩は、ガンジー暗殺の3ヶ月前に書かれて、まるで遺言のように
なったので、遺言詩と呼ばれているようです。。。

知り合いと今日facebookでメッセージのやり取りをしたのですが
仕事のトラブルとかいろいろと重なって、元気がなくて、落ち込んで
いて、どうしたものかと、思っているときに、この詩をみつけたので、
早速、英語の原文を送ってみたのですが、心に響いて少しでも
希望を見出してくれたかしら・・・?!
そうだといいんだけど・・・。

私の経験上、いくら悩んだところで、苦しんだところで、そこに
留まっていて、おぼれてしまってはいけないんですよね。。。
できる限りの手を打って一生懸命やったら、あとは、運を天に
任せてしまうように、力を抜いたとき、思いもよらないところから
チャンスが生まれたり、手が差し伸べられたり、したなぁ~って
思います。

闇雲に必死になっていると、自分の半径数十センチしか見えない
くらいに視野が狭くなってしまっているんですけど、ふと我に返って
振り返ると、あれ?なんでこんなに、盲目的に必死になっていん
だろう・・・って、妙に客観的になったり・・・。

すると、出口が見えたり、答えが勝手に出たりして、奇跡が
起こったような気がするのですが、それは、それまでの努力が
形となって現れただけなんだろうな・・・って思うんです。。。

だから、私は「夢は見るものじゃなくて、叶えるもの」って思うし
「奇跡は起こるんじゃなくて、起こすもの」って思うんです。
すべて、自分次第なんです。。。

『痛みに克つ・・・』



それから・・・。

こちらも、昨日、創作ブログに書いたもの。。。

【転載開始】


『ウルグアイのムヒカ大統領のスピーチ』

以前から話題になっていて知っていたのですが、
日本語訳をした打村明さんのサイトを今日見つけたので、
ブログでシェアします。


リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:
ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)



会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に
感謝いたします。
私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも
感謝いたします。
国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を
議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の
貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?
現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車を
インド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な
消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球に
あるのでしょうか?
可能ですか?
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが
間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが
世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいは
グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を
良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するための
ものではありません。
その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、
政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールし
きれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品や
ライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く
多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況の
お化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ
多く売らなければなりません。
ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか
持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!
そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。
人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければ
ならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。
これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は
世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。
私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを
言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲が
あり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。
私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、
みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。
そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。
ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。
そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。
しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は
以前よりも長時間働いています。
なぜか?
バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人に
なっているのです。
私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?
私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:

発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。
発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限の
ものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。
環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な
要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。


<Youtube動画へ(日本語字幕つき)>


以前シェアしたこちらの記事もよかったらご覧ください。
[転載] 子供の日に寄せて ある少女のスピーチ


ウルグアイは、最近、大麻の栽培、販売、使用が合法化されたと聞きます。
地球との共生の時代の先駆けのような国です。。。

【転載終了】



この間から、偶然とか、シンクロとか、パズルのピースとか
奇跡が・・・とか、何度も書いていますが、奇跡って、時空を超えて、
もうすでにだいぶ前から徐々に始まっていたことなんだなぁ~って、
しみじみと感じます。

遠い昔から、いろいろな人が奇跡の成就を祈って、それぞれの
言葉で表現していたんだなぁ~って。。。

ここにきて、一気に動き出しているような気がします。
いろいろなことが、噴出してきていますし、顕かになってきています。
隠し事が隠し事でなくなり、嘘やまやかしが通用しなくなってきた
なぁ~っていうことも感じます。

だからこそ、政治も経済も混乱しているのでしょう。。。

『ひっくり返しましょうぞ!』が合言葉ですね。。。本当に。。。

本当に・・・もう、ひとりぼっちじゃない。
みんな、一緒ですよね。。。
少しずつ、変わってきています。
奇跡は起こりつつあると、最近、本気で思っています。

清志郎は、ほんとに、すごい、ずっと前から言い続けていたんだから。。。
今、どんな風に私たちのこと見守ってくれているんでしょうね。。。

<イマジン  Kiyoshiro|Youtube動画へ>

ついでに、前に記事にした、いろいろな人のバージョンの『Imagine』


「ミトコンドリア」を活性化させて、みんなで共鳴して、どんどん
共鳴を広げて、もっともっと奇跡を起こしましょう~♪




写真はすべて、今日の朝焼け&日の出
(雲でよく見えなかったけれど・・・)


30/12/2013
11/28

今年も後2日になりました。
年末が近づいた時期にになってから、仕事のトラブルがあったり、
新しい話が出てきたりと、悪いこと良いことが立て続けに起こっています。
トラブルのほうは、最悪の状態は免れて、あとは、年明けに原因究明と
責任をどのように分配するか、という事後処理が残っています。
新しい話は、まだまだどのように進むかはっきり分かりませんが、
良い方向へ進むと信じて、地道に無理せずやっていくだけです。
新しい年が本当に楽しみで、ワクワクしています~♪
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2 コメント

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無題 (ミラクル)
2013-12-31 09:31:49
別宅が更新されてないです。
良いお年を
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Unknown (ドラゴン)
2013-12-31 22:26:04
この仮想空間を生きている内が花の様に思えます。
色んな思い出を一杯背負える事に感謝ですね。
今年は、大変お世話になりました。来年も宜しくです。
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