総合科学技術会議「基礎研究および人材育成部会」で資料として出されたエルゼビア社の学術論文数のグラフ
(http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/innovation/jinzai/1kai/siryo-sanko-2.pdf)
で、日本の論文数のカーブが異常に低下していることをめぐってブログを書いたところ、皆さんからたくさんの貴重なご意見をいただきましたね。
一つの論文数のデータの解釈においても、いろいろと注意しなければならない背景があり、また、人によって受け取り方が大きく違うことを改めて感じさせられました。
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Unknown (MD)
2012-07-14 18:12:04
昨今、論文誌ビジネスにも金融業界と同様の構造的なバブルと虚構性が指摘されています。
先生方には論文数ビジネスに安易に乗って虚学に興ずるよりも、学術が本当に社会に貢献するにはどうすればよいか、もっと中身のある議論を期待したいと思います。
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Unkown(MD)さんのご指摘のように、最近確かに「論文数ビジネス」という面があることを私も感じます。一方で、研究力や学術の競争力を定量化する手段としては、他にあまり良い方法がないので、論文数を一つの指標として使わざるを得ないと面もあると思います。気をつけておかねばならないことは、「論文数」が目的化すると、弊害がでてくるということです。あくまで、研究力や学術の競争力を想定する一つの指標にすぎない、ということであり、常にそのことを念頭において分析し、Unknownさんのご指摘のように、学術が本当に社会に貢献するにはどうすればよいか、中身のある議論をするべきだと思います。
ただ、私の個人的な印象としては、「論文数」は研究力、あるいは特に大学の「疲弊度」をモニターするための、けっこう“鋭敏な”指標かもしれないと感じているところです。
さて、事実認識のお話でずいぶんと時間をとってしまい、なかなか対策まで議論がたどりつけないのですが、今日は、7月18日に開催された第3回「基礎研究及び人材育成部会」の内容を若干ご紹介するとともに、「選択と集中」と「競争原理」に関係したことがらを取り上げてみたいと思います。
この会議の資料は、下のサイトから見ることができます。
http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/innovation/jinzai/index.html
議事録はまだ公開されていませんが、「配布資料」をクリックしていただくと、当日のおよその内容がお分かりになるかもしれません。その資料3の「基礎研究及び人材育成の強化(検討資料)」というのが、この日、委員から意見を聞いて文言を修正し、上位の委員会に提出するたたき台のペーパーでした。
下に、資料3がこの部会の委員の意見によって文言修正されたペーパーをお示しします。大きな変更は許されず、あくまで文言修正だけなので、基本的にはウェブ上で公開されている資料3とほとんど同じ内容です。
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基礎研究及び人材育成の強化
1.危機的な現状
基礎研究と人材育成は、科学技術イノベーションを支える基盤であるが、近年、論文生産の国際比較分析等において、我が国の基礎研究の国際的な地位の低下を強く危惧させる傾向が見られており、また大学等における若手研究者のポストの減少は、今後の我が国の科学技術の活力の減退を深刻に懸念させる状況となっている。
このような危機的な現状にあって、国家戦略としての長期的視野に基づき、基礎研究と人材育成の抜本的な強化を図ることが必要である。
2.政策課題
基礎研究・人材育成に関して取り組むべき政策課題は多いが、現状においては、我が国の基礎研究の国際的な地位低下を食い止め、競争力の回復を図ることが最優先に掲げられる。またそのためにも、若手研究者をはじめとする人材の育成・活用に関わる取組を強化すべきである。
3.重点的取組み
基礎研究と人材育成の強化を図る上で、限られた資源を有効に活用し、持続的に成果を挙げるために、相互の競争を促しつつ、大学等が本来持つ力を最大限に引き出すアプローチを取ることが重要である。また成果の検証に関しては、客観的に検証可能で国際的に意味を持つ指標によって行うことが重要である。
こうした観点の下に講じられるべき主要な取組として、以下の3つを掲げる。
・国際的な水準で教育研究活動を展開する力を有する大学等を対象とした重点的な強化を図るため、世界トップレベルの研究拠点大学等の強化と、国際的な水準で研究活動を展開する大学群の厚みの増大に取り組む。
・効果的・効率的な研究を可能にするための研究資金の在り方の見直しを行う。
・若手研究者のポストの確保を図るとともに、産業界を含め社会全体で多様な人材の育成・活用を図る取組を強化する。
4.取組みにおいて留意すべき視点
・研究力強化に関しては、各大学等自らのイニシアチブが尊重されること。大学等に対する支援は、あくまで自律的な改革を促すための呼水であること
・各大学等においては、内部の部局間や世代間の資源配分の見直しに自ら積極的に取り組むこと
・大学等に対する支援は、ある程度範囲を絞った中で力のある大学間の競争を促すとともに、客観的に検証可能でかつ国際的に意味を持つ指標に照らして、成果を出すことのできる大学等が持続的に支援されること
・大学改革推進のための大学資金の改善については、部分的な最適化ではなく、将来を見据えたグランドデザインの下で、国全体のレベルで最大の成果が発揮されることを目指して見直しを行うこと
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このペーパーが、どのように、あるいはどの程度政策に反映されるのか、よくわからない面があるので、責任のあるお答えはできないのですが、この文中の「各大学等においては、内部の部局間や世代間の資源配分の見直しに自ら積極的に取り組むこと」という部分は、下の“アカデミア脱落者”さんからのご意見に沿ったものになっていますでしょうかね。
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脱落者からの意見ですが (アカデミア脱落者)
・・・・前半略・・・・
国として競争力を取り戻すためには,既得権を廃止して,若くても能力のある人材を優遇するような制度にしなければならないでしょうね.若手をPD職で雇用するなら,上の世代は「最低でもPD以上の成果を出さない限り雇用する価値が無い」という認識を常識にしなければならないと思います.が,そういう基準でクビにするような制度が実現できるかといえば,制度を決める側の連中がそんな自分の首を締めるような制度を作るわけはないですよね…
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また、この文中の「客観的に検証可能でかつ国際的に意味を持つ指標に照らして、成果を出すことのできる大学等が持続的に支援されること」と明記されたことからすると、“台湾の大学のPI”さん、“米国州立大学Tenured”さんからのご意見に沿った内容かもしれませんね。
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論文数を大学内でちゃんと評価すべきでは (台湾の大学のPIです(日本人))
2012-06-29 07:05:05
台湾では国立大学も私立大学も研究中心の大学では、大学ごとにさだめる一定の質のジャーナルに論文を掲載すると、ボーナスがでます。また、大学内の研究所やセクションごとに論文業績や獲得外部資金を毎年集計して、大学内の予算配分に反映していると思います。このような仕組みも有効かもしれません。この仕組みによって、ひとりひとりは、テニュア審査や昇進に必要最低限の論文数を超えて、論文を書き続けるモチベーションを持ちやすいのではないでしょうか。
Elsevier =英文査読付学術誌で勝負、理系はよいが、文系は? (米国州立大学Tenured)
2012-07-13 10:40:24
これは素晴らしい問題提起だと思います。
Elsevierですので、当然英文査読付学術誌でのカウントデータだと思います。 日本の場合、多くの「理系」の研究者は英文で論文を投稿し世界と勝負するのが当たり前の世界だと思いますが、問題はいわゆる「文系」学部にどの程度、世界と勝負するビジネスモデルで育成された研究者がいるかだと思います。 米国博士課程はいまや、韓国中国台湾の学生で圧倒されており、既にテニュアトラックにも大量の若手研究者を送り込んでいます。そして優秀なのは当地でポジションを取り、一部は本国に帰り、そこから凄い生産性で論文を投稿します。韓国は定量化された点数制でテニュアを決定する制度があります(文系学部です)が、欧米のトップ誌は配点が高いですし、中国からの教員は論文掲載毎に大学から現金貰えるので、英文誌投稿が最も重要と言っています。 日本の文系学部、例外もあるでしょうが、世界と勝負する基本ルールである英文査読付論文勝負で戦っている研究者そのものが少ないように見えますが、如何でしょうか。 日本の大学で勤務した事無いので、無知はお許し下さい。
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ここまでは
「世代間の資源の配分の見直しによる若手ポストの確保」
「客観的に検証可能でかつ国際的に意味を持つ指標に照らして評価」
ということで、これらのこと自体に、私は意義を唱えるものではありません。ただし、地方大学の学長経験者としては、心配しなければいけないことが大いにあるのです。
この会議の中で、横浜国立大学の藤江幸一教授が、最後のほうでおっしゃった一言が印象に残っています。この部会で示された政策の案について、小規模大学(あるいは地方大学)の者にとっては、やる気が湧いてこない内容であるというような主旨を、謙虚におっしゃいました。(正確な文言は、後日公開される議事録を見てください。)
地方国立大学に長く身を置いた私としても、藤江先生のお気持ちは、痛いほどよく分かりました。各種資料の中に、小規模あるいは地方大学の研究者を元気づけるような政策は、少なくとも正面には書かれていませんからね。(付け加えるような文言としては若干書かれているかもしれませんが・・・)
先のブログへいただいたコメントにも地方大学の研究環境の厳しさを書かれたものがありましたね。
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配分に問題 (卒業生)
2012-06-28 09:55:42
旧帝大から地方大学に転勤になったとたん、研究の内容に変更がないにも関わらす、急激に科研費の採択率が下がるのは周知の事実です。ポストドクの採用にも同じような傾斜があります。研究内容ではなく、その場所によって配分に傾斜があるようでは、地方大学の研究室が研究意欲を失い、必然的に論文数が減少するのは当然です。
自然科学の研究は、何も研究費の多寡でのみその生産性が左右されるものではありませんが、ある程度の研究費がなければアイディアだけでは論文は書けません。科研費の配分の傾斜をなくすことと、事後成果の検証が厳密に行われることが必要でしょう。
大学が法人化されたことによって、ともすればすぐ成果が出やすくまた説明しやすい応用分野への研究が重要視され、基礎科学分野が軽視されます。この傾向は日本の将来の科学技術の発展に大きな禍根を残すことになるのではと危惧します。
選択と集中の弊害 (地方国立大の助教)
2012-07-08 11:21:02
論文数の低下をもたらした原因の一つは、研究費の選択と集中により、国内の科学研究の裾野が狭まったことにあると考えます。やみくもに研究費の大型化を目指すのではなく、少ない研究費で良い成果を出した研究者を評価する仕組みが必要ではないでしょうか?
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実は、資料3には
「研究力の強化を図る上で、限られた資源を有効に活用し、持続的に成果を挙げるために、選択と集中によって相互の競争を促しつつ、大学等が本来持つ力を最大限に引き出すアプローチを取ることが重要である。」
という文章が書かれていました。私は、「選択と集中によって相互の競争を促しつつ」という表現はおかしいという意見を述べました。
「選択と集中」というのは、人為的に勝ち負けを決めることですから、それによって相互の「競争」を促すことはできませんからね。「競争」というのは所与の条件を同一にして競わせることで競争になるのであり、選択と集中をして片方に肩入れをして競争しろと言われても、競争にならないわけです。むしろ「選択と集中」と「競争原理」は相矛盾することがらであると思います。
なお、「選択と集中により国際競争力を高める。」というような表現なら、意味は理解できます。(賛成するか反対するかは別にして)
結局、私の意見を採用していただいて、「選択と集中」という言葉は削除となりました。
大学間の「競争原理」や「選択と集中」、そして運営費交付金の「傾斜配分」という文言は、国立大学法人化に伴って、つまり小泉政権で新自由主義が唱えられていたころから盛んに使われ始めたわけですが、政権が代わっても連綿として継続されている基調であるということでしょう。
国立大学法人化の際に掲げられた「競争原理」なるものは、所与の条件を公平にした上での競争ではなく、もともと「選択と集中」によって資源配分を不公平にした上での「競争」であり、そして、その結果、成果指標によって評価をして、さらに「選択と集中」をしようということだったと感じられます。これでは、地方大学がいくらがんばっても望みはなく、地方大学にやる気を出せという方が、無理という感じもしますね。
平成19年に、財政制度等審議会が、科学研究費の取得額に応じて、運営費交付金を傾斜配分するという資料を出した時には、当時三重大学長だった私は、緊急記者会見を行い、地方大学の地域におけるかけがえのない存在意義を訴えました。この試算によると三重大学をはじめ多くの地方大学では運営費交付金が半減するということでしたからね。そして、三重県知事や津市長がすぐに動いて下さり、近畿知事会、そして全国知事会の反対決議にまでいきました。この時、骨太の方針の原案では、「運営費交付金の大胆な傾斜配分」、というような文言が書かれていましたが、直前に「適切な配分」という表現に変わったということがあります。
また、この時は、経済財政諮問会議の八代議員に、研究費あたりの論文数を計算すると、地方大学の方が上位大学よりも多いというデータをお示しして、ある面では研究効率の良い地方大学こそ、むしろ重点化するべきではないか、とご理解を求めたことがあります。コメントをいただいた“地方国立大の助教”さんと同じ発想ですね。当時の八代議員には、説得力のある論理だと理解を示していただきました。
今回のペーパーに記載されている「客観的に検証可能でかつ国際的に意味を持つ指標」に、ぜひとも「研究費あたりの論文数」を入れてほしいですね。
私は「選択と集中」や「競争原理」そのものを否定するものではありませんが、これらは、一歩間違えると逆効果となる「両刃の剣」であって、日本全体の国際競争力をいっそう低下させてしまうリスクがあると思っています。
今、いくつかの政府関係の委員会に出席すると、東大の国際ランキングが低下していることをなんとかしないといけない、というご意見が頻繁に出てくるようになりました。こういう時に、私は次のような意見を言わせていただいています。
「私自身も旧帝大の卒業生であり、たしかに、旧帝大をはじめとした大規模大学にはぜひとも頑張って欲しい。しかし、それを実現するために「選択と集中」政策によって、地方大学の交付金を大きく削っていっそう弱体化させてしまった時に、日本全体としての国際競争力が果たして高まるのかどうか?」
今回の検討資料3の最後に書いてある、「大学改革推進のための大学資金の改善については、部分的な最適化ではなく、将来を見据えたグランドデザインの下で、国全体のレベルで最大の成果が発揮されることを目指して見直しを行うこと」という文言の意味するところが、私の発言と同じような主旨であれば幸いだと思っています。
さて、今回のペーパーは、総体としては小規模あるいは地方大学の者にとって、やる気が湧いてこないものかもしれませんが、若干、希望を抱くことができるかもしれないという表現もあります。
主要な3つの取り組みの一つに「世界トップレベルの研究拠点大学等の強化と、国際的な水準で研究活動を展開する大学群の厚みの増大に取り組む」とあります。この「大学群の厚みの増大」に、いくつかの地方大学が重点化群に入ることができるかもしれない、という期待を抱かせます。
ただし、いったいいくつくらいの大学が想定されているのかわかりません。予算が厳しいことからすると、旧帝大につづくわずかの大学かもしれませんね。
今回のペーパーから「選択と集中」という文言は消していただきましたが、大学を「選択と集中」したいという国の中の潮流は、非常に根強いものであると改めて感じました。
私は、せっかくの資産である地方大学を、国際競争力アップの面でも、また、地域振興の面でも、その潜在力を生かす方法は、いろいろとあるのではないかと思っています。むしろ、やる気のある地方大学をちょっとだけ支援してやるのが、効率的・効果的かもしれませんよ。
(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)