民内利昭のブログ

民内利昭の教育と陸上指導に関する色々

競技力と指導力は別物

2015-09-12 23:51:16 | 日記

昨日、次のようなやり取りがある県の高校生と私の間で交わされました。途中のーーーは私の判断で本文から省略した部分です。

高校生:「昨日の体育の授業でとんでもない内容をやり筋肉痛が酷い状況で競技場練習でした。加速走で脚がもつれて転倒してしまいーーーアキレス腱をまた痛めてしまいました。秋県ですが、棄権する可能性が出てきました。」

民内:「無理に出場する必要はありません。それよりも何故、試合前の授業を真面目にやるのか、理解に苦しみます。」

高校生:「うちの担任が顧問に試合大丈夫ですかと聞いて顧問も一週間前なので大丈夫ですと答えたようです。一部の人間が体操着を忘れた連帯責任で体育館をうさぎ跳びで15往復。バレー部の女子は肉離れするレベルです。担任はレスリングの元世界チャンピオン、顧問は県の元強化部長。頭が悪いようです。」

民内:「これだから体育:スポーツ関係者が馬鹿にされるのです。このような教師は葬り去らなくてはいけない存在です。」

高校生:「連帯責任でキツイことをする時代は終わりました。絵面は体罰そのものです。顧問に体育の内容を伝えたらさすがに苦笑いでしたが今日の競技場練習でみんな筋肉痛でも走っているのだからお前も走れと言われたのはショックでした。」

民内:「この事実をあなたと特定されないように他の人たちに伝えて良いですか?」

高校生:「もちろんです。他の県の方や色々な方にこの事実を知っていただきたいので。」

高校生からきいただけの内容なので、実際にそうであったのかどうかは裏を今のところとっていないのでわかりません。しかし、高校生がまったく嘘を言っているとは思えません。皆さんはこの事実をどのように考えますか?もし、本当に「一部の人間が体操着を忘れた連帯責任で体育館をうさぎ跳びで15往復。バレー部の女子は肉離れするレベル」のようなことが事実であったなら、これをやらせた元世界チャンピオンの教師は、最悪の場合、職を失っても仕方のないくらいの内容ではないでしょうか? うさぎ跳びは、とっくの昔に否定されているはずです。しかもそれを何の罪もない他の生徒にまで「連帯責任」と称して行なわせるとはーーー。なぜこのようなことが起こるのでしょうか?今回の事例には日本の体育・スポーツ指導における三つの誤認状況が含まれています。次の通りです。

1、「うさぎ跳びは、やってはいけない運動動作である」ということを知らないくらい勉強していない教師が間違った指導をしても、医療とは異なりなかなか生徒は瀕死の状況にならないため、体育・スポーツの指導者としてやっていけるような現場の状況であること

2、「うさぎ跳びは、やってはいけない運動動作である。筋肉痛の状況を訴える生徒である」ということを知っていたとしても、一時的な感情で「自分が過去にやらされてきたことだから大丈夫である」と判断して生徒たちにやらせてしまうこと

3、体育・スポーツ指導者で「競技力が高かった者は、競技力の高さと同様に優秀な指導力も有しており、高いレベルの選手(児童・生徒)も指導(コーチ)できる」といった誤った考えが、伝統的に日本の指導現場においてまかり通っていること

全国の優秀な指導者の方々と連携するようになって気付いていることは、「競技力の高かった指導者ほど、自身の選手時代の感覚にとらわれており、その感覚から抜け出せない限り、良い指導を展開できない」ということです。よく私が指導に行くと、私の指導よりも「こちらの方がより良い結果が出ています」というような内容をおっしゃる方々がいます。確かに幼少の頃には、体力をつけて運動する際に「頑張る指導」をするとパフォーマンスは短期で向上します。しかし最近、若くして才能を示した選手が消えていく一つの理由として、間違った指導(頑張ってー力んで運動するなど)を若くして受けてしまったために、将来においてその技術が邪魔をして怪我をしたり伸びなくなり(日本人はリラックスして運動することが苦手であるということは従来言われてきました)、それが原因となってその選手たちが大成できていない現実が存在するのではないかと考えるようになっています。このように考えてみると、あるテレビ局で放送されているオリンピック選手が将来有望なジュニア選手を訪ねて指導する、という企画に対して私は懐疑的であり、早く止めるべきものであると考えています。

 


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