Tomotubby’s Travel Blog

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南京に連れて来られたキリンと、北京・明十三陵の麒麟の像

2004-08-11 | Tiger Balm Gardens
今「1421 中国が新大陸を発見した年」という本を読んでいます。15世紀初め、中国は明朝三代皇帝永楽帝の時代で、皇帝の命により、宦官鄭和が世界一の大艦隊を率いて大航海に繰り出します。そしてコロンブスに先んずること71年前にアメリカ大陸を発見していたというから驚きです。

鄭和は4回目の航海で東アフリカに赴き、そこで捕まえた「キリン」と呼ばれる首の長い動物を中国まで連れ帰って、永楽帝に献上しています。帝位を纂奪したとの誹りを受けていた永楽帝は、この動物こそが伝説の瑞獣「麒麟」で、自分の統治の正当性を認める天の兆しと宣言し、キリンを大いに利用します。そして1421年、南京にあった都を漢民族の統一王朝として初めて北京に移すのです。現在北京にある故宮紫禁城は明朝に建てられたものを清朝が引き継いだもので、キリン無くして首都北京は存在しえなかったといっても過言ではないでしょう。

そもそも中国において吉兆の動物とされる「麒麟」は、ビールの商標にも使われているような姿をしていて、架空の神獣です。麝香鹿の体、牡牛の尾、狼の額、馬の蹄、一角獣の角を持つと言われています。架空の動物である麒麟とアフリカから連れてこられた現実のキリンは、当然外見が全く違っています。しかし明代の中国人にとっては、鹿の体をベースにした見慣れた麒麟の図像より、首や足が長く体表に黄色の斑点のあるキリンの異様な姿の方が、ずっとインパクトが大きかったのだと思います。想像の域を超えてしまっている異形の生き物を目の前にして、これが麒麟と言われれば、その言葉を信じこんでしまっても仕方がなかったでしょう。

北京遷都の遠因にまでなったキリンは、恐らく南京では生き長らえることができず、中国人の記憶から忘れ去られたのでしょう。北京の郊外には、明十三陵という、永楽帝が葬られた長陵を始めとした明朝歴代皇帝の墓所群がありますが、中国最大の石牌坊をくぐり墓所に続く参道の左右には、12の石人と24の石獣が立ち並んでいます。その中に象やラクダの姿は見つかりますが、首の長いキリンの姿は見つかりませんでした。調べると、鄭和が永楽帝にキリンを献上したのが1416年、永楽帝がこの世を去ったのが1424年、石像が造られたのがさらに11年後の1435年で、北京の石工は首の長いキリンを見たはずもなく、参道には鹿に似たお決まりの「麒麟」の像がありました。


明十三陵参道の「麒麟」

アフリカ原産の首の長い黄色い膚をした動物の名「キリン」は、海を渡り日本にまで伝えられ、その後、実物の「キリン」が日本の動物園に届けられ、名前とともにお馴染みの人気者になったわけです。

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