今週、雪が降っていた日の事だけれど、あの日は重要なアポイントメントもなかったので、雨や雪の日に履く靴で、仕事場に出掛けた。
その靴はしばらく前に買ったD&Gのものだ。単純に安かったので、たまたま買った。今となれば、ちょっと流行の過ぎているやりすぎたポインテッドトウで、先の部分に、少しダメージが出ている。ただ、そこまで目立つダメージではないので、修理にも出さず、雨や雪の日に履いている。僕はわりかし、そういうケチな男です…。
何はともあれ、その日はその靴を履いていた。何も問題はないはずだった。毎日、何人の人とすれ違っているか分からないけれど、誰も僕の靴など気にしちゃいない。まぁ、威張れた事じゃないけれど…
午後になり、僕の携帯がなった。仕事で付き合いのある女性社長だった。
こういう場で言うのは、フェアじゃないのかもしれないけれど、正直、ちょっと苦手な人だった。40歳手前の女性社長で、何と言うかこう、いわゆる狩猟型の人だ。上手く言えないけれど、ココ・シャネルのものを選ぶ際の基準が、シャネルマークの大きさみたいな、大は小を兼ねるみたいな、そういう人だった…
今すぐオフィスに来て下さいとの事だった。
仕事上の事であるし、どうしても行かなければならない。内容的にはシンプルな事であったし、面倒ではなかった。
雪の中、彼女のオフィスに向かった。靴の事はすっかり忘れていた。
オフィスに着いたのは、15時過ぎだった。突然の来客があったらしく、彼女は、別件で打ち合わせに入っていた。
僕は古びたソファーとテーブル以外何もない殺風景な別室で待たされる事になった。変わった部屋だった。まぁ、オフィス自体が変わっているのだけれど…
彼女のオフィスはマンションみたいなレンタルオフィスだ。それでも、延べ面積はかなりあり、小さく仕切られた部屋がいくつかあった。きちんとしたシャワーもあるらしく、何処かの部屋にベッドを置いていて、仕事で遅くなった時は泊まってしまう事も少なくないと、以前、彼女が言っていた。
僕がその部屋で退屈していると、スリッパの音が近付いてきた。
秘書というか、色々と社長の面倒を見ている顔見知りの女の子が、コーヒーと灰皿を持ってやって来た。若い女の子だ。
一応、礼を言って、禁煙じゃないのか聞いてみた。
「この部屋は、ウチの喫煙所なんです。」
なるほど、呼び寄せたはいいけど、別件が入ってしまったから、あいつは確かヘビースモーカーだし、あの部屋で待たせておけばいいか…、きっと、そんなところだろう…
「社長もここで吸うんですか?」と、聞いてみた。
「社長は、禁煙中なんです。」
あの社長が禁煙だなんて、上手くイメージできなかった。
「今時、信じられないかもしれないけど、それまで、社内の何処でも、喫煙OKだったんです。」
そう言えば、以前、打ち合わせ室で彼女がひっきりなしにセーラムに火を点けていたのを覚えている。
「自分が禁煙したら、社内が禁煙になって、ここでしか吸えないようになって…。今は、用がある時に限って皆ここにいて仕事が進まないって、いつも怒っているので、そのうち、ここも無くなるかもしれませんね…」と彼女は言った。いかにも、あの社長らしい。
彼女のジャケットのポケットが不自然に膨らんでいた。
「良かったら、一緒に一服しませんか?」
彼女は驚いたように僕を見つめ、ぎこちなく頷いた。
僕がタバコに火を点けると、彼女は僕の前のソファーに腰を降ろした。
ポケットから、黒いエピのシガレットケースを取り出し、"クール"に火を点けた。ゆっくりと煙を一筋、殺風景な部屋に吹き出すと、彼女は言った。
「意外ですね。ドルガバとか好きなんですね。」
何の事だか分からなかった。
「玄関のDOLCE&GABBANAの靴、アナタのでしょ?何となく、イメージ的に、ドルガバとか、嫌いなのかなって。でも、私は好きですよ。ドルガバ。」
そうだった。このオフィスは土足で上がれない。玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた。すっかり忘れていた。ついていない。
「あれは、雨とか、雪の日に履く靴で…。それに、あれはD&Gですよ。」
「悪天候用の靴がDOLCE&GABBANAなんですか?」彼女は冷やかしたように、笑った。
「だから、DOLCE&GABBANAじゃなくて、D&Gですよ。」
「えっ?」彼女はタバコを吹かした。「同じでしょ?」
「え?」
それから、僕達は全く関係のない話をした。ほどなくして、彼女はタバコを消して部屋を後にした。
僕は、高校生や大学生ぐらいの時、好きだったブランドの事なんかをぼんやりと考えたりした。そして、タバコを吸い、すっかり冷めきったコーヒーを飲んだ。
しばらくして、社長が顔を出した。深いスリットの入ったニーレングスの黒いスカートに、白いローゲージのニットを着ていた。V字に開いた首回りに、大きなスカーフが巻かれていた。それが彼女らしかった。
仕事の問題は簡単に片付いた。彼女は新しく飼ったポメラニアン種の雄犬について話し、この間、旅行に行ったサイパンの話をし、BVLGARIの時計の話をした。そして最後にもう一度、ポメラニアンの話をし、お腹が空いた時の鳴き声を何度もマネた。タバコの話はしなかった。
僕が玄関でD&Gの靴を履き終えると、良い靴じゃないと、社長が言った。僕は会釈だけした。若い女の子はもう姿を見せなかった。そして、オフィスを後にした。
外でタバコを1本吸ってから、タクシーを拾った。
車内で、尖った靴の爪先を見ながら、僕は1人、高校生や大学生の時に好きだったブランドについて、また、ぼんやりと考えていた。
空はもうすっかり暗く、雪はもう小さな雨粒に変わっていた。
(またまた、長くなりそうなので、明日の『DOLCE&GABBANAとD&G vol.2』に続きます…。良かったら、また!)
その靴はしばらく前に買ったD&Gのものだ。単純に安かったので、たまたま買った。今となれば、ちょっと流行の過ぎているやりすぎたポインテッドトウで、先の部分に、少しダメージが出ている。ただ、そこまで目立つダメージではないので、修理にも出さず、雨や雪の日に履いている。僕はわりかし、そういうケチな男です…。
何はともあれ、その日はその靴を履いていた。何も問題はないはずだった。毎日、何人の人とすれ違っているか分からないけれど、誰も僕の靴など気にしちゃいない。まぁ、威張れた事じゃないけれど…
午後になり、僕の携帯がなった。仕事で付き合いのある女性社長だった。
こういう場で言うのは、フェアじゃないのかもしれないけれど、正直、ちょっと苦手な人だった。40歳手前の女性社長で、何と言うかこう、いわゆる狩猟型の人だ。上手く言えないけれど、ココ・シャネルのものを選ぶ際の基準が、シャネルマークの大きさみたいな、大は小を兼ねるみたいな、そういう人だった…
今すぐオフィスに来て下さいとの事だった。
仕事上の事であるし、どうしても行かなければならない。内容的にはシンプルな事であったし、面倒ではなかった。
雪の中、彼女のオフィスに向かった。靴の事はすっかり忘れていた。
オフィスに着いたのは、15時過ぎだった。突然の来客があったらしく、彼女は、別件で打ち合わせに入っていた。
僕は古びたソファーとテーブル以外何もない殺風景な別室で待たされる事になった。変わった部屋だった。まぁ、オフィス自体が変わっているのだけれど…
彼女のオフィスはマンションみたいなレンタルオフィスだ。それでも、延べ面積はかなりあり、小さく仕切られた部屋がいくつかあった。きちんとしたシャワーもあるらしく、何処かの部屋にベッドを置いていて、仕事で遅くなった時は泊まってしまう事も少なくないと、以前、彼女が言っていた。
僕がその部屋で退屈していると、スリッパの音が近付いてきた。
秘書というか、色々と社長の面倒を見ている顔見知りの女の子が、コーヒーと灰皿を持ってやって来た。若い女の子だ。
一応、礼を言って、禁煙じゃないのか聞いてみた。
「この部屋は、ウチの喫煙所なんです。」
なるほど、呼び寄せたはいいけど、別件が入ってしまったから、あいつは確かヘビースモーカーだし、あの部屋で待たせておけばいいか…、きっと、そんなところだろう…
「社長もここで吸うんですか?」と、聞いてみた。
「社長は、禁煙中なんです。」
あの社長が禁煙だなんて、上手くイメージできなかった。
「今時、信じられないかもしれないけど、それまで、社内の何処でも、喫煙OKだったんです。」
そう言えば、以前、打ち合わせ室で彼女がひっきりなしにセーラムに火を点けていたのを覚えている。
「自分が禁煙したら、社内が禁煙になって、ここでしか吸えないようになって…。今は、用がある時に限って皆ここにいて仕事が進まないって、いつも怒っているので、そのうち、ここも無くなるかもしれませんね…」と彼女は言った。いかにも、あの社長らしい。
彼女のジャケットのポケットが不自然に膨らんでいた。
「良かったら、一緒に一服しませんか?」
彼女は驚いたように僕を見つめ、ぎこちなく頷いた。
僕がタバコに火を点けると、彼女は僕の前のソファーに腰を降ろした。
ポケットから、黒いエピのシガレットケースを取り出し、"クール"に火を点けた。ゆっくりと煙を一筋、殺風景な部屋に吹き出すと、彼女は言った。
「意外ですね。ドルガバとか好きなんですね。」
何の事だか分からなかった。
「玄関のDOLCE&GABBANAの靴、アナタのでしょ?何となく、イメージ的に、ドルガバとか、嫌いなのかなって。でも、私は好きですよ。ドルガバ。」
そうだった。このオフィスは土足で上がれない。玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた。すっかり忘れていた。ついていない。
「あれは、雨とか、雪の日に履く靴で…。それに、あれはD&Gですよ。」
「悪天候用の靴がDOLCE&GABBANAなんですか?」彼女は冷やかしたように、笑った。
「だから、DOLCE&GABBANAじゃなくて、D&Gですよ。」
「えっ?」彼女はタバコを吹かした。「同じでしょ?」
「え?」
それから、僕達は全く関係のない話をした。ほどなくして、彼女はタバコを消して部屋を後にした。
僕は、高校生や大学生ぐらいの時、好きだったブランドの事なんかをぼんやりと考えたりした。そして、タバコを吸い、すっかり冷めきったコーヒーを飲んだ。
しばらくして、社長が顔を出した。深いスリットの入ったニーレングスの黒いスカートに、白いローゲージのニットを着ていた。V字に開いた首回りに、大きなスカーフが巻かれていた。それが彼女らしかった。
仕事の問題は簡単に片付いた。彼女は新しく飼ったポメラニアン種の雄犬について話し、この間、旅行に行ったサイパンの話をし、BVLGARIの時計の話をした。そして最後にもう一度、ポメラニアンの話をし、お腹が空いた時の鳴き声を何度もマネた。タバコの話はしなかった。
僕が玄関でD&Gの靴を履き終えると、良い靴じゃないと、社長が言った。僕は会釈だけした。若い女の子はもう姿を見せなかった。そして、オフィスを後にした。
外でタバコを1本吸ってから、タクシーを拾った。
車内で、尖った靴の爪先を見ながら、僕は1人、高校生や大学生の時に好きだったブランドについて、また、ぼんやりと考えていた。
空はもうすっかり暗く、雪はもう小さな雨粒に変わっていた。
(またまた、長くなりそうなので、明日の『DOLCE&GABBANAとD&G vol.2』に続きます…。良かったら、また!)