心療内科創設者 池見博士の独自論 2014・10・29
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自分を求めるということ。
自分の内に眼を据えてみること。
英国の哲学者、アーノルド・トインビー(*1)は
“現代人は外にばかり、眼が向いていて、内には眼がついていない“
という。
私たち誰もが、"自分自身になる勇気"を持つことが、難しい時代になっているのかもしれない。
他人の価値観に合わせ、他人がどう思うか?
社会に受け入れられるか?
自分の評価はいかなるか?
それを、自分の中の自分の眼ではなく、無意識に他者の眼をとおして行う。
自己の、本来性を見失う、それが、現代の人の心の病の根源でもあり、
自然治癒力の発動の妨げになっている とも考えられる。
大人の発達障害 という言葉がある。
会社などの社会的環境と人との関係になじめず、鬱になったり、昼休み、トイレの個室に入って、
一人で昼食をとる。
昼休みのわずかな間も、他人との言葉がけや 人間関係が苦痛になっている。
ある意味、自己喪失、あるいは、本来の健全な”自分への自信”
の喪失といってもいいかもしれない・
人は、ほんとうは、本来の価値ある自己の存在を知っていて、それを求めているのだと思う。
たとえ無意識であるにせよ・・・
そして、求めることに疲れたり、求めるまでのエネルギーが 他の日常の業務のために
消えてしまうと、やはり、無意識に、満たされない感覚を心の隙間に覚える。
池見医師は、それを、
”失われた自己に対しての、無意識の苛立ち” と著書の中で逝っている。
現代人はその 苛立ちを”隠す”ために、もしくは、紛らわせ ”一時的に吹き飛ばす” ために
都合の良い、”近代文明の隠れ蓑”を使うことを知っている。
“近代文明は多くを発明している。動物的な本能を刺激する俗悪な映画、
LSD(麻薬ではないが、幻覚を起こす化合物)なんかなくても、甘いひと時の興奮と幻想に
誘いこんでくれる、流行歌手あぶくのような、射幸心をそそる。
競馬や競輪、そんな金がなくても、たっぷり時間を浪費させてくれる、テレビがある。
深い茶の心や花の心などは教えなくても、中年婦人の欲求不満のはけ口になる、婦人文化サークル
なども盛んである。“
と 著書の中で、池見博士は、述べる。
ごく普通の現代人の日常で、心の真の要求に目を閉じて”隠れ蓑(みの)的” に近代生活の余暇を
過ごす対する 一つの忠告にもなっている。
こうした、心身症的な状況において、医師の立場から、心身療法の方法を発案した。
それを、“セルフ・コントロール” と名付け、博士は、提唱していく。
人は、自然と、“本質的な自己を求める” という意識を持ち自覚し始めると、
セルフコントロールの道に一歩近づくという。
それは、物質的に恵まれた生活の中で、ふっと、何か、
心寂しさを感じ、満たされない想いをかみしめこんな質問を自分自身にするときかもしれない。
”自分のほんとうの資質は?”
”生きる目的は?”
”人生の意義は?”
人は、毎日、日常生活のルーティーン に 埋没 している。
決められた義務と時たま発散する、趣味の時間やスポーツ、レジャー そして、
レクリエーションの中に そうした、”疲れ” と ”苛立ち” と いうストレスを発散する。
しかし、 “自分のほんとうに知りたい疑問” には
ふたをしていることには変わらない。
それをまた、客観的に見る自分の良心が、”ああ、また脇道で、気を紛らわせている” と呟くと、
なんだか、空しさを覚える。
虚しい感じは、人を余計に 落ち込ませる。
そんな時、心身のバランスが崩れたり、他の欲望を満たすことで代用しようとしたりする。
心療内科第一人者の、池見博士は次のように言う。
“何かを食べていると、そのような心の苛立ちと空しさを、ごまかせることに気がついてくる。
やがては、食物を喉まで詰め込まないと落ち着かなくなる。
食べては吐くという繰り返しになる。
病的になっていく場合もその根源には、心に満たされない何かがあるからだ”
池見博士の、こうした 心の声に蓋をしたときに
顕れた症状の実例をご紹介したい。
1. 胃潰瘍 ~
“何のための事業なのか?”という意味を考えずに事業欲、物質欲だけが独走して、
胃潰瘍の再発を繰り返している患者。
幼児期に家が没落して、祖母から人生の出世コースを
行くように、厳しく、言い聞かされてきた。
今でも、その患者の心に、祖母の叱咤激励の声が心に、響いているという。
際限なく事業の手を広げたために(祖母の教えを守って)子供たちは
非行にはしり、妻は忍従一筋の、冷たい家庭しか築くことはできなかった。
家庭を顧みる余裕もなかった。
2. 慢性下痢 ~
アメリカに留学した学生。医師は患者の下痢を神経性の下痢と診断したが、
本人は、納得がいかないという。友人たちも多くでき、学校も面白く、恋人ともうまく
いっているという、環境適応が十分にできていて、神経的になることは何もないという、
しかし、結局、慢性の下痢は、適応すぎることによる“不適応”と診断された。
日本と異なる、アメリカの文化に対して、せっかちに表面的に適応しよう
としたあまり、本当の自己(内面)の本質を忘れ、外的適応による“不適応”と判断された
などなどいろいろあるようだ。
昨日だか、民放テレビの夕方のニュースでアルコール依存症の女性が昨今増えている
ことを特集していた。
妻であり母である50代前後の女性。
2年間 特別な施設にはいって、禁酒のためのトレーニングを受けていたという。
ひとまず、状況も落ち着き退院してきたものの、やはり、味醂やら料理酒、
アルコールの入っている身近にある調味料まで口にしたくなるという。
一口飲むと、もう止まらない。
せっかく、禁酒ができたはずなのに・・と記者が 再びお酒に手を出したその
女性にその理由を問うと、”さみしい。むなしい”という答えが返ってきた。
お酒が私の聞き役をしてくれるの・・そんな言葉も出た。
池見博士の
”病的になっていく場合もその根源には、心に満たされない何かがあるからだ”
という言葉は、アルコール依存症の人達にも言えることだとつくづく感じさせられた
*1: アーノルド・J・トインビー(Arnold Joseph Toynbee, 1889年4月14日 - 1975年10月22日)は、イギリスの歴史学者。
* 池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:
(大正4年(1915年)6月12日 - 平成11年(1999年)6月25日)
日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。
旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。
戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。
昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、帰国後、日野原重明、
三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会を設立し、初代理事長になる。
翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された精神身体医学研究施設
(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、内科疾患を中心に、
心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化、実用化に尽力した。
九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、日本心身医学会名誉理事長、
国際心身医学会理事長、 日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。著
書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。
平成11年(1999年)6月25日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。84歳。
参考文献)
”セルフ・コントロールの医学” s・57年9月1日 日本放送出版協会