みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

ニニギ尊の大葬とヒコナギの決意

2018年10月07日 | 俳句日記


ヒコナギは伴の者と焚を囲んで胡座(床几)
に座していた。
邑は静まりかえっている。
鉾を支えに眠っている者もいた。

明け暗れ(未明)の中を、松明が行き来し
ているのを訝ってコヤネに聞いた。

「あの者達は何をしておる?」
「船出の準備でしょう。大葬が終わって
からでは潮に乗り遅れてしまいます」
「そうか、難儀をかけてしまうな」

「いえ、鹿島立ちを致しましてから二年
、戻れるとなれば心浮き立つ者もおりま
しよう、特に若い者は。
妹を連れ帰る者もおりますとか」

「良き事じゃ、日髙見も益々栄える」
「御意」
「北斗が輝いておる。日和は水主が申し
た通り良いようじゃ。
北辰に海路の無事を祈ろう」
「はい」
コヤネが同じた。

鹿島立ちとは、文字通り鹿島の宮を出立
することである。
転じて江戸時代まで旅に出る事を言う。
妹とは、妻或は恋人のことである。

黎明が迫って来た。
明け染める薄光に、空と海の際が明らか
になって来た。
人々が大葬の準備に取り掛かる。

既に神籬(ひもろぎ)が仮陵の前に設えて
あった。


背景に高千穂の霊峰が屹立している。


コヤネが忙しく皆を差配していた。
まだ玉依毘売と御子達は来ていない。
ヒコナギはそれらに改めて済まなく思っ
ていた。

宮といっても少し大きめの苫屋である。
だが、父君もそこで過ごされた。
跡を継ぐ者として天照大巫女から下され
た使命を果たさぬ内は仕方がなかった。

東天紅が輝きを増して来た。
万余の者が喪所に集まって来る。
そのもの達をコヤネ達が海を向かせた。
ヒコナギは最前列に御子達と進む。

水平線に旭日光が立ち登り始めた。


コヤネが大音声を張り上げて下知する。
「これより、高天原、並びに日髙見国を
遥拝する」

この時代に音響機器はない。
梯団(集団)毎に復唱係がいるのである。
事前の差配で中身は分かっている。
コヤネの声はきっかけに過ぎなかった。

あとは、壇上のヒコナギの動作に和すれ
ば良いのである。
ヒコナギは作法通り、二礼二拍手一礼と
所作した。

一礼の後、ヒコナギは暫し東方を見つめ
恭しく壇を下り、神籬の前に立った。
皆がそれに従い、身を向け直す。
また、コヤネの下知が響く。

「これより先の大君の大葬を執り行う。
一同、一礼!」
そして、祝詞を奏上する。
終わると天鈿女達が鎮魂の舞を踊った。

そしてヒコナギの誓詞が謳われる。
この時代述べると言うより詠じるのだ。

《ちはやぶる 神のまします 高千穂の
峰に誓いて 大君の 鹿島の船出 給いしに
付き従いて 幾とせを 筑紫国に 戦さ垣

草むす屍 厭わずも 未だ閉じたる 雲の道
常世の国に 御座します 大君の霊(たま)
鎮めんと もろともに 携え担う 梓弓
我らが民の 直き猛き勲しを 平らけく
安らけく 聴こし召せと 畏み畏み 申す」

これを文章にして配布する訳ではない。
口承するのである。
多分我々とは違って雑念の少ない古代人
は二、三度聞けば記憶したに違いない。

斯くして大葬の礼は終わった。
ヒコナギは約束通り船人を見送り、静か
に喪家に一人入った。


(…つづく)


10月7日〔日〕曇り のち 晴れ


お隣の金木犀が香り始めた。
これも季節の輪(巡り)である。
この花が香り出すとジョウビタキが
やって来る。


これもまた天然の輪である。
私達は、こうした大小の輪の中で
生まれ死んでゆく。
当人にとっては最大の輪である。

最大の輪を和とともに過ごせれば
何も言うことはない。

〈ひととせを 金木犀や 刻むなり〉放浪子
季語・金木犀(秋)














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