高野 光二郎です !!

高知県選出の参議院議員として、国の実情を地方の視点から綴って参ります。

長宗我部元親まつり 誕生物語(報告書です。)

2012年05月23日 16時28分55秒 | 日記

平成24年5月22日

 

長宗我部まつり誕生物語(報告書)

 

 

 

                      長宗我部連絡協議会事務局長

                                           第1回長宗我部まつり理事 高野光二郎

かなり自重しましたが、強い勧めを頂いて元親公役をさせていただきました。次回からは、広く募集しても良いと思います。

 最初に、この物語は、私、高野光二郎の観点からの私見であります。尚、文章中の敬称略など、お許し頂きたいと存じます。

 第1回長宗我部まつりが5月20日(日)に予想をはるかに上回る約4.000人の方にご来場いただき盛大に開催する事ができた。

 来年(第2回)の開催に向けて実行委員各位においては、実行委員がより一層地域住民と共に楽しめるように、又、お越しいただく皆様のご期待に添うべく、さらに思考を凝らしていくべきである。

このまつりが発展していく事を心から期待せざるを得ない。

 

開催目的は、

「本会は、長宗我部氏を通じ、1地域文化の継承 2観光資源の創造 3地域物産の振興 4地域の交流と港南地区の活性化をはかる。」

である。

このまつりを継続し発展していく上で、人と地域の活性化、そして高知の誇りを後世に繋げて頂きたいとの思いの趣旨で書き記しておく。

 ■背景

 私が知る限り現在、長宗我部に関する民間の団体は、県内外10団体を超える。

 近年の戦国ブームに関係なく、長宗我部氏と深いゆかりを持つ長浜地区は、その一族、家臣の子孫もたくさんいる。

 22代続いた長宗我部家が徳川の時代になり改易されても、その子孫たちは代を重ねてその偉大な功績を顕彰し、御霊を祀ってきた。今もその流れを組む団体も複数ある。

 一方、近年テレビゲームや小説、漫画から長宗我部氏のファンになり、活発に活動をされている県内外の団体もある。

 私の高野家は、長浜の塩谷地区に本籍を有し、親戚も在住し、代々のお墓もある。

 この所縁深い長浜の方々には子どもの頃から可愛がっていただき、その中でも特に若宮八幡宮の現宮司、大久保千尭氏には親身に勝るご指導を賜っている。

 ■連携・協力、そして新たなステージを求めて

 今から3年前の平成21年、大久保氏と共に「長宗我部連絡協議会」の設立を志した。

 現在、10団体を超える長宗我部関連の民間団体は、ブームと共に活動に勢いを増す新しい団体がある一方で、高齢化などにより活動が衰退していく団体がある。

個々の団体において、様々なイベントや催し(平成23年は、県下11イベント) が開催されている。

 しかし、それぞれの団体が独力で開催している事が多く、そのエネルギーや効果は分散されている事も多くあった。

 その状況を踏まえて、メンバーを選考し、確保。準備会を重ねて「長宗我部連絡協議会」を平成21年8月7日に設立。協議会に代表や会長職を置かず、事務局長のみ設置し、不肖ながら私が事務局長を引き受けた。

県下の長宗我部関係団体の代表、高知県、高知市、県議、市議、観光団体、地域代表者など40名でスタートを切った。

 この長宗我部連絡協議会は、その目的を

 「全国的な戦国ブームの中、土佐の長宗我部氏を県内外にアピールし、高知県に新たな観光客の誘致や観光資源の発掘、文化の継承や歴史教育の推進を行う。また慰霊顕彰を基とする祭りや、それに連なるイベントなどを行っている各関係者に集まっていただき、それぞれが情報を交換、共有して高知県全体で長宗我部氏を盛り上げていく」とした。

 予算も資金もなく、正に会員の手弁当による運営であったが、この協議会設立は功を奏した。出席率も大変良く、目的に対して主体的に成果を挙げていきながら適宜、開催をしていた。

 その中で新たな取り組みとして構想に至ったのが、毎年5月の第3日曜日に若宮八幡宮において催される「初陣祭」(426年前5月28日戸の本の戦いが元親公の初陣)をバージョンアップするという事であった。

 平成22年から、大久保氏の起草案により、今回の長宗我部まつりとは比較にならないほど規模は小さい催し案ではあったが、企画を練って昨年の5月開催に向けて準備を進めていた。

 そんな矢先、昨年3月11日、東日本大震災発生。このイベントは即時中止を決定。慣例の慰霊祭のみ厳かに催した。

そして、昨年の11月、大久保氏から「大野川合戦祭り見て来てくれませんか?」とのご要請を受けて、大野川合戦祭り実行委員会と交流を持っている高知県立歴史民俗資料館副館長の猪野満氏にご先導頂き、広報部会長を引き受けて頂いた隅田和稔氏を伴って、11月12日に開催された「第7回大野川合戦祭り」の視察に大分市へ陸路と航路で向かった。

 「大野川合戦?」これは、戦国時代に戸次川と称されていたが、時代流れの中で大野川という名称に変更。

 正にそれは、「戸次川の戦いの地」であった。その合戦を再現しているのがこのお祭りであった。

  この戦いは、1586年、豊後の大名、大友宗麟の鶴賀城を島津軍1万に包囲され、落城寸前だった時に、長宗我部元親・嫡男の信親と一領具足約3.000が援軍として馳せ参じて形勢は不利ながらも信親は撤退をせず、勇猛果敢にその22歳の若い命を彼に最後までつき従った家臣約700名と共に散らした。

  という歴史に対して、鶴賀城と大野川を有する利光地区を中心に英雄として信親公を奉り、毎年慰霊祭も行っている。

 大分市利光地区にある長宗我部信親公の墓。

  「大野川合戦祭り」は大分市の主要観光イベントとして根付いており、来場者は2万人を超える。更に、戦況不利と承知しながらも救援に来て、勇敢に戦ってくれた長宗我部元親公、信親公に対し、深い感謝と敬慕を表して主役級に演出をしてくれている。

河川敷の土手部分にはブルーシートを引いて大勢の方が楽しむ。

 高知から来たという事でご挨拶。

 左から2番目の方は、同じ四国連合軍の将、十河存保公の直系子孫の方。

 規模の大きさ、趣向を凝らした演出に舌を巻いた。

会場は、地元産品や食べ物、露天商のブース、そして大野川を背に巨大なステージと煌びやかな幟、ブルーシートを貸し出して土手部分に敷いて埋め尽くす来場者で賑わい。そしてその来場者は河川敷のステージを楽しんでいた。

 利光地区の方に聞くと、際立った産業もなく、一次産業が中心で高齢化率も高い。大分市の中心部から車で30~40分程度であるが、よくある日本の山間地域である。

お祭りの特徴として、来場者の人々は若者、もしくはお年寄り、子どもに偏っていない。おじいちゃん、おばあちゃんから孫まで3世代で楽しんでいる。

  「歴史や文化や伝統」、「風土や色や香り」が全く揃っていない分散的なイベントではなく、ステージに集中できるスタイルで、ステージ上の催し物がとても思考を凝らして飽きさせない。浮ついたお祭りではなく、歴史や文化、伝統を随所に感じる。

  私たちの隣で子どもたちがチャンバラをして遊んでいる。

 「我こそは、長宗我部信親」と子どもが名乗りを挙げている。

 土佐の偉人である長宗我部は、地元より大分の方に愛されているのではないか? 尊敬されているのではないか? と少し恥ずかしくなる。

 【長宗我部まつりに参加して頂いた大野川鉄砲隊の皆さん。その演出はプロ級。

「400数十年前、助けに来てもらったお礼に来た」と披露して頂きました。】

 「これだ。必ず高知でやる。」

 と心に決めた。何故、この祭りを一度も見た事のない大久保氏が、私に行ってくれと頼んだのか、その理由が分る。

 高知に帰り、大久保氏と打ち合わせを始める。

「出来るか?」「出来ます!!」のやり取りを続けた。「よし、やろう。」覚悟を決めた。

 早速、大野川合戦祭りの設立から中心で主導している清松直人氏に連絡を取り、企画書、予算、組織等など、ありとあらゆる資料を頼み込んで送って頂いた。

 

 大野川の皆さんは喜んで協力してくれた。

この方たちがいなければ前には進まなかったかもしれない。協力してくれた分、後には引けなくなった。

その後、大久保氏と実行委員会の立ち上げに向けてメンバーの選考、そして引き受けていただけるように分担して働き掛けた。

この頃から、地元の方々や長宗我部連絡協議会の方々が協力し始めた。

今年の1月31日 実行委員会設立準備会。

 

長宗我部まつりの思案を練って、企画案などを説明させていただいたところ、今回が初めての構想、披露という事であり、参加者の目が点状態であった。だが、しばらくすると、「この会が何を意味し、それぞれが自発的に行動してから初めて成し遂げられる」ということに共有できた。

 

 メンバーは、今までの長宗我部関係団体のメンバーだけでなく、地元女性の代表者や若手のリーダーなどより幅広く集まって頂いた。

 その勢いで、翌月2月21日 設立総会を開催。

 

そしてこの実行委員会の要である事務局を設置し、事務局長に片岡英三氏そして次長に大久保千鋭氏、専属の事務局員として隅田真一郎氏を選任した。

 その後、各部会に分れて会議や準備を進める。

 財務部会では、部会長に野村茂氏、副部会長に山崎正男氏が就任。

【実行委員長 野村茂氏(国親役をかなり嫌がっていましたが・・・・。)】

実行委員会のメンバーで一番人気がない部会は、協賛金集め。私もこの部会に属した。

 3月の中盤以降、財務部会のメンバーがそれぞれ自ら足を運んで企業や団体にお願いに回った。

 その成果は確実に金額と共に表れた。そして財務部会以外のメンバーも積極的に協力してくれて4月中には、当初、かなり高いとされていた予算額を難なくクリアーした。

しかし、初めての催し。当初組んでいた予算は、二度にわたり編成。理解ある県民の皆様の大切なお金である事に最重点を置き、切り詰めて切り詰めての支出であったものの、そうは行かずに当初の予算の1.8倍程度アップしてしまう。

予算執行の公正さは確保が出来ているので、ホームページや可能なツールにて会計報告は、広く県民に知らせるべきである。

会場設営部会では、部会長に澤部警一氏、副部会長に高橋弘明氏が就任。

ここの部会では、会場の設営と当日の警備、行進、イベントの場内整理などを担当している。配置される場所によっては全くイベントを見ることも楽しむ事もできない所もあるので、配置に苦心。さらにテントや机運びなどきつい肉体労働を要する。 

それでもプロの警備以外、地元の青年メンバー、消防団などがボランティアで責任をもって行ってくれた。又、開催翌日の撤収作業も実行委員の助けもあって完璧にこなしてくれた。心から感謝したい。

又、当初予算組みしていた多数のテントと机は、実行委員として加わってくださった長浜小学校の吉岡潤校長が、ご尽力を頂き、無料で貸して頂いたのでとても助かった。 

広報部会は、部会長に隅田和稔氏、副部会長光内信久氏が就任。

当初、認知度ゼロだったが、高知県・高知市・実行委員会の協力も相乗効果を増して、まつり当日約4.000人の来場者という成果を出した。費用対効果からすれば優である。もちろん、地元の方々や実行委員の人海戦術による広報、お誘いも大きな力を発揮した。

 

予算の事もあり、課題も多くあったが、「第2回はさらに集客できる」と実行委員の間でその対策も共有する事ができた。

 

 うまいもの部会・港南楽市部会は、部会長に森田浩明氏、副部会長に弘瀬隆司氏が就任。

この部会は、一見楽しそうに見えるが、とてもそんなものではない。目的の一つに「地域物産の振興」を挙げている。

特に役員が販売当事者としてではなく、地域貢献、産業育成の社会的奉仕を貫かなければ、少なからず利害関係が絡むので、目的趣旨から外れる事になる。しかし、この部会では、しっかりとその事を自覚され、利他の精神による取り組みにより、十分な成果を出した。来場者に喜んでもらえるように、出店者が新たな商品や自慢の商品の評価をはかり、更に振興のため、徹底して調整や活動をしてれた。その結果、新商品の開発、商品の売り切れ店舗が出るなど成果を出した。

 イベント部会 

 部会長は中村美津子さん。副部会長に山本元子さん。

 この部会は、一見華やかで楽しそうに見えるがそうではない。イベント全体の役割や仕事量では一番労がかかる部会。

イベント企画の細部までの構成、イベント全体の導線(会場配置)、多数のボランティア人員確保と管理、出演団体との調整、他部会との連携など多角的に主体性が必要であり、予期せぬ様々なアクシデントなどにも遭遇する。

しかし、部会の中で最も多い部員数で、他の部会のことまで積極的にお手伝いをした。

このイベント部会でまつり全体の雰囲気を良く理解してくれた。

地元の方と来場者の子ども達で交流をはかるため、アナログの竹馬やコマなどの昔遊びコーナー

地元の方との剣玉勝負。

子ども達と動物たちの触れ合いコーナー。

 以上、5部会について簡単に私見を述べた。何よりもそれぞれ多忙にもかかわらず、開催まで各部会は何回も集まったし、部会長と副部会長は自分たちの時間と労力を捧げ、献身的に努力され、部会員の心を一つにまとめ上げた。その手腕に心から敬意を表したい。

このイベントの成功要因の一番の功績は、各部会が機能していた事だ。そして創造と行動による独自性が発揮できたことであったと思う。

 

■次へ。

 

来場者の高い評価と共に、このおまつりを開催して心から良かったと、実行委員全員で共有できるだろう。

 実行委員の若いメンバーからは、前向きで積極的な

 「次はもっと人が来てくれる。」「次はこうすべき。」「あっという間に終わった。楽しかったなぁー。」

 「次は、武者になりたい。」「次はもっと手伝う。」と言う声を多く聞けた。

来場者からは、

「すごいイベントだった。」「来年も絶対来る。」と言う評価を多く聞いた。勿論、課題を再検証して、活かさなければ何の意味もない。

 少年武者たちに「来年もやりたい?」と聞くと「絶対やりたい。」と言ってくれ、まだ小さすぎて武者になれなかったその子の弟も「僕も出たい。」と言ってくれた。

 ノウハウは出来た。課題を整理し、実行する。次へ。

■終りに

 まず、この機会を頂いた大久保氏に心から感謝を申し上げたい。そして同じ苦労と喜びを共有してくれた実行委員、そしてたくさんのご支援を頂いた企業、団体、県民。そして大野川合戦祭り実行委員会、高知県立歴史民俗資料館の方々、来場者に感謝したい。

 「公共的に何かを始める」という事は、自分の事を置いてでも、家族の為、地域の為、公の為にやるという強い意思と覚悟、責任、行動がなければ出来ない。その事を十分に共有、共感して集まって頂いた同志に心から感謝したい。

  このまつりは、一過性でも浮かれたものでもなく、自信と誇り、伝統、文化、歴史を次代に引き継ぐおまつりとして育って頂きたいと心から願う。

  このイベント本番を迎えて、言いようもない激しい誇りと自信を地域に持てた。

 その高揚感と達成感や喜びは、武者行列からはじめ、全ての催しに持てた。実行委員の皆も同じだと思う。脈々と受け継ぐそれぞれの自分たちの中にあるDNAに響いたのだ。

 又、改めて高知県人として、日本人として誇りを強く持てた。

【馬主さんの好意のサプライズです】

 この機会を皆に与えてくれたのも長宗我部元親公の素晴らしさであり、先祖のお陰であると思う。

 ※来場者の方のご厚意により、当日の模様が動画で見れます。

→ http://www.youtube.com/watch?v=0ZTWt6dDQYk

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