サブタイトルに惹かれて買ってしまいました。筆者は精神科医で、これまでの研究や臨床経験から、『社会的引きこもり』の症状が発症しやすいのは、中流以上の高学歴家庭の長男だとしています。
又不登校についても言及していて、不登校だから引きこもりになるのではなく、引きこもりが“思春期の問題”であるが故に、発症するきっかけが不登校であることが多いというのです。
専門的な言葉で説明もされていましたが、思春期の子どもが“あるべき自分”と“現在ある自分”とのギャップに苦しみ、消極的になり、対人関係を上手に作ることに失敗して引きこもるケースが多いと言うことが分かりました。
そう言えば高学歴の両親を持ち、しかも長男であれば、周囲からのプレッシャーも他に比べれば強いだろうなと想像しました。筆者によれば、女子の引きこもりが少ないのは、早くから「女の子」として育てられ、社会的な枠組みの中である程度行動が制限され、諦めることを早くから覚えるからだそうです。このあたりは今ひとつ理解できませんでした。自分自身に対する期待値が高くないということでしょうか。
そして本書では、ひきこもりの対応策として、子どもを突き放したり、逆に甘えさせたりすることは百害あって一利なしとしています。『社会的引きこもり』の子どもたちはすでに自分が「ダメ」な事を痛いほど自覚しており、だからこそ苦しむからだとしています。
引きこもりを「贅沢病」と一蹴するのは簡単です。 確かに筆者が接触したタイの精神科医によれば、途上国では経済的に引きこもりなど成り立たないとしています。 一方先進国でもフランスではひきこもりなどという事例は存在せず、これを日本独特のものとしています。
ところが、別のフランスの精神科医は『社会的引きこもり』はフランスでは中1ぐらいから発症して、彼らの多くはホームレスになるために実態の把握が出来ていないのだといいます。
突き放した先に見えてくるのは引きこもりのホームレス化なのではないでしょうか。また逆に甘えさせるのは「共依存」になり、ダメな子どもを支えられるのは親(多くは母親)である自分しかいないと決心することで、逆に自立を遅らせてしまう危険性もあります。アルコール中毒の夫を持つ妻も同様の問題にはまり込むということを聞いた事があります。
出口の見えない問題ですが、誤解や偏見を解き、早い段階で精神科医のもとに相談に来なければ自立を遅らせるだけだという結論でした。以前ご紹介した、諸富祥彦氏の『生きるのがつらい。』は主に“うつ病”“自殺”について考察していますが、精神的な追い込まれ方が似ているなという印象を持ちました。
社会的ひきこもり―終わらない思春期PHP研究所詳 細 |
http://tokkun.net/jump.htm
PHP研究所:222P:690円
「ひきこもり」にもきっと色々タイプがあるのでしょうね。まさにその状態の時、その状態になりかけている時、なりそうだけれどまだなってない時・・・でもいつの時も、言葉には出さないかもしれないですが、誰かにサインを送ってるのでしょうね。そのサインを受ける側ももっと真剣に考えていられたら、違った形になれたかもしれないんですよね。自分は「ひきこもり」ではないですが(見た目はとても社交的そう?)、決まった人しか挨拶できない、言葉が交わせない(職場でも)という、別段なんともないようではありますが、心の中は非常に不安定です。自分はサインを受ける側にも送る側にもなり得るので、人間っていつどうなるか、わからないものだなあと、感じてます。
変な文章ですいません。
大人の私でも、ひきこもり=部屋ですきなことをしていて良い、という意味ならば、うらやましく思ったりもします。(まぁ子どもと大人を同じレベルでは論じられませんが)。僭越ながら、haruママさんの気持ちが何となくわかる気がします。
コメントありがとうございました。
>専門的な言葉で説明もされていましたが、思春期の子どもが“あるべき自分”と“現在ある自分”とのギャップに苦しみ、消極的になり、対人関係を上手に作ることに失敗して引きこもるケースが多いと言うことが分かりました。
私も未だに社会的ひきこもりです。そこには思春期からの親子の確執と、自我同一性の障害がありました。
>筆者によれば、女子の引きこもりが少ないのは、・・
それは女の子として育てられる環境要因もあるでしょうが、私は生まれつきの男女の性差があるように思えます。
1歳の子供は男女では違います。男の子は物や乗り物に興味を示し、女の子は人の顔、テレビの映っている人物に興味を示します。実は生まれながらにして女の子は男の子より社交性が備わっているようです。
子供をひきこもりにさせないようにするには、親が褒め上手になることだと考えています。
ひきこもりがあるのは日本と韓国だけだそうです。両国の共通点は過度の親の子への期待と学歴至上主義があるからでしょうね。
この部分、交通学の分野において出された論文と共通すると感じとても興味深く読みました。
「高齢社会における過疎集落の交通サービス水準と生活の質の関連性分析」(森山・藤原他)という論文があります。
内容は交通サービスがあまり充実していない過疎地域における住民の生活の満足度についてです。
この中で過疎地域における生活環境の満足度について、『より高い水準を知らないことに起因する現状の水準での満足やあきらめ感から』交通に対する満足度が形成されているとあります。
行動が制限され今よりいい生活を経験しない場合、どうやら人間はその環境に適応するようです。で、その環境の中で満足をしようとする。
人間が誰しもこのような性質を持つとすれば「社会的な枠組みの中である程度行動が制限され、諦めることを早くから覚えるから」女子のひきこもりが少ないのかと感じました。
読んでいたら内容がとても興味深かったので長いコメントになってしまいました…長文失礼致します。
これからもいろいろと教えてください。本当にありがとうございました。
「準ひきこ森 ―人はなぜ孤立するのか―」,樋口康彦著,講談社プラスα新書