近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

関西の伝統上方文化 お花見

2007年04月03日 | 文化
先ずお花見の歴史を振り返ってみると、奈良時代に持統天皇が花見のために、当時から桜の名所であった吉野山を訪れていることなどが『日本書紀』に書かれているが、 平安時代に入ると、野生の桜を都に移植して鑑賞するようになったと云う。

花見の習慣は、平安時代に嵯峨天皇が御所内に桜を植えさせて宴を催したのが始まりといわれ、その後、貴族から武士・庶民へと広がり、都から地方へと伝播していった。

桃山時代になると、豊臣秀吉が奈良・吉野と京都・醍醐で盛大な花見を催し、花見の楽しみが一般にも広く知られるようになり、庶民にも一層身近なものになったと云う。



写真は、京都醍醐寺のソメイヨシノ。
特に、1598年に秀吉が醍醐寺で行った“醍醐の花見”が有名で、この宴のために、秀吉は三宝院を再建し、自ら設計して庭園を造り、つぼみをつけた700本の桜を移植したと云う。

そして秀吉をはじめ、秀頼・北政所・淀殿など千数百名の女性が華やかな装いで花見を楽しんだという記録が残されている。

現在は毎年4月上旬に、桃山時代の華麗な装束を身にまとった行列が、2,000本の桜が咲き誇る境内を華やかに練り歩く、“太閤花見行列”が往時の花見絵巻のように再現されている。
今日のお花見の伝統は、秀吉時代に遡り、華やかな物見遊山的慣習が伝承されてきたといえそうだ。







写真は上から、4月3日現在、大阪城公園の7分咲き位のソメイヨシノサクラ、及び大川の水上バスから見上げるさくら。

大阪では、大阪城内の西の丸庭園を中心に約4,300本に及ぶ、ソメイヨシノ、ヤマザクラ、オヤマザクラ、サトザクラなど重なり合い、又大阪城外周の大川の水上バスから見る両岸のさくらは絶景。

昨年「平成の通り抜け」プロジェクトがスタートしたが、提唱者は大阪出身の世界的建築家・安藤忠雄氏で、大川・土佐堀川・堂島川の両岸を7キロに渡り、1,000本ものさくら並木にするとのことで、本年1月小泉総理も出席して植樹式が挙行された。

又大阪では、毎年4月中旬に、80~100万人が訪れている「大阪造幣局・桜の通り抜け」が一般に開放されている。

大阪造幣局の桜並木はさまざまな八重桜が植えられており、ソメイヨシノなどの花見が終わったころに公開されることで良く知られている。
「ええやん!」


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