自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

秀真伝え(ほつまつたえ)ダイジェスト編(初綾・2綾)

2021年06月09日 | ホツマツタヱ

天照大神は男性神・天地創造と5元素・お酒の由来・・の明記 

2021/6/9

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”ヨガのイロハ”というタイトルで、インド哲学のヴェーダ論をご紹介

している途中ですが、少し気分転換を兼ねて、紀元前5千年前の

ヴェーダ哲学から、紀元前数万年前の、日本の超古代史の、秀真伝えに、

ジャンプさせていただきます。

 

私自身が注目している、ヴェーダ哲学と、日本人の精神遺産の

共時性は、以下です:

”中心帰一(空への回帰)”、

”和の精神”、

”赦すこと”、

”人の本質が神なり”


超古代に編纂されたといわれる、”秀真伝(ほつまつたえ)”の、

内容からもこれらを読み解くことができます。


今日は、秀真伝えの序章というべき①”秀真伝を述ぶ”という

タイトルの、前書き部分から、 ②”東西の名と穂虫去る綾

(きつのなと、ほむしさるあや)”の第一紋

③”天神七代床酒の紋(あめななよ とこみきのあや)

と称する第二紋、そして、次回には、④”一姫三男生む殿の紋

(ひひめ、みおうむ、とののあや)”の第三紋の抜粋をお送り

したいと思います。

 

① 序章には、この秀真伝の40綾を ”おおたたねこ(大直根子)”

なる人物が、234歳の時に、編纂してまとめたということが

書かれています。


そのことは、秀真文字を現代的に書き下ろすと、次のように

明らかにされています。

 

”磯の輪の 真砂(まさご)は、よみて 尽くるとも

ほつまの道は 幾世、尽きせじ

三輪の臣(みわのとみ) おおたたねこが捧げんと ふもみそよし

(二百三十四歳)謹みて(つつしみて) 押す”

 

②さて、そのほかに、この序章には、天照大神(男性神)が、

安国宮(やすくにのみや)と称する、富士山の麓の宮殿で、

素晴らしい行政をされたこと、その次の代には、ご長男で

ある、皇太子”をしほのみみ”が東北の多賀あたりにあった

宮殿で 国を押さめられたこと、


そして次には ”ほのあかり”の皇孫が、香具山(かぐやま)

の飛鳥の宮で、そして、弟君の”ににぎね”が、新治(にはり)

の宮で、新田を開拓して国を豊かにしたことなどが、俯瞰的

(ふかんてき)に、さくっと簡単に綴られています。


この序章だけに書かれている大切な点は、”秀真伝”が

ほかの、文献と異なり、その信憑性の高さについて、

次のように述べられていることです。


”そのふみは、 ほつまつたえに 勝るなし  

今、世に残る家々の ふみもそれぞれ 変わりある 

たれを真(まこと)と 為し難し" 

 

と 五七調で、語られている箇所です。

ここで、”ふみ”とは文献をさし、意味としては、

”今、世の中に残っている、それぞれの家に伝えられている

文献は、すこしずつ、時代とともに変化してきているので、

どれが本当のものかは、判断がつきかねないようになっている。”

ということです。

 

そして、ここでは、秀真伝がほかの文献と異なる、その具体的

箇所を指示しています。


 初紋(第一章)は、”和歌姫”(わかひめ)のお話しです。

この姫は、イザナギ・イザナミの両二神の御子です。

厄年(やくどし)という親神の年回りに生まれた姫は、

まだ、乳飲み子にもかかわらず、厄よけのため当時のしきたりで

川に流されるました。


そのとき、カナサキ(金折命)が”姫”を抱き上げ、拾い、自宅で、

養育をするのです。

その場所が、現在の兵庫県・西宮の廣田(ひろた)神社といわれています。


ひろた神社の、”廣田”は、”拾った”、という言葉から来ているのです。

さて、この紋で、大切なことは、カナサキは、和歌姫に、”アワ歌”

教えたという話です。


アワ歌とは、

”あかはなま いきひにみうく ふぬむえけ へねめおこほの 

もとろそよ をてれせえつる すゆんちり しいたらさやわ”

の48文字からなる、5・7調の歌です。


この歌を、常に歌った姫は、気の路である、24経が通い、

順気がまわるために健やかに、育ったと記されてます

 

和歌姫は、ワカ姫に漢字をあてはめたものですが、この和歌

の字が、現在の和歌山県の由来になっていることが、この紋に

出ています。


それは、当時、和歌山は、”きしいの国”と呼ばれてましたが、

害虫(イナゴの類)が大量発生しました。

天照大神の御妃の、ムカツ姫とともに、その害虫を掃うために

共に、現地に赴いたワカ姫は、次の歌を詠んで虫を追い払い

ました。

 

”たねはたね うむすぎわかめ 

まめすめらの ぞろはも はめそ 

むしも みなしむ”

 

これを、360回、唄ったところ、虫は飛び去り、田んぼの稲は、

又再び、緑に蘇ったと、書かれています。

言霊(ことだま)の威力が、ここに書かれていて、日本に伝わる

お祓いの言葉も、こうした、古代からの”言霊”の威力を

発揮したものと考えられます。


この場所を、ワカ姫の業績をたたえて、和歌の国、つまり、

現在の和歌山県と、呼ぶようになったのです。

 

⑤次の 第二紋は、皇太子オシヒト(忍仁尊)の結婚前に、

タカギ(高木命)がお酒の由来について聞く場面から

始まります。

 

それには、天地創造の歴史から、お酒と呼ばれる飲み物が

出てくる背景として、天照大神は、お話しされます。

天照大神の語ったお言葉を、簡単に要約すれば、こうなります。

 

まず、天地創造以前の宇宙は、混沌としていて、まだ、天地に

わけられていなかったが、’天の御柱’といわれるエネルギー態

の宇宙を貫くような柱に、あめのみおや神(宇宙創造神)が、

息をふきかけました。”

 

”陽の気”は軽く、上に登り天を創ったといいます。 

そして、日の輪(太陽)が、天のエネルギーの集結でできました。

 

一方、”陰の気”は重く、下に下にと降り、ついに、地を造り、

その時に陰の象徴でもある、月ができました。


そうこうして、”5元素”といわれる、物質的な元素が生まれ、

その5元素が集まり、人の姿として、アメノミナカヌシの神が

出現します。


次に、クニトコタチ(国常立尊)といわれる神様が出現します。

この神から、さらに8体(ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メ)

の 御子が出現して、地球上の津々浦々の土地に、降り立って、

そこを開拓し、独自の古代文明を造りながら、それらの地域を

治めたのでした。”

 

それらの8体の神々が治めた場所とは、古代文明の

発祥地ともいわれます。

黄河流域や、チグリス川や、ガンジス川、ナイル川などの

豊かな土壌に造られた、中国やインド、エジプトなどの

文明の発祥地形成に関係があるのではないでしょうか?

 

実際に、”カ”と呼ばれる神は、古代中国におりたったようです。 

それで、中国を"中華(か)”と呼びます。

日本は、ト と エと呼ばれる2神が、日本文化文明の土台を

手掛けています。(これは秀真伝に書いてあります)


古代日本は、大和と呼ばれていましたが、ヤマトのトは、

この"ト”の神が造られたため、とされています。

 

さて、元々の主題は、”お酒の由来”でした。 

話を戻しましょう。

天照大神は、こうして、宇宙が創造され、ついに、人間の形を

した神々が生まれとところまでお話しになりました。

 

いよいよ、そこから、お酒が出現するのです。

天照大神は言葉を続けます。

”今、お話しした、クニトコタチの子孫が、ウビチニ、スビチニ

という、二神です。

前者は男性神、後者は女性神で、秀真伝えの中で、最初に出て

くる最初の、陰陽の性質を持った、神々です。


この両神様に対して、3月3日の(今のひな祭りの由来)桃の花

が満開の夜に お酒なるものが献上されたのです。

まず、女神からその酒を口にして、次に男神がその酒を飲んで、

二人は、その後、結ばれました。”

 

ちなみに秀真伝では、その、酒の入った容器には、月が

’さかさまに映り込んでいた’と書かれ、それをもって、その

容器を”逆さ月”、それがなまって、”さかずき”と呼ばれたと

書かれています。


こうしてニ神が共に酒を交わして、床についたというのが、

現在に続く、婚礼式の、”三々九度”の、始まりです。

この紋には、ウビチニ・スビチニの二神のあとに、カップル

となった、神々のお名前が、登場してますが、省略します。

 

この紋で明記していることは、初めて、男女神が神々の歴史の

中で登場し、それが、ウビチニ、スビチニ というカップル

だったということです


イザナギとイザナミの両神は、それから時を経て登場します。

この二神は、天照大神の御両親となる、重要な二神(ふたがみ)

です。

 

そして、この二神の時代に、超古代の日本に、食生活、養蚕の

技術、など人民の生活基盤が造られ、国は、安定したと、秀真

伝えにあります。


そして、この二神が結婚するときも、床酒(とこみき)と称して、

お酒を三々九度のように、女神から召し上がり、イザナギが次に、

飲んだことが記されてます

 

ちなみに、酒の由来ですが、これは、スクナミ神が創ったものです。

その由来は、

”たけかぶに すずめが もみを いるをみて みきつくりそめ 

すすめけり” と書かれているように”竹株に居た雀が、その竹株に

籾(もみ)を入れて、自然に発酵したのを知り、酒造りを進めた”

とあります。

 

何故、”さけ”と呼ぶかというと、先ほどの、初めの男性女性神に、

それを献上したときに、”ささみず”と、その酒の名前をいただき、

それが短くなり、”ささけ”になり、さらに、現代の発音どおり、

”さけ”、つまり、”酒”になったと、秀真伝第二綾紋に、書かれて

います。

 

さて、次回は、秀真伝 ダイジェスト版(下)で、

イザナギ・イザナミの二神と、日本の文化の原点ともいえる、

男女の根本的な立場の違いどちらが優劣ではなくて)と、

文化のルーツについて、秀真伝にどのように語られているかを、

第三紋から見てみましょう。

 

 

 

 

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ヨガのイロハ~不二一元論とサイババ師の講話(12)

2021年06月02日 | ヨギ(神とつながる)~”悟り”・スピリチュアリズム

五つの要素(この人生をもっとも自分らしく生きる

ためのエッセンス)とは?  2021/6/3

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サイババ師は身体を‘神の住む神殿’として大切に

扱うことを、これまで述べてきた一方で、身体に過度

の執着することは、避けるように提言している。

その理由の一つに、身体と、その身体の持つ

諸感覚から “自分の” とか “自分が” という

意識が発生して、そうした小さな“我”意識が、

社会中にはびこることによって、様々な諸悪の

原因となっているという。

その代わりに”わたし達の”とか”私たちが”という、

言葉を使うことで、その考えは、個よりも他者を

含めての観点に立ちやすくなるのだろう。

 

古代インドでは、人の平均寿命は今よりはるか

に長いことが、古代聖典の中に出てくる。

たとえば、“マハバラータ”に出てくるクルックシェトラ

の闘いで、主人公として登場するクリシュナは当時、

86歳、クリシュナの親戚にあたり、クリシュナを神の

化身として全面的信頼を寄せて、総指揮官を

務めたアルジュナは84歳だった

 

一方、敵方、カウラヴァ軍の司令官、ビシュマは

116歳であり、7日間にわたるこの闘いで前線に

たって、激しい戦いに加わっている。

サイババ師は、彼らの活力の源に、触れている。

その源とは、精神力と健康を保つ適当な食事は

無論だが、最も重要な点は彼らの、“自分自身へ

の本当の自信(本来の自己であるアートマへの信頼)”

であったと、述べる。

 

古代インド人の智慧と信仰は、’自己の内に在るアートマ

と’’という、ゆるぎない信頼の上にたっていたので、

多くの現代人のような、神の像や写真を拝むという

上辺的な信仰とは異なっていた。

 

それでは今日はこのあたりからお話しを進めます。

 

こんにちでは、人々の心の中の自信は、たえず

上下を繰り返しています。

人々の心は不安定で、瞬間ごとに飛び上がって

喜んだり、落ち込んだりするのです。

何か願い事がかなうと、礼拝室の一枚の神様の絵の横に、

さらに10枚増やして飾るでしょう。 

ところが、願いがかなわないと、以前に拝んでいた

一枚の絵さえ、取り除きたくなるといった塩梅です。

 

一枚の絵を神として拝むのは結構ですが、神を一枚

の絵として拝むのはいかがなものでしょう。

こんにち、‘私は神を信じている’と公言する人は沢山います。

しかし、こうした敬神家が、正しい行動をしている

とは限らず、そのため、多くの人達は、

彼らを見て、無神論者になろうとしています。

口ではバクティ(帰依)を言いながら、多くの人々

はブクティ(快楽主義者)に走っているのです。

これは純粋な帰依とは異なります。

 

帰依者はどんなことが起こっても、それを神の

贈り物として喜んで受ける覚悟ができて

いるものです。 

サトウキビを要求するだけで砂糖を得られるでしょうか?

サトウキビを潰して糖液を絞り出さない限り、

それは不可能です。

同様、最高級のダイアモンドでも、それをカットして

磨かない限り、燦然と輝くことはないでしょう。

人間も、同じです。

人間の場合も、試練と苦難、損失と悲嘆を体験して

初めて、その人の真価が輝きだします

真の帰依とは、固い信仰によって支えられ、

どんな境遇に置かれても一定不変です。

そうなってから、初めて人は、本当のバクティ

(帰依、献身)の成果が得るのです。“

 

信仰というのは、特定の神様を儀式的に拝む

ことではなくて、どんな境遇に置かれても

‘自分を磨いて、本当の自分になるための

試練だ’と肯定的に受け止め、その苦難を

乗り越える体験を通して得られる神との

信頼関係’をさすのですね。

さて、サイババ師は、次のようにまとめています。

 

“聖なる愛の体現者として生まれてきた諸君よ!

あなたがたは、身体意識をもっているが、

あなたがたの人生はアートマの自覚に

よって導かれるのです。 

身体感覚知力アートマ の5つの

要素は、あなた方の5つの息

(パンチャ・プラーナ)と考えられるべきです。

この一つ一つの神秘的で微妙な要素を

理解してしまえば、ほかの霊的訓練は

不要になります。

これを理解しなければ、あらゆる種類の

サーダナ(霊的修行)を繰り返しても、

何の役にたつのでしょうか?

だから、まず、心の性質を理解する

ように努めなさい。そのとき初めて、あなた

がたは心を制御できるようになります。

 

あるとき、一人の老夫人が私のところに来て、

自分の心が落ち着かうず、彷徨いだす

ので苦労が絶えないと訴えました。

そこで、私は彼女に、

‘あなたを困らせているその心は、どこに

あるのかね?それを私に見せてごらん。

私が、それを退治してあげよう‘と言ったところ、

婦人は、‘それが、どこにあるか、私には分りません’

と答えました。

それで私はこう言いました。

‘心がどこにあるのかわからないのなら、それが

あなたを悩ますとどうして、言えるのかね?

あなたを悩ませているのは、心なのかな? 

それとも、’あなた’が自分を悩ませているのか? 

どちらかな?‘

 

心について、何も理解していないで、心を

非難するのは、無意味だし、瞑想で

座って解決できると思うのはただの、惰性的

な方法におちいりやすいのです。

普通の瞑想の中では、あなたがたは眼を

つぶって、楽な姿勢で座っているだけです。

瞑想といいながら、あなたがたの心は、床屋や、

クリーニングや次の買い物のことを

思い浮かべているのです。

そのような無駄な実習をおこなうより、社会に

はいって無我の奉仕をした方が 

効果的でもあるでしょう。

 

神は目的なしには何も創造していません。

すべてのものに、目的と意味と、至福と価値

があふれています。

しかし、私たちは、その神秘を理解しようと

試みることすらしません。

 

これから、身体、感覚、心、知性、アートマ の

この5つの性質と役割を、徹底的に

理解できるよう、これからの講義の

テーマとしましょう。“

(以上サイババ師の引用)

 

ということで、次回からは、もう少し深く、

それぞれの5つの、人生の知られざる法則を

知るための要素を、サイババ師は解説いたします。

 

 

 

 

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