民内利昭のブログ

民内利昭の教育と陸上指導に関する色々

ジュニアオリンピック

2018-10-09 05:59:49 | 日記

今年もジュニアオリンピックが開催されます。今年は年齢区分に若干の変更がありました。今までは学年区分だったものを暦年齢区分にしたことです。おそらく世界ユース・ジュニアをにらんでのことでしょう。しかしこの区分にしたとき、3年生が2年生種目に、2年生が1年生を対象とした種目に(従来では行なわれていた)出場することになりました。

特にBC種目に出場してきた場合、上級学年に所属する選手が有利なのではないでしょうか?本格的に多くの生徒たちが陸上競技に取り組み始めるのは中学入学からです。早生まれの選手たちは、1年早く専門的なトレーニングを始めています。高校生以上ならともかく中学生にとってこの1年は、大きな差になって現れるのではないでしょうか?また、従来の2年生ハードル種目に出場して良い成績をおさめた3年生は、翌年は高校の規格で走らなくてはなりません。私は従来の大会ではハードル種目は高校規格へのステップ段階とみていました。

ジュニアオリンピックについて書く機会となりましたので、毎年おかしく思っていることを書きます。それはスタート付近の審判です。昨年のある種目の決勝を見ていたら、不発ともとれる発信音で競技を出発・続行させていました。私の眼にはこれはスタートやり直しとすべき事案です。また、出場選手のスターティングブロックへの付き方まで支持していました(こんな指示するのはこの大会の審判だけです)。フォームを変えられてしまった選手は、力の発揮のしようがありません。スタートラインに手・足が触れていたのなら、その部分だけ指示すればよいはずです。それなのにスターティングブロックのセットの仕方まで指示・変更していた形跡があります。これは私だけの思い込みでしょうか?皆さんも、今回の大会で注意して見ていてください。


大先生

2018-06-30 20:39:22 | 日記

近年、選手指導の機会が増えてきました。その中で一つの壁となる状況が存在します。それは、学校体育の一部としての部活動の存在です。現在の日本の選手育成は、多くの種目が学校体育におんぶ抱っことなっています。陸上競技も例外ではありません。その中で、選手が私の講習会に参加することがよくあります。選手はその時、自身の受けている指導のおかしさに気付くようです。おかしさとは、非科学的な指導内容です。全く科学に裏打ちされていない、結果につながりそうもない指導内容ーーー選手もバカではありません。指導されてみて、記録が伸びない(結果が出ない)指導を受け続けた場合、その指導に対して疑問を抱くのは当然の成り行きと言えるかもしれません。

当然、その選手が所属する部活動顧問の指導よりも、指導を受けてすぐにその効果を実感できる指導に傾くのは、うなずけます。しかしそうなった場合、顧問が自身の選手の希望(他の人に指導を受けたいという希望)を聞き入れない実態があることに気付きました。すなわち、自身の部活動に所属する、結果に結び付いていない選手が、他の人の指導を受けることに対して、「ノー」という反応を示すことです。すごい自信です(私にとってはそう思えてしまいます)。恐れ入ります(私としては)。私は全知全能の神ではありません。当然、私のやることなすこと、百発百中ではありません。自身のやることなすことが百発百中ではないと考えた場合、当然、他の人の指導を受けることを許すと思うのですが、現状はそうとはなっていません(特に高校段階以上で)。

私なら、指導している選手が記録を伸ばせるなら、私以外にその人の指導を受けやすくしてあげることが、アスリートファーストにつながるものと考えます。ところが現状はそうとはなっていません。最近、このような状態が、日本の陸上競技が世界に対しての遅れの原因となっているのではないかと考えるようになりました。もし私が優秀な選手を指導する機会に恵まれた場合、多くの指導者の意見を聞きながら育てようとするでしょう。ところが現状では、指導者は、自身のやり方で選手を指導しようとします。私にとってこのように考え、行動する先生(指導者)は、大先生と思えるようになってきました。


神童をそのまま育てるには

2018-05-06 23:02:26 | 日記

若年にして、ハードル種目で全国大会で入賞またはそれに近い成績を挙げた者が、面白くない陸上競技に興味を示してくれることがあります。球技をやっている者にとって、この陸上競技に興味を示すということは、驚くべきことかもしれません。「陸トレ」という言葉に代表されるように、球技をやっている者にとって一番面白くない辛い練習であるからです。

現在、小中学校の全国大会で入賞以上の成績を挙げた者を指導する機会に恵まれています。その際の私の指導理念は、この神童たちを20歳を超えた時にも日本の一線級でいてほしいということです。現在の陸上競技で、小中学校で良い成績を挙げるには、体力トレーニング中心に指導すれば良いと考えられているようです。しかしそのように育てられた選手の記録が、必ずや頭打ちとなる時期が到来します。

私は多くのそのような選手を見てきて「若年のうちに将来にわたって活用できるハードリング技術を中心として指導できないものか」と試みています。当然その選手が潰れることなく、将来にわたっても自己記録を更新し続けていけるように。特に女子選手は、指導に対して受け身となる選手が多い傾向を、感じています。若くして才能を発揮する選手に共通することにも気付いてきました。彼ら・彼女らは指導した内容に対して正確に実行してみせます。しかし、もし指導内容が間違っていたらーーー。これが日本の陸上競技が世界で戦えない大きな原因ではないかと考えるようになってきました。


不思議な現象

2018-03-15 23:43:04 | 日記

陸上競技部の顧問となり、いくつかの種目で県大会の決勝に複数名進出させることができるようになってきたとき、ある現象に気付きました。それは、どこの県の強化部の先生の多くは、競技者として強かった人が担当しているということでした。私などは選手としては大したことなかったものですから、県の陸上競技の強化部には縁遠い存在でした。一般に日本では、競技が強かった人は優秀な指導ができると考えられているようです。

強化部の指導者は、その種目で選手として強い(かった)人が担当しているのが当たり前のようです。そんな中、海外の文献・情報を得ることができるようになった今、気付くことは、必ずしも優秀な選手は、優秀な指導者ではないということが当たり前のように海外ではとらえられている点です。海外では、選手として優秀な技能を保持する者が、運動動作の評価をさせた時、必ずしも正確に見分けることができているとは限らないという論文が存在します。

県の強化練習会に目をやってみると、強化担当の指導者が、学校の先生であることが多いようです。そんな時、その先生の指導している学校では、陸上競技部員がいないわけでもないのに、その種目の強い選手は育っていないことが多い、という事実にも気付きました。これはどういったことを意味しているのでしょうか?先ほどから私が指摘しているように、このことは競技者として優秀であった者は必ずしも指導者として優秀であるとは限らないということを表す一つの現象なのではないでしょうか?当時はこの現象の理由が分からなくて、とても不思議に感じました。


誰の責任?

2018-03-04 22:25:21 | 日記

TVをつけたら、毎日マラソンの中継をやっていたので、久しぶりにスタート前からマラソン中継を見ました。残念ながら日本の選手は上位には入ってきませんでした。そんな中でも初マラソンの選手が日本人トップとなっていました。ある意味ではホープの誕生と言えるかもしれませんが、果たして手放しで喜んで良いものなのでしょうか?

今日参加した選手の多くは、一般の市民マラソンランナーたちではなかったはずです。気温が高めだったという理由も考えられますが、初マラソンの選手が勝って、それ以外の選手が勝てない。この結果は、「現在の日本の実業団でマラソン練習をやると弱くなる」ということを表す結果ではないでしょうか?選手は、そんなに「根性なし・いい加減な人たち」とは思えません。

日本のマラソン界低迷を解消するために、様々な試みが行われています。私が考える最大の原因は、「コーチングの失敗」です。中国の韓愈の中に「名馬のもとはどこにもいるが、伯楽はどこにもいるものではない」という内容の記述があるようです。日本では、ある団体が名声と権力を得てくると「実力以外の他の要素で団体組織の力となるべき大切な人事が決まり始める」ということが起こり始めます。果たして、現在の実業団の陸上競技部コーチ・監督は、本当に指導力のある人物なのでしょうか?一人の人が長い間、結果が出ない(入ってくる選手を伸ばせない)のに組織の中枢または指導現場を担っていないでしょうか?「強かった選手が現役引退後に指導者としての力量を見るための下積み無しに、すぐそのまま有名チームのコーチ・監督に就任している現状」が、私は陸上競技が世界で戦えない大きな原因であると考えています。