みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

十六夜(いざよい)

2017年03月13日 | 俳句日記

 毎度のおはこび、嬉しゅうございます。

こちらの日々の励みになろうってもんです。 

 

 和ことばの月の呼び名というものは、

艶で良いもんですな。

 きょうは「十六夜の月」。

 「十六夜」と書いて「いざよい」と読ませる。

なんとも響きがいいもんです。

 

 ちなみに、明日は「十七夜の月」と書いて

「立ち待ちの月」。

 次が「十八夜の月」で「居(い)待ちの月」。

そして翌日が「臥し待ちの月」。

ついで「更(ふ)け待ちの月」とくるんですよ。

 

 ようは、まだ立って何かをしている時分、

座って寛いでいる頃、寝てる時、夜も更けて、

と次第にお月様のお出ましが遅くなる情景を

表現してるんですな。

 雅(みやび)なもんです。

 

 新月に向う「下弦の月」がそうならば、

新月から満月に向う「上弦の月」は

二日月、三日月と日付で表していって、

どうしたことか、十三日目が「十三夜の月」と

なるんですな、これが。

 

 不思議ですね。

満月が「十五夜の月」なんで「十三夜」が

あっても可笑しくはありませんですけどね。

 で、次の「十六夜」が「いざよい」ですから、

数字に慣れきった現代人はどうも解せない。

 

 しかし、それが感性の違いなんでしょうな。

そいつが風雅、スローライフな風流てなもの。

 ですんで、樋口一葉女史は「十三夜」という

筋の伺われる粋な題名の小説を書かれた。

 

 鎌倉時代の阿仏尼さまは「十六夜日記」を

お書きになっておられますな。

 わが子の相続争いを裁定してもらうために、

六十歳の母親が京から鎌倉まで旅する話です。

 

 歌人でもある阿仏尼様は、道中で多くの歌を

お詠みになりました。 そのなかに、

 

< さだめなき 命は知らぬ 旅なれど

      また逢う坂と 頼めてぞゆく >

 

てぇのがありましてな、京の粟田口を立って、

東国への一歩となる逢坂の関を越える際の

覚悟を詠まれたお歌なんですよ。

 

 「命はどうなるか分からないけれど、また

会えるのものと信じて、行ってくるよ」

と、言ってらっしゃるんですな。

 

 こう言っちゃなんだけども、たいがいの

婆さまですよ。

 それが、子供のために京都から鎌倉の

幕府まで歩いて旅をなさるてんだから、

涙なしじゃ読めませんわな。

 

 「十三夜」も「十六夜日記」も母親の子を

思う切ない文学作品です。

 「十三夜」は短編ですんでちょいとお読み

になったら如何ですかね。

 

 ところで

「保育園落ちた、日本死ね!」てのが評判に

なりましたな。

 母親の感情表現としちゃあ秀逸な短文学

作品ですよ。

 

 ところが、心の趣(おもむき)がまるで違う。

たぶん帰化されたお方だと思いやすがね。

 もし生粋の日本人だとしたら確実に日本は

亡びます。

 

 日本人が日本の文芸作品を理解出来なく

なっちまったらもう終わりですな。

 英国人がシェイクスピアを、独人がゲーテや

シラーを忘れちまったのと同じです。

 

 せめて「浪花節」「落語」「日本昔話」位は

贔屓にしようじゃありませんか、ねえ皆さん。

 

< 十六夜の ふみに尊き 母子草 >

              放浪子

 

三月十三日(月) 曇り

        にび色の空が重い。

        煙草を買いに行って

        落としたりする。

        終日、太陽を見ず。

 

 

 


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