僕が高校生や大学生だった頃、つまり90年代のど真ん中は、今のファッション業界の主人公とも言えるデザイナー達が、次々と日本のマーケットでもその地位を確立していった時代でもある。
メンズで言えば、80年代からバブル期にメンズ3G(ジョルジオ・アルマーニ、ジャンニ・ベルサーチ、ジャン・フランコ・フェレ)と呼ばれていたブランド達は、ファッションブランドというより、ステータスブランドとなり、3D(ドルチェ&ガーバーナ、ダーク・ビッケンバーグ、ドリス・ヴァンノッテン)等が世の若い洋服好きの心を捕らえた。
ドルチェ&ガーバーナをクリエーションする、ドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナは二人ともイタリアの出身であるが、ダーク・ビッケンバーグとドリス・ヴァンノッテンはいずれも、ベルギー出身のデザイナーだった。彼等を含めた6人のデザイナーは、アントワープ・シックスと呼ばれた。
同時期にベルギーのアントワープ王立アカデミーを卒業した、アントワープの6人の卒業製作は伝説となった。
ミラノブランドとは異なる独創的なマッチョを奏でるダーク・ビッケンバーグ
ニット素材の繊細が秀逸なドリス・ヴァンノッテン
エルメスの前デザイナーで、確かな技術の中にストリートも融合され、あまり表に出ないマルタン・マルジェラ
上品かつ繊細だけれどロックも香るアン・ドゥムルメステール
そして、同校で教鞭もふるう、未来的なスポーティーさとポップさが爆発する(W<)のウォルター・ヴァンベイレンドンク
(もう1人は建築界に進み、ファッション界にはいない。)
彼等は新しいファッション界=ベルギーという図式の足掛かりとなった。
アントワープ王立アカデミーに入学しようと思ったが、「アナタに教えれる事はない」と、入学を断られた天才、ベルギー出身のラフ・シモンズは今や、自身のブランドだけではなく、ジル・サンダーのデザイナーを務めている。
近年のメンズファッション界を席巻したエディ・スリマン。ディオール・オムで彼の後任に抜擢されたのは、ベルギー出身のデザイナー、クリス・ヴァン・アッシュだ。
ベルギー人デザイナーは、コム・デ・ギャルソンの川久保玲の影響を受けているものが少なくない。その点が、パリや日本のマーケットで受け入れられた要因の一つと言えるかもしれないけれど、ベルギーの台頭は、90年代ファッション界の大きなムーブメントだった。
彼等のクリエーションを愛した東京の洋服好きは、GUCCIやPRADA、そして、LOUIS VITTONなど、見向きもしなかった。僕もその1人だった。
ただ、ビッグメゾンを中心としたファッション界の再編は、間違いなく、90年代の、もう一つのムーブメントだった。
洋酒モエ・ヘネシー及びヴィトンのLVMHによる、パリの宝Diorやオードリー・ヘップバーンも愛したジバンシーの買収、ミラノのGUCCIグループによる、パリの誇りイヴ・サンローランの買収、PRADAグループによる、ドイツの天才女史ジル・サンダー、オーストラリアの孤高のミニマリスト、ヘルムート・ラングの買収。この三グループによる、ファッションブランド、コスメブランド、ウォッチブランドのM&Aを挙げれば、キリがない。ファッションはビジネスの前に死んだ。
ただ、良い側面もある。それは、90年代から今に至る新しい才能の開花だ。
ジャン・フランコ・フェレよりクリスチャン・ディオールを受け継いだ、ジョン・ガリアーノ、ジバンシーの買収、ジバンシー氏の引退に伴い、アントワープ王立アカデミーの双璧、イギリスのセント・マーチン出身の怪童アレキサンダー・マックイーンのジバンシーのデザイナー就任、マックイーン失墜後、ジバンシーを受け継いだ、ロンドン・サヴィルロー出身のビスポークテーラーであるオズワルド・ボーテン。ルイ・ヴィトンのプレタポルテラインのデザイナーに就任したマーク・ジェイコブス。
そして、言わずと知れたグッチの前クリエイティブディレクター、トム・フォード。
また、このムーブメントの悲劇と栄光の象徴である、前ディオール・オムのデザイナー、エディ・スリマン。
彼の悲劇と栄光は、グッチによるイヴ・サンローランの買収から始まった。
彼はイヴ・サンローラン・リブ・ゴーシュ・オムのデザイナーを務めていた。サンローランに負けず劣らず、パリの粋を彼なりのセンスでナイーブに表現し、若くして高い評価を受けていた。
しかし、イヴ・サンローランはグッチに買収され、彼は辞任。リブ・ゴーシュの新しいデザイナーは、グッチのクリエイティブディレクターであるトム・フォードが、グッチと共に兼任することとなった。しかも、ブランド名であるイヴ・サンローラン・リブ・ゴーシュの前にトム・フォードという冠名が付いた。
パリの誇りが、ミラノに買われ、パリの天才の名の前にアメリカ人の名前が付いた。これ以上の悲劇はなかった。
しかし、神は見捨てていなかった。かつて、サンローランが救ったパリの宝、クリスチャン・ディオールのメンズ・プレタポルテラインのディオール・オムのデザイナーにエディ・スリマンが抜擢された。それは、ひょっとしたら、クリスチャン・ディオールを持つLVMHとイヴ・サンローランを持つグッチグループの覇権争いに巻き込まれただけかもしれない。ただ、彼のその後のクリエーションと、彼のコレクションを見つめるイヴ・サンローラン氏の眼差しを見れば、そのプロセスはエディ・スリマンの栄光の始まり以外のなにものでもなかった。
ベルギー人デザイナーの台頭、ビッグメゾンによるファッションビジネスという、大きなムーブメントの中、僕はファッションという嗜好品に魅了され、学生時代を送った。
そんな中、洋服好きにとっては、あまり好めない現象も幾つか起きつつあった。
その一つの要因が、DOLCE&GABBANAとD&G にあった。僕はそう思っている。
(またまた、長くなりそうなので、DOLCE&GABBANAとD&G vol.3に続きます。良かったら、またまた!)
メンズで言えば、80年代からバブル期にメンズ3G(ジョルジオ・アルマーニ、ジャンニ・ベルサーチ、ジャン・フランコ・フェレ)と呼ばれていたブランド達は、ファッションブランドというより、ステータスブランドとなり、3D(ドルチェ&ガーバーナ、ダーク・ビッケンバーグ、ドリス・ヴァンノッテン)等が世の若い洋服好きの心を捕らえた。
ドルチェ&ガーバーナをクリエーションする、ドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナは二人ともイタリアの出身であるが、ダーク・ビッケンバーグとドリス・ヴァンノッテンはいずれも、ベルギー出身のデザイナーだった。彼等を含めた6人のデザイナーは、アントワープ・シックスと呼ばれた。
同時期にベルギーのアントワープ王立アカデミーを卒業した、アントワープの6人の卒業製作は伝説となった。
ミラノブランドとは異なる独創的なマッチョを奏でるダーク・ビッケンバーグ
ニット素材の繊細が秀逸なドリス・ヴァンノッテン
エルメスの前デザイナーで、確かな技術の中にストリートも融合され、あまり表に出ないマルタン・マルジェラ
上品かつ繊細だけれどロックも香るアン・ドゥムルメステール
そして、同校で教鞭もふるう、未来的なスポーティーさとポップさが爆発する(W<)のウォルター・ヴァンベイレンドンク
(もう1人は建築界に進み、ファッション界にはいない。)
彼等は新しいファッション界=ベルギーという図式の足掛かりとなった。
アントワープ王立アカデミーに入学しようと思ったが、「アナタに教えれる事はない」と、入学を断られた天才、ベルギー出身のラフ・シモンズは今や、自身のブランドだけではなく、ジル・サンダーのデザイナーを務めている。
近年のメンズファッション界を席巻したエディ・スリマン。ディオール・オムで彼の後任に抜擢されたのは、ベルギー出身のデザイナー、クリス・ヴァン・アッシュだ。
ベルギー人デザイナーは、コム・デ・ギャルソンの川久保玲の影響を受けているものが少なくない。その点が、パリや日本のマーケットで受け入れられた要因の一つと言えるかもしれないけれど、ベルギーの台頭は、90年代ファッション界の大きなムーブメントだった。
彼等のクリエーションを愛した東京の洋服好きは、GUCCIやPRADA、そして、LOUIS VITTONなど、見向きもしなかった。僕もその1人だった。
ただ、ビッグメゾンを中心としたファッション界の再編は、間違いなく、90年代の、もう一つのムーブメントだった。
洋酒モエ・ヘネシー及びヴィトンのLVMHによる、パリの宝Diorやオードリー・ヘップバーンも愛したジバンシーの買収、ミラノのGUCCIグループによる、パリの誇りイヴ・サンローランの買収、PRADAグループによる、ドイツの天才女史ジル・サンダー、オーストラリアの孤高のミニマリスト、ヘルムート・ラングの買収。この三グループによる、ファッションブランド、コスメブランド、ウォッチブランドのM&Aを挙げれば、キリがない。ファッションはビジネスの前に死んだ。
ただ、良い側面もある。それは、90年代から今に至る新しい才能の開花だ。
ジャン・フランコ・フェレよりクリスチャン・ディオールを受け継いだ、ジョン・ガリアーノ、ジバンシーの買収、ジバンシー氏の引退に伴い、アントワープ王立アカデミーの双璧、イギリスのセント・マーチン出身の怪童アレキサンダー・マックイーンのジバンシーのデザイナー就任、マックイーン失墜後、ジバンシーを受け継いだ、ロンドン・サヴィルロー出身のビスポークテーラーであるオズワルド・ボーテン。ルイ・ヴィトンのプレタポルテラインのデザイナーに就任したマーク・ジェイコブス。
そして、言わずと知れたグッチの前クリエイティブディレクター、トム・フォード。
また、このムーブメントの悲劇と栄光の象徴である、前ディオール・オムのデザイナー、エディ・スリマン。
彼の悲劇と栄光は、グッチによるイヴ・サンローランの買収から始まった。
彼はイヴ・サンローラン・リブ・ゴーシュ・オムのデザイナーを務めていた。サンローランに負けず劣らず、パリの粋を彼なりのセンスでナイーブに表現し、若くして高い評価を受けていた。
しかし、イヴ・サンローランはグッチに買収され、彼は辞任。リブ・ゴーシュの新しいデザイナーは、グッチのクリエイティブディレクターであるトム・フォードが、グッチと共に兼任することとなった。しかも、ブランド名であるイヴ・サンローラン・リブ・ゴーシュの前にトム・フォードという冠名が付いた。
パリの誇りが、ミラノに買われ、パリの天才の名の前にアメリカ人の名前が付いた。これ以上の悲劇はなかった。
しかし、神は見捨てていなかった。かつて、サンローランが救ったパリの宝、クリスチャン・ディオールのメンズ・プレタポルテラインのディオール・オムのデザイナーにエディ・スリマンが抜擢された。それは、ひょっとしたら、クリスチャン・ディオールを持つLVMHとイヴ・サンローランを持つグッチグループの覇権争いに巻き込まれただけかもしれない。ただ、彼のその後のクリエーションと、彼のコレクションを見つめるイヴ・サンローラン氏の眼差しを見れば、そのプロセスはエディ・スリマンの栄光の始まり以外のなにものでもなかった。
ベルギー人デザイナーの台頭、ビッグメゾンによるファッションビジネスという、大きなムーブメントの中、僕はファッションという嗜好品に魅了され、学生時代を送った。
そんな中、洋服好きにとっては、あまり好めない現象も幾つか起きつつあった。
その一つの要因が、DOLCE&GABBANAとD&G にあった。僕はそう思っている。
(またまた、長くなりそうなので、DOLCE&GABBANAとD&G vol.3に続きます。良かったら、またまた!)