未唯への手紙
未唯への手紙
「糖尿病」をもって人生を楽しむためにはどうすればいいでしょうか?
『糖尿病はこころでよくなる』より
糖尿病と生きる、これからのこと それでも続く人生、「自分」を愛する術を探る
毎日の生活で精一杯で、将来のことが考えられません。
明日は明日の風が吹く、だろうか……
次のような言葉や語りをよく耳にしませんか。
「将来に対する備えをいまのうちから」
「将来のことを考えて、病気の治療計画を立てよう」
この本の最初に、合併症の説明はしないと言いました。どんな病気かの詳しい説明はしませんが、少しだけふれさせてください。
糖尿病の治療は、合併症(目、腎臓、神経、心臓などが障害されること)の予防が大きな目的です。そのために、血糖値や血圧、コレステロールや中性脂肪、そして体重を適正な状態にしようとします。それが日々の治療の目標です。血糖値などは、病院に行って検査をすればすぐにわかります。
しかし、合併症がどうなるかはすぐにはわかりません。血糖値などの結果があまりよくなくても、合併症はすぐに体に現れるものではありません。また、仮に現れていたとしても、実感するまでには時間がかかります。人や状況によって異なりますが、五年、一〇年というスパンでしょう。だから「将来を考えていまのうちから治療を」という考え方は正しいのです。しかし、五年、一〇年という年月はかなり長く、自覚できる症状や不都合も少ないため、
「症状が出てからがんばるわ、そんな先の話はわからんし」
「何にも治療をしていなかったけれど、体はなんともなかった」
ということにもなりかねません。
一方、特に仕事を持っておられる世代の患者さんは、毎日のことをこなしていくことで精一杯で、治療のこと、先のことは考えられないということがあります。
「(飲食の)付き合いは断れない(断れなかった)」
「仕事が忙しくて通院どころではない(なかった)」
まさにいま、または後から振り返って、そうおっしやる方が少なくありません。
「一〇年後」を予測しようにも、自分ではコントロールできない不確定要素がたくさんありすぎます。仕事の転勤・昇進・リストラ、配偶者の健康状態、子どもの進学・就職・結婚など、自分だけでは決められないことの方が多いでしょう。
「近い将来」を積み重ねて、いつの間にか一〇年に
でも、「将来に意識を向ける」のは、大切なことだと思います。治療の先に未来があると感じている証です。ただ、「一〇年後」ではわかりにくいのも確かです。半年や一年といった「近い将来」。このあたりのことから考え始めてみませんか。
個人的には三か月くらいが一番イメージしやすいと思います。ゴールデンウィーク、夏休み、年末年始といった、季節ごとのイペントを目印にすると、「ああ、季節が巡ってきたな」と時間の経過を認識しやすいでしょう。
三か月や半年、そして一年という単位で治療を少しずつ積み重ねていくうちに、いつのまにか一〇年経っていた。そんな感じが糖尿病には一番いいと思います。
「糖尿病」をもって人生を楽しむためにはどうすればいいでしょうか?
優等生患者さんのこころの中は……
P‐Fスタディという性格テストがあります。日本語では「絵画欲求不満テスト」と訳されていて、絵に描かれた状況に自分が置かれたとき、どのような発言をするか書き込んでいくものです。
そこには、自分の思い通りにならない状況や、嫌だなと思う場面が描かれています。たとえば、電車で席に荷物が置かれていて、座れないような場面を考えてください(これはテストの実例ではありません)。そのようなストレスがかかった場面で、あなただったらどうするかを答えます。
その答えかたによって、その人の性格が「他責的(相手に解決を迫ろうとする)」「自責的(自分で解決しようとする)」「無責的(仕方ないと受け入れる)」のいずれかわかるのです。
了解を得た患者さんに、この性格テストを受けてもらった時期があります。治療がうまくいく性格があるとすればどんなものか。それを知ることがこの検査の目的でした。多くの患者さんにご協力をいただいた結果、治療への取り組み方と性格テストの結果に相関関係があることが段々とわかってきました。たとえば、自責的な傾向がある人ほど治療法についてよく勉強する、などです。しかし、そのような人で治療が長続きするかというと必ずしもそうではなく、自分に厳しすぎて「もうダメ」となる人もいました。
一型糖尿病だった患者さんに「超」がつくほどの優等生がいました。血糖値のコントロールがとても上手なので「どうやってるの? コツ教えて」と、何回も聞いたほどです。それは単に血糖値の数値がいいというだけではありません。
一型糖尿病では、自分の膵臓から出るインスリンという血糖値を下げるホルモンがとても少なくなっています。そこで、インスリン注射を使うのですが、それでもちょっとしたことで血糖値が大きく上下します。
また、血糖値が上がる理由がわからないことがあります。食べたから上がった、は納得。しかし、特別なものは食べていないし、注射もきちんとしているのに、血糖値がびっくりするほど高いときが治療につまずくきっかけになります。
一方、血糖値は低すぎるのも問題です。
「普通に食べてるのに、なんで低血糖?」、「わけがわからん」。誰しも感情が先に立つでしょう。「頭にくるなあ!」、「腹立つなあ」。それが高じると、治療や将来について悲観的な考えが押し寄せます。
こんな時は自分を見失わない「気持ちの強さ」と「柔軟性」のバランスが必要とされますが、難しい。常に気持ちを一定のレベルに保つなんて、糖尿病のない普通の暮らしでも難しい。そこに「治療」が絡むと難易度はさらにL昇します。
しかしその患者さんは、気持ちの処理と立て直しがとても上手なのです。。体この患者さんの「こころの仕組み」はどうなっているかを知りたいと思いました。
さあ、この患者さんの性格テストの結果は……。他責・自責・無責の傾向がそれぞれ「一対一対一」。すべて均等。これは、状況に応じて発想や思考を柔軟に変えていることを意味しています。
りまり、戸想外に高い血糖値が出たとして、ある時は自分のせい、ある時は機械の働き具合が悪かった、ある時は誰のせいでもなく仕方がないこと、というようにうまく使い分けられているということです。
元々の性質なのか、糖尿病との付き合いのなかで熟成されてきた知恵なのか。おそらく両者の組み合わせとは思いますが、とにかく感心しました。これって、究極の形でしょうね。
「悲観」も「楽観」もない無風の境地。「達観」とはこういう状態なのでしょう。
「ちょっとのいいこと」が人生の杖となる
この方は趣味も多彩。釣り、写真、子どもとの野外活動などを楽しんでおられました。診察日に時間があると、桜、紅葉、野鳥を撮影した写真を見せてくれます。
糖尿病の治療はずっと続きます。体調が絶好調なときもスランプのときもあります。どうか気持ちや暮らしが「糖尿病」一色に染まりかかったときは、気持ちのベクトルを「糖尿病!」ではなく「外」に、それもあらゆる方向に向けてください。楽しいことを探してみる。少しでも気分のいいことをやってみて、そんな自分を褒めてみる。花を飾るのでもいいでしょう。心が軽やかになるようなアクセントを意識的につけるのです。
「自分のためのちょっといいこと」を続けるうち、糖尿病になって一年、二年が過ぎ、一〇年経った頃には、こうした「ちょっとのいいこと」たちが、次の一〇年、あなたをしっかり支えてくれる「人生の杖」になるはずです。
糖尿病と生きる、これからのこと それでも続く人生、「自分」を愛する術を探る
毎日の生活で精一杯で、将来のことが考えられません。
明日は明日の風が吹く、だろうか……
次のような言葉や語りをよく耳にしませんか。
「将来に対する備えをいまのうちから」
「将来のことを考えて、病気の治療計画を立てよう」
この本の最初に、合併症の説明はしないと言いました。どんな病気かの詳しい説明はしませんが、少しだけふれさせてください。
糖尿病の治療は、合併症(目、腎臓、神経、心臓などが障害されること)の予防が大きな目的です。そのために、血糖値や血圧、コレステロールや中性脂肪、そして体重を適正な状態にしようとします。それが日々の治療の目標です。血糖値などは、病院に行って検査をすればすぐにわかります。
しかし、合併症がどうなるかはすぐにはわかりません。血糖値などの結果があまりよくなくても、合併症はすぐに体に現れるものではありません。また、仮に現れていたとしても、実感するまでには時間がかかります。人や状況によって異なりますが、五年、一〇年というスパンでしょう。だから「将来を考えていまのうちから治療を」という考え方は正しいのです。しかし、五年、一〇年という年月はかなり長く、自覚できる症状や不都合も少ないため、
「症状が出てからがんばるわ、そんな先の話はわからんし」
「何にも治療をしていなかったけれど、体はなんともなかった」
ということにもなりかねません。
一方、特に仕事を持っておられる世代の患者さんは、毎日のことをこなしていくことで精一杯で、治療のこと、先のことは考えられないということがあります。
「(飲食の)付き合いは断れない(断れなかった)」
「仕事が忙しくて通院どころではない(なかった)」
まさにいま、または後から振り返って、そうおっしやる方が少なくありません。
「一〇年後」を予測しようにも、自分ではコントロールできない不確定要素がたくさんありすぎます。仕事の転勤・昇進・リストラ、配偶者の健康状態、子どもの進学・就職・結婚など、自分だけでは決められないことの方が多いでしょう。
「近い将来」を積み重ねて、いつの間にか一〇年に
でも、「将来に意識を向ける」のは、大切なことだと思います。治療の先に未来があると感じている証です。ただ、「一〇年後」ではわかりにくいのも確かです。半年や一年といった「近い将来」。このあたりのことから考え始めてみませんか。
個人的には三か月くらいが一番イメージしやすいと思います。ゴールデンウィーク、夏休み、年末年始といった、季節ごとのイペントを目印にすると、「ああ、季節が巡ってきたな」と時間の経過を認識しやすいでしょう。
三か月や半年、そして一年という単位で治療を少しずつ積み重ねていくうちに、いつのまにか一〇年経っていた。そんな感じが糖尿病には一番いいと思います。
「糖尿病」をもって人生を楽しむためにはどうすればいいでしょうか?
優等生患者さんのこころの中は……
P‐Fスタディという性格テストがあります。日本語では「絵画欲求不満テスト」と訳されていて、絵に描かれた状況に自分が置かれたとき、どのような発言をするか書き込んでいくものです。
そこには、自分の思い通りにならない状況や、嫌だなと思う場面が描かれています。たとえば、電車で席に荷物が置かれていて、座れないような場面を考えてください(これはテストの実例ではありません)。そのようなストレスがかかった場面で、あなただったらどうするかを答えます。
その答えかたによって、その人の性格が「他責的(相手に解決を迫ろうとする)」「自責的(自分で解決しようとする)」「無責的(仕方ないと受け入れる)」のいずれかわかるのです。
了解を得た患者さんに、この性格テストを受けてもらった時期があります。治療がうまくいく性格があるとすればどんなものか。それを知ることがこの検査の目的でした。多くの患者さんにご協力をいただいた結果、治療への取り組み方と性格テストの結果に相関関係があることが段々とわかってきました。たとえば、自責的な傾向がある人ほど治療法についてよく勉強する、などです。しかし、そのような人で治療が長続きするかというと必ずしもそうではなく、自分に厳しすぎて「もうダメ」となる人もいました。
一型糖尿病だった患者さんに「超」がつくほどの優等生がいました。血糖値のコントロールがとても上手なので「どうやってるの? コツ教えて」と、何回も聞いたほどです。それは単に血糖値の数値がいいというだけではありません。
一型糖尿病では、自分の膵臓から出るインスリンという血糖値を下げるホルモンがとても少なくなっています。そこで、インスリン注射を使うのですが、それでもちょっとしたことで血糖値が大きく上下します。
また、血糖値が上がる理由がわからないことがあります。食べたから上がった、は納得。しかし、特別なものは食べていないし、注射もきちんとしているのに、血糖値がびっくりするほど高いときが治療につまずくきっかけになります。
一方、血糖値は低すぎるのも問題です。
「普通に食べてるのに、なんで低血糖?」、「わけがわからん」。誰しも感情が先に立つでしょう。「頭にくるなあ!」、「腹立つなあ」。それが高じると、治療や将来について悲観的な考えが押し寄せます。
こんな時は自分を見失わない「気持ちの強さ」と「柔軟性」のバランスが必要とされますが、難しい。常に気持ちを一定のレベルに保つなんて、糖尿病のない普通の暮らしでも難しい。そこに「治療」が絡むと難易度はさらにL昇します。
しかしその患者さんは、気持ちの処理と立て直しがとても上手なのです。。体この患者さんの「こころの仕組み」はどうなっているかを知りたいと思いました。
さあ、この患者さんの性格テストの結果は……。他責・自責・無責の傾向がそれぞれ「一対一対一」。すべて均等。これは、状況に応じて発想や思考を柔軟に変えていることを意味しています。
りまり、戸想外に高い血糖値が出たとして、ある時は自分のせい、ある時は機械の働き具合が悪かった、ある時は誰のせいでもなく仕方がないこと、というようにうまく使い分けられているということです。
元々の性質なのか、糖尿病との付き合いのなかで熟成されてきた知恵なのか。おそらく両者の組み合わせとは思いますが、とにかく感心しました。これって、究極の形でしょうね。
「悲観」も「楽観」もない無風の境地。「達観」とはこういう状態なのでしょう。
「ちょっとのいいこと」が人生の杖となる
この方は趣味も多彩。釣り、写真、子どもとの野外活動などを楽しんでおられました。診察日に時間があると、桜、紅葉、野鳥を撮影した写真を見せてくれます。
糖尿病の治療はずっと続きます。体調が絶好調なときもスランプのときもあります。どうか気持ちや暮らしが「糖尿病」一色に染まりかかったときは、気持ちのベクトルを「糖尿病!」ではなく「外」に、それもあらゆる方向に向けてください。楽しいことを探してみる。少しでも気分のいいことをやってみて、そんな自分を褒めてみる。花を飾るのでもいいでしょう。心が軽やかになるようなアクセントを意識的につけるのです。
「自分のためのちょっといいこと」を続けるうち、糖尿病になって一年、二年が過ぎ、一〇年経った頃には、こうした「ちょっとのいいこと」たちが、次の一〇年、あなたをしっかり支えてくれる「人生の杖」になるはずです。
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