Altered Notes

Something New.

現代のアナウンサーに志はあるか?

2010-02-02 14:53:18 | 放送
アナウンサーといえば、放送業界においては「言葉を語る事についてのプロフェッショナル」という認識があった。しかし、現代のテレビ放送において真にプロフェッショナルと呼べるアナウンサーがいったいどれだけ居るのだろうか。

まず女子アナ。これは今やテレビ局専属のアイドルタレントと化しているので対象外。彼女たちにスキルアップを目指す志は毛頭無い。完全に論外である。

では男性アナウンサーはどうか?
以前、TBSのバラエティー番組を見ていたところ、アナウンス部長が出てきてこう言った。

「××さんをフューチャーして番組を作りましょう…」

もちろん「フューチャー」は完全に間違いで「フィーチャー」が正しいのである。彼は「ある人を前面に押し出して」と言う意味でこの言葉を発したのだろうが、これでは「ある人を未来/将来して」となりさっぱり意味が判らない。
TBSのアナウンス部長という要職にありながら、実は全く言葉を知らず、言葉に無頓着で無神経な人物であった、ということ。

言葉のプロであるアナウンサーを束ねる重職にありながら、実態はこの程度なのである。これで「部長」なのである。呆れたものだ。これが現代のアナウンサーのレベルなのであろう。

昔のアナウンサーはもっとしっかりしていたのは確かだが、例外も存在する。

例えばタクシー殴打事件でおなじみの松平定知氏である。彼が司会を務める番組で特に顕著に認められる現象であるが、しゃべっている最中の息継ぎの音が耳障りに響くのである。

フレーズが一段落して次のフレーズに移るまでの短い間に彼は息継ぎをするのだが、この「すー」とか「しゅー」とか聞こえる息継ぎの音が極めて耳障りにうるさく響く。

松平氏がどんなにベテラン・アナウンサーであろうが、この一点において「駄目」なのである。しゃべりが耳障りなアナウンサーなどまるで価値はない。事実、彼の番組は息継ぎの音がうるさくて3分と聴いてられない。本当に上手いアナウンサーのしゃべりにおいては息継ぎの音など絶対に聞こえないものである。

他にも例を挙げれば枚挙に暇がないほど現代のアナウンサーは言葉を知らないし、使い方も間違うことが多い。

「シミュレーション」を「シュミレーション」と間違ったり、「コミュニケーション」を「コミニュケーション」と間違ったりこんな基本的な単語をきちんと認識せずにしゃべっている彼らはいったい何を訓練して職についているのか、と疑いたくなる。それ以前に常識をどれだけ知っているのか、というレベルだろう。

若いアナウンサーは言葉を語るスキルよりも容姿容貌で選ばれているケースが多いように思える。アナウンスのスキルよりも視聴者受けするルックスやキャラクターの方が大切らしい。だから局専属のアイドルタレントなのである。そんな彼ら彼女らはアナウンスのスキルは低く、無教養で非常識な人物も少なくない。一流大卒であるにも関わらず、である。呆れたものだ。

トレンドとしては本来的な意味のアナウンサーからはかけ離れる一方であり、テレビ番組自体の無意味化・幼稚化・陳腐化と併せてもはや絶望的と言える状況を呈している。

アナウンサーは言葉を語るプロならプロとしてのスキルを普通に提示してほしいものである。言葉を語るプロとしての志を見せてほしいのである。そうでなければ、単に電波という権力の上にあぐらをかく怠惰な連中に過ぎない、ということになる。
しっかりしてほしいものである。





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