ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

新しい初年次教育「医療人底力教育」は期待が持てるぞ

2014年04月12日 | 高等教育

 前回のブログでは、入学式で学長が式辞を述べても、学長の顔や式辞の内容をほとんどの学生が覚えていない、というお話をしましたね。でも、式辞を中断して「1分でgo!」という手法でもって、学生さんどうしで挨拶し自己紹介をしたことだけは、全員が覚えていました。

 先週から授業が始まりましたが、鈴鹿医療科学大学では、今年度から全く新しい初年次教育を始めたんです。それは「医療人底力教育」と呼ばれています。実は、僕も8日(火曜日)に、この教育のトップバッターとして新1年生に講義をしました。

 この「医療人底力教育」というのは、従来の大学の授業とは異なるいくつかの斬新な試みがなされています。まず、それをご紹介しましょう。

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1)4学部9学科11コースの学生を、混成クラスに編成して、白子キャンパス一か所に集めて教育する。

 鈴鹿医療科学大学は本部のある千代崎キャンパスと、そこから歩いて20分ほどのところにある白子(しろこ)キャンパスの2か所があるんです。白子キャンパスは6年前に薬学部が開設された時に、NTT研修所跡地を購入して新しいキャンパスとし、今年度開設された看護学部も、このキャンパスで始まりました。従来は、学部・学科ごとにクラスが編成され、各キャンパスで授業が行われていましたが、今年度からは、新1年生が全員白子キャンパスで1年間混成クラスで学習します。混成クラスにする意味は、鈴大(すずだい)が教育目標に掲げている「チーム医療に貢献する」を、まさに達成するためなんですね。1年生の時から、めざす専門職が異なる学生さんどうしで、コミュニケーションをとりやすい環境にするわけです。

2)どの医療人にとっても必要な教養(基礎となる知識・技能・態度)を身につけていただく。

 「教養教育」がどうあるべきか、ということについては、何十年も延々と議論がなされてきましたが、今でも、結論は出ていないのではないかと思います。昔僕がいた三重大医学部でも、「果たして万葉集の授業が医者に必要なのかどうか?」という議論がなされたことがあります。ある教授が「万葉集くらい勉強しないと、医者にはなれない。」と教養教育賛成論を主張したことを覚えています。でも、当時の医学生は、ほとんどサボっていましたけどね。

 今回の鈴大の医療人底力教育では、従来型の一般教養科目を半減して、その代わり医療人にとって必要な教養科目が半分を占めるようにしました。

3)アクティブラーニングを取り入れている。

 最近の大学教育の一つの流行り言葉になっているアクティブラーニング。そのはしりは、僕がもう20年近く前に三重大医学部の教授の時に導入したチュートリアル教育(problem-based learning)に始まるのですが、今回の医療人底力教育の中で「医療人底力実践」と名付けられているカリキュラムがそれにあたります。これは、少人数のグループにチューターがついて、医療人に必要な技能や態度、たとえば、ディベート、接遇、福祉施設訪問、救命処置などについて、学生さんに実践とディスカッションをしていただきつつ、身につけていただきます。もちろん、小グループは各学科混成であり、チーム医療の練習にもなっているわけです。

4)全学的なマネジメントの下に実施されている。

 従来の教育は、学部・学科単位で管理されてきましたが、この医療人底力教育は全学的な組織「医療人底力教育センター」が管理しています。また、従来は、カリキュラムを組んで教員を割り当てるのが、学部・学科の仕事で、あとは、教員任せというパターンが多かったと思いますが、医療人底力教育では、授業の内容や、やり方まで、全学的組織が関与してきます。特に、医療人底力実践では、チューターがどのように支援するのか、担当する教職員のチームで相談をして決められます。そこでは、学生への支援方法の振り返りが常に行われます。

 また、学生を一か所に集めますが、これは、昔の「教養部」を復活させるというわけではありません。平成3年の大学設置基準の大綱化をきっかけにして。多くの大学でそれまであった「教養部」が改組され、一般教養の先生がたが、各学部に分属されました。東大など一部の大学は、現在でも「教養部」があるのですが、果たして「教養部」があったほうがいいのか、無い方がいいのか、今でもよくわかりません。今回鈴大では、教養部を復活させるのではなく、一般教養の先生は分属のままで、しかし、全学的な医療人底力教育センターを創って、教養教育を全学的にマネジメントするという仕組みをとりました。

5)教職協働で行われている。

 今回、医療人底力実践を実施するにあたり、たとえば接遇の仕方の支援をするチューターは、偉い先生である必要はなく、事務職員でもできるし、一般社会人でもできるし、学生でもできると思います。むしろ、研究ばかりしている偉い学者ほど、接遇は苦手でしょうね。そんなことで、今回、教員ばかりではなく事務職員にもチューターになっていただいて、学生の支援をすることにしています。もちろん、チューターにはそれなりの研修を受けていただいています。

6)教科書が1冊にまとめられている。

 従来は、各教科の先生が推薦する教科書がありますが、今回、医療人底力教育として、1冊の教科書にまとめられました。数多くの先生がたに関与していただいているのですが、各講義を見開き2ページに要点をまとめていただいて、コンパクトな教科書をつくりました。僕も教科書の執筆に加わりましたが、本当に大事なことだけを短くまとめるというのは、結構難しいものです。もう、期末試験の試験問題も作っていただいており、学生さんは、この教科書1冊だけをよく読んで理解して覚えれば、合格するはずです。

7)クオーター制を導入した。

 新1年生から前期・後期ではなく、それぞれを半分に分けて、クオーター制を導入しました。学生は年4回の定期試験を受けないといけないことになります。「学生は試験のためなら勉強する」というのは、昔から言われている法則ですからね。

8)早期の基礎学力テストおよび意識調査、および面談を行う。

 新1年生の入学後早期に、基礎学力テストおよび意識調査を行い、不得意科目を持っている学生さんや、不安や悩みを感じている学生さんを把握することを試みます。これからクラス担任が面談を行い、さまざまな問題を抱えている学生さんに対して、個別にきめの細かい相談に応じる予定です。

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 全く新しい体制で、また、今回、この教育のために新たに建設した新しい教室で始まった医療人底力教育なので、学生の教室の移動など多少の混乱がありましたが、今のところ順調な滑り出しを見せているようです。

 僕の担当したのは、講義のシリーズで「いのちと医療の倫理学」です。「高い倫理感を持つ」という、鈴大の教育目標に対応したカリキュラムです。300人を超える学生の講義を2回繰り返しました。アクティブラーニングの少人数教育を導入した一方で、このような大講義も組まれています。

 大講義については、知識の一方的な伝達だけに終わらせない工夫をすれば、そのデメリットを最少にすることができるのではないか、と考えています。

 

 ハーバードのサンデル教授のような、大講義であっても学生に意見を述べさせて議論をするような講義ができる先生ならいいのですが、あのようなすばらしい講義のできる先生は非常に少ないと思います。また、サンデル教授の講義を聞きに来た学生はそれなりに問題意識が高く、自分で手を挙げて意見を述べる能力をもった学生です。しかし、日本の大学生には、授業中意見を求めても、手を上げる人はほとんどいません。そこで、僕が使っているのは、「クリッカー」です。今回の大講義への対応のために、余分に端末を購入していただきました。

 

 

 まずは、クリッカーの練習もかねて、昨日の授業の復習をしたかどうかをチェック。これだけの大人数で使うのは初めてなので、うまく入力できない学生が出るのはやむを得ないと思っていましたが、でも、大方の傾向をつかむことはできました。ちなみに、復習をしていた学生は約4分の1でした。

 さて、サンデル教授が講義の中で話をされていた倫理学についての題材を、僕も授業で使ってみることにしました。イギリスの女性の哲学者である故フィリッパ・フットさんが最初に提起した有名なトロッコ問題です。英語ではトロリー問題と言いますね。

 これは5人の命を救うために1人の命を犠牲にしてもいいかという、結論の出せない倫理的ジレンマの問題であり、そして、1人の命を犠牲にするという結果は同じでも、状況によって人々の倫理的判断が異なってくるというものでしたね。この倫理的判断が人々によって異なるメカニズムとして、ハーバード大学のジョシュア・グリーンさんという神経倫理学者が、fMRIという脳内の血流を測定するイメージング手法を使った研究によって、「2重プロセス理論」を提唱しています。簡単にいうと、前頭葉の中で、背外側前頭前野と呼ばれる部分が合理的、功利主義的な判断をつかさどり、腹内側前頭前野は感情や情動に伴う判断をつかさどるとされ、この二つの脳の活動のせめぎあいの結果、ある倫理的な判断がなされるというものです。

 

 これがトロッコ問題の最初の質問で、線路のポイントを切り替えて暴走するトロッコ(トロリー)を引き込み線に誘導し、1人の命を犠牲にして5人の命を救うことが許されるかという問いですね。ちなみにこのスライドの右の絵は、ジョシュア・グリーンさんにメールを出して、彼のホームページから転載する許可を得ています。さて、鈴大の学生たちの判断はどうだったのでしょうか?

 

 鈴大の学生たちの結果は、許されると判断する人が、許されないという判断を上回りました。次は、状況設定が変わって大男を線路に突き落して、トロッコ(トロリー)を止めて5人の命を救うことが許されるか、という質問です。

 果たして、鈴大の学生の判断は、次のスライドにあるように、先ほどの判断とは逆転して、許されないという判断が過半数を占めました。太った男を突き落すという質問では、腹内側前頭前野が強く活動して、背外側前頭前野の功利主義的判断を抑えてしまう人が多いようです。

 

 実は、このような結果は、過去の論文と一致するものです。日本人の今の若い人においても、同じような傾向の倫理判断がなされるんですね。

 クリッカーによる集計結果は、瞬時にスライド上に提示されますので、学生たちも、自分の押した結果が、全体の中でどのように反映されたかすぐにわかり、「おお!」という声ももれ聞こえてきます。

 このように、クリッカーは、議論をするところまではいきませんが、端末を通じて、先生と学生さんがインターラクションをしているわけです。

 この日の講義では、入学式で使った「1分でgo!!]も、授業の振り返りのために使いました。

「二人でペアを組み、今日学んだ大事なことをお互いに説明してください。ただし、最初に説明する人は一つを抜いて説明すること。30秒後に選手交代ですが、最初の人が抜いた一つを果たして当てられるかどうか?」

 こんな、感じでやりました。

 もう一つ、学生たちが僕の式辞のうち、「挨拶」以外のことはほとんど覚えていなかったので、もう一度、学生たちに建学の精神、教育の理念・目標を説明しました。覚えていただくためには、「繰り返し」も重要ですからね。そして、卒業式の謝恩会でやった「怒涛の3つのイエス」(3月19日のブログを見てね)で締めくくりました。

 卒業式の式辞が、謝恩会の挨拶と合わせて完結したように、入学式の式辞も、最初の講義と合わせて初めて完結するものではないかな、と思いました。つまり、「何を教えたか」ではなく、「何を身につけたか」というoutcome-based education (式辞の場合はoutcome-based addressですかね)の立場に立つと、1回の知識の伝達だけではまったく不可能であり、何らかの工夫や繰り返しがどうしても必要ということだと思います。

 この授業の後、僕が新入生たちにすれちがうと、みんな笑顔の挨拶を返してくれますよ。

 

 

 

 

 

 

 

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