原題は「2009 LOST MEMORIES」。日本が朝鮮を併合したまま現代に至っているというバラレルワールドを描いた2001年に作られた韓国映画です。日本はアメリカと同盟して、ともに第二次世界大戦に参戦、原子爆弾はベルリンに落とされ、日本は戦勝国として戦後を迎え、よって韓国や北朝鮮は独立せず、朝鮮戦争などもなく、ソウルは京城府として大日本帝国第三の都市として栄えています。小説で言うと、フィリップ・K・ディックの「高い塔の男」とかG・ミキ・ヘイデン「ニッポン太平洋帝国」みたいなものなんですが、かつて植民地だった側の韓国がこういうのを作るあたりが、自虐的というか「恨五百年」の民族性が出ています。
細部を見ていくと、1988年のオリンビックはソウルの代わりに名古屋で開催され、2002年のサッカーW杯は日本による単独開催、李東國という選手が日本チームの一員として出場していたりします。また1995年に取り壊された筈の「恥」の歴史遺産、朝鮮総督府は今も京城府に残り、その前に延びる世宗路の中央分離帯には「反日の歴史的英雄」李舜臣の銅像の代わりに、朝鮮では「大悪人」の豊臣秀吉の銅像が立っています。まさに「恨五百年」、韓国人にしかピンとこない凝りようです。豊臣秀吉の銅像って日本国内でもあまり見ないかも。
ソウルに住む筈の韓国人は「朝鮮系日本人」で、街の風景はロケ地がまるで新宿のように(実際、そうなんだけど)どこにもハングルはなく、公用語は日本語なので例のたどたどしい訛りの日本語を喋っています。併合後百年近く経っている筈なのに未だに「十五円五十銭(チュウコエン コチッセン)」が抜けていません。そして、極めつけが朝鮮独立運動を行う地下テロリスト組織、名づけて「不逞鮮人」ならぬ「不令鮮人」で、こちらは関東大震災のときだから、控えめに「恨百年」。こういう映画を日本で撮ったら、内容がまったく同じでも間違いなく「教科書問題」級の騒ぎになるでしょう。まあ、韓国が自ら撮る分にはいいのでしょう。
劇中、日本の財団が朝鮮の文化財を展覧会に出展している場面では、金銅半跏思惟像が登場していました。ソウル国立中央博物館にある半跏思惟像が、広隆寺の木造半跏思惟像と似ていることは韓国でもよく知られており、この木像が、朝鮮出征時代、もしくは日帝時代に日本が強奪または押収したものと信じている人も多いそうです。展示物は展覧会の後で日本内地に運ばれてしまうという設定でしたが、日本による文化財収奪を暗に批判しているように思えました。
で、このように歴史が変わってしまった契機というのが、日本敗戦・韓国独立の延長線上にある真の歴史世界からタイムトラベルした井上なる日本人が、ハルビンでの安重根による伊藤博文暗殺を阻止したことによる。という設定で、まったくもって荒唐無稽。伊藤博文が生き続けた劇中でも1910年に朝鮮は日本に併合されているし、どこがどう繋がって歴史が変わったのか? いくら安重根が「反日の歴史的英雄」とはいえ、一介のテロリストが暗殺をしくじった程度で、歴史がそんなに大きく変わるものでしょうか。併合された後も朝鮮には偉大な民族運動指導者は現れていないのが現実です。このへんは自分たちの祖先が世界の中心にいて歴史に対して影響力を持ち続けてきたと信じる、自意識過剰な民族性が如実に現れているように思います。
もし伊藤博文暗殺が成功していれば「2008年に60年の分断を経て南北朝鮮は統一され、大きな経済力と軍事力を備えた新たな国家としてアジアの手本になる」との希望的な台詞まで飛び出す始末ですが、今は既に2008年、このあたりはご愛嬌かな。
なかなか楽しめました。
細部を見ていくと、1988年のオリンビックはソウルの代わりに名古屋で開催され、2002年のサッカーW杯は日本による単独開催、李東國という選手が日本チームの一員として出場していたりします。また1995年に取り壊された筈の「恥」の歴史遺産、朝鮮総督府は今も京城府に残り、その前に延びる世宗路の中央分離帯には「反日の歴史的英雄」李舜臣の銅像の代わりに、朝鮮では「大悪人」の豊臣秀吉の銅像が立っています。まさに「恨五百年」、韓国人にしかピンとこない凝りようです。豊臣秀吉の銅像って日本国内でもあまり見ないかも。
ソウルに住む筈の韓国人は「朝鮮系日本人」で、街の風景はロケ地がまるで新宿のように(実際、そうなんだけど)どこにもハングルはなく、公用語は日本語なので例のたどたどしい訛りの日本語を喋っています。併合後百年近く経っている筈なのに未だに「十五円五十銭(チュウコエン コチッセン)」が抜けていません。そして、極めつけが朝鮮独立運動を行う地下テロリスト組織、名づけて「不逞鮮人」ならぬ「不令鮮人」で、こちらは関東大震災のときだから、控えめに「恨百年」。こういう映画を日本で撮ったら、内容がまったく同じでも間違いなく「教科書問題」級の騒ぎになるでしょう。まあ、韓国が自ら撮る分にはいいのでしょう。
劇中、日本の財団が朝鮮の文化財を展覧会に出展している場面では、金銅半跏思惟像が登場していました。ソウル国立中央博物館にある半跏思惟像が、広隆寺の木造半跏思惟像と似ていることは韓国でもよく知られており、この木像が、朝鮮出征時代、もしくは日帝時代に日本が強奪または押収したものと信じている人も多いそうです。展示物は展覧会の後で日本内地に運ばれてしまうという設定でしたが、日本による文化財収奪を暗に批判しているように思えました。
で、このように歴史が変わってしまった契機というのが、日本敗戦・韓国独立の延長線上にある真の歴史世界からタイムトラベルした井上なる日本人が、ハルビンでの安重根による伊藤博文暗殺を阻止したことによる。という設定で、まったくもって荒唐無稽。伊藤博文が生き続けた劇中でも1910年に朝鮮は日本に併合されているし、どこがどう繋がって歴史が変わったのか? いくら安重根が「反日の歴史的英雄」とはいえ、一介のテロリストが暗殺をしくじった程度で、歴史がそんなに大きく変わるものでしょうか。併合された後も朝鮮には偉大な民族運動指導者は現れていないのが現実です。このへんは自分たちの祖先が世界の中心にいて歴史に対して影響力を持ち続けてきたと信じる、自意識過剰な民族性が如実に現れているように思います。
もし伊藤博文暗殺が成功していれば「2008年に60年の分断を経て南北朝鮮は統一され、大きな経済力と軍事力を備えた新たな国家としてアジアの手本になる」との希望的な台詞まで飛び出す始末ですが、今は既に2008年、このあたりはご愛嬌かな。
なかなか楽しめました。
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