近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

アイヌ民族・文化 “アミニズム信仰”とは!

2007年11月19日 | 歴史
アミニズム信仰は、穢れ無き美しい自然への畏敬・崇拝を自然に表する、人間の本能であり、人間は何かを信じていかなければ生きていけない存在の証。

アミニズム信仰は他の多くの神教と異なり、自然と共生する理想の社会を築き上げることを目指す。

アイヌ社会には神社もないし、お札もない。自分の精神の中に神社もお札も納めていると考えられる。

神社は仏教が日本に入り、お寺が造られるようになってから建てられるようになったらしい。坊さんがお寺を建てるから、神主も対抗上お宮を造るようになったという経緯がある。

縄文時代の自然崇拝、「大地に感謝し自然と共生する」信仰は、農耕社会になった弥生時代以降も、“神道”の自然崇拝思想に引継がれていた。
そこには、深い森林に覆われた山並みに、心の安らぎ・神秘を感じ、森の奥に“カミ”が鎮座し、岩や石に“カミ”が宿っているという自然信仰に通じる。

アイヌ民族は沖縄の琉球民族同様、全てのものには霊があり、その霊をあの世に送って、そして叉その霊はこの世に帰ってくるという信仰。
人間が肥沃な土地で、人間の生き様を通して学んだ、自然の“カミ”への信仰であった。

しかし明治以降、アイヌの人たちは信仰の自由を奪われた。
信仰の原点であった“クマの霊送り”の儀礼をはじめ、“新しいサケを迎える儀礼”もサケの捕獲禁止と共に実施不可能となった。





写真は上から、“川村カ子トアイヌ記念館”と並んだ“川村家住居”及び北海道平取町の“萱野茂”所有の“二風谷アイヌ資料館”前庭に展開された、復元“アイヌコタン”が雨に煙る光景。

アイヌ民族・文化の復興に尽力した、川村カ子ト家住居及び参議院議員としてアイヌ民族解放に多大な功績を残した萱野茂氏が復元したアイヌコタン。



写真は、“白老町アイヌ民族博物館”で演じられた、アイヌ古式舞踊の“子守唄”。

昭和50年代になってやっと各種儀礼が復興し、各地のアイヌ集落で儀礼・祖先供養をはじめ、“国の重要無形民俗文化財”に指定された“伝統舞踊”も披露されるようになった。

平成9年には、“アイヌ文化振興や伝統の普及・啓発に関する法律”が制定され、以来アイヌの人たちの文化伝承・保存活動が一層の広がりを見せた。

前述したとおり、「人間である“アイヌ”に対するものは、全て“カムイ”と看做される。」という“カムイ信仰”は、人間にとって欠かせない“火”や“肉・毛皮”をもたらしてくれる動物などは身近な“カムイ”と看做した。
アイヌの人たちの暮らしは、カムイとの共生以外の何者でもなかった。

今日北海道の地名に残る、屈斜路・知床・洞爺・小樽・釧路・札幌・白老などはカムイ信仰が北海道各地に広がっていたことを物語る。



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2 コメント

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Unknown (沖縄)
2020-06-13 03:05:43
琉球とアイヌは自然崇拝

大和民族は人を崇拝する。
Unknown (Unknown)
2022-02-13 18:05:02
アニミズムな

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