短いお別れ

勝手に思う事を、徒然なるままに…

DOLCE&GABBANAとD&G vol.3

2008年02月11日 18時23分25秒 | Weblog
DOLCE&GABBAは、ドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナのファーストラインに位置する。

対して、D&Gは、セカンドラインであり、ディフュージョンラインである。

そしてさらに、DOLCE&GABBANAやD&Gとして販売されるデニムとは異なる意味での、サードライン的な、ジーンズラインも存在する。

各ラインは、当然、役割、コンセプト、、価格帯が異なる。勿論、デザイナーの"らしさ"は残るものの、まるで、違うブランドである。

ARMANIも、ジョルジオ・アルマーニ、エンポリオ・アルマーニ、アルマーニ・ジーンズと、ラインが各種ある。

通常、カジュアルさと価格が反比例する。つまり、ファーストラインよりセカンドラインは、カジュアルさが上がり、価格は下がる。

DOLCE&GABBANAは当然、DOLCE&GABBANAというファーストラインとして年に2回、ミラノでコレクションを行う。通常、ファーストラインをコレクションラインと呼ぶ事が多い。セカンドラインはコレクションを行うような服ではないからだ。

ただ、DOLCE&GABBANAの場合、D&Gもコレクションをミラノで2回行う。コレクションラインであり、セカンドラインなのだ。ここがややこしい。D&Gは単純にDOLCE&GABBANAのカジュアルラインではない。D&Gという全く別のブランドなのである。だからこそ、D&GはD&Gとして、コレクションを行っているのだ。

しかも、ファッションエディターは時折、その年の、例えば、スプリング&サマーのDOLCE&GABBANAのコレクションに興味を示さず、D&Gのコレクションを褒め称えたりする事もある。

例えば、丸井等に置かれている、BURBERRYのブラックレーベルは日本のSanyoが作っている。当然、コレクションなんてやらない量販商品で、価格も安い。対して、バーニーズ・ニューヨーク等に置かれているBURBERRYは、プローサムというコレクションラインで、価格帯も高い高級ブランドである。

カルバン・クラインとckカルバン・クライン、ダナ・キャランとDKNY、ラルフローレン・パープルレーベルとラルフローレン、いずれも、コレクションとカジュアルな量販商品という事で全く違うものである。

ポール・スミスだって、ポール・スミスコレクションとポール・スミスとでは、価格帯も品質も決定的に異なる。

ちなみに、お歳暮やお中元に貰う、イヴ・サンローランやイッセイ・ミヤケのタオル、シーツカバー等は、サンローランやイッセイの名前を使って良いというだけのライセンス商品で、イヴ・サンローラン・リブ・ゴーシュやイッセ・イミヤケのコレクションラインとは、まるで関係ない。ckやDKNYのハンカチ、ネクタイ、靴下も同様だ。


洋服好きはこういったところで、困惑する。つまり、嫌な言い方で言うと、セカンドライン等を馬鹿にしている。そんなのデザイナーやその会社の金稼ぎでしょ?良く知りもしないで、ブランドの名前だけ知っているヤツが、ファーストより安い服を買って、そのブランドを着てるつもりになってるだけでしょ?と…

そして、イライラもしている。熟慮に熟慮を重ねて、バーニーズで大枚を叩いて買ったバーバリー・プローサムを、ブラックレーベルと一緒にされたりして…

ディオール・オムのアクセサリーを丸井のアクセサリー売り場のディオールと一緒にされたり…

サンローラン・リブ・ゴーシュの財布を、ディスカウントストアーのワゴンにあるサンローランの財布と一緒にされたり…

もっと困るのは、例えば、シャネルやフェンディは好きだという人が、その両方のデザイナーであるカール・ラガーフェルドは知らずに、彼自身のブランドは馬鹿にしたり…

LOUIS VITTONのLVのネクタイはOKで、デザイナーのマーク・ジェイコブスのMJだと、何それ?マイケル・ジャクソン?マイケル・ジョーダン?マジ、ジョーダンみたいな…

僕は、コム・デ・ギャルソンを好きだとポロッと言ってしまったら、コムサデモードのネクタイをプレゼントされた事がある…

ただ、DOLCE&GABBANAとD&Gの場合は複雑だ。一時期の中田英寿氏やデービット・ベッカムによる、DOLCE&GABBANAのDGマークの大量露出。それによって、DOLCE&GABBANAはメジャー化した。

ブランド自体もセレブを迎合し、昔のGUCCIみたいな位置になった。

多くのドメスティックブランド、特に昔のマンションメーカーで、今は大きなアパレルメーカーとなったブランドでは、恥ずかし気もなく、クラッシュデニムを真似た。

そして大衆の中で、DGマークは、DOLCE&GABBANAでもD&Gでも構わなくなった。

しかし、少し知ってしまった人が登場する…

前述した通り、価格帯は異なるけれど、DOLCE&GABBANAより、D&Gの方が評価が高い時もある。ものによっては、D&Gに良いもの、値段と折り合いが付くもの、それらは存在する。そもそも、全く違うコンセプトのブランドなのだから。

しかし、"少し知ってしまった人"にとっては関係ない。両者の違いを分かっていて、D&Gのものを買った人にも…、

DOLCE&GABBANA高いもんね。D&Gで仕方ないよ的な同情…。やれやれ…

ヨウジ・ヤマモトとY'sの場合、DOLCE&GABBANAとD&Gにおける関係と全く一緒というか、むしろ、先に世に出たのはY'sなのだけれど、山本耀司のファンの質はまるで違うので、そういった現象は起こりにくい。

でも、DOLCE&GABBANAとD&Gの場合は…

まぁ、いたしかたないのだけれど…


元来、ファッションとは、自由なものだ。ブランドや価格でものを選ぶ事はおかしい。

人にどう見られるかなんて関係ない。着てる服の値段なんて関係ない。お金をかけずとも、お洒落な人はたくさんいるし、お金をかけても、お洒落じゃない人もいくらだっている。

ただ、そんな一般論は何にも生産しない。洋服好きもブランド好きも、マニアックなクリエーション好きも、事実存在するのだから。

上記に長々と書いた、イライラや困惑も確かに存在する。でも、それは、やはり自分のファッション観が自分自身ではなく、第三者に向いているからだろう。

それが良い事なのか悪い事なのかは、後はその人の価値観だろう。

個人的に言えば、人にどう思われても良いなんて人はカッコいいけれど、それはあまり面白くなさそうだ。

僕は一般的な人に比べれば、洋服やファッションアイテムが好きな方だと、自分でも思う。特に、10代後半から、20代前半はそのピークで、多くの時間やお金をそのために割いた。恥ずかしいくらいに。

マニアックな部分も当然、持ち合わせているだろう。才能あるデザイナー達のクリエーションに触れたり、実際に袖を通したりするのが、単純に嬉しかった。

ただ、格好をつけずに言えば、それだけでなく、必ず、第三者の目を多少なりとも気にしていたに違いない。

お洒落な友達、或いは、異性に良く思われたいという面が必ずあったはずだ。だからこそ、余計に楽しかった。自己満足で済ませれるほど、coolじゃない。

もちろん、今だって、そういう面を持っているはずだ。だいたい、勘違いに終わるのが、切ないけれど…

そして、だんだんと、ファッションアイテムが嗜好品になってきた。実に寂しい事だ。

だからこそ、ファッションを語るのは難しい。経験、知識、そして、自分ではどうする事もできない時代性とTPO、そして他人が影響してくる。

僕もたくさん恥をかいたし、今も恥をかいている。

それでも、語ってしまうし、そして、他人の不用意な発言にも、寛大になれない。

何故なら、自分に絶対の自信がなく、それでいて、格好をつけたい、か弱き洋服好きだからだ。


僕はあの雪の日、オフィスに戻り、その足で、靴を修理に出しに行った。

誇れる靴じゃない。なんとなく買った靴だ。流行も過ぎている。ただ、悪天候時に履く靴にしては、まんざらじゃないと、か弱き洋服好きの自分が、どこかで僕に言い聞かせている。


DOLCE&GABBANAではないD&Gの靴、修理したばかりの靴。何にせよ、すれ違う誰もが僕の靴など気にしてはいない。

それでも、明日、早速その靴の出番になるかもしれない。

予報では、東京は、明日も雪が降るらしい。

DOLCE&GABBANAとD&G vol.2

2008年02月10日 22時04分11秒 | Weblog
僕が高校生や大学生だった頃、つまり90年代のど真ん中は、今のファッション業界の主人公とも言えるデザイナー達が、次々と日本のマーケットでもその地位を確立していった時代でもある。

メンズで言えば、80年代からバブル期にメンズ3G(ジョルジオ・アルマーニ、ジャンニ・ベルサーチ、ジャン・フランコ・フェレ)と呼ばれていたブランド達は、ファッションブランドというより、ステータスブランドとなり、3D(ドルチェ&ガーバーナ、ダーク・ビッケンバーグ、ドリス・ヴァンノッテン)等が世の若い洋服好きの心を捕らえた。

ドルチェ&ガーバーナをクリエーションする、ドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナは二人ともイタリアの出身であるが、ダーク・ビッケンバーグとドリス・ヴァンノッテンはいずれも、ベルギー出身のデザイナーだった。彼等を含めた6人のデザイナーは、アントワープ・シックスと呼ばれた。

同時期にベルギーのアントワープ王立アカデミーを卒業した、アントワープの6人の卒業製作は伝説となった。

ミラノブランドとは異なる独創的なマッチョを奏でるダーク・ビッケンバーグ

ニット素材の繊細が秀逸なドリス・ヴァンノッテン

エルメスの前デザイナーで、確かな技術の中にストリートも融合され、あまり表に出ないマルタン・マルジェラ

上品かつ繊細だけれどロックも香るアン・ドゥムルメステール

そして、同校で教鞭もふるう、未来的なスポーティーさとポップさが爆発する(W<)のウォルター・ヴァンベイレンドンク

(もう1人は建築界に進み、ファッション界にはいない。)

彼等は新しいファッション界=ベルギーという図式の足掛かりとなった。

アントワープ王立アカデミーに入学しようと思ったが、「アナタに教えれる事はない」と、入学を断られた天才、ベルギー出身のラフ・シモンズは今や、自身のブランドだけではなく、ジル・サンダーのデザイナーを務めている。

近年のメンズファッション界を席巻したエディ・スリマン。ディオール・オムで彼の後任に抜擢されたのは、ベルギー出身のデザイナー、クリス・ヴァン・アッシュだ。

ベルギー人デザイナーは、コム・デ・ギャルソンの川久保玲の影響を受けているものが少なくない。その点が、パリや日本のマーケットで受け入れられた要因の一つと言えるかもしれないけれど、ベルギーの台頭は、90年代ファッション界の大きなムーブメントだった。

彼等のクリエーションを愛した東京の洋服好きは、GUCCIやPRADA、そして、LOUIS VITTONなど、見向きもしなかった。僕もその1人だった。

ただ、ビッグメゾンを中心としたファッション界の再編は、間違いなく、90年代の、もう一つのムーブメントだった。

洋酒モエ・ヘネシー及びヴィトンのLVMHによる、パリの宝Diorやオードリー・ヘップバーンも愛したジバンシーの買収、ミラノのGUCCIグループによる、パリの誇りイヴ・サンローランの買収、PRADAグループによる、ドイツの天才女史ジル・サンダー、オーストラリアの孤高のミニマリスト、ヘルムート・ラングの買収。この三グループによる、ファッションブランド、コスメブランド、ウォッチブランドのM&Aを挙げれば、キリがない。ファッションはビジネスの前に死んだ。

ただ、良い側面もある。それは、90年代から今に至る新しい才能の開花だ。

ジャン・フランコ・フェレよりクリスチャン・ディオールを受け継いだ、ジョン・ガリアーノ、ジバンシーの買収、ジバンシー氏の引退に伴い、アントワープ王立アカデミーの双璧、イギリスのセント・マーチン出身の怪童アレキサンダー・マックイーンのジバンシーのデザイナー就任、マックイーン失墜後、ジバンシーを受け継いだ、ロンドン・サヴィルロー出身のビスポークテーラーであるオズワルド・ボーテン。ルイ・ヴィトンのプレタポルテラインのデザイナーに就任したマーク・ジェイコブス。

そして、言わずと知れたグッチの前クリエイティブディレクター、トム・フォード。

また、このムーブメントの悲劇と栄光の象徴である、前ディオール・オムのデザイナー、エディ・スリマン。

彼の悲劇と栄光は、グッチによるイヴ・サンローランの買収から始まった。

彼はイヴ・サンローラン・リブ・ゴーシュ・オムのデザイナーを務めていた。サンローランに負けず劣らず、パリの粋を彼なりのセンスでナイーブに表現し、若くして高い評価を受けていた。

しかし、イヴ・サンローランはグッチに買収され、彼は辞任。リブ・ゴーシュの新しいデザイナーは、グッチのクリエイティブディレクターであるトム・フォードが、グッチと共に兼任することとなった。しかも、ブランド名であるイヴ・サンローラン・リブ・ゴーシュの前にトム・フォードという冠名が付いた。

パリの誇りが、ミラノに買われ、パリの天才の名の前にアメリカ人の名前が付いた。これ以上の悲劇はなかった。

しかし、神は見捨てていなかった。かつて、サンローランが救ったパリの宝、クリスチャン・ディオールのメンズ・プレタポルテラインのディオール・オムのデザイナーにエディ・スリマンが抜擢された。それは、ひょっとしたら、クリスチャン・ディオールを持つLVMHとイヴ・サンローランを持つグッチグループの覇権争いに巻き込まれただけかもしれない。ただ、彼のその後のクリエーションと、彼のコレクションを見つめるイヴ・サンローラン氏の眼差しを見れば、そのプロセスはエディ・スリマンの栄光の始まり以外のなにものでもなかった。


ベルギー人デザイナーの台頭、ビッグメゾンによるファッションビジネスという、大きなムーブメントの中、僕はファッションという嗜好品に魅了され、学生時代を送った。

そんな中、洋服好きにとっては、あまり好めない現象も幾つか起きつつあった。

その一つの要因が、DOLCE&GABBANAとD&G にあった。僕はそう思っている。


(またまた、長くなりそうなので、DOLCE&GABBANAとD&G vol.3に続きます。良かったら、またまた!)

DOLCE&GABBANAとD&G vol.1

2008年02月09日 21時32分58秒 | Weblog
今週、雪が降っていた日の事だけれど、あの日は重要なアポイントメントもなかったので、雨や雪の日に履く靴で、仕事場に出掛けた。

その靴はしばらく前に買ったD&Gのものだ。単純に安かったので、たまたま買った。今となれば、ちょっと流行の過ぎているやりすぎたポインテッドトウで、先の部分に、少しダメージが出ている。ただ、そこまで目立つダメージではないので、修理にも出さず、雨や雪の日に履いている。僕はわりかし、そういうケチな男です…。

何はともあれ、その日はその靴を履いていた。何も問題はないはずだった。毎日、何人の人とすれ違っているか分からないけれど、誰も僕の靴など気にしちゃいない。まぁ、威張れた事じゃないけれど…


午後になり、僕の携帯がなった。仕事で付き合いのある女性社長だった。

こういう場で言うのは、フェアじゃないのかもしれないけれど、正直、ちょっと苦手な人だった。40歳手前の女性社長で、何と言うかこう、いわゆる狩猟型の人だ。上手く言えないけれど、ココ・シャネルのものを選ぶ際の基準が、シャネルマークの大きさみたいな、大は小を兼ねるみたいな、そういう人だった…

今すぐオフィスに来て下さいとの事だった。

仕事上の事であるし、どうしても行かなければならない。内容的にはシンプルな事であったし、面倒ではなかった。

雪の中、彼女のオフィスに向かった。靴の事はすっかり忘れていた。


オフィスに着いたのは、15時過ぎだった。突然の来客があったらしく、彼女は、別件で打ち合わせに入っていた。

僕は古びたソファーとテーブル以外何もない殺風景な別室で待たされる事になった。変わった部屋だった。まぁ、オフィス自体が変わっているのだけれど…

彼女のオフィスはマンションみたいなレンタルオフィスだ。それでも、延べ面積はかなりあり、小さく仕切られた部屋がいくつかあった。きちんとしたシャワーもあるらしく、何処かの部屋にベッドを置いていて、仕事で遅くなった時は泊まってしまう事も少なくないと、以前、彼女が言っていた。


僕がその部屋で退屈していると、スリッパの音が近付いてきた。

秘書というか、色々と社長の面倒を見ている顔見知りの女の子が、コーヒーと灰皿を持ってやって来た。若い女の子だ。

一応、礼を言って、禁煙じゃないのか聞いてみた。

「この部屋は、ウチの喫煙所なんです。」

なるほど、呼び寄せたはいいけど、別件が入ってしまったから、あいつは確かヘビースモーカーだし、あの部屋で待たせておけばいいか…、きっと、そんなところだろう…

「社長もここで吸うんですか?」と、聞いてみた。

「社長は、禁煙中なんです。」

あの社長が禁煙だなんて、上手くイメージできなかった。

「今時、信じられないかもしれないけど、それまで、社内の何処でも、喫煙OKだったんです。」

そう言えば、以前、打ち合わせ室で彼女がひっきりなしにセーラムに火を点けていたのを覚えている。

「自分が禁煙したら、社内が禁煙になって、ここでしか吸えないようになって…。今は、用がある時に限って皆ここにいて仕事が進まないって、いつも怒っているので、そのうち、ここも無くなるかもしれませんね…」と彼女は言った。いかにも、あの社長らしい。

彼女のジャケットのポケットが不自然に膨らんでいた。

「良かったら、一緒に一服しませんか?」

彼女は驚いたように僕を見つめ、ぎこちなく頷いた。

僕がタバコに火を点けると、彼女は僕の前のソファーに腰を降ろした。

ポケットから、黒いエピのシガレットケースを取り出し、"クール"に火を点けた。ゆっくりと煙を一筋、殺風景な部屋に吹き出すと、彼女は言った。

「意外ですね。ドルガバとか好きなんですね。」

何の事だか分からなかった。

「玄関のDOLCE&GABBANAの靴、アナタのでしょ?何となく、イメージ的に、ドルガバとか、嫌いなのかなって。でも、私は好きですよ。ドルガバ。」

そうだった。このオフィスは土足で上がれない。玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた。すっかり忘れていた。ついていない。

「あれは、雨とか、雪の日に履く靴で…。それに、あれはD&Gですよ。」

「悪天候用の靴がDOLCE&GABBANAなんですか?」彼女は冷やかしたように、笑った。

「だから、DOLCE&GABBANAじゃなくて、D&Gですよ。」

「えっ?」彼女はタバコを吹かした。「同じでしょ?」

「え?」

それから、僕達は全く関係のない話をした。ほどなくして、彼女はタバコを消して部屋を後にした。

僕は、高校生や大学生ぐらいの時、好きだったブランドの事なんかをぼんやりと考えたりした。そして、タバコを吸い、すっかり冷めきったコーヒーを飲んだ。


しばらくして、社長が顔を出した。深いスリットの入ったニーレングスの黒いスカートに、白いローゲージのニットを着ていた。V字に開いた首回りに、大きなスカーフが巻かれていた。それが彼女らしかった。

仕事の問題は簡単に片付いた。彼女は新しく飼ったポメラニアン種の雄犬について話し、この間、旅行に行ったサイパンの話をし、BVLGARIの時計の話をした。そして最後にもう一度、ポメラニアンの話をし、お腹が空いた時の鳴き声を何度もマネた。タバコの話はしなかった。


僕が玄関でD&Gの靴を履き終えると、良い靴じゃないと、社長が言った。僕は会釈だけした。若い女の子はもう姿を見せなかった。そして、オフィスを後にした。

外でタバコを1本吸ってから、タクシーを拾った。

車内で、尖った靴の爪先を見ながら、僕は1人、高校生や大学生の時に好きだったブランドについて、また、ぼんやりと考えていた。

空はもうすっかり暗く、雪はもう小さな雨粒に変わっていた。


(またまた、長くなりそうなので、明日の『DOLCE&GABBANAとD&G vol.2』に続きます…。良かったら、また!)

Blue Rose

2008年02月06日 14時29分02秒 | Weblog
ちょっと古いニュースだけれど、不可能と言われていた花、青いバラがサントリーフラワーズにより、2004に花開き、2009年から販売される。らしい…

また、バラの話…

ドラマ『薔薇のない花屋』を見て以来、どうも、バラが気になる。ひょっとしたら、ドラマ自体よりも…。以前の記事にも書いた通り、プリザーブドローズも衝動買いしたし…。なんて単純なのだろう…。

でも、その枯れない花は、思わぬところで、役立っている。

これもまた、以前の記事で書いたと思うけれど、僕には、香水の調合師を目指している仲の良い女の子がいる。彼女は自分の25歳を香りのために生きている。

ただ、最近、元気がない。色々とあったようだ。何があったかなんて聞かない。そこまで、野暮じゃない。

僕は彼女からのメールへの返信に、例のプリザーブドフラワーの写真を添付した。

"花で癒されて欲しい"という思いが半分。もう半分は"この花ちょっと良くない?"と自慢したい気分で…

ただ、僕の稚拙な考えが思わぬ効果を生んだ。

彼女は、調合の学校に通っているのだけれど、最近、先生にこう言われた。「あなたの作る香りは、暗い」

調合は、その時のメンタルな部分が、香りに感覚として出る。今の彼女は、ピンク色の花をイメージして、明るい香りを作っても、何処かに暗い影のある香りになってしまう。

分かっていても、彼女が抱えるものは、簡単に消す事はできない。彼女は今の心を受け入れようと考えた。暗い中に"何か"がある香りを作ろうと考えた。

そのようにしていくつかの香りを調合した。それは、今まで感じた事のない不思議な作業だった。

彼女は、いくつか作ったサンプルの中で、蓮の花をイメージした香りに惹かれた。

暗く深い森の中を歩いて行く。一人でどこまでも歩いて行く。辿り着いた場所には、光が射している。それは、木の葉の間から静かな池を照らした。そこに浮かぶピンク色に輝く大輪の蓮の花…。それが、彼女のイメージだ。その香りはそのものだった。

香りは、彼女が抱えるものにも光を射し、花を咲かせた。

そのイメージのソースは、僕が彼女の携帯電話に送ったプリザーブドフラワーの画像だったと、彼女は言った。

黒く無機質な携帯電話の中にひっそりと燃える赤い花。それが、彼女に新しい香りをもたらした。

まぁ、たまたまだけれど…

僕は思う。青いバラ、それはどんな香りがするのだろうと。

Blue Roseという英語は、不可能の代名詞と言われてきた。

でも、今、青いバラは、淡く儚い色で、確かに生きている。

25歳の女性にも不可能はないと、僕は考えている。彼女も確かに生きている。香りと共に。

去年の初夏、駒込の六義園(東京都文京区)に、香りの参考にと、彼女は紫陽花を見に行ったらしい。

今年は一緒に行こうと誘われている。紫陽花もまた、儚い色を見せる花だ。

一足先に、やはり駒込にある旧古河邸で、バラを見るのも良いだろう。暖かな春の日が良い。


東京は今日、雪が降っている。まだ、春の音は聞こえない。

ただ、巡らない季節はない。

色や香りはひどく曖昧なものだ。確かな青や確かな明るさは、なかなか存在しない。ただ、春は確かに訪れる。

その季節が足音を聞かせる頃、彼女が、僕等が抱える不可能は、また少し消えているかもしれない。

映画『痛み 4』

2008年02月03日 21時09分17秒 | Weblog
痛みは、何処にでもある。

夢の中や心にも、満員電車やトイレにも、或いは、春先に混み合う桜並木の下にだって、あるかもしれない。

痛みはあまたある。悲しかったり、切なかったり、寂しかったりする。ゲラゲラと笑ってしまう痛みだってある。

だから誰しも、力を欲する。或いは、力の代わりとなるものを欲する。じゃなきゃ、キンキンして仕方ない。

それでも、痛みはある。どこまでも作られる。大ヒットしたハリウッド映画の続編みたいに。どこまでも悪化する。スタグレーション下の経済みたいに。


ある男性の傍らに、綺麗な女性がいたとする。男は思う。この女はどんな痛みを抱えているんだろう。

「何?」女は男を見つめる。

男はキスをする。なるべく、甘いやつ。

「可愛いね」と、女が言う。舌を入れてもう一度キスをする。

男はキンキンしてくる。

「買い物に行こう」

女は頷く。夕飯の材料を選ぶと言う。

ウニが食べたいと男は言う。

トゲトゲとした中に、あんなにプリプリとした身を詰めているウニを思い、泣けてきた。

翌日、男の左目の上に、眼帯が乗っている。

女は隣で死んでいる。

ラジオからは、西武とロッテのデーゲームが流れている。二本の満塁ホームランでロッテのワンサイドゲームだった。

男は戦争のニュースを聞きたかった。でも、やっていない。1時間かけて、一週間前の新聞に戦争という文字を探した。見つからなかった。

仕方なく、右目にウニの殻を突き刺した。

ラジオから小さな歓声が漏れた。西部のDHが、最終回にソロホームランで一矢報いた。


これは、『痛み4』という映画だ。監督、脚本、主演は、僕の高校時代の友人のホリさんだ。女役の女優は知らない。

ホリさんは、映画監督を目指している。たぶん、目指している…

時々、自作映画を送ってくる。先週送られてきた今回の作品は、『痛み4』だけれど、『痛み1』~『痛み3』は見ていない。在るのかどうかも分からない。もしかしたら、痛みシリーズ4作目という意味の"4"じゃないのかもしれない。

確かめようがない。彼は彼の祖父が持っているアパートの一室に1人で住んでいるのだけれど、その部屋には電話がない。携帯電話も持っていない。住まいの正確な住所を僕は知らない。お手上げだ。僕は常に彼からの連絡を待つしかない。公衆電話からの着信は、ほぼ100%彼だ。まぁ、滅多にかかってはこないけれど。

彼が映画を送ってくる時、そこには、名前も住所も書かれていない。当然、手紙なんか入っていない。タイトルが記されたDVDが入っているだけだ。勿論、他にそんなものを送ってくる知り合いなんていないので彼からのものなのは決まっているのだけれど、なんとなく、再生するまで落ち着かない。

僕はプレイボタンを押す。彼の作品は、必ず彼が出演している。この目で、ビジュアルとして、彼からの郵送物である事を認識する。そして、撮影時までの彼の生存確認が取れ、安心する。

とりあえず、今回の『痛み4』において、彼の外見的なものに変化はなかった。ただ、もう何年も会話をしていないので、近況は分からないし、最近の趣味嗜好も分からない。

僕の知りうる限り、彼は内田有紀と富司純子がタイプだった。一番才能のあるミュージシャンは堂本剛だと言い張り、怒る京野ことみの演技を好んだ。好きな映画監督については、いつも"分からない"と言っていた。

映画は当然好きで、DVDやVHSが見放題という理由で、レンタルビデオショップで働いていた。

アパートから、歩いて10分ぐらいのところにあるお店らしいのだけれど、彼はローラースケートで出勤した。インラインスケートではなく、四輪の普通のローラースケートだ。

理由を聞くと、左手でカレーライスのスプーンを持ち、右手にラッキーストライクを挟みながら、不思議そうに僕の顔を見つめて、彼はこう答えた。「歩くより早いじゃん」

あれは何年前の事だっただろう。正確に思い出せない。彼は時間や年齢に関する意識を失わせる。

僕達は、神楽坂の小さな喫茶店にいた。お互いの趣味嗜好や物事に関する考え方について、本当に多くの事を語った。僕達は、まるで別の人間だった。

僕は未来しか見ていなかった。彼は今を見ていた。いずれにせよ、僕達は若かった。その日以来、僕は彼と話をしていない。

彼はその日言っていた。「痛みを描けない人間は、映画であれ何であれ、良い作品を作る事は出来ない」と。

ただ、彼自身はそれを分かっていても、どうしたら、それを描けるかが分からなかった。

しかしながら、思い返してみれば、その当時から、「痛み」は彼の大切なモチーフだった。

あくまでも彼の持論であるし、僕自身、そのような何かしらの作品を創ろと思った事がないので、それが良い創作活動のための条件として、適当なのかどうかは、分からない。

ただ、たまたま僕は知っている。痛みを描くために、必要な物とそれを得るためのプロセスを僕はたまたま知っている。

もちろん、当時の僕には知る由もなかった。この歳になって、たまたま知り得たというだけの話だ。

今の彼はそれを知っているだろうか。正直、『痛み4』を見る限り、彼はまだそこに辿り着いていない。

ただ、今回、彼は自分なりの何かしらの手掛かりを得た。そんな気がする。

彼が、自分のモチーフを描き切った時、僕の携帯電話のディスプレイに"公衆電話"という文字が光るような気がしている。ただ、それがいつなのかは分からない。

彼は今でも、ローラースケートでこの冬の寒空の下を走って、レンタルビデオ店でアルバイトをしているのだろうか。喫茶店で、カレーライスをほうばりながら、ラッキーストライクを吹かしているのだろうか。きっと、そこには痛みはない。

彼の映画にあるように、満員電車や、或いはウニを取る漁師の漁業船には、色々な痛みがあまた存在している。

そこでは、それぞれの戦争が、毎日、静かに繰り広げられているからだ。


最後に、同級生であるのに、彼が何故、"さん"付けで呼ばれているか話したい。

僕と彼が通った高校は、幼稚園から高校までエスカレーター式に進学する男子校だった。

彼は小等部から、僕は高等部から、その学校に通った。僕が入学した頃、下から来た連中は、既に彼の事を、"ホリさん"と呼んでいた。

特に彼がパワーゲームに長けていたわけでも、神童だったわけでもない。大それた資産家の息子だったわけでもない。金持ちの息子は腐るほどいた。

小学校4年生の時、水泳の授業があった。その時、準備体操のために、プールサイドで大きく両腕を上げた彼の脇の下に、黒々とした体毛を少年達は見た。

男子だけの特殊な環境下で幼少期を過ごした彼等にとって、何故かその光景は、衝撃だった。

以来、彼は"さん"付けで敬わられたらしい。自分達の脇の下に同じものが生えても…

彼は発育面では早熟だった。

人生において、僕達は様々な事を経験しなければならい。そのスピードが、脇毛の生える時期の差どころではなく、人それぞれ、大きく異なる事を僕達は知らなかった。

何しろ、当時、濃紺の学ラン姿で男子校に通う僕達の頭の中にあるのは、教室の何処にもいない、"女の子"の事だけだったのだから。

それだけは平等だった。そしてその時、痛みだと思っていたものは、そうではなかった。

あれから、ちょっとした歳月が流れ、僕達の多くは、ピーターパンを卒業させられた。今、痛みと共に、30代を生きている。

しかしそれは決して、不幸な事ではない。面白くもないし、評価もされないだろうけれど、それをメタファーにして、彼がメガホンを取った映画を、僕は待っている。

白い誕生日

2008年01月28日 21時59分31秒 | Weblog
先週の水曜日、雪が降った。先日も多少パラパラとしたようだけれど、この冬、東京では初めての雪の日と言っていいだろう。ただ、雪はすぐに雨になった。

その日は昔付き合っていた恋人の34回目の誕生日だった。

彼女と別れてから長い年月が過ぎた。当然、誕生日も忘れていた。携帯電話のテロップに彼女の名前と誕生日という言葉がクレジットされているのを見るまでは。

この間、ブログに書いたように、僕は昨年、携帯電話を機種変更した。春先ぐらいの事だ。

4年間使い続けたソニーエリクソン製のものから、吉岡徳仁がデザインした携帯電話に変えた。

僕が携帯電話にまるで興味を持たずに4年の月日を送っている間に、その技術は飛躍的に進歩していた。はっきり言って、機能自体が全然分からない…。

これまでずっと、ソニー製、ソニーエリクソン製のものしか使ってこなかったので、使い方がまるで違く、覚え辛かった。

何はともあれ、今は何とか使ってます…。結構、アナログな男なんです…

今の携帯は、アプリを設定すると、テロップにニュースが流れる。仕事で必要な情報は、有料の専門的なサイトや、或いは専門誌に頼るしかないのだけれど、一般的なニュースはある程度、「ふーん」と、流す程度に情報を得られるし、もっと知りたい場合は、テロップから飛んで詳しい情報を探せば良いし、ニュースを見る時間や新聞を読む時間がなかった時には、外出先なんかで、わりと重宝する。

ニュースの更新のたびに、ブルブルってバイブでお知らせがあるのは、やっと眠りについた深夜なんかは、ちょっと迷惑だけれど…。それも、バイブを止めて、イルミネーションによるお知らせのみにする事が出来るようなのだけれど、アナログな僕にはその設定方法を知る由もない…

そんな感じで、この携帯電話とは、まあまあな関係を築いている…


先週の水曜日、つまり、雪の降った日の午前中、僕は仕事で赤坂見附に向かっていた。

雪の日の地下鉄は、あまり気が進まず、タクシーに乗った。

最近、ほとんどのタクシーが禁煙になった。暇をもてあました僕のポケットが震えた。携帯を取り出した。新着メールも不在着信もない。

ニューステロップを見た。興味の薄いニュースが一つ流れた。その後、良く知っている懐かしい名前がテロップに現れた。昔の恋人の名前だ。今日は彼女の誕生日だと、携帯は知らせていた。

僕は一瞬、事情が掴めなかった。何故、彼女の誕生日が、全国に知らされているんだ?それとも、同姓同名の有名人だろうか?

そんな名前の有名人は知らなかった。そして、思い返してみれば、1月23日は、確かに彼女の誕生日だった。

理由が分かるまで時間がかかった。僕は前の携帯のアドレス帳をそのまま、この携帯にメモリー転送してもらった。彼女の項目には、誕生日が登録されていた。

そのままにしていた情報が反映されたようだ。どうやらアドレス帳に登録されている誕生日は誰のものであれ、テロップで知らせる機能があるようだ。誕生日を登録している人なんてあまりいないので、今日まで気付かなかったのだろう。言われてみれば、携帯のカレンダーにも、登録されている誕生日が自動的に示されている。

機種変更をしてから、だいぶアドレス帳をいじったけれど、特に消す理由もないし、そのままにしていたのだろう。再び、彼女に連絡を取る機会はおそらくないのだけれど。

僕はタクシーを降り、約束の場所に向かった。まだ、雪は降っていた。


仕事を終え、小さなカフェで軽い昼食を取り、オフィスに戻った。

腕時計を見た。この携帯と同じく、吉岡徳仁がデザインした、イッセイ・ミヤケの時計だ。針は2:00過ぎを知らせた。携帯を見ると、また、彼女の名前が現れた。窓の外では、雪が雨に変わっていた。


来年のこの日、僕が再び、この携帯電話で彼女の誕生日を知るかどうかは分からない。しかし、その日は間違いなく、永遠に彼女の誕生日だ。その度に彼女は確実に1つ歳をとる。彼女は3つ歳上だった。夏生まれの僕と彼女の歳の差が2つから3つに戻る日だ。

もう、彼女に直接伝えることはない言葉を僕は1人、心の中で呟いた。Happy Birthdayと。一番、彼女のHappyを奪ってしまった男かもしれないけれど…

届かない言葉ではあるけれど、せっかくだから、白い雪が降っているうちに、呟くべきだったと、窓の外を見ながら思った。

雨ももうすぐ、止みそうな気がした。

動物園の休日

2008年01月23日 12時25分54秒 | Weblog

不忍池の茶屋でコーヒーを飲んだ。彼女は、ランコムのリップグロスを塗り直し、動物園に行こうと言った。今しか見れない耳の長い動物がいるらしい。立ち上がった彼女の唇から、熟れたメロンの香りがした。

池の蓮の葉は、すっかり枯れ果てていた。退屈そうにユリカモメが、首をすくめていた。

結局、朝方しか雪は降らなかったようだけれど、秘密でも持っていたら、全て洗いざらい話してしまいそうなほど、風は冷たく僕達を責めた。

彼女は、秘密を話す事はなかったけれど、池の回りを歩く間、ずっと好きなものについて、喋り続けていた。

彼女は秋の静かな海が好きで、晴れた日に国内線から眺める富士山が好きだった。小さな男の子が裾上げをせずに乱雑に折り畳んで穿くオーバーオール姿が好きだった。

大根も好きだけど、トウガンの煮物はもっと好きで、甘いカクテルとシャンパン以外、お酒はほとんど好きらしい。

何より、2人の子供が大好きだった。


嫌いなものについては、たった一つしか口にしなかった。彼女は、今の自分が嫌いだった。

池を抜け、カラスや鳩の間をすり抜け、僕達はゆっくりと歩いた。彼女はもう話さなかった。寒椿が僕達より静かに咲いていた。

月曜日の上野公園は閑散としていた。たまにすれ違う人は皆、先を急いでいた。

店もほとんど閉まっていて、音楽も話し声すら、何処からも聞こえてこなかった。時々、のら猫がやるせないように鳴くだけだ。

当然だった。この公園の中心である動物園が、月曜日は休みだからだ。

彼女はきっとその事を知っている。聞いた事のない耳の長い動物がここにいる事を知っているぐらいなのだから…

それでも彼女は歩いた。胸の前で淡い紫色のマフラーをしっかりと押さえながら。几帳面にスカルプの付けられた小さな手が微かに震えていた。

彼女が電話をかけてきたのは、日曜日の20時過ぎだった。

僕は風呂から上がり、ビールを飲みながら、髪の毛を乾かしていた。

彼女は年賀状を返さなかった事への嫌味を一つ言った後、明日、時間がないか聞いてきた。

僕は、午前中、上野で打ち合わせをした後、夜は青山で人と会う約束をしていた。

昼過ぎから夕方ぐらいまでなら、構わないと伝えた。

彼女は一人で上野に来ると言った。要件は聞かなかったけれど、いつも通りの彼女だった。そう言っても、彼女が退職してからもうかれこれ、3、4年は会っていないのだけれど…



パンダ焼きの店を通り過ぎ、ささやかな夢の国の前へ着くと、もう、シャッターの降りた動物園のゲートが見えた。

彼女は閉ざされた入り口にゆっくりと歩み寄り、何も言わずに、その前に立ち尽くした。

近付くと、120円を入れてボタンを押したら、冷えたジンジャーエールが自動販売機から出てくるように、当たり前の事象として、彼女の頬には涙が伝っていた。

もちろん、僕は言葉なんて用意していなかった。必死にベターな言葉を探したけれど、まるで検討違いな言葉が膨大に浮かんでは消え、そのうちに、思考が停止した。

そして、僕にはほとんど永遠と思えるほど、長い沈黙が続いた。

ただ、なみなみと太ったカラスの群れが僕達を睨み付けながら過ぎ去ると、子供の泣き声が聞こえた。

振り返ると、お父さんの手を握り、泣きじゃくる女の子がいた。3、4歳といったところだ。オーバーオールは着ていなかった。

女の子は手を離し、彼女の横を通りすぎ、ゲートのシャッターを揺り動かしながら、泣いた。

お父さんが僕に近づき、何か言った。よく聞き取れなかった。彼はもう一度慎重に話した。外国人だった。動物園が休みなんて知らなかったらしい。

彼は娘に向かって、何か叫んだ。中国語のようだ。

女の子は諦めたように振り返った。

女の子には父親ではなく彼女が目に入ったようだった。驚いたように彼女を見つめ、近寄った。精一杯腕を伸ばして、彼女の手を握りしめた。そして、父親のもとへ走った。

彼は娘を抱き上げ、サヨナラと言って、その場を後にした。

彼女は笑い出した。声を出して、呆れるくらい笑った。僕も笑った。

「あの子、お母さんいないのかしら。」

「さあ。だとしたら?」

「ううん。何でもないの。」

「君は、君の子供達と来ればいいさ。」

「そうね。ありがとう。」


それから、彼女と駅まで昔の話をしながら歩いた。彼女はJRに向かい、僕はタクシー乗り場に向かった。別れ際、彼女は言った。

「あなたも、まだまだね。」

「何が?」

「別に」と彼女は笑った。微かにメロンの香りがした。

やれやれ…


彼女と裾をたくし上げたオーバーオール姿の二人の子供が、いつ動物園に行くのか、僕にはわからない。その時、耳の長い動物がいるのかどうかも、同じ事だ。

僕は思う。その動物は、休園日という事で、人間の好奇の目には晒されないけれど、動物園の中で、檻の中で、ゆっくりと休む事はできるのだろうか?

僕はその動物達が家族でいる事を願う。子供は、長い耳がすっぽりと隠れるぐらい、親に抱きしめてもらえれば、そこが、動物園なのか、檻の中なのか、きっと分からずに、すやすやと寝息を立てて、幸せな夢を見ることだろう。


僕は一人、タクシーに乗った。白いフーガだった。

「青山まで。」

一人でいるには、禁煙でも、タクシーの車内は、檻の中よりはいいだろう。車はスピードを上げた。

枯れない花

2008年01月22日 08時52分06秒 | Weblog

ラバーソウルの代わりに左右合わせて八十四個の鋲が打たれたコム・デ・ギャルソン・オムプリュスのブーツを買った。ヴィヴィアンウエストウッドのセディショナリーズモデルのスウォッチをドゥブル・トゥールに代え、前期の66と状態の悪いビッグEをジュンヤ・ ワタナベ、リーバイス、10コルソコモのトリプルネームのブラックデニムに代えた。トランクスはヘルムート・ラングに変わって、時にはドルチェ&ガッバーナのアンダーウェアを履く。梅ヶ丘で仕立てたモッズ・スーツはイヴ・サンローラン・リブゴーシュ・オムになり、西海岸のチョーカーの代わりに、ディオール・オムの蜂が首元で輝く。太陽の光やスギの花粉をカトラーアンドグロスではなくアラン・ミクリが遮り、ワンスターの代わりにヨウジ・ヤマモトのアディダスで走り、ジッポーではなくデュポンで点けたジタンが息を切らす。

これは、リストだ。昔、ある人に近況を伝えたメールにこう記されていた。21世紀の最初の年から、3年の間に、僕はこれだけの買い替えをしたようだ。

新しいモノを手に入れたのではない。何かを何かに交換した。ただ、それだけだ。これらを含めた当時の僕自身が、マイナーチェンジされたのか、フルモデルチェンジされたのかは、今でもわからない。

メールには、『携帯電話を機種変更する事によって、僕の交換作業は終了した。』、そう書かれてあった。

あれから、4年が過ぎた。今も僕は色々なものを買い換えている。事実、"リスト"にあるほとんどのものは、もう使ってはいない。

その一方で、以前、このブログにも書いた通り、何年も使っているマフラーもあったりする。

交換の基準は定かではない。年齢的なものもあるし、当然、はやりすたりもある。ただの単純な気まぐれもあったりするし、センチメンタルな事情だってあるだろう。

去年、携帯電話を変えた。番号は変わっていない。10年ぐらい同じ番号を使っている。

ただ、アドレス帳は目まぐるしく変わる。メモリーナンバーも変遷している。

近況を伝えた人の名前は、僕が今、このブログを更新している携帯電話の何処にもない。それはきっと仕方のない事だ。


この間、記事にした『薔薇のない花屋』に影響されたわけではないけれど…、部屋に置いていた小さな鉢植を、昨日買ったプリザーブド・ローズに変えた。

その薔薇は、10年は枯れないという。

ただ、その赤色がいつまで僕の部屋にあり続けているかは、今の僕には知る由もない。

彼の好きな音

2008年01月19日 20時33分43秒 | Weblog

『チョキチョキ、チョキチョキ。家に帰ると、お父さんがお客さんの髪の毛を切るハサミの音が聞こえる。僕のお父さんは床屋さんをやっている。チョキチョキ。僕はこの音が大好きだ。』


小学校の4年生ぐらいだったと思う。『親』というテーマで、作文の宿題が出た。

上記の文章は、僕の友人がその時に書いた作文の書き出しだ。

良い文章という事で、当時の担任が彼の作文をプリントし、クラスに配った。僕はこの文章を鮮明に記憶している。

確か、彼は、作文の最後を小学生らしくこう締めた。

『お父さんは、チョキチョキとたくさんの人の髪の毛をきれいにする。将来、僕もお父さんみたいになりたいと思います。』

それから、10年程の月日が流れ、彼は床屋さんではなく、美容師になった。10余年後には専門学校時代の友人と東京近郊に小さいけれど、自分達の店を持った。

そして2年前、いくつもの美容院が並ぶ、その街のメインストリートに20人程は座れる大きな店を出した。スタッフも増えた。

僕は忙しくなければ、月に一度、彼に髪の毛を切ってもらっている。

ただ、この1年ぐらいは、店に予約の電話をしても彼が店に出ていない事が増えた。事情は聞いていないけれど、一緒に店を始めた彼の友人も辞めてしまって、最近は初めて見るスタイリストに髪を切ってもらう事が多かった。

彼等に僕の友人について聞くと、決まってこう言う。"社長は忙しいみたいです"

彼は、床屋さんではなく、美容師さんでもなく、社長さんになった。

以前は、特に小さい店の時は、閉店間際に髪の毛を切ってもらい、そのまま店を閉めて二人でよく飲みに行った。ビール党の彼のジョッキを空けるペースが上がってくるのが、サインだった。彼は夢を語り始める。素敵な夢だった。

最近はそんな機会はなかった。だから僕は、今の彼の夢を知らない。

そんな彼から、先日メールが届いた。プライベートなメールではない。お店から会員の携帯電話に届くメルマガみたいなものだ。

店舗移転のお知らせと題されたそのメールはこんな文章だった。

『最初の店舗で4年、次の店舗で2年、長い間、ご愛顧頂きありがとうございました。当店は移転するはこびとなりました。1日も早く、新しい店舗をご紹介できるよう、頑張りたいと思います。』


何処にいつ移転するのかは、まったくの未定との事だった。

彼から個人的な連絡はない。僕も連絡をしようとは思っていない。だから、事の詳細は確かではないけれど、少なくともハッピーな状態ではない事は推察できる。そして、僕は髪の毛を切れない日々を過ごしているのだけれど…

お正月に実家に帰らなかった僕は、この間の三連休に、家に顔を出した。その日は電車で帰った。

地元の駅から、我が家へ歩く途中に友人の実家の床屋さんがある。

その前を通りすぎた時、見慣れたウィンドウの奥で、60歳を越えた彼のお父さんが、必死でハサミを動かしていた。

僕が中学生になり色気づいて美容院に行くようになるまで、毎月僕の髪の毛を切ってくれていたおじさんだ。とにかく優しいおじさんだった。

僕は今、安心している。友人は、家に帰れば、彼が大好きだったチョキチョキというあの音を今でも聞く事ができるのだ。それは、あの頃よりも重みある音に聞こえる事だろう。

彼がこれから再び、自分の手でお客さんのヘアスタイルをきれいにしたいと思えるならば、自らが握るハサミで大好きだったあの音を鳴らしたいと思えるならば、彼は生涯、美容師であり続ける事が出来るはずだ。

あれから20年余りが過ぎたけれど、理容師と美容師の違いはあるけれど、何しろ彼の夢は、お父さんのような人になる事だったのだから。

僕の襟足は少し煩くなった…

でも、オーケーだ。しばらく、髪の毛を伸ばしてみよう。

『薔薇のない花屋』

2008年01月14日 19時28分20秒 | Weblog
年が明け、半月程が過ぎた。休みの記憶も薄れ始め、いつも通りの毎日を過ごしている。ただ、休み前の色々な物事の感覚は、少しずつ戻ってはきたけれど、まだ完全ではない。この冬の休みはあまりに長過ぎた。

そして、この三連休を迎えた。また、振り出しに戻るかもしれない。

僕はこの冬、9日間休みを取った。

しっかりと休みを取って、普段、気になりながらも、忙しさを理由に見て見ぬふりをしてきた様々な物事をきっちりと片付けようと思った。無理のない予定も立てた。

しかし、いざ休みが始まると、初日から上手く事は運ばなかった。

仕事から距離を取っても、どうにもならない用事は突然生まれる。

1日目、2日目と予想もしなかった来客があり予定は大きくズレた。そして、もう、立て直す事は不可能だった。

相変わらずの、自分の意志の弱さに、驚いた。きっと僕の意志は、100円硬貨一枚で買えるビニールの傘よりも脆い。僕の意志を砕くのは、茹で上げ前のママー・スパゲッティを真っ二つに折るよりも容易に違いあるまい。

何はともあれ、その後の僕の生活はひどかった。

誰かが来たら、酒を飲み、誰も来なかったら、やはり酒を飲み…、TVを見た…。

TVのち酒、時々睡眠…。最低だ…。

とにかく、TVは異様に見た。何故か、邦画をたくさん見たような気がする。

森山未來さんが、長澤まさみさんを抱き上げ、助けて下さいと叫び、若くして亡くなられた夏目雅子さんが、なめたらあかんぜよと凄み、照英さんが、教え子に泣きながら吠えていた…

正直、あまり覚えてはいない。クオリティのせいではない。アルコールの仕業だ…

どの作品も、まっとうな状態で観れば、楽しめたのだろう。どれも、原作やオリジナルが人気をはくしたものばかりだ。

最近、邦画やテレビドラマを観ていて、あまりハズレがないような気がする。何となく、それなりに楽しめてしまう。

でも、それだけだ。何と言うか、"うん、つまらなくはなかったけれど…"という感じだ。まぁ、あくまで僕個人の感想だけれど。

元々、そんなに邦画を観る方ではない。ただ、テレビドラマは、以前はよく観ていた。

先日、フジテレビの番組で、平成元年から昨年までの同局の連続ドラマを振り返るというコーナーがあった。

平成元年放映の、小泉今日子さん、陣内孝則さん出演の『愛しあってるかい!』から、昨年放映された、福山雅治さん、柴咲コウさん出演の『ガリレオ』まで、主に高視聴率ドラマや話題性の高かったものを中心に紹介された。

振り返って観てみると、思い入れのあるドラマが幾つもあって、思いの外、感慨深いものだった。

テレビドラマというものは、それを思い出す時、そのドラマが放映されていた当時の自分の身の回りの状況、或いは自分自身を、何故か鮮明にフラッシュバックさせる。

我々は、ドラマに自分を投影させ、主人公の気持ちで1時間を過ごし、泣き、笑い、そして何かを考える。その時の自分であるからこそ、その時代であるからこそ、考えられる何かを考える。連続ドラマは週に一度の手軽な、でもいとおしいエンターテイメントであると同時に、純粋な時代の証人であるのかもしれない。

僕は個人的に、野島伸司さんの脚本作品を好んで観ていた。

フジテレビで言えば、『101回目のプロポーズ』、『愛という名のもとに』、『ひとつ屋根の下』、が人気作品で、上述のドラマを振り返るコーナーでも紹介されていた。

僕は、『君が嘘をついた』や『愛しあってるかい!』などのトレンディドラマや、『この世の果て』、『リップスティック』などのシリアスドラマ、或いは色々と物議を醸し出したりした初期のTBSドラマも好んで観ていた。

大田亮さんプロデュース、野島伸司さん脚本、三上博史さん出演、というドラマは全て観ているような気がする。

野島作品には、僕の知りうる限り、原作はない。色々と叩かれたりした時期もあるけれど、全てオリジナルである。当然、結末は誰にもわからない。

映像作品にとって、原作とは料理で言えば素材であり、その脚色、キャスティング、カメラワーク、演出の仕方、つまり、調理方法により、出来映えは変わる。だから、どんなに面白い原作、どんなに売れた漫画や小説が原作でも、つまらないものはつまらない。

でも、内容自体が著しくつまらなくなる事はそうそうない。

最近のドラマは、人気の原作、ヒット作品のリメイクを人気キャストで映像化する事が非常に多い。したがって、ハズレは少ない。

でもやはり、内容が有名なため、来週はどうなるのだろうという、ドキドキ感は少ない。原作やオリジナルを知っている友人にオチをばらされたり、原作やオリジナルとのイメージのギャップに落胆したりする場合も多々ある。

個人的には、オリジナルストーリーで、毎週ワクワクできる連続ドラマを期待してしまう。

そして、今クール、野島伸司さんのオリジナルストーリーが、フジテレビの月曜9時枠で放送されると聞いて期待している。

『薔薇のない花屋』という作品で、香取慎吾さんと竹内結子さんが共演し、山下達郎さんが主題歌を担当するらしい。

今日の9時から初回がスタートする。

SMAPが全面的にプロモーション活動をし、ローズデーと題しフジテレビがバックアップし、香取慎吾さんはサマンサタバサで薔薇を配り、かなり力を入れている。そこらへんは、個人的には、アレだけれど、楽しみにしている。

野島伸司さんの連続ドラマ脚本は、2005年にTBSで放送された『あいくるしい』以来、フジテレビでは、木村拓哉さん、竹内結子さん共演の『プライド』以来となる。

僕がフジテレビの月曜9時枠を観るのは、前クールの『ガリレオ』は、東野圭吾さんの原作は読んでいたけれど、ドラマは観ていなかったので、NEWSの山下智久さん、長澤まさみさん共演で、三上博史さんも出演していた昨年の4月―6月クールの『プロポーズ大作戦』以来だ。このドラマも、フジテレビ月曜9時枠としては2006年の『トップキャスター』以来の原作なしのオリジナルドラマだった。


『薔薇のない花屋』が、この時代の今の僕に何を与えてくれるのか、後の僕の中にどのような形で残るのか、それはわからない。

そもそも、テレビドラマをエンターテイメント作品を、そのようにややこしく観る必要はないという人も多いと思う。

でも、何はともあれ、毎週、ワクワクできる作品である事を期待している。

そして、毎週月曜日は『薔薇のない花屋』をリアルタイムで規則的に観る事によって、休みボケをした僕の感覚が戻り、いつも通りの、"今の僕の日常"というひどく平凡なドラマが正常に進んでいくと、個人的には本当にありがたい限りである。