短いお別れ

勝手に思う事を、徒然なるままに…

白い誕生日

2008年01月28日 21時59分31秒 | Weblog
先週の水曜日、雪が降った。先日も多少パラパラとしたようだけれど、この冬、東京では初めての雪の日と言っていいだろう。ただ、雪はすぐに雨になった。

その日は昔付き合っていた恋人の34回目の誕生日だった。

彼女と別れてから長い年月が過ぎた。当然、誕生日も忘れていた。携帯電話のテロップに彼女の名前と誕生日という言葉がクレジットされているのを見るまでは。

この間、ブログに書いたように、僕は昨年、携帯電話を機種変更した。春先ぐらいの事だ。

4年間使い続けたソニーエリクソン製のものから、吉岡徳仁がデザインした携帯電話に変えた。

僕が携帯電話にまるで興味を持たずに4年の月日を送っている間に、その技術は飛躍的に進歩していた。はっきり言って、機能自体が全然分からない…。

これまでずっと、ソニー製、ソニーエリクソン製のものしか使ってこなかったので、使い方がまるで違く、覚え辛かった。

何はともあれ、今は何とか使ってます…。結構、アナログな男なんです…

今の携帯は、アプリを設定すると、テロップにニュースが流れる。仕事で必要な情報は、有料の専門的なサイトや、或いは専門誌に頼るしかないのだけれど、一般的なニュースはある程度、「ふーん」と、流す程度に情報を得られるし、もっと知りたい場合は、テロップから飛んで詳しい情報を探せば良いし、ニュースを見る時間や新聞を読む時間がなかった時には、外出先なんかで、わりと重宝する。

ニュースの更新のたびに、ブルブルってバイブでお知らせがあるのは、やっと眠りについた深夜なんかは、ちょっと迷惑だけれど…。それも、バイブを止めて、イルミネーションによるお知らせのみにする事が出来るようなのだけれど、アナログな僕にはその設定方法を知る由もない…

そんな感じで、この携帯電話とは、まあまあな関係を築いている…


先週の水曜日、つまり、雪の降った日の午前中、僕は仕事で赤坂見附に向かっていた。

雪の日の地下鉄は、あまり気が進まず、タクシーに乗った。

最近、ほとんどのタクシーが禁煙になった。暇をもてあました僕のポケットが震えた。携帯を取り出した。新着メールも不在着信もない。

ニューステロップを見た。興味の薄いニュースが一つ流れた。その後、良く知っている懐かしい名前がテロップに現れた。昔の恋人の名前だ。今日は彼女の誕生日だと、携帯は知らせていた。

僕は一瞬、事情が掴めなかった。何故、彼女の誕生日が、全国に知らされているんだ?それとも、同姓同名の有名人だろうか?

そんな名前の有名人は知らなかった。そして、思い返してみれば、1月23日は、確かに彼女の誕生日だった。

理由が分かるまで時間がかかった。僕は前の携帯のアドレス帳をそのまま、この携帯にメモリー転送してもらった。彼女の項目には、誕生日が登録されていた。

そのままにしていた情報が反映されたようだ。どうやらアドレス帳に登録されている誕生日は誰のものであれ、テロップで知らせる機能があるようだ。誕生日を登録している人なんてあまりいないので、今日まで気付かなかったのだろう。言われてみれば、携帯のカレンダーにも、登録されている誕生日が自動的に示されている。

機種変更をしてから、だいぶアドレス帳をいじったけれど、特に消す理由もないし、そのままにしていたのだろう。再び、彼女に連絡を取る機会はおそらくないのだけれど。

僕はタクシーを降り、約束の場所に向かった。まだ、雪は降っていた。


仕事を終え、小さなカフェで軽い昼食を取り、オフィスに戻った。

腕時計を見た。この携帯と同じく、吉岡徳仁がデザインした、イッセイ・ミヤケの時計だ。針は2:00過ぎを知らせた。携帯を見ると、また、彼女の名前が現れた。窓の外では、雪が雨に変わっていた。


来年のこの日、僕が再び、この携帯電話で彼女の誕生日を知るかどうかは分からない。しかし、その日は間違いなく、永遠に彼女の誕生日だ。その度に彼女は確実に1つ歳をとる。彼女は3つ歳上だった。夏生まれの僕と彼女の歳の差が2つから3つに戻る日だ。

もう、彼女に直接伝えることはない言葉を僕は1人、心の中で呟いた。Happy Birthdayと。一番、彼女のHappyを奪ってしまった男かもしれないけれど…

届かない言葉ではあるけれど、せっかくだから、白い雪が降っているうちに、呟くべきだったと、窓の外を見ながら思った。

雨ももうすぐ、止みそうな気がした。

動物園の休日

2008年01月23日 12時25分54秒 | Weblog

不忍池の茶屋でコーヒーを飲んだ。彼女は、ランコムのリップグロスを塗り直し、動物園に行こうと言った。今しか見れない耳の長い動物がいるらしい。立ち上がった彼女の唇から、熟れたメロンの香りがした。

池の蓮の葉は、すっかり枯れ果てていた。退屈そうにユリカモメが、首をすくめていた。

結局、朝方しか雪は降らなかったようだけれど、秘密でも持っていたら、全て洗いざらい話してしまいそうなほど、風は冷たく僕達を責めた。

彼女は、秘密を話す事はなかったけれど、池の回りを歩く間、ずっと好きなものについて、喋り続けていた。

彼女は秋の静かな海が好きで、晴れた日に国内線から眺める富士山が好きだった。小さな男の子が裾上げをせずに乱雑に折り畳んで穿くオーバーオール姿が好きだった。

大根も好きだけど、トウガンの煮物はもっと好きで、甘いカクテルとシャンパン以外、お酒はほとんど好きらしい。

何より、2人の子供が大好きだった。


嫌いなものについては、たった一つしか口にしなかった。彼女は、今の自分が嫌いだった。

池を抜け、カラスや鳩の間をすり抜け、僕達はゆっくりと歩いた。彼女はもう話さなかった。寒椿が僕達より静かに咲いていた。

月曜日の上野公園は閑散としていた。たまにすれ違う人は皆、先を急いでいた。

店もほとんど閉まっていて、音楽も話し声すら、何処からも聞こえてこなかった。時々、のら猫がやるせないように鳴くだけだ。

当然だった。この公園の中心である動物園が、月曜日は休みだからだ。

彼女はきっとその事を知っている。聞いた事のない耳の長い動物がここにいる事を知っているぐらいなのだから…

それでも彼女は歩いた。胸の前で淡い紫色のマフラーをしっかりと押さえながら。几帳面にスカルプの付けられた小さな手が微かに震えていた。

彼女が電話をかけてきたのは、日曜日の20時過ぎだった。

僕は風呂から上がり、ビールを飲みながら、髪の毛を乾かしていた。

彼女は年賀状を返さなかった事への嫌味を一つ言った後、明日、時間がないか聞いてきた。

僕は、午前中、上野で打ち合わせをした後、夜は青山で人と会う約束をしていた。

昼過ぎから夕方ぐらいまでなら、構わないと伝えた。

彼女は一人で上野に来ると言った。要件は聞かなかったけれど、いつも通りの彼女だった。そう言っても、彼女が退職してからもうかれこれ、3、4年は会っていないのだけれど…



パンダ焼きの店を通り過ぎ、ささやかな夢の国の前へ着くと、もう、シャッターの降りた動物園のゲートが見えた。

彼女は閉ざされた入り口にゆっくりと歩み寄り、何も言わずに、その前に立ち尽くした。

近付くと、120円を入れてボタンを押したら、冷えたジンジャーエールが自動販売機から出てくるように、当たり前の事象として、彼女の頬には涙が伝っていた。

もちろん、僕は言葉なんて用意していなかった。必死にベターな言葉を探したけれど、まるで検討違いな言葉が膨大に浮かんでは消え、そのうちに、思考が停止した。

そして、僕にはほとんど永遠と思えるほど、長い沈黙が続いた。

ただ、なみなみと太ったカラスの群れが僕達を睨み付けながら過ぎ去ると、子供の泣き声が聞こえた。

振り返ると、お父さんの手を握り、泣きじゃくる女の子がいた。3、4歳といったところだ。オーバーオールは着ていなかった。

女の子は手を離し、彼女の横を通りすぎ、ゲートのシャッターを揺り動かしながら、泣いた。

お父さんが僕に近づき、何か言った。よく聞き取れなかった。彼はもう一度慎重に話した。外国人だった。動物園が休みなんて知らなかったらしい。

彼は娘に向かって、何か叫んだ。中国語のようだ。

女の子は諦めたように振り返った。

女の子には父親ではなく彼女が目に入ったようだった。驚いたように彼女を見つめ、近寄った。精一杯腕を伸ばして、彼女の手を握りしめた。そして、父親のもとへ走った。

彼は娘を抱き上げ、サヨナラと言って、その場を後にした。

彼女は笑い出した。声を出して、呆れるくらい笑った。僕も笑った。

「あの子、お母さんいないのかしら。」

「さあ。だとしたら?」

「ううん。何でもないの。」

「君は、君の子供達と来ればいいさ。」

「そうね。ありがとう。」


それから、彼女と駅まで昔の話をしながら歩いた。彼女はJRに向かい、僕はタクシー乗り場に向かった。別れ際、彼女は言った。

「あなたも、まだまだね。」

「何が?」

「別に」と彼女は笑った。微かにメロンの香りがした。

やれやれ…


彼女と裾をたくし上げたオーバーオール姿の二人の子供が、いつ動物園に行くのか、僕にはわからない。その時、耳の長い動物がいるのかどうかも、同じ事だ。

僕は思う。その動物は、休園日という事で、人間の好奇の目には晒されないけれど、動物園の中で、檻の中で、ゆっくりと休む事はできるのだろうか?

僕はその動物達が家族でいる事を願う。子供は、長い耳がすっぽりと隠れるぐらい、親に抱きしめてもらえれば、そこが、動物園なのか、檻の中なのか、きっと分からずに、すやすやと寝息を立てて、幸せな夢を見ることだろう。


僕は一人、タクシーに乗った。白いフーガだった。

「青山まで。」

一人でいるには、禁煙でも、タクシーの車内は、檻の中よりはいいだろう。車はスピードを上げた。

枯れない花

2008年01月22日 08時52分06秒 | Weblog

ラバーソウルの代わりに左右合わせて八十四個の鋲が打たれたコム・デ・ギャルソン・オムプリュスのブーツを買った。ヴィヴィアンウエストウッドのセディショナリーズモデルのスウォッチをドゥブル・トゥールに代え、前期の66と状態の悪いビッグEをジュンヤ・ ワタナベ、リーバイス、10コルソコモのトリプルネームのブラックデニムに代えた。トランクスはヘルムート・ラングに変わって、時にはドルチェ&ガッバーナのアンダーウェアを履く。梅ヶ丘で仕立てたモッズ・スーツはイヴ・サンローラン・リブゴーシュ・オムになり、西海岸のチョーカーの代わりに、ディオール・オムの蜂が首元で輝く。太陽の光やスギの花粉をカトラーアンドグロスではなくアラン・ミクリが遮り、ワンスターの代わりにヨウジ・ヤマモトのアディダスで走り、ジッポーではなくデュポンで点けたジタンが息を切らす。

これは、リストだ。昔、ある人に近況を伝えたメールにこう記されていた。21世紀の最初の年から、3年の間に、僕はこれだけの買い替えをしたようだ。

新しいモノを手に入れたのではない。何かを何かに交換した。ただ、それだけだ。これらを含めた当時の僕自身が、マイナーチェンジされたのか、フルモデルチェンジされたのかは、今でもわからない。

メールには、『携帯電話を機種変更する事によって、僕の交換作業は終了した。』、そう書かれてあった。

あれから、4年が過ぎた。今も僕は色々なものを買い換えている。事実、"リスト"にあるほとんどのものは、もう使ってはいない。

その一方で、以前、このブログにも書いた通り、何年も使っているマフラーもあったりする。

交換の基準は定かではない。年齢的なものもあるし、当然、はやりすたりもある。ただの単純な気まぐれもあったりするし、センチメンタルな事情だってあるだろう。

去年、携帯電話を変えた。番号は変わっていない。10年ぐらい同じ番号を使っている。

ただ、アドレス帳は目まぐるしく変わる。メモリーナンバーも変遷している。

近況を伝えた人の名前は、僕が今、このブログを更新している携帯電話の何処にもない。それはきっと仕方のない事だ。


この間、記事にした『薔薇のない花屋』に影響されたわけではないけれど…、部屋に置いていた小さな鉢植を、昨日買ったプリザーブド・ローズに変えた。

その薔薇は、10年は枯れないという。

ただ、その赤色がいつまで僕の部屋にあり続けているかは、今の僕には知る由もない。

彼の好きな音

2008年01月19日 20時33分43秒 | Weblog

『チョキチョキ、チョキチョキ。家に帰ると、お父さんがお客さんの髪の毛を切るハサミの音が聞こえる。僕のお父さんは床屋さんをやっている。チョキチョキ。僕はこの音が大好きだ。』


小学校の4年生ぐらいだったと思う。『親』というテーマで、作文の宿題が出た。

上記の文章は、僕の友人がその時に書いた作文の書き出しだ。

良い文章という事で、当時の担任が彼の作文をプリントし、クラスに配った。僕はこの文章を鮮明に記憶している。

確か、彼は、作文の最後を小学生らしくこう締めた。

『お父さんは、チョキチョキとたくさんの人の髪の毛をきれいにする。将来、僕もお父さんみたいになりたいと思います。』

それから、10年程の月日が流れ、彼は床屋さんではなく、美容師になった。10余年後には専門学校時代の友人と東京近郊に小さいけれど、自分達の店を持った。

そして2年前、いくつもの美容院が並ぶ、その街のメインストリートに20人程は座れる大きな店を出した。スタッフも増えた。

僕は忙しくなければ、月に一度、彼に髪の毛を切ってもらっている。

ただ、この1年ぐらいは、店に予約の電話をしても彼が店に出ていない事が増えた。事情は聞いていないけれど、一緒に店を始めた彼の友人も辞めてしまって、最近は初めて見るスタイリストに髪を切ってもらう事が多かった。

彼等に僕の友人について聞くと、決まってこう言う。"社長は忙しいみたいです"

彼は、床屋さんではなく、美容師さんでもなく、社長さんになった。

以前は、特に小さい店の時は、閉店間際に髪の毛を切ってもらい、そのまま店を閉めて二人でよく飲みに行った。ビール党の彼のジョッキを空けるペースが上がってくるのが、サインだった。彼は夢を語り始める。素敵な夢だった。

最近はそんな機会はなかった。だから僕は、今の彼の夢を知らない。

そんな彼から、先日メールが届いた。プライベートなメールではない。お店から会員の携帯電話に届くメルマガみたいなものだ。

店舗移転のお知らせと題されたそのメールはこんな文章だった。

『最初の店舗で4年、次の店舗で2年、長い間、ご愛顧頂きありがとうございました。当店は移転するはこびとなりました。1日も早く、新しい店舗をご紹介できるよう、頑張りたいと思います。』


何処にいつ移転するのかは、まったくの未定との事だった。

彼から個人的な連絡はない。僕も連絡をしようとは思っていない。だから、事の詳細は確かではないけれど、少なくともハッピーな状態ではない事は推察できる。そして、僕は髪の毛を切れない日々を過ごしているのだけれど…

お正月に実家に帰らなかった僕は、この間の三連休に、家に顔を出した。その日は電車で帰った。

地元の駅から、我が家へ歩く途中に友人の実家の床屋さんがある。

その前を通りすぎた時、見慣れたウィンドウの奥で、60歳を越えた彼のお父さんが、必死でハサミを動かしていた。

僕が中学生になり色気づいて美容院に行くようになるまで、毎月僕の髪の毛を切ってくれていたおじさんだ。とにかく優しいおじさんだった。

僕は今、安心している。友人は、家に帰れば、彼が大好きだったチョキチョキというあの音を今でも聞く事ができるのだ。それは、あの頃よりも重みある音に聞こえる事だろう。

彼がこれから再び、自分の手でお客さんのヘアスタイルをきれいにしたいと思えるならば、自らが握るハサミで大好きだったあの音を鳴らしたいと思えるならば、彼は生涯、美容師であり続ける事が出来るはずだ。

あれから20年余りが過ぎたけれど、理容師と美容師の違いはあるけれど、何しろ彼の夢は、お父さんのような人になる事だったのだから。

僕の襟足は少し煩くなった…

でも、オーケーだ。しばらく、髪の毛を伸ばしてみよう。

『薔薇のない花屋』

2008年01月14日 19時28分20秒 | Weblog
年が明け、半月程が過ぎた。休みの記憶も薄れ始め、いつも通りの毎日を過ごしている。ただ、休み前の色々な物事の感覚は、少しずつ戻ってはきたけれど、まだ完全ではない。この冬の休みはあまりに長過ぎた。

そして、この三連休を迎えた。また、振り出しに戻るかもしれない。

僕はこの冬、9日間休みを取った。

しっかりと休みを取って、普段、気になりながらも、忙しさを理由に見て見ぬふりをしてきた様々な物事をきっちりと片付けようと思った。無理のない予定も立てた。

しかし、いざ休みが始まると、初日から上手く事は運ばなかった。

仕事から距離を取っても、どうにもならない用事は突然生まれる。

1日目、2日目と予想もしなかった来客があり予定は大きくズレた。そして、もう、立て直す事は不可能だった。

相変わらずの、自分の意志の弱さに、驚いた。きっと僕の意志は、100円硬貨一枚で買えるビニールの傘よりも脆い。僕の意志を砕くのは、茹で上げ前のママー・スパゲッティを真っ二つに折るよりも容易に違いあるまい。

何はともあれ、その後の僕の生活はひどかった。

誰かが来たら、酒を飲み、誰も来なかったら、やはり酒を飲み…、TVを見た…。

TVのち酒、時々睡眠…。最低だ…。

とにかく、TVは異様に見た。何故か、邦画をたくさん見たような気がする。

森山未來さんが、長澤まさみさんを抱き上げ、助けて下さいと叫び、若くして亡くなられた夏目雅子さんが、なめたらあかんぜよと凄み、照英さんが、教え子に泣きながら吠えていた…

正直、あまり覚えてはいない。クオリティのせいではない。アルコールの仕業だ…

どの作品も、まっとうな状態で観れば、楽しめたのだろう。どれも、原作やオリジナルが人気をはくしたものばかりだ。

最近、邦画やテレビドラマを観ていて、あまりハズレがないような気がする。何となく、それなりに楽しめてしまう。

でも、それだけだ。何と言うか、"うん、つまらなくはなかったけれど…"という感じだ。まぁ、あくまで僕個人の感想だけれど。

元々、そんなに邦画を観る方ではない。ただ、テレビドラマは、以前はよく観ていた。

先日、フジテレビの番組で、平成元年から昨年までの同局の連続ドラマを振り返るというコーナーがあった。

平成元年放映の、小泉今日子さん、陣内孝則さん出演の『愛しあってるかい!』から、昨年放映された、福山雅治さん、柴咲コウさん出演の『ガリレオ』まで、主に高視聴率ドラマや話題性の高かったものを中心に紹介された。

振り返って観てみると、思い入れのあるドラマが幾つもあって、思いの外、感慨深いものだった。

テレビドラマというものは、それを思い出す時、そのドラマが放映されていた当時の自分の身の回りの状況、或いは自分自身を、何故か鮮明にフラッシュバックさせる。

我々は、ドラマに自分を投影させ、主人公の気持ちで1時間を過ごし、泣き、笑い、そして何かを考える。その時の自分であるからこそ、その時代であるからこそ、考えられる何かを考える。連続ドラマは週に一度の手軽な、でもいとおしいエンターテイメントであると同時に、純粋な時代の証人であるのかもしれない。

僕は個人的に、野島伸司さんの脚本作品を好んで観ていた。

フジテレビで言えば、『101回目のプロポーズ』、『愛という名のもとに』、『ひとつ屋根の下』、が人気作品で、上述のドラマを振り返るコーナーでも紹介されていた。

僕は、『君が嘘をついた』や『愛しあってるかい!』などのトレンディドラマや、『この世の果て』、『リップスティック』などのシリアスドラマ、或いは色々と物議を醸し出したりした初期のTBSドラマも好んで観ていた。

大田亮さんプロデュース、野島伸司さん脚本、三上博史さん出演、というドラマは全て観ているような気がする。

野島作品には、僕の知りうる限り、原作はない。色々と叩かれたりした時期もあるけれど、全てオリジナルである。当然、結末は誰にもわからない。

映像作品にとって、原作とは料理で言えば素材であり、その脚色、キャスティング、カメラワーク、演出の仕方、つまり、調理方法により、出来映えは変わる。だから、どんなに面白い原作、どんなに売れた漫画や小説が原作でも、つまらないものはつまらない。

でも、内容自体が著しくつまらなくなる事はそうそうない。

最近のドラマは、人気の原作、ヒット作品のリメイクを人気キャストで映像化する事が非常に多い。したがって、ハズレは少ない。

でもやはり、内容が有名なため、来週はどうなるのだろうという、ドキドキ感は少ない。原作やオリジナルを知っている友人にオチをばらされたり、原作やオリジナルとのイメージのギャップに落胆したりする場合も多々ある。

個人的には、オリジナルストーリーで、毎週ワクワクできる連続ドラマを期待してしまう。

そして、今クール、野島伸司さんのオリジナルストーリーが、フジテレビの月曜9時枠で放送されると聞いて期待している。

『薔薇のない花屋』という作品で、香取慎吾さんと竹内結子さんが共演し、山下達郎さんが主題歌を担当するらしい。

今日の9時から初回がスタートする。

SMAPが全面的にプロモーション活動をし、ローズデーと題しフジテレビがバックアップし、香取慎吾さんはサマンサタバサで薔薇を配り、かなり力を入れている。そこらへんは、個人的には、アレだけれど、楽しみにしている。

野島伸司さんの連続ドラマ脚本は、2005年にTBSで放送された『あいくるしい』以来、フジテレビでは、木村拓哉さん、竹内結子さん共演の『プライド』以来となる。

僕がフジテレビの月曜9時枠を観るのは、前クールの『ガリレオ』は、東野圭吾さんの原作は読んでいたけれど、ドラマは観ていなかったので、NEWSの山下智久さん、長澤まさみさん共演で、三上博史さんも出演していた昨年の4月―6月クールの『プロポーズ大作戦』以来だ。このドラマも、フジテレビ月曜9時枠としては2006年の『トップキャスター』以来の原作なしのオリジナルドラマだった。


『薔薇のない花屋』が、この時代の今の僕に何を与えてくれるのか、後の僕の中にどのような形で残るのか、それはわからない。

そもそも、テレビドラマをエンターテイメント作品を、そのようにややこしく観る必要はないという人も多いと思う。

でも、何はともあれ、毎週、ワクワクできる作品である事を期待している。

そして、毎週月曜日は『薔薇のない花屋』をリアルタイムで規則的に観る事によって、休みボケをした僕の感覚が戻り、いつも通りの、"今の僕の日常"というひどく平凡なドラマが正常に進んでいくと、個人的には本当にありがたい限りである。