青空白雲Diary

空って青いよね。夜の空も青いんよ 見る側の都合で物事は多々変わっていく。 そんな色々な視点の一つ 青空白雲Diary

思ひやり。

2008年02月08日 00時41分27秒 | Weblog
人には、自分で思っている“自分”と、他人から見た“自分”の2つの自分があると思う。


自分で思っている“自分”ってのは、素直に感じた事を感じたままに表現する自分だと思う。

他人から見た“自分”ってのは、社会的な自分 っていうのかな。
周りの人からみた“自分”なんだと思う。

例えば、家族や恋人、友達から見た“自分”
それは、自分で思っている“自分”とは少なからず違う自分だと思う。
自分で大丈夫!って思っていても、他人から見たら心配!な事ってあると思う。
この時、心配に思われてる自分も“自分”だし、大丈夫って思ってる自分も“自分”なんじゃないかな。


この2つの自分っていうのは、基本的に相反するものだと思う。
「自分らしい」とは、人と違うことを恐れないことだから。



人は自分らしく生きたい。
けれど、人との関わり合いの中で生きている限り、もう1つの自分(他人からみた自分)も大切にしなければいけないと思う。


他人から見た“自分”を捨て(つまり、人の目をまったく気にせずに)て生きる姿は、傍からみたらカッコいいのかもしれない。
でも、家族や恋人や友達は、やっぱり心配すると思う。
大切に思うからこそ。

相反するものだから、どちらも極めることは不可能だと思う。
どちらに拠った生き方をしても、間違いじゃないし、人それぞれの生き方だと思う。


相反する2つの“自分”に挟まれながら、常にどっちつかずでフラフラと生きる姿が人間らしいと思う。




「ジョー・ブラックをよろしく」という映画を見た。
その中で、主人公のビリーがこのようなことを言っていた。

「愛とは、互いを思いやることだ」


なんか、深いなって感じた。



思いやりって、人の事を心配するだけじゃなくて、
人に心配されないようにすることも含まれてるんじゃないかなって。


だとしたら、“愛”ってすごく大変だと思う。
でも、それが出来るからこそ、“愛”なのかもしれない。
簡単には出来ないかもしれないけれど、しよう!やろう!と思えることが“愛”なのかもしれないね。

自分の人生だけど、大切な人達と一緒に生きたいなら、
“思いやり”が大事なんじゃないかな。



我が心

2008年01月16日 11時10分25秒 | Weblog
今年の目標の「自分を偽らずに生きる」。



去年の暮れから意識してることなんですが、これがなかなか...





偽らずに生きようとすればするほど、分からない自分の“想い”。






分かってるつもりでも、分かってない。
頭で分かってるのに、心まで届いていない。




目標なんでね。
簡単に常に完璧でいられるわけではないんでしょうけどもね。

いやはや、なかなか。
自分ひとりの足元を見るのが精一杯なのに、
人の心配なんてしてる暇はないのかもしれません。



特にやっかいなのは、自分の弱い部分。

どういったところが弱いか、知ってるんです。
知ってるんですけれど、中々ねぇ。

ちょっと気を許すと、すぐ出てきて、いらんことを言ったり、したりする。
こいつが厄介です。

過労死

2007年12月10日 02時22分30秒 | Weblog
来年から働く身としては、リアルに気になったので、なんとなく流れてきたTVの音に敏感に反応して見入ってしまいました。




「映像’07 夫はなぜ、死んだのかー過労死認定の厚い壁ー」

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トヨタ自動車の工場で働いていた内野健一さんは、5年前30歳の時深夜の残業中に突然倒れ、死亡した。妻の博子さんは労災認定を求めたが、労働基準監督署は長時間労働はなかった、として申請を却下した。博子さんは国を相手に労災認定を求めて裁判を起こした。妻の裁判を闘う姿を通して、隠蔽される長時間労働の実態を追及する。
(毎日放送HPより)
*****


関西のローカルメディアなんですけどね。


企業の言い分をほぼ鵜呑みにして、ろくに調査せずに労災申請を却下してしまう労働基準監督署の実態と、人員も足りない、調査の権限もろくにない労働基準監督署を問題無い!としている厚生労働省。そして、過労に対してあまりにも無責任な企業。



怖いですよね。

労基署の言い分が
「一緒に働いている人達が言ってるんだから勤務時間は会社側の言い分が正しい。」



怖いわー。

そんな言い訳をするアホよりも、そんな言い訳が通用してる世の中が怖い・・・

なんでも、過労の申請される件数よりも、調査出来る件数の方が少ないらしく、年々過労申請は増え続けていて、調査できる数には限界があって・・・・申請して答えが出るまで1年半かかるらしぃです。
勤務時間調べるだけのはずなのに・・・(´・ω・`)なにが問題ないんだ厚生労働省



そして企業ぐるみの隠蔽。

組織である以上、ほっといたら隠蔽するだろうから、それを監視する、労働者の味方であるはずの労基署。そこが企業と癒着していたという事実。





一生懸命働いた。

その事実さえ認められない。

それは悲しいっしょ

じこぶんせき 就活をおえて

2007年10月28日 22時51分56秒 | Weblog
ちっちゃい頃の記憶には

情けない記憶が多い。

感動してる記憶もあるけど、
友達とのいざこざでひねくれたり、引越しの晩に号泣したり、
負目を感じたり、逆に優越感を感じてる自分が最悪な記憶として残ってたり。

ちっちゃい頃のオレは大人に対して、良い子ぶっていたと思う。「人のことを考えれる人」という自分を演じていたんだと思う。
だから、「正義感が強いね」とか、「人の気持になってくれる」とか大人から良く言われた。言われることが嬉しかった。
だから、フザケルことは出来ても、大人の迷惑になるような悪いことはしなかったし、出来なかった。




そんな風に自分の過去掘り下げていくと、俺って、情けない記憶や経験で構成されてるな。って思う。

だから、人の目をすごく気にするし、本音を話すことよりも、その場の空気感で、自分を演じていたり。
そしていつの間にか、その演じていたハズの仮の自分が本当の自分になっていた。
少なくとも自分で違和感がなくなってしまっていた。


まるで、つけていた仮面が本当の顔になってしまったみたいに。





就職活動では、
自分の情けない過去や、そんな記憶は必要ないと思って(無意識に)
ポジティブで明るい面に目をやっていた。
そうして出来た自己分析は、自分でもそう悪くないな。って思ってた。


でも、今思うと、そのオレも、もちろんオレなんだけど、
おれの根底にあるものは、もっと情けないもので、それは、これから先も変わらないんだと思う。





情けないオレでも、それがオレなんだと思う。
時々感じる妙な寂しさは、仮面をかぶったオレをオレと思って付き合ってくれてる友達に本当のオレを知ってほしい!知って欲しいけど、知られて、失望されて、何も無くなるのが恐ろしい。って感じるからなのかもしれない。

そう思うから、思える今だからこそ、
本当の自分を出さなければならないと思う。
自分の心に素直にならなくちゃいけないんだと思う。

万人に対して、良い人に成りたいと思っていた、小さい頃。
褒められるのが嬉しかった小さい頃。
褒められる快感に自分を埋めてきた数々の記憶。

たしかに、それはオレだと思う。

でも、その一方で、埋もれていた大人から見た悪い自分。
今から、社会人になる。このときに、そういった自分もしっかりと受け止めてやらなきゃいけないと思う。



まずは、自分の良いところ悪いところを、知る。
感じているだけではなくて、「知る」事が大切だと思う。

そうやって知った自分と、この先何十年も付き合っていくんだろうから。
そうしないと、いつまでも仮面の顔を鏡に映して満足しているだけの詰まらない人生になってしまいそうだから。

よる

2007年10月28日 22時18分16秒 | Weblog
自己分析で思ってる自分と、他己分析で思ってる自分は違うんだな。って事。


オレが思ってるオレもオレなんだけど、それは、オレの中だけであって、周りの友達から見る俺が世間一般でのオレなんだな。って事。
しかも、オレの中での想いが絡み合って、自分で思ってる俺は、オレであってオレでないんだな。って事。


どうなりたい!って思うことは大切だけど、自分(の性格)に合ったことをするためには、自己分析では足りないんじゃないかっていう疑問。






そうなると、人に相談してみたいんだけど、
人に相談するって案外難しい。
あんまり内面の相談をした事もないし、自分の内側を見せてる人ってあんましいないかもしれないなぁ~。って思ってみたり。


なかなか、機会も無いしね。






話は変わって、
相談されるのってもっと難しい。
最近になって、一般論はあるけど、それは、世間とのズレを図るものさしであって、一般論は正解でもなんでもないし、時にはズレの方が大切で暖かいこともあると思うようになってきたり。いい意味でも悪い意味でもそのズレが個性で、個性を否定することはしちゃいけないんだな。って思うようになってきた自分がいる。
個性には、その人が生まれて、今まで生きてきた経験や体験がすべて詰まってるから、一時の思いでそれを否定することは、もしかしたらその人をひどく傷つけてしまうんじゃないだろうか・・・。とか。


おれはどういう人に相談したいだろう?


話を聞いてくれて潜在的に思ってることを引き出してくれる人(カウンセラー等)、その人の考えや一般論を言ってくれる人(評論家など)。色んなタイプの人がいる。



就職活動で一度、自分自身を丸裸にしたと思ってたけど、まだまだ殻に篭ってる自分の中の自分がいる。
それはコンプレックスであったり、人に見られたくない悪い部分であったり。

せめて、自分だけでも、自分だけは、自分の事をしっかりしっている人間になりたいなぁ。と思っていると、夜は深くなる。