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岐阜市・岩田西遺跡 「美濃国」と刻印された奈良時代(8世紀)の須恵器の破片2点が出土

2010年02月16日 | Weblog
 岐阜市教育文化振興事業団埋蔵文化財調査事務所は15日、岩田西遺跡(岐阜市岩田西2丁目ほか)の人工的な水路跡などから「美濃国」と刻印された奈良時代の須恵器2点が見つかったと発表した。
 見つかった須恵器の破片は、直径10cmの須恵器の杯(つき)の底部分で、縦3・5cm、横2・5cmの「美濃国」の刻印があった。別の1点は縦7cm、横4・5cmの三角形の焼き物の一部で縦2・8cm、横0・8cmの刻印が見つかった。異なる字形で「美濃国」と刻印されていた。須恵器の形状などから1300年前に焼かれたとみられる。
 遺跡から1km東には須恵器の生産地として知られる同市芥見の国指定史跡「老洞(おいぼら)・朝倉須恵器窯跡」がある。美濃国と刻印入りされた須恵器はこれまで岩田東A遺跡周辺で6点が発見されたほか、長野県佐久市の西近津遺跡群や平城京(奈良県)、斎宮跡(三重県)など6府県で見つかっている。これらは老洞・朝倉須恵器窯跡で造られ、長良川を通じて広く流通したとみられていた。
 今回、老洞・朝倉須恵器窯跡と長良川の間に位置する岩田西遺跡の人工的な水路跡などで須恵器が出土したため、発掘した同事務所は「同窯跡で生産された須恵器を長良川に運び出す物流拠点が岩田西遺跡付近に存在したのではないか」と指摘する。
 市道拡幅に伴い、昨年3月から今年1月14日まで、岩田西遺跡と隣接の岩田東A遺跡計2040㎡を発掘調査した。その結果、弥生土器や須恵器、土師器、石器など約3万点が出土した。刻印付き須恵器片は、幅4~5m、長さ約10mの人工水路(奈良~平安時代)から出土した。
 岩田西遺跡ではこれまで平安時代の水路や、室町、戦国時代の水田跡などが見つかっている。
 発掘された須恵器2点を含む出土品は、21日午後1時半に同市芥見の東部コミュニティセンターで開く「市東部地域歴史講座」で展示する。
[参考:岐阜新聞、中日新聞、毎日新聞]

過去のニュース・情報
  2010.1.21 佐久市・西近津遺跡群「美濃国」刻印の須恵器が出土



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