みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

恩賜財団 済生会病院

2017年11月13日 | 俳句日記

ご縁のできた医療機関にお世話になるたびに思うことがある。
人のさだめの「生老病死」の中で「病」
ほど厄介なものは無い。

若い頃から四度も大病を患ってきた私は
入退院を繰り返すたびに、お世話になっ
た先生方やスタッフの皆さんのご苦労が
実に良く分かるようになった。

そのうち、この人たちは如来様や菩薩様
ではないかと思うようになっていった。
お医者さんは薬師如来様である、看護師
さん達は菩薩様である。

患者の中には、私のように物分かりの良
い人間ばかりではない。
時に入院中の同室の患者や、向かい側の
部屋の患者に私が怒鳴りたくなった。

医療の世界は、患者を上から見下ろした
時に破綻すると言われる。
3次元の世界を超え、異次元つまり精神
世界から患者を俯瞰する心が必要だと。

ヒポクラテスがナイチンゲールがそうで
あったからでは無い。
彼らはその偉人を超えなければならない
使命を闘っていらっしゃる。

だから如来様であり菩薩様だと言いたい
のである。
この国に生まれて、この方達がいたから
私は今日まで生かされて来た。

近代医療制度の先鞭をつけたのが、恩賜
財団済生会であった。
明治44年、明治天皇は妃である昭憲皇太后の勧めにより恩賜財団を作られた。

150万円(時価50億?)の皇室予算を削り、桂太郎内閣に命じて、近代医療制度改革
に当たらせた。
これは今日まで続けられているのだ。

皇室には天平時代の事例として、仏教を
国体の柱となされた聖武天皇の妃、光明
皇后の悲田院(窮民救済施設)や施薬院(庶
民のための医療機関)の歴史がある。

その理念が昭憲皇太后にまで受継がれ、
世界有数の高医療福祉国家日本が今日、
形作られているのである。
その伝統ある済生会にお世話になる。

〈検診を 済ませて街の 落ち葉時〉放浪子
季語・落ち葉時(冬)

11月13日〔月〕晴れ
済生会には忸怩たる思い出がある。
六年前ここで、大切な同志と
十日間の闘いを共に闘かった。
遂に帰らなかった。
中秋の頃である。
ご縁なのであろう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿