Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

莫言 「白檀の刑」

2005-08-01 | Asia 「圓」な旅
莫言の長編小説「白檀の刑」、なかなか読みごたえのある小説なので、一気に読まずに少しずつ味わいながら読み進めています。日本でいうと大江健三郎の70~80年代の長編なんかを読んだときの愉しみに似ているような気がします。たぶん中盤を過ぎると俄然面白くなって、一気呵成に読了ということになるのではないか。と思います。

小説の舞台は清末の山東省高密県。莫言の小説で繰り返して登場する馴染みの場所です。最初の語り手である孫眉娘は、少し頭の足りない肉屋・趙小甲の女房ですが、実父で「猫腔」という地方劇の座長の孫丙が、鉄道敷設を行う列強ドイツに謀反を起こすという大罪を犯します。孫丙を捕らえた県知事の銭丁は眉娘の愛人で、実父を極刑に処すべく選ばれた処刑人が、眉娘の舅で北京の刑部大堂の首席処刑人だった趙甲という皮肉な設定。いったいどんな結末になるのやら。

「白檀の刑」第一章で、眉娘が牢に繋がれた父のことを嘆き、以下のように語ります。

父さん。あんたが母さんにしたつれない仕打ちを思えば、まったくのところ一度ならず二度、三度とあんたを助けるのは止めて、女をひどい目に遭わせぬように、早くお陀仏になってもらうほうがいいのかも知れない。だけども、あんたはやっぱりうちの父さん。天がなければ地もなし、タマゴがなければ鶏もなし、情けがなければお芝居もなし、あんたがいなければうちもいなかった。着物が破れたら換えればいいが、たった一人の父さんだけは換えようがないからねえ。

このくだりを読んでいて、SARS流行下にも留学先の北京大から帰らなかったという谷崎光さんが、その著書「てなもんや中国人ビジネス」で書かれていたことを思い出しました。

「自分の母親と妻と子供が海で溺れていたら、最初に誰を救助するか?」
という質問を米国人男性と中国人男性に投げかけたら、その答えが正反対だったというものです。米国人の三人に二人は「子供」を選び、のこりの殆どは「妻」を選んだのですが、これに対して中国人は、三人に二人が「母親」を選び、のこりの殆どが「妻」を選ぶのです。米国人の選択は、自分の遺伝子を持った子孫を後世に残すという、いわば生物の本能にも基づいたものなのでしょうが、中国人の論理もまた頷けます。曰く、子供はまた作ることができるし、妻はまた娶ればいいけど、しかし自分を産んでくれた母親は世界でひとりだけ。というわけです。

つづく


最新の画像もっと見る

コメントを投稿