自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

記事を再考しました

2021年06月29日 | 協会ホームページ

お知らせ              2021/6/29

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先ほど、

以下の記事を、読み直して、内容がもう少しわかりやすく、お伝えできるように、

非常に観念的だと思われる箇所を削り、新たに、言葉を添えて、書き換えました。

ご報告までで失礼いたします。

 

若返りの極意 2021年01月08日 | 真我(アートマ)を知る:副題)新しい年に向かって~

年はとりたくない人に                       

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”Spontaneous Healing” に関してお詫びとお知らせ 

2021年06月25日 | 協会ホームページ

 2014年5月6日の記事を推敲しました        2021/6/25

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上記の記事 は、この協会の正式名称となっている、

Spontaneous Healing Therapy Japanの名称の由来を書いた記事、

タイトル:”須田さん、スポンテニアス・ヒーリングって何?”として、

2014年5月6日に発表されたものでしたが、今、読み直してみて、

論点が、ぶれている箇所を発見いたしましたので、推敲して、再投稿

いたしました。

 

すでに古い読者の方は、お読みになっている記事かもしれませんが、

記事後半部分が、前半の肝腎なSpontaneous Healing[スポンテニアス・

ヒーリング] の意味と説明箇所を、逆に混乱させるだけのものであった

ことを認めて、お詫びするとともに、推敲させていただいた次第です。

 


 

 

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ワクチンの効き目と、コロナワクチンへの向き合い方

2021年06月21日 | 協会ホームページ

号外版・心から納得できる選択を      2021/6/21

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最近、クライアントの方から、今年の4月に発売されたばかりの、

上記の本を紹介されて、早速、読ませていただきました。

 

本格的に、コロナワクチンの国民一斉接種が始まりつつある昨今、

ワクチン、そのものに対しての疑問が世間にはあるようです。

たとえば、インフルエンザ・ワクチンは、打っても、何故かかるの?

といった、素朴な質問から、臨床的に、ワクチンの効用がどのように

医学的に証明されてきたか?といった、科学的エヴィデンスを求める

質問まで さまざまです。


この本には、それらの答えのほか、キッシンジャー時代からのワクチン
接種の背景にある思惑を紹介し、巷(ちまた)でささやかれる’陰謀論’
に、とどまらない科学的見地をもとに、書かれた本だと、驚きました。

 

これから、皆様が、コロナワクチンを接種するかどうか、決断を

迫られる機会が、きっと、近いうちに、来ることでしょう。

自然治癒力セラピー協会としては、ただ、”心から納得できる選択”を、

各人が行うことで、それぞれの身体のもつ自然治癒力が、充分発揮できる

場を保って行けるはずだ、という立場をとりたいと思います。

 

マスコミや、コロナに対するさまざまな見解や、多種多様な情報の錯綜

する中、この本は、じっくりと、腰をすえて、自分なりの冷静沈着な判断

下すための、良い指針になると思い、ご紹介いたしました。

 

すでに、若者たちの世代が、ワクチン接種を否めない状況が近い将来に

来ることを感じつつ、皆様それぞれの立場で、親として、伴侶として、

あるいは、身近な親族として、マスコミには決して報道されない、この

本の内容を吟味して、話し合い、とことん、自分の心の附に落ちる選択を

されますよう、心からお祈りいたします。

 

 

 

 

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ヨガのイロハ~一元論の中の、感覚のとらえ方

2021年06月21日 | ヨギ(神とつながる)~”悟り”・スピリチュアリズム

 馬に喩えられた人間の諸感覚   2021年6月21日

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人は偉大な学識を得て、学者たち集まりで勝利を収めるかもしれない。

人は偉大な英雄になって、かずかずの闘いで勝つかもしれない


人は王のなかの王に生まれて、大帝国を支配するかもしれない。

人は慈善として黄金や牛を気前よく分かち与えるかもしれない。


人は夜空を飾る無数の星を数えることができるかもしれない。

人は生物の無数の名前を列挙することができるかもしれない。


人は、アシュタンガ・ヴィ―ジャ(ヨガの8道)に熟達するかも

しれない。

人は月に達することに成功するかもしれない。

 

しかし、誰も自分の身体と感覚を制御できず、心を征服して、

それを不断の内省と、不断の平静に、保つことができない。

 

とサイババ師は、サンスクリット語の一節を、美しく響く優しい

静かなトーンで、古いインドのサーマヴェーダの調で、講義の前に

こう、唄った。

そして、この歌の概要の、“誰も諸感覚を制御できない”という

ポイントから、講義は始まった。

以下、ノートから引用

・・・

“身体が諸感覚に、ある影響をふるうというのは、本当です。

しかし、諸感覚は、それ以上の大きい影響を身体に及ぼしています。

諸感覚がなければ、身体は在り得ず、身体がなければ、諸感覚

有りません。


この二つは、切り離しができず、互いに依存する関係にあります。

プラス[正]がないマイナス(負)、マイナス(負)がない、プラス

(正)は、電流のように、何も役に立ちません。

同様、感覚のない身体や、身体のない感覚は、機能すること

ができません。

だからこそ、身体を正しくケアーすることが、重要なのです。

 

諸感覚の役割は、神秘的です。

感覚器官の働きはとても霊妙で、予測がつかず、説明もできません。

諸感覚は身体よりもその波動は微妙です。

話し、触れ、見聞きし、味わう能力、ガスや胆汁、粘液とともに

身体の中に存在する要素とともに、この諸感覚がすべてに等しく

並外れた支配力を振るっているのです。

 

喜びや、悲しみ、熱さと冷たさなど、感覚器官が、外部の物体と

接触したときにのみ、経験されます。 

感覚の対象物が無ければ、感覚は一瞬たりとも、昨日できません。


諸感覚のすべての活動は、環境内の対象にむけられ、その感覚器官

とその活動の無数の、働きの側面は、なかなか理解し、説明すること

ができません。

 

諸感覚はマートラーという名で呼ばれています。

この意味は、‘測定する道具’ということです。

どのようにして、この測定は感覚器官によって行われているの

でしょうか?

 

たとえば、果物を、一つ取って見ましょう。

諸感覚のうち、どれがその味を甘いか酸っぱいか、決定する能力

を持っていますか?


舌です。舌は味を決定し、その質が良いか悪いかも判断し、

関係するすべての器官にそれを知らせます。

 

ある絵画が、素晴らしい作品かどうか見分けるのは、目です。

ある物質が、善い匂いか悪臭かを決めるのは、鼻です。

心地良い音楽か、耳障りかを区別するのは、耳です。


こうして、感覚器官はそれが異なった感覚対象の特性を、測定し、

判断する能力を持っているために、マートラーと呼ばれます。

 

古代聖典の‘カトパニシャッド’の中で、諸感覚は身体という戦車に、

くびきで繋がれた馬として説明されています。


諸感覚を、サンスクリットで‘アスワ’と呼びますが、これは馬の

意味です。

アスワとは、‘落ち着かない’という意味もあります。


皆さんご存知でしょうが、馬は、立っていても走っていても、

眠っていても、絶えず、その身体のどこか、たとえば、尻尾

や脚、背中や鼻、顎などを、動かしている動物です。

アスワムという現代の馬の言葉の語源は、このアスワから

来ているのです。”(以上)

 

ここまで語ったサイババ師は、古代インドで行われていた、

馬の生贄(いけにえ)をささげる“アスワ・メーダ・ヤーガ”

という犠牲祭に関して、話し始めた。

 

“この犠牲祭のアスワの意味は、変わりやすいという意味です。

‘メーダ’は‘ブッディ’と同義語で、智慧力を意味しています。

したがって、この犠牲祭の名前である、‘アスワ・メーダ’とは、

‘変わりやすい心’という意味になります。


言い変えれば、このときに、犠牲として用いられた馬は、

‘変わりやすい心’を象徴しているのです。

その馬を捉えて制御できる人は、‘デーマンタ’と呼ばれます。

実際、こう呼ばれた古代の人は、戦闘に出る資格が与えられました。 


この儀式には、二つの意味、つまり、表面の意味と、秘教的意味が

隠されているのがわかるでしょう。

表面の意味では、戦闘に出るための果敢な力を得るという儀式

あったことでしょうし、秘教的には、‘心を支配できる勇者’を称える

ものでもあったのです。

 

外見の馬という動物を支配することと、自分自身の馬のような

虚ろいやすい諸感覚をコントロールできること、それを兼ね備えて、

本当の‘勇者’‘英雄’と称えられるのです。”(以上)

 

と述べて、古代インドにおける、英雄の定義を教えた。

文武両道ならぬ、心武両道、というところだろうか。


自分の絶えず、揺れ動く感情が支配する心と、これまた、

瞬時としてじっとしていられない、馬の双方をきちんと”手綱”

をもって、コントロールできる人こそ、勇者と呼ばれたという

ことだった。

 

 

 

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秀真伝えダイジェスト版(3綾)

2021年06月14日 | ホツマツタヱ

陰陽の宇宙観が男性神と女性神との結びつきに顕れたとき・・・  

2021年6月14日

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⑥秀真伝第三紋に進みましょう。

ここでは、イザナギ・イザナミの二神の間には、一人の姫君と、

三人の皇太子が生まれたのですが、産屋は五つ、ありました。 

”それは何故か?”という、質問を、ツワモノヌシが、カナサキに問います。

 

その理由は、一人の御子を、イザナミは流産されたからでした。

何故、流れてしまったのか・・・

それがこの紋の、大切なポイントになっています。

次のように、本文には秀真文字で次のように、書かれています。

 

”あうときに、めは、あなにえや 

えおとこと、おは、わなうれし 

えおとめとうたいはらめど 

つきみてず えなやぶれうむ 

ひよるこの あわとながるる”

 

これを現代的に書き下すと、

"逢う時に、女神(イザナミ)は、

’あなにえや 良い男’と声を先にかけて、

男神(イザナギ)は、

それに応えて’嬉し 良い乙女よ’

と 詠い、結ばれて、妊(はら)めど、

月満てず、胞衣(えな)破れ、生まれた

のは ひよる子(流産した赤子)の 泡と流るる”

 

つまり、女性神、イザナミが最初に、”ああ、良い男神だこと!”

と声がけをしたのが、流産した原因の一つだというのです。 

 

どういうことか、もう少し詳しく見てみましょう。

秀真文字(ほつまもじ=おしで)では、陽を表す天(あま)の”あ”は、

左回りの図形です。

一方、陰を表す地の”わ”は右回りの字です。

 

以下をご覧ください。

 

この、くるくる回っている、秀真文字の”あ”音は、左周り(上の字)が、

陽(よう)で、右回り(下の字)の”わ”音で陰性を表します。


これは、天地創造の際、まず、”陽の気”が上にあがり、”天”ができ、

それから、重い”陰の気”は下に下って、”地”となったとほつま伝えには、

書かれていることから わかります。


言い換えれば、陽の象徴である、男性神から、陰の象徴である女性神に

対して、声をかけることが、本来の宇宙創造の理に適っている、という

ことだったのです。

 

ところがそれを知らずして、、

イザナミ(女性神)は、時計回り、つまり、右回りに、太い柱をまわり、

自分から先に、イザナギ(男性神)に声をかけたことから、結ばれても、

”事を得ず”、つまり、子供を得られなかった・・という結果でした。


話は脱線しますが、こうして、”右左”の意義や意味を考えてみると、

日本古来の伝統服、着物は、右前で、左側の衿が、右の衿に被さります。

これは、上[天)に左側の衿が来ていると言うことで、陰陽の理にかなっている

わけです。


わたし達の祖先は、この天地創造の左と右の意味を、先天的に知覚

していたということなのでしょうか・・・

また、昔の日本では、文字は、左から右に書かれていましたから、

現在のように、向かって左から右(つまり、右から左)に書かれる

ようになったのは、西洋文化の影響でしょう。


例ですが、下の古い新聞の記事の見出しは、向かって右から左

(つまり、左から右)に書かれています。

これは、本来、日本語は、縦書きで、向かって、右から左

(つまり、字を主体にすると、左から右)に書かれていたからです。


外国語の辞書などを編集するようになった江戸時代から明治にかけて、

日本語は、向かって左から右に書かれるようになったとされます。

 

 

話を元に戻しますと、その天地創造の際の、アとワの、

陽と陰の法則を、省みた二神は、次に、男性神イザナギは左回りで、

声掛けも、男性神のイザナギからしたところ、それを受けた女性神

イザナミは、無事に出産できたのでした。

 

さらに、もう一つ、見逃せない点があります。 

このとき、イザナギが詠った歌、イザナミが詠った歌を、

”天のアワ歌”と呼びます。


この歌の特徴は、声掛けして、文字数が、子供ができなかったとき

の歌の音数と、異なっていることと、出だしの音(おん)が、

先ほど、述べた、陽の天を示す、”あ”から、男性神がうたい、

それに応えて、女性神は、地、つまり、陰を表す”わ”の音から

詠いだしているのが特徴です。

以下をご覧ください。

 

なにえや、うましおとめに あひぬとき”~男性神 イザナギの歌

なにやし、うましおとこに あいきとぞ”~女性神 イザナミの歌

 

さて、こうして、最初の質問の、産屋が”5つ”あるという質問は、

解決つきました。

ちなみに、整理しますと、天の原見山[富士山)の産屋では、

天照大神(あまてらすおおかみ)、つくば山では昼子姫(和歌姫)、

淡路州では、流産したひよる子、九州の月隅では、月読尊(ツキヨミ)、

そして、熊野では、スサノオ尊がお生まれになっています。

 

秀真伝によれば、この二神は、近江の地に、宮殿を建てて、御柱を、

宇宙創造の時の天の御柱(みはしら)に見立てて、そこに

置いてから、今まで お話ししたような方法で、その柱をまわり、

御子を御つくりになりました。


ところが、最初は流産した御子、(秀真伝えでは、ひよる子と呼ぶ)、

でしたので、日高見(ひだかみ)のトヨウケ神のお知恵をお借りして、

過ちを正して、先に述べたような、宇宙の理にかなった、御柱巡りの

伸事を行うことができ、無事に出産できたのでした。

 

さて、いかがでしたか?

”宇宙創成のお話し”も、ダイジェスト版に載せました。

もう一度、まとめておきましょう。

秀真伝を理解するためには、この箇所はとても意味が深い、

重要なポイントだからです。

~宇宙創成の順序~

①アメミヲヤノ神が、最初の一息(初の一息)を入れる

②その息は、東へ上り、西に下る

③上りながら回転していくので、ちょうど竜巻のように、エネルギー

を持った空態"天の御柱”が出現する

④そこから陰と陽が、生まれる

⑤陽の気は、空に上がり、天となり、陰の気は、地に巡り、陸となった

⑥5元素が、その気のエネルギーから生まれる。 つまり、空、風、火、

が陽の気から、水と埴(はに)が陰の気から生じた。

⑦アメノミナカヌシが、初めて 5元素が和合した中から生まれる

 

そして、クニトコタチの神や、8神が、地球に出現され、ここに、

日本という国も出現することになりました。

 

次回に続きます・・・

 

 

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