日本共産党千代田地区副委員長 冨田なおき

衆院東京1区で3度出馬。17年総選挙は政策協定結び比例で立候補。22年参院選に比例代表から立候補を決意しました。

日本共産党創立99年・祖父の思い出に触れて

2021-07-15 23:16:12 | 思うこと
今日、日本共産党は創立99周年を迎えました。
今日の日刊「しんぶん赤旗」には、各界の方々からメッセージを頂きました。その一部、内田樹さん、北原みのりさん、太田啓子さんのメッセ―ジを画像で紹介します。





そのなかで、内田樹さんの、日本共産党が「100年の歴史的風雪に耐え」合法的に民主主義の実現のために存在していること、日本はアジアで例外的「歴史的達成」な日本の誇りを指摘してくださったことは、戦後30年後に生まれた私にも感慨深いものがありました。

私の父方の祖父は1911年(明治44年)生まれ。お召艦の「比叡」に乗船、昭和天皇に「何々はどこ?」とたった一言、声をかけられたことを、一生の自慢にしていました。
その後乗船した戦艦「大鳳」は、マリアナ沖海戦で撃沈され、九死に一生を得ました。ここで海の藻屑と消えていたら、父は誕生しませんでした。もちろん私も。「戦争だけはやっちゃだめだ」が口癖でした。

同時に祖父は、日の丸と「Z旗」掲揚を欠かさず、自民党にも入っていた、零細パン屋で、
その後廃業、私が物心ついた時には、転身した菓子屋の職人を勤め上げていた頃でした。

私の上京翌年の1995年に起きた、阪神・淡路大震災の被災者支援に終わらず、被災者への、自宅を含む個人補償を政党として唯一掲げていた、日本共産党に、
戦前の反戦平和、主権在民を求めたたたかい、山形県の永年の「オール与党」県政に屈せずたたかう姿勢にも共感を持っていた私は、大学3年の96年に入党しました。
帰省した私が「赤旗」を持っていたのを見た祖父が、「・・・赤!」と絶句した様子は、私には異様な怖れでしたが、
あの世代の少ない人たちには、まさに「国賊、非国民」あるいは「近寄ったら大変だ」という存在だったでしょう。

ひるがえって今。
読売新聞の都議選後の調査でも、東京都民の50%が五輪「中止」と回答し、無観客28%、少しでも観客を入れる19%を大きく上回ります。
今年1月の国会で、各党で最も早く、「中止を」と政府に正面から迫ったのは日本共産党でした。
日本共産党の主張は、「非国民」あるいは「財産取られる」どころか、コロナ禍、オリンピック・パラリンピックの是非をめぐっても、国民の生命と財産を守りぬくために最も真剣に国民、専門家などの声に耳を傾け、科学的見地で政策を提案、行動することができました。

日本共産党も多くの方々と力を合わせるようになり、この間の国政選挙、先日の都議選では、かつてなく幅広い方々の応援・ご協力をいただきました。
社会の発展の中で、脱皮を求められることに気づくことも増えていると感じます。そのおおきな一つが、ジェンダーの視点と実践です。北原みのりさんのメッセージを読むと、自分も20年前、どうだったかと、反省させられます。

私は日本共産党に入って以降、自分も他人も、社会も、固定的に見ず、変化・発展(後退も)するという視点を得ることができ、人生が豊かになったことは確信をもって言えます。
今後も成長を忘れず、みなさんとともに社会変革の志をしっかり持ち、目の前の現実も変えていきたいと思います。

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