鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

渓流の道化師

2007-05-05 19:43:53 | カモ類
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All Photos by Chishima,J.
渓流を泳ぎ下るシノリガモのつがい 以下すべて 2007年5月 北海道上川郡新得町)


 連休中のある日、夜明け前後の小鳥のコーラスが聞きたくてまだ暗い内に、ラジオの深夜放送を友に十勝川上流域の山間部へ向かった。夜明けとほぼ同じくして到着した現地にはまだ雪が沢山残っており、気温が低いことと相まってコーラスは限られた種類が、それもまばらに聞かれる程度である。しかも、林道の大部分は除雪が入っていないか入っていても途中までで、「こりゃ少々時期が早すぎたわい。これなら山麓の林にしとけば良かったなぁ…」などと嘆いていると、支流の一本でシノリガモと出会った。


岩の上で憩うシノリガモ
右側の単独オスは、左側のつがいのいわばストーカー(本文参照)。タイトルの「道化師」は、英名のHarlequin Duck(道化師カモ)から。
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 シノリガモは北海道では冬期、主に磯のある海岸で多数見られる海ガモ類であるが、その繁殖環境は山地の渓流である。十勝川上流域の他にも知床半島や登別で繁殖が確認されており、道外では1976年、日本での繁殖初確認となった青森や宮城など、東北地方のブナ林に囲まれた渓流でも繁殖していて、東北地方以北の繁殖個体群は「絶滅のおそれのある地域個体群」として環境省レッドデータブックに記載されている。場所が限られているのはおそらく、特殊な環境ゆえ繁殖の確認が困難なためで、実際にはもう少し広い範囲で繁殖しているのではないかと思う。


不思議な模様(シノリガモ
岩に上ったつがいのオスが羽ばたいた。オスの正面顔が怪獣のようだとはよく言われるが、背面もまた不可思議な配色だ。
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 そのシノリガモが6羽‐4羽の雄と2羽の雌‐、目の前の渓流の水面に浮き、或いは岩の上で休息している。当初は海上にいる時と同様、近隣の個体が任意に集まった小群なのだろうと思ったが、観察を続けるとどうもそうではないことがわかってきた。2組のつがいがおり、余剰の雄2羽はそれぞれのペアに付きまとっているのだ。独身雄によるペアへの付きまといは、繁殖期のカモ類では普通にみられる行動であり、独身雄は何かの機会につがいの雌との交尾(主に強制交尾)の機会を狙っていると考えられる。
 つがいの行動は水面での遊泳と岩の上での休息に大別されたが、岩にいる時は、付きまとい雄は少し離れた水面や岩で様子を窺っているか一見無関心にしており、つがいが水中に入ると急速に距離を縮めてくることが多かった。これは岩の上ではつがいは互いに寄り添っているのに対して、水面では潜水のタイミングのずれや流れによって互いの距離が離れがちなため、雌へのアクセスの機会が生じることによるものではないだろうか。無論、つがいはこのつきまとい雄を無言で受け入れているわけではなく、対峙して首を上下させたり回したりして(威嚇のポーズか?)、それでも効かないと追い払いにかかっていた。追い払いはオスだけではなくメスも行っていた。一般にカモ類では、強制交尾などつがい外交尾に対するメスの抵抗が少なく、それは抵抗することによる雌側のコストが大きい(傷付けられたり、殺されたりする)からとされる。このシノリガモでは余剰雄の数が少ないからか、つがい同士の結合にそれだけの利益があるからか、雌は付きまとい雄に抵抗していた。


つがいと付きまといオス(左)(シノリガモ
大部分の付きまといは水面だった(本文参照)が、この事例は岩で休息中に起きた。

つがいの休む岩に、単独オスが上陸してきた。
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オス同士が首を伸ばしながら上下、回転させ、相手を窺う、もしくは威嚇するような状態。
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ついにつがいのオスが攻撃して、単独オスを岩上から追い払った。
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付きまといオスを攻撃するメス(左)(シノリガモ
オスは潜って逃れようとしている。
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 つがいの水面での行動だが、明らかに潜水を繰り返す採餌とは異なる、やや高低差のある場所を流れ落ち、ある程度下ると上流に戻ってまた流れ落ちることを繰り返す、人間の目には不可解な行動も観察された。つがいに多い行動で、岩の上で休息中の雌が率先してこの行動を始めたこともあったことから、つがい間の結合を強めるのに何らかの意味を持っているのかもしれない。
 実際のところどうなのかはわからないが、点在する岩石を背景に、激流に揉まれながら流下して行くシノリガモの姿は、冬に磯で荒波に浮き沈みしているそれとだぶって見えた。今まで、渓流で繁殖してそれ以外の時期を海上で過ごすとは何と奇特な鳥かと思っていたものだが、カモにしてみたら似たような環境にいるわけであり、然程突飛なことでもないのだろう。考えてみれば山や森で繁殖する海鳥は他にもいるし、鳥以外ではサケ科の魚類が山と海の二重生活をしている。海と川と森、一見別々の自然がすべて繋がっている…。
 なにやら壮大な思いに捉われていると、観察を始めてから優に一時間以上が経過していた。6羽の「道化師」たちは相変わらずそうと知らなければ長閑に見えるが、実は繁殖を控えた緊張関係の中、共に渓流に戯れている。
 

激流に揉まれるシノリガモのつがい
荒波打ち寄せる岩礁海岸と言われても信じてしまいそうだ。
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十勝川上流域・融雪期の風景

十勝岳連峰を望む。麓の針葉樹林を含め、まだ白銀の卓越する世界だ。
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しかし、季節は着実に進んでいる。夏には細々と滴るこの小さな滝も、雪解け水を集めて一気に流れ落ちる。
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(2007年5月5日   千嶋 淳)