痛みは、何処にでもある。
夢の中や心にも、満員電車やトイレにも、或いは、春先に混み合う桜並木の下にだって、あるかもしれない。
痛みはあまたある。悲しかったり、切なかったり、寂しかったりする。ゲラゲラと笑ってしまう痛みだってある。
だから誰しも、力を欲する。或いは、力の代わりとなるものを欲する。じゃなきゃ、キンキンして仕方ない。
それでも、痛みはある。どこまでも作られる。大ヒットしたハリウッド映画の続編みたいに。どこまでも悪化する。スタグレーション下の経済みたいに。
ある男性の傍らに、綺麗な女性がいたとする。男は思う。この女はどんな痛みを抱えているんだろう。
「何?」女は男を見つめる。
男はキスをする。なるべく、甘いやつ。
「可愛いね」と、女が言う。舌を入れてもう一度キスをする。
男はキンキンしてくる。
「買い物に行こう」
女は頷く。夕飯の材料を選ぶと言う。
ウニが食べたいと男は言う。
トゲトゲとした中に、あんなにプリプリとした身を詰めているウニを思い、泣けてきた。
翌日、男の左目の上に、眼帯が乗っている。
女は隣で死んでいる。
ラジオからは、西武とロッテのデーゲームが流れている。二本の満塁ホームランでロッテのワンサイドゲームだった。
男は戦争のニュースを聞きたかった。でも、やっていない。1時間かけて、一週間前の新聞に戦争という文字を探した。見つからなかった。
仕方なく、右目にウニの殻を突き刺した。
ラジオから小さな歓声が漏れた。西部のDHが、最終回にソロホームランで一矢報いた。
これは、『痛み4』という映画だ。監督、脚本、主演は、僕の高校時代の友人のホリさんだ。女役の女優は知らない。
ホリさんは、映画監督を目指している。たぶん、目指している…
時々、自作映画を送ってくる。先週送られてきた今回の作品は、『痛み4』だけれど、『痛み1』~『痛み3』は見ていない。在るのかどうかも分からない。もしかしたら、痛みシリーズ4作目という意味の"4"じゃないのかもしれない。
確かめようがない。彼は彼の祖父が持っているアパートの一室に1人で住んでいるのだけれど、その部屋には電話がない。携帯電話も持っていない。住まいの正確な住所を僕は知らない。お手上げだ。僕は常に彼からの連絡を待つしかない。公衆電話からの着信は、ほぼ100%彼だ。まぁ、滅多にかかってはこないけれど。
彼が映画を送ってくる時、そこには、名前も住所も書かれていない。当然、手紙なんか入っていない。タイトルが記されたDVDが入っているだけだ。勿論、他にそんなものを送ってくる知り合いなんていないので彼からのものなのは決まっているのだけれど、なんとなく、再生するまで落ち着かない。
僕はプレイボタンを押す。彼の作品は、必ず彼が出演している。この目で、ビジュアルとして、彼からの郵送物である事を認識する。そして、撮影時までの彼の生存確認が取れ、安心する。
とりあえず、今回の『痛み4』において、彼の外見的なものに変化はなかった。ただ、もう何年も会話をしていないので、近況は分からないし、最近の趣味嗜好も分からない。
僕の知りうる限り、彼は内田有紀と富司純子がタイプだった。一番才能のあるミュージシャンは堂本剛だと言い張り、怒る京野ことみの演技を好んだ。好きな映画監督については、いつも"分からない"と言っていた。
映画は当然好きで、DVDやVHSが見放題という理由で、レンタルビデオショップで働いていた。
アパートから、歩いて10分ぐらいのところにあるお店らしいのだけれど、彼はローラースケートで出勤した。インラインスケートではなく、四輪の普通のローラースケートだ。
理由を聞くと、左手でカレーライスのスプーンを持ち、右手にラッキーストライクを挟みながら、不思議そうに僕の顔を見つめて、彼はこう答えた。「歩くより早いじゃん」
あれは何年前の事だっただろう。正確に思い出せない。彼は時間や年齢に関する意識を失わせる。
僕達は、神楽坂の小さな喫茶店にいた。お互いの趣味嗜好や物事に関する考え方について、本当に多くの事を語った。僕達は、まるで別の人間だった。
僕は未来しか見ていなかった。彼は今を見ていた。いずれにせよ、僕達は若かった。その日以来、僕は彼と話をしていない。
彼はその日言っていた。「痛みを描けない人間は、映画であれ何であれ、良い作品を作る事は出来ない」と。
ただ、彼自身はそれを分かっていても、どうしたら、それを描けるかが分からなかった。
しかしながら、思い返してみれば、その当時から、「痛み」は彼の大切なモチーフだった。
あくまでも彼の持論であるし、僕自身、そのような何かしらの作品を創ろと思った事がないので、それが良い創作活動のための条件として、適当なのかどうかは、分からない。
ただ、たまたま僕は知っている。痛みを描くために、必要な物とそれを得るためのプロセスを僕はたまたま知っている。
もちろん、当時の僕には知る由もなかった。この歳になって、たまたま知り得たというだけの話だ。
今の彼はそれを知っているだろうか。正直、『痛み4』を見る限り、彼はまだそこに辿り着いていない。
ただ、今回、彼は自分なりの何かしらの手掛かりを得た。そんな気がする。
彼が、自分のモチーフを描き切った時、僕の携帯電話のディスプレイに"公衆電話"という文字が光るような気がしている。ただ、それがいつなのかは分からない。
彼は今でも、ローラースケートでこの冬の寒空の下を走って、レンタルビデオ店でアルバイトをしているのだろうか。喫茶店で、カレーライスをほうばりながら、ラッキーストライクを吹かしているのだろうか。きっと、そこには痛みはない。
彼の映画にあるように、満員電車や、或いはウニを取る漁師の漁業船には、色々な痛みがあまた存在している。
そこでは、それぞれの戦争が、毎日、静かに繰り広げられているからだ。
最後に、同級生であるのに、彼が何故、"さん"付けで呼ばれているか話したい。
僕と彼が通った高校は、幼稚園から高校までエスカレーター式に進学する男子校だった。
彼は小等部から、僕は高等部から、その学校に通った。僕が入学した頃、下から来た連中は、既に彼の事を、"ホリさん"と呼んでいた。
特に彼がパワーゲームに長けていたわけでも、神童だったわけでもない。大それた資産家の息子だったわけでもない。金持ちの息子は腐るほどいた。
小学校4年生の時、水泳の授業があった。その時、準備体操のために、プールサイドで大きく両腕を上げた彼の脇の下に、黒々とした体毛を少年達は見た。
男子だけの特殊な環境下で幼少期を過ごした彼等にとって、何故かその光景は、衝撃だった。
以来、彼は"さん"付けで敬わられたらしい。自分達の脇の下に同じものが生えても…
彼は発育面では早熟だった。
人生において、僕達は様々な事を経験しなければならい。そのスピードが、脇毛の生える時期の差どころではなく、人それぞれ、大きく異なる事を僕達は知らなかった。
何しろ、当時、濃紺の学ラン姿で男子校に通う僕達の頭の中にあるのは、教室の何処にもいない、"女の子"の事だけだったのだから。
それだけは平等だった。そしてその時、痛みだと思っていたものは、そうではなかった。
あれから、ちょっとした歳月が流れ、僕達の多くは、ピーターパンを卒業させられた。今、痛みと共に、30代を生きている。
しかしそれは決して、不幸な事ではない。面白くもないし、評価もされないだろうけれど、それをメタファーにして、彼がメガホンを取った映画を、僕は待っている。
夢の中や心にも、満員電車やトイレにも、或いは、春先に混み合う桜並木の下にだって、あるかもしれない。
痛みはあまたある。悲しかったり、切なかったり、寂しかったりする。ゲラゲラと笑ってしまう痛みだってある。
だから誰しも、力を欲する。或いは、力の代わりとなるものを欲する。じゃなきゃ、キンキンして仕方ない。
それでも、痛みはある。どこまでも作られる。大ヒットしたハリウッド映画の続編みたいに。どこまでも悪化する。スタグレーション下の経済みたいに。
ある男性の傍らに、綺麗な女性がいたとする。男は思う。この女はどんな痛みを抱えているんだろう。
「何?」女は男を見つめる。
男はキスをする。なるべく、甘いやつ。
「可愛いね」と、女が言う。舌を入れてもう一度キスをする。
男はキンキンしてくる。
「買い物に行こう」
女は頷く。夕飯の材料を選ぶと言う。
ウニが食べたいと男は言う。
トゲトゲとした中に、あんなにプリプリとした身を詰めているウニを思い、泣けてきた。
翌日、男の左目の上に、眼帯が乗っている。
女は隣で死んでいる。
ラジオからは、西武とロッテのデーゲームが流れている。二本の満塁ホームランでロッテのワンサイドゲームだった。
男は戦争のニュースを聞きたかった。でも、やっていない。1時間かけて、一週間前の新聞に戦争という文字を探した。見つからなかった。
仕方なく、右目にウニの殻を突き刺した。
ラジオから小さな歓声が漏れた。西部のDHが、最終回にソロホームランで一矢報いた。
これは、『痛み4』という映画だ。監督、脚本、主演は、僕の高校時代の友人のホリさんだ。女役の女優は知らない。
ホリさんは、映画監督を目指している。たぶん、目指している…
時々、自作映画を送ってくる。先週送られてきた今回の作品は、『痛み4』だけれど、『痛み1』~『痛み3』は見ていない。在るのかどうかも分からない。もしかしたら、痛みシリーズ4作目という意味の"4"じゃないのかもしれない。
確かめようがない。彼は彼の祖父が持っているアパートの一室に1人で住んでいるのだけれど、その部屋には電話がない。携帯電話も持っていない。住まいの正確な住所を僕は知らない。お手上げだ。僕は常に彼からの連絡を待つしかない。公衆電話からの着信は、ほぼ100%彼だ。まぁ、滅多にかかってはこないけれど。
彼が映画を送ってくる時、そこには、名前も住所も書かれていない。当然、手紙なんか入っていない。タイトルが記されたDVDが入っているだけだ。勿論、他にそんなものを送ってくる知り合いなんていないので彼からのものなのは決まっているのだけれど、なんとなく、再生するまで落ち着かない。
僕はプレイボタンを押す。彼の作品は、必ず彼が出演している。この目で、ビジュアルとして、彼からの郵送物である事を認識する。そして、撮影時までの彼の生存確認が取れ、安心する。
とりあえず、今回の『痛み4』において、彼の外見的なものに変化はなかった。ただ、もう何年も会話をしていないので、近況は分からないし、最近の趣味嗜好も分からない。
僕の知りうる限り、彼は内田有紀と富司純子がタイプだった。一番才能のあるミュージシャンは堂本剛だと言い張り、怒る京野ことみの演技を好んだ。好きな映画監督については、いつも"分からない"と言っていた。
映画は当然好きで、DVDやVHSが見放題という理由で、レンタルビデオショップで働いていた。
アパートから、歩いて10分ぐらいのところにあるお店らしいのだけれど、彼はローラースケートで出勤した。インラインスケートではなく、四輪の普通のローラースケートだ。
理由を聞くと、左手でカレーライスのスプーンを持ち、右手にラッキーストライクを挟みながら、不思議そうに僕の顔を見つめて、彼はこう答えた。「歩くより早いじゃん」
あれは何年前の事だっただろう。正確に思い出せない。彼は時間や年齢に関する意識を失わせる。
僕達は、神楽坂の小さな喫茶店にいた。お互いの趣味嗜好や物事に関する考え方について、本当に多くの事を語った。僕達は、まるで別の人間だった。
僕は未来しか見ていなかった。彼は今を見ていた。いずれにせよ、僕達は若かった。その日以来、僕は彼と話をしていない。
彼はその日言っていた。「痛みを描けない人間は、映画であれ何であれ、良い作品を作る事は出来ない」と。
ただ、彼自身はそれを分かっていても、どうしたら、それを描けるかが分からなかった。
しかしながら、思い返してみれば、その当時から、「痛み」は彼の大切なモチーフだった。
あくまでも彼の持論であるし、僕自身、そのような何かしらの作品を創ろと思った事がないので、それが良い創作活動のための条件として、適当なのかどうかは、分からない。
ただ、たまたま僕は知っている。痛みを描くために、必要な物とそれを得るためのプロセスを僕はたまたま知っている。
もちろん、当時の僕には知る由もなかった。この歳になって、たまたま知り得たというだけの話だ。
今の彼はそれを知っているだろうか。正直、『痛み4』を見る限り、彼はまだそこに辿り着いていない。
ただ、今回、彼は自分なりの何かしらの手掛かりを得た。そんな気がする。
彼が、自分のモチーフを描き切った時、僕の携帯電話のディスプレイに"公衆電話"という文字が光るような気がしている。ただ、それがいつなのかは分からない。
彼は今でも、ローラースケートでこの冬の寒空の下を走って、レンタルビデオ店でアルバイトをしているのだろうか。喫茶店で、カレーライスをほうばりながら、ラッキーストライクを吹かしているのだろうか。きっと、そこには痛みはない。
彼の映画にあるように、満員電車や、或いはウニを取る漁師の漁業船には、色々な痛みがあまた存在している。
そこでは、それぞれの戦争が、毎日、静かに繰り広げられているからだ。
最後に、同級生であるのに、彼が何故、"さん"付けで呼ばれているか話したい。
僕と彼が通った高校は、幼稚園から高校までエスカレーター式に進学する男子校だった。
彼は小等部から、僕は高等部から、その学校に通った。僕が入学した頃、下から来た連中は、既に彼の事を、"ホリさん"と呼んでいた。
特に彼がパワーゲームに長けていたわけでも、神童だったわけでもない。大それた資産家の息子だったわけでもない。金持ちの息子は腐るほどいた。
小学校4年生の時、水泳の授業があった。その時、準備体操のために、プールサイドで大きく両腕を上げた彼の脇の下に、黒々とした体毛を少年達は見た。
男子だけの特殊な環境下で幼少期を過ごした彼等にとって、何故かその光景は、衝撃だった。
以来、彼は"さん"付けで敬わられたらしい。自分達の脇の下に同じものが生えても…
彼は発育面では早熟だった。
人生において、僕達は様々な事を経験しなければならい。そのスピードが、脇毛の生える時期の差どころではなく、人それぞれ、大きく異なる事を僕達は知らなかった。
何しろ、当時、濃紺の学ラン姿で男子校に通う僕達の頭の中にあるのは、教室の何処にもいない、"女の子"の事だけだったのだから。
それだけは平等だった。そしてその時、痛みだと思っていたものは、そうではなかった。
あれから、ちょっとした歳月が流れ、僕達の多くは、ピーターパンを卒業させられた。今、痛みと共に、30代を生きている。
しかしそれは決して、不幸な事ではない。面白くもないし、評価もされないだろうけれど、それをメタファーにして、彼がメガホンを取った映画を、僕は待っている。