Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

12/20日 ラバ・ウォーク・ツアー出発

2004-01-15 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
明けて12/20日、早起きしてホテルのガーデン・レストラン「オーキッド・コート」でサーモン・ベーグルを食べてから、参加するラバ・ウォーク・ツアーの車を待ちました。

今日はキラウエア火山から流れ出た溶岩(ラバ)の上なんかも歩くツアーなので、転んで怪我しないように、旅行前に新宿で買ったお気に入りの茄子紺長袖サーファーTシャツを着ることにしました。
出国前の日記にも書きましたように、まだ熱い「トロトロ溶岩」にお目にかかるのは期待薄ですが、火の女神ペレは気まぐれだから、現地へ行ってみたら、いきなり足元から、トロ~リ、トロトロ~ということもあり得ます。期待を捨てずに行こう!!

ツアー・ガイドはレイモンドさん。日系三世とのことですが、東京に住んでいる日本人と言っても誰も疑わない、昨日、成田からハワイに着いたばかりといっても頷いてしまう、完璧な日本語の喋繰りでした。Tomotubby はフォードの4WDに乗ってからガイドブックをパラパラしていて気がついたんですが、なんと、レイモンドさんと、このツアーは「地球の歩き方リゾート303 ハワイ島」に写真入りで紹介されているのでした。

レイモンドさんに伺ったところ、ツアーのコースは「地球の歩き方」に載っているコースとは少し変えてあるそうです。まず南回りでプナルウの黒砂海岸を経由して、キラウエア火口に向かいます。昼食を摂り火口の周りを見た後、「地球の歩き方」所載の溶岩に流されてしまった町、カラパナには行かずに、キラウエア火口から小さな火口丘の並ぶチェーン・オブ・クレーターズ・ロードを、溶岩で道が断絶された終点まで向かい、溶岩の上をハイキング。運がよければここでトロトロ溶岩にお目にかかれるそうです。ハイキングの後は、再びキラウエア火口に戻り、溶岩が流れ出たあとにできた自然のトンネル「ラバ・チューブ」を見学。そしてヒロを経由して北回りでコハラ・コーストに戻ると夕暮れ時になるとのことです。

12/19日 満天星空観測

2004-01-08 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
日没後、再びオニヅカ・ビジター・センターのあるハレポハクに戻りました。西の空に宵の明星が輝き、暗くなるにつれて徐々に星が姿を現します。今晩は月の出が夜半過ぎと遅く、星空観測には最適の夜です。

ハレポハクは頂上に比べれば1500mほど低く、頂上のように風も吹いておらず、あまり寒くはない筈ですが、日が暮れてから気温が急激に下がっているような気がしました。Tomotubbyは、センターで熱いココアを飲んで体を温めて車に戻りました。

ジムさんは、別のツアーのコンダクターのマイクさんと組んで星空観測をするそうです。
マイクさんはいい天体望遠鏡を持っているのですが、日本語のお喋りの方は流暢ではないようでした。沖縄の基地にいたとき知り合った奥さんとハワイにやってきたそうですが、近々沖縄に戻るようです。かたやジムさんは、日本語がペラペラなのですが、望遠鏡は壊れているのか、持ってきていないようです。二人のコラボは両者ともにメリットがあるようです。

マイクさんは専ら反射式望遠鏡の視野調節を受け持ち、ジムさんが星空の解説をしました。ときおり、掛け合い漫才のようになり、笑えました。
Tomotubbyが、ジムさんの話で覚えてるのが「俺さあー。こっから望遠鏡でカイルア・コナの彼女の家が見えないかなーって覗いてみたら、見えるんだよね。ちょうど風呂場に電気がついててねー。これがほんとの変態望遠鏡。でもバアさんが入ってた」というもの。これはネタ割れてたよ。(笑)

今回 Tomotubby は生まれて初めて「満天の星」というものを体験しました。北の空を天の川が横断していて、それに沿ってカシオペア座のWと大きな十字の白鳥座が見つかりました。例のごとく、Wの一辺を延ばしていくと、ありました。ずいぶん低い位置に北極星、ポラリスが。おなじみ大熊座の北斗七星は地平線の下に隠れてしまっています。それにしても、ハワイの夜空は日本に比べ星の数が多すぎて、星座が見つけにくくて困ります。なんとも贅沢な悩み。

ジムさんとマイクさんは、望遠鏡を用いて、以下の順番で星を紹介してくれました。マイクさんはこの寒いのに半パン姿で「すごいんだな~」を連発していました。

①人工衛星(肉眼で見るだけ、動くのが凄く速い)
②金星(宵の明星、西の空)
③白鳥座ベータ星アルビレオ(双子星、ジムさん曰く「エロビデオじゃないよぉーアルビレオだよぉー、お父さん、日本に帰っても、ハワイでエロビデオ見てきたなんて言わないでね」)
④すばる(プレヤデス星団、おうし座の中にあって、富士重工のマークの通り!!)
⑤オリオン大星雲(オリオンは東の地平から出現しました)
⑥土星(やはり東の空。輪っかも見えました)

12/19日 マウナ・ケア山頂のサンセット・ショー

2004-01-07 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii

マウナ・ケア頂上

いよいよマウナ・ケア頂上です。4WDの車窓から見える風景には、植物がなく、TVで観た「月面」のように荒涼とした世界です。その上に白い円筒形や球形の(想像していたよりずっと小さい)天文台が、幾つも建てられていて、ここが果たしてハワイなのか?その前にここはいったい地球上なのか?と思わせる光景です。

マウナ・ケアは、
①政情が安定した米国にある。
②国際空港からのアクセスが比較的よい。
③標高が高く空気が乾燥して晴天の日が多い。
④都市活動や火山活動に起因するスモッグが少ない。
⑤集落から離れていて、下界の夜間照明が観測の障害にならない。
⑥ハワイ島の他の地域に比して火山活動が沈静化していて比較的安全。
⑦山がなだらかで天文台を作るための資材を運ぶ道路を容易に作ることができる。
等々、天文台を作り、そこで天文観測をするための好条件に恵まれた場所です。この結果、世界各国の天文台がここに集まり、さながら「天文台銀座」の様相です。

オニヅカ・ビジター・センターの標高2600mという高さでは、成田空港まで着ていたダウン・ジャケットを羽織っていればさして寒くはありませんでした。しかしジムさんによると、標高4109mの頂上の気温は、海岸の気温と比べると20度以上も差があり、零度近いらしいのです。私たちは車の中で、ツアーで用意してくれたフード付きの防寒服を着込みました。

車から出ると予想以上に風が強く、防寒服二枚重ねでも寒く感じられます。体感温度は、氷点下、そのうえ空気がかなり薄いためか活動も鈍く、強い風の中、着膨れしてよろよろしながら歩く姿は、TVで何度も観た宇宙服を着て月面を歩く宇宙飛行士のようです。

寒さに堪えきれなくなった人たちは、既に風の当たらない天文台の陰に集まって震えています。Tomotubbyは、防寒服二枚重ねが効を奏して、他の人たちより活動的に広範囲を動き回りました。山頂からの夕景は本当に素晴らしく、ひとり150ドルを支払ってわざわざ上った甲斐があったと思いました。センターに残してきた「いきなり観測組」の人たちもやはり150ドルを支払ったそうで気の毒です。


雄大な夕陽だな

太陽は既に地平の稜線すれすれまでに下がり、白い大きな天文台-おそらく、あれが日本の「すばる」天文台でしょう-がオレンジ色に染まっています。


「すばる」天文台

そうしているうちに太陽は地平に吸い込まれていき、オレンジ色のトワイライトが徐々に暗くなっていきました。ほんの短いサンセット・ショーでしたが、Tomotubby には忘れられないひとときでした。


トワイライト

12/19日 オニヅカ・ビジター・センター

2004-01-06 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
溶岩の上で休憩した後、4WDは再びサドル・ロードを東進します。霧で煙る広大な牧場を両側に見やりながら、「毛深い丘」プウ・フルフルの前で、この道を左折すると、あとは目的地マウナ・ケアへ登る長い一本道です。やがて雲海の上に抜け出ると、頭上には雲ひとつ無い青空、雲海の中には小さな噴石丘がいくつも見え、遠くには雄大なマウナ・ロアが望めます。


噴石丘

私たちは、マウナ・ロアの頂上に登る前に、ハレポハクという所にる「オニヅカ・ビジター・センター」という休憩所兼売店兼資料館で一時間の食事休憩をとることになりました。「オニヅカ」って日本の運動靴の会社にあったな。ギザギザのラインのついてるやつ。と思っていたら、スペースシャトルの事故で亡くなった宇宙飛行士、エリソン・オニヅカさんの名がつけられたそうです。この方は、ハワイ島コナにあった雑貨屋に生まれた日系三世で、今では、ハワイの英雄になっているそうです。


オニヅカ・ビジター・センター

車から降りて歩きだすと、頭がふらふら、フラダンス、足が少々もつれました。ここは、既に標高2600mの高地なので、空気が薄いのです。Tomotubbyは、耳と鼻の間の気道が狭くて、ダイビングのときとか息抜きがうまくできない人なので、ひょっとして高山病にならないかと根拠も無く心配していました。実は、飛行機に乗るとき、気圧で鼓膜がやられないように用いる「コールタイジン」という安直ネーミングの点鼻薬までカバンにひそめ、用意万端でこのツアーに挑んだのです。けれども、別にどうということもなく、今晩の夕食として用意された、日本のコンビニで売ってるような弁当を残さず綺麗に平らげてしまいました。そして死なないかと恐れて今まで行かなかったチベット旅行にも、俄然、野望を燃やし始めたのでありました。

そうこうしていると、他のツアーの一群もバスや4WDで続々とオニヅカ・ビジター・センターに到着、ずいぶん賑やかになってきました。昨日のコーヒー園ツアーのコンダクターの人もいたので挨拶などしてきました。し、しかし、あたりを見回すと日本人ばかりで、こんな遠くまで来たのに、なんとも奇妙な光景であります。
野外テーブルの上には、日本人観光客の食する様々なコンビニ弁当が広げられています。Tomotubbyは目敏いので、自分の弁当のおかずには海老フライがあるけど、向こうの弁当は豚カツのようだとか、こっちはスープだけど、あっちは味噌汁だとか、しっかりチェックをしてしまいました。

どうやらマウナ・ケア頂上に登ることのできる人数や属性が制限されているようで、オニヅカ・ビジター・センターで休憩後、頂上でサン・セットを見てから再びセンターに戻り星空を観察する組と、頂上には行かず(行けず)いきなり星空観察をする組があるようです。「いきなり観察組」はお子様とお年寄、等で構成されていると察しました。ふふふ。(意味のない笑い)

12/19日 マウナ・ケアへ向かう

2004-01-05 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
その男性こそがツアー・コンダクターのジムさんでした。子供のときから日本に住んでいたそうで、喋りだけ聞くと全くの日本人、でもナンパされてるような調子の喋繰りなので、年齢(推定48歳)にしてはちょっと軽めです。
ツアーの車は4WD。参加者は全部で八人、東京と関西の人だけで、意外にも住んでいるところや出身地が近くだったりしてビックリしました。当日朝にハワイに到着したカップルもいて、車中で心置きなく爆睡されていました。


マウナ・ロアと溶岩

車は島の真ん中、マウナ・ケアとマウナ・ロアの間を横断するサドル・ロードを東へひた走ります。途中、マウナ・ロアから流れ出た溶岩で一面覆われた土地で休憩。遠くに長い山、マウナ・ロアの稜線が望めます。Tomotubbyが気に入ったのは、道路沿いにあった噴石丘?で、半分には木が生えていて、ベックリンの描いた「死の島」という絵画を思い出しました。ちょっと不吉な絵なんですが、凄く印象の強い絵です(確か上野の美術館で開催された何かの企画展でこの絵を観たような気がします)。

→Andrew Doughty Harriett Friedman 著「Hawaii The Big Island Revealed The Ultimate Guidebook; 3rd Edition」にこの奇妙な地形のカラー写真を発見しました。名前は「プウ・フルフル」といって「死の島」のイメージとはほど遠く力が抜けました。意味は「毛深い丘」と何とも意味深です。


プウ・フルフル

12/19日 マウナ・ケア サンセット&星空観測ツアー出発

2004-01-04 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
ハワイ島には、4000m級の山が二つあります。ひとつがマウナ・ケア、「白い山」(モンブランと同じですね。ハワイなのに冬には雪が積もって頂上が白くなります)という意味で標高4205m、もうひとつがマウナ・ロア、「長い山」(横に長いため、あまり高く見えない不思議な山です)という意味で標高4109m、どちらも3776mの富士山より高い山です。
マウナ・ケアはハワイ州最高峰にして、環太平洋でも高さで五指に入る山ですが、実は海面下に、海底から6000m近くの高さが隠れていて、これを考慮に入れると、8848mのエベレストを超えて世界最高峰になります。マウナ・ロアの方は、高さでマウナ・ケアに負けていますが、その陸塊はハワイ島の半分以上、つまり四国の1/4以上を占めていて、海面下に隠れている分を合わせると世界最大の山ということになります。

Tomotubbyは、富士山にすら登ったことがないのに、今日は午後からマウナ・ケア4205mに挑戦です。ごくたまに高山病で死ぬ人もいるそうで、少し緊張。実は、前からチベットに行きたいのですが、高山病が怖くて躊躇していまして、今回はチベット行きの試金石にもなりそうです。
日没時の頂上の気温は零下らしく、ダウン・ジャケットなど冬物衣料で完全武装しましたが、ホテルのあるコハラ・コーストは20度を超えていて正直暑いです。ホテルの玄関でツアーの車を待っていると、アロハ姿の人がじろじろ見て笑っています。
こういうときに限ってツアーの車は遅れてきます。ツアー・コンダクターは日本語で説明するそうですから、到着する車に日本人が乗っているかどうか、一台ずつ調べていたら、背後から「〇〇さんですか?」と声がかかりました。振り返ると、緑のシャツを着た、背の高い日焼けした濃ゆい顔の白人男性が立っていました。

ハワイと沖縄はどこかしら似ている

2004-01-03 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
年末からTVで「歴史の真相」みたいな番組がいくつか放映されました。
例えば、ツタンカーメン王は病死でなくて暗殺された。とか、
ダイアナ元皇太子妃は事故死でなくて暗殺された。とか、
ケネディ大統領暗殺の黒幕はジョンソン大統領だった。とか、
けっこうショッキングな内容ばかりでしたが、
ルーズベルト大統領は真珠湾奇襲を事前に知っていた。というのにも、驚かされました。

ルーズベルトは日本にハワイを攻撃させ、国民の目を日本に向けさせて、第二次世界大戦に参戦しようとしたというものです。その意図の通り歴史は動いたのですが、誤算だったのは、日本の軍事力を侮ったため、真珠湾で数多くの兵士や市民が犠牲になってしまったことです。
世界大戦末期、敗戦が濃厚となった日本もまた、米軍の忍び寄る攻撃の前に、沖縄を捨て石にしました。沖縄は戦場と化し、死屍累々、膨大な犠牲者が出ました。

Tomotubbyはハワイから帰ってから、いろいろハワイの本を読みました。そして思いました。
「ハワイと沖縄はどこかしら似ている」

大戦時、ハワイはまだ米国の州ではなく、メインランドの大統領は、遠い土地ハワイを自国とは考えていなかったのではなかろうか?
9・11のときも「アメリカはいまだかつて空襲を受けたことがない」というような発言があったりして、ハワイ州に格上げされた今でも、メインランドの人のハワイに対する気持ちは、案外フランス人がタヒチを想う気持ちと大差ないのではないか?と思います。
日本の中の沖縄の位置は、米国の中のハワイほどでないとは思いますが、今でも、ハワイ同様に「本土」(つまり、メインランド)という言葉が使われているし、人々の意識の中には根強く「ウチナーンチュ」と「ヤマトゥンチュ」の区別があるのも事実です。

ハワイも沖縄も「本土」の人たちにとっては、南国・楽園のイメージを持つ観光地です。ところが裏へ廻ると、どちらも楽園のイメージから程遠い「米軍基地」の島でもあります。このあたりは、ハワイと沖縄は兄弟のように似ています。

そして、どちらにも、100年あまり前、独自の歴史と文化を持つ王朝が存在していました。

ハワイでは、1893年の白人のクーデターがもとで、1810年のカメハメハ大王の統一以来続いたネイティブ・ハワイアンの王朝が、リリウオカラーニ女王の幽閉、1895年の廃位とともに、途絶えてしまいます。1898年には、遂にアメリカに併合されてしまいます。

沖縄でも、1429年尚巴志の琉球統一後、脈々と続いた琉球王朝が、ハワイに先立つこと20年前、1875年に崩壊します。これがいわゆる「琉球処分」で、王国は、明治政府により、段階的に解体されました。まず1871年に、琉球は鹿児島県の管轄下におかれ、翌年、尚泰王は琉球藩王に封じられます。最後には、武力行使によって、琉球藩は廃され、沖縄県として日本の中に組み込まれてしまいました。

ハワイ王国も琉球王国も、大国に翻弄されたあげく滅んでしまいましたが、独自の文化は世代を経て伝えられ、素晴らしい伝統は今なお生き残っています。そこには無味乾燥なリゾートとはまた別の魅力が潜んでいて、Tomotubby たち一部の旅人を惹きつけるのだと思います。

12/19日 現地で旅行計画

2003-12-31 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
初日の12/18日は、時差のための睡眠不足で、夕食を摂らずに爆睡。Tomotubby@goo~goo~
翌19日もしっかり寝坊して、ホテルのガーデン・レストラン「オーキッド・コート」でブランチを頂きました。バイキングを薦められましたが、こういうのは日本人にとって多すぎるのが常ですので、私達はメニューからワッフルとタロイモのパンケーキを選びました。昨日工場を見学したばかりのコナ・コーヒーを食前にサーブしてもらい、良い香りを味わい、餌目当てにやってくる野鳥たちを眺めながら、これから3日間の予定をたてました。



Tomotubbyの案は:-
12/19日 午後:マウナ・ケア山で星空観察ツアー、できれば頂上で夕陽も見たい。夕食はツアーで出るお弁当?
12/20日 終日:ラバ(溶岩)・ウォーク・ツアー、できればハワイ島最大の街、ヒロにも行きたい。戻ってきてから、夕食は無料券を使って、ホテルのメイン・ダイニング「グリル」でタダメシ。
12/21日 終日:どこにもいかずホテル・ライフを満喫、できればスパも体験したい。夜にお隣のワイコロア・リゾートにあるキングス・ショップで買い物&夕食。
というものです。

しかし、思い通りにならないのも、旅行の常でありまして、食後に、おなじみコンシェルジュのJさんのところにツアーの予約の相談に行きましたが、Jさん曰く、当日の星空観察ツアーは前日に参加を締め切っているのでダメ、ラバ・ウォーク・ツアーもトロトロ溶岩が見られない時期なので催行していないとのことです。

Tomotubbyはいきなり目の前真っ暗です。しかし、こういうときこそ、ツアー旅行の特権、頼みの綱のツアー・デスクに電話をしました。担当のRさんに相談したところ、当日のマウナ・ケア山星空ツアーは空きがあり、頂上にも上ることができるとのことです。夕ご飯のお弁当の用意もなんとか間に合いました。それから明日のラバ・ウォーク・ツアーにも空きが見つかりました。Rさん、どうもありがとう。今回は、ツアー旅行にして正解でした。

12/18日 マウナ・ラニ・リゾート

2003-12-30 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii


コハラ・コースト有数のリゾート、マウナ・ラニ・リゾート。マウナ・ラニとは「天に届く山々」という意味で、5つの火山に囲まれた土地を、敬意を持って呼んだ名だそうです。
かつて、この地は「カラフイプアア」と呼ばれ、原住民が漁と農作を行って生活していました。19世紀になると、コハラ・コーストから、後にハワイを征服・統一するカメハメハ大王が現れます。カラフイプアアはまた、大王が散策を楽しんだ王家のリゾート地でもありました。
今日、マウナ・ラニ・リゾートの広大な敷地を歩くと、古代ハワイ人が岩に遺した夥しいペトログリフ、シェルターとなった洞窟、墓地、踏み石のある歩道、さらにはハワイ王家の養魚池と、溶岩の中にさまざまな遺跡が見つかります。



カラフイプアアを最初に開発したのは、1936年に、世界最大のパーカー牧場を始めたジョン・パーマー・パーカーから土地を買い取ったフランシス・ハイド・イイ・ブラウンでした。彼はこの地に「真のハワイ人」になれる聖域を作り「最後の酋長」と敬われました。
1972年に、ブラウンは、カラフイプアアの土地を、マウナ・ラニ・リゾートに売却し、マウナ・ラニと改名されます。
1990年には、リッツ・チェーンによる豪華リゾート・ホテルが完成。1996年、このホテルの経営が変わり、改装を経て、シェラトン・オーキッド・アット・マウナ・ラニに改名、その後、ザ・オーキッド・アット・マウナ・ラニを経て、現在はザ・フェアモント・オーキッド・ハワイとして、フェアモント・ホテル&リゾート傘下のホテルとなりました。

12/18日 パーシャル・オーシャン・ビュー??

2003-12-29 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii


さて今回4泊するホテル、フェアモント・オーキッドですが、ここに滞在するため、ハワイ島に来たといってもいいくらい、Tomotubbyにとっては重要なポイントです。リッツ・チェーンとして開業しただけあって、玄関は風格があります。花のあふれるヨーロッパ風のロビーに入ると、中庭の向こうに椰子の木と海が望め、いい感じです。あちこちに英国や中国のアンティーク家具が配され、蘭など熱帯植物がないと、ここがハワイであることすら忘れてしまいそうです。

予約した部屋のタイプは「パーシャル・オーシャン・ビュー」でしたが、ガイドブックには「いくつかのパーシャル・オーシャン・ビューの部屋は、海を想像して補う必要がある」という記述があり、これが真実なのか?果たして予約した部屋から海は見えるのか?たいへん気になっていました。そこでチェック・インの際に、「Can I see the ocean from my room?」と聞いてみたのですが、相手は口ごもり「日本語のできるコンシェルジュを呼んで来る」と言ってお茶を濁されました。暫くして、日焼けした女性Jさんが登場...

コンシェルジュJさんは、まず部屋番号が書かれたホルダーに入ったカード・キーといくつかのチケットを渡してくれました。それからチケットの説明に入り、4泊するとホテル内のレストランで一回無料で食事ができること、ホテル内のショップで10%の割引があること、部屋の冷蔵庫の中の飲み物が20ドル分無料になることなどを滔滔と述べられました。Tomotubbyは、パーシャル・オーシャン・ビューのことが気になっていたので「ところで、海は見えるんですよね?」と念押ししたところ、Jさんも口ごもり、少し待つように言われて、カード・キーと飲み物無料券を持ってどこかへ行ってしまいました。

暫くロビーで待っていると、Jさんが戻ってきて「仕方の無い客ね」と言いたげに「○○さんは、海が見える部屋を希望されていたから、部屋を変えてあげるね」とかのたまい、改めてカード・キーをくれました。ホルダーに書かれた部屋番号は全く変わっていたのでした。所謂、アップ・グレード!

ポーターに荷物を預け部屋に案内してもらいました。ホテルの建物は「コの字形」で海に西面しています。ロビーのある棟は「コ」←東で、海は西→「コ」の側にあります。北→「冂」と、「冂」←南の両方が客室棟になっており、それぞれノースタワー、サウスタワーと呼ばれています。客室番号は4桁で、最初の室番は「2134」で、替えてもらった室番は「1346」でした。Tomotubbyには、「冂」←サウスタワーの室番の千の位が「1」で、ノースタワー→「冂」の室番の千の桁が「2」であること、室番百の桁が階数であることはすぐわかりました。ロビー棟から客室棟に移ると、客室は廊下の両側にあり、室番を見ていると、下二桁の番号は海に近づくほど増えていき、奇数が北側で、偶数が南側であることも容易にわかりました。

予想通り「1346」の部屋は、サウスタワーの3階、北側の部屋でした。部屋の中からは海は見えないのですが、緑が鮮やかな中庭に面したラナイ(ベランダ)に出ると、椰子の木の間に水平線が望めます。ホテルの部屋からの眺めにこだわるTomotubbyにとっても充分に満足です。

ポーターにチップを渡して、ふとTomotubbyは考えました。ふつう、オーシャン・ビューとは、部屋から海が見えることで、パーシャル・オーシャン・ビューとは、部屋からは海が見えないがラナイに出ると海が見えることではないのか? しかし、どうやらここでは、パーシャル・オーシャン・ビューとは、部屋からもラナイからも海が見えない、所謂ガーデン・ビューのことで、オーシャン・ビューとは、ラナイに出ると海が見える、所謂パーシャル・オーシャン・ビューのことのようです。うーん。わけわからんぞ。オーキッド。(あとで知ったのですが、一般にオーシャン・ビューと呼ばれる部屋は、オーシャン・フロントと呼ばれていました。ガーデン・ビューと呼ばれる部屋もあるけど、いったい何が見えるんだろう??)

翌日、当初準備されていた「2134」の部屋を見に行ったのですが、予想通り、ノースタワーの1階、南側の部屋で、やはり海はまったく見えませんでした。それから忘れていたのですが、あの飲み物20ドル分無料券はいったいどうなったのでしょうか? まあ僅か20ドルで4泊分部屋をアップ・グレードしてもらえたのですから、ひとまず、Jさんには「感謝」です。

→ハワイ島は、ハワイ州最大の島で、州の名前と区別するため Big Island と呼ばれていますが、蘭が咲き誇る島でもあるため、別名 Orchid Island とも呼ばれているそうです。