自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

心療内科における人間の本質論

2014年10月29日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

心療内科創設者 池見博士の独自論  2014・10・29

******************************

 

自分を求めるということ。

自分の内に眼を据えてみること。

英国の哲学者、アーノルド・トインビー(*1)は 

“現代人は外にばかり、眼が向いていて、内には眼がついていない“

という。

                                         

私たち誰もが、"自分自身になる勇気"を持つことが、難しい時代になっているのかもしれない。

 

他人の価値観に合わせ、他人がどう思うか? 

社会に受け入れられるか?

自分の評価はいかなるか? 

それを、自分の中の自分の眼ではなく、無意識に他者の眼をとおして行う。

自己の、本来性を見失う、それが、現代の人の心の病の根源でもあり、

自然治癒力の発動の妨げになっている とも考えられる。

                          

大人の発達障害 という言葉がある。

会社などの社会的環境と人との関係になじめず、鬱になったり、昼休み、トイレの個室に入って、

一人で昼食をとる。

昼休みのわずかな間も、他人との言葉がけや 人間関係が苦痛になっている。

ある意味、自己喪失、あるいは、本来の健全な”自分への自信”

の喪失といってもいいかもしれない・

                        

人は、ほんとうは、本来の価値ある自己の存在を知っていて、それを求めているのだと思う。 

たとえ無意識であるにせよ・・・

そして、求めることに疲れたり、求めるまでのエネルギーが 他の日常の業務のために

消えてしまうと、やはり、無意識に、満たされない感覚を心の隙間に覚える。

 

池見医師は、それを

”失われた自己に対しての、無意識の苛立ち” と著書の中で逝っている。

現代人はその 苛立ちを”隠す”ために、もしくは、紛らわせ ”一時的に吹き飛ばす” ために

都合の良い、”近代文明の隠れ蓑”を使うことを知っている。

 

“近代文明は多くを発明している。動物的な本能を刺激する俗悪な映画、

LSD(麻薬ではないが、幻覚を起こす化合物)なんかなくても、甘いひと時の興奮と幻想に

誘いこんでくれる、流行歌手あぶくのような、射幸心をそそる。

 

競馬や競輪、そんな金がなくても、たっぷり時間を浪費させてくれる、テレビがある。

深い茶の心や花の心などは教えなくても、中年婦人の欲求不満のはけ口になる、婦人文化サークル

なども盛んである。“

 

と 著書の中で、池見博士は、述べる。

                              

 

ごく普通の現代人の日常で、心の真の要求に目を閉じて”隠れ蓑(みの)的” に近代生活の余暇を

過ごす対する 一つの忠告にもなっている。

こうした、心身症的な状況において、医師の立場から、心身療法の方法を発案した。

 

それを、“セルフ・コントロール” と名付け、博士は、提唱していく。

人は、自然と、本質的な自己を求める” という意識を持ち自覚し始めると、

セルフコントロールの道に一歩近づくという

 

それは、物質的に恵まれた生活の中で、ふっと、何か、

心寂しさを感じ、満たされない想いをかみしめこんな質問を自分自身にするときかもしれない。

 

”自分のほんとうの資質は?”

”生きる目的は?”

”人生の意義は?”

  

人は、毎日、日常生活のルーティーン に 埋没 している。

決められた義務と時たま発散する、趣味の時間やスポーツ、レジャー そして、

レクリエーションの中に そうした、”疲れ” と ”苛立ち” と いうストレスを発散する。

 

しかし、 “自分のほんとうに知りたい疑問” には

ふたをしていることには変わらない。

それをまた、客観的に見る自分の良心が、”ああ、また脇道で、気を紛らわせている” と呟くと、

なんだか、空しさを覚える。

 

虚しい感じは、人を余計に 落ち込ませる。

そんな時、心身のバランスが崩れたり、他の欲望を満たすことで代用しようとしたりする。

 

心療内科第一人者の、池見博士は次のように言う。

“何かを食べていると、そのような心の苛立ちと空しさを、ごまかせることに気がついてくる。 

やがては、食物を喉まで詰め込まないと落ち着かなくなる。

食べては吐くという繰り返しになる。 

病的になっていく場合もその根源には、心に満たされない何かがあるからだ” 

 

                         

池見博士の、こうした 心の声に蓋をしたときに

顕れた症状の実例をご紹介したい。

 

1.  胃潰瘍 ~ 

“何のための事業なのか?”という意味を考えずに事業欲、物質欲だけが独走して、

胃潰瘍の再発を繰り返している患者。 

幼児期に家が没落して、祖母から人生の出世コースを

行くように、厳しく、言い聞かされてきた。 

今でも、その患者の心に、祖母の叱咤激励の声が心に、響いているという。

際限なく事業の手を広げたために(祖母の教えを守って)子供たちは

非行にはしり、妻は忍従一筋の、冷たい家庭しか築くことはできなかった。

家庭を顧みる余裕もなかった。

 

                              

2.  慢性下痢 ~ 

アメリカに留学した学生。医師は患者の下痢を神経性の下痢と診断したが、

本人は、納得がいかないという。友人たちも多くでき、学校も面白く、恋人ともうまく

いっているという、環境適応が十分にできていて、神経的になることは何もないという、

しかし、結局、慢性の下痢は、適応すぎることによる“不適応と診断された。

日本と異なる、アメリカの文化に対して、せっかちに表面的に適応しよう

としたあまり、本当の自己(内面)の本質を忘れ、外的適応による“不適応”と判断された

などなどいろいろあるようだ。

 

昨日だか、民放テレビの夕方のニュースでアルコール依存症の女性が昨今増えている

ことを特集していた。

妻であり母である50代前後の女性。

2年間 特別な施設にはいって、禁酒のためのトレーニングを受けていたという。

ひとまず、状況も落ち着き退院してきたものの、やはり、味醂やら料理酒、

アルコールの入っている身近にある調味料まで口にしたくなるという。

一口飲むと、もう止まらない。

せっかく、禁酒ができたはずなのに・・と記者が 再びお酒に手を出したその

女性にその理由を問うと、”さみしい。むなしい”という答えが返ってきた。

お酒が私の聞き役をしてくれるの・・そんな言葉も出た。

 

池見博士の

病的になっていく場合もその根源には、心に満たされない何かがあるからだ” 

という言葉は、アルコール依存症の人達にも言えることだとつくづく感じさせられた 

 

 

 

 *1: アーノルド・J・トインビー(Arnold Joseph Toynbee, 1889年4月14日 - 1975年10月22日)は、イギリスの歴史学者。

 

*     池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:

(大正4年(1915年)612 - 平成11年(1999年)625日)

 日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。

 旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。

 戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。

 昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、帰国後、日野原重明、

 三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会を設立し、初代理事長になる。

 翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された精神身体医学研究施設

 (現在の心療内科に当たる)教授に就任し、内科疾患を中心に、

心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化、実用化に尽力した。

 九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、日本心身医学会名誉理事長、

 国際心身医学会理事長、 日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。著

 書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。

 平成11年(1999年)625日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。84歳。 

 

参考文献)

 ”セルフ・コントロールの医学” s・57年9月1日 日本放送出版協会

 

 

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北極星の霊的考察

2014年10月26日 | 一元論(谷口雅春師・エディー夫人・エミール大師・サイババ師 クリシュナなど


文献に出てくる北極星     2014・10・26

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北極星は常に 北にある星として知られる。

宇宙の星はこの北極星を軸にして回るように見えるところから

太陽や月への信仰とともに、北極星に特別な霊性を見出すことも

古い時代からあったようだ。

かつて ブログで岡本天明氏の ひふみ神示から 北 の

意味する処をとりあげたことがある。

 

(1) ”霊界人は、その向いている方向が北である。しかし、地上人の

言う北ではなく、 中心(*1)という意味である。”(以上引用)

 

北 を ここでは 中心という意味で使っている。

地上から見える星で、北極星 という星がある。

筆者は依然、北極星が 霊的に意味のある星で

あることを聞いたことがある。

北極星は天体観測の上でも重要な星なのだろう。

常に そこに ’或る’ ということで、位置決めや

方向の判断に必要不可欠であるのだろう。

常に 動かざる位置 それが、中心点という意味で

重なり合うのかもしれない。

 

(2) 中心は、歓喜の中の歓喜である。それを基として、前後、左右、

上下そのほかに、無限立法方向(*2)が定まっているのである。(以上引用)

 

中心は動じないところの点でありそれが歓喜であると天明は言う。

無限立法方向が中心の外に 造られる。ここでは、宇宙の話ではない。

私たち一人ひとりが宇宙の中心であり、私たちの中心が、歓喜 そのものであり、

私たちの造る、自分自身の宇宙は無限に 拡がっているということだろう。

 

(3)霊界人は地上人がみて、いずれの方向に向かっていようと その向かって

いる方向が中心(*3)であることを理解しなければならない。(以上引用)

霊界人が向かっているのは、結局 中心だという天明だが、私たち 地上人が向かっているのも

中心方向に、向かって前進しているのだと思う。

それでは もう少し具体的に、中心 とは何だろうか?

 

(4)それは絶えざる愛であり、真理と受け取られ、それを得ることによって、

霊人たちは生長し、生命しているのである。要するに、それは霊人たちの呼吸と

脈拍の根本をなす(*4)ものである。(以上引用)

 

ここにあるように、向かっている中心は、愛 に満ちて、別の言葉でいえば、

真理 そのものであるという。

霊人は、その 真理に向かって 進み、進むことで生長する。

生命している~というのは 活き活きと活動しているということだろう。

さらに、その 真理への道 そのものが 霊人の呼吸と脈拍の根本であると

いうのだが、霊人に、呼吸や脈拍は 無いだろう。

呼吸や脈拍(心臓の鼓動)は、生きている証である。

 

霊人も生きている という意味でこの比喩が使われ霊人が生き生きする

ために、真理 という 空気のようなプラーナが必要であるということだろう。

 

(5)各自の眼前に、それ相応の光があり、太陽があり、歓喜がある。

それは、霊人たちが目で見るものではなく、額で感じ、受け入れる

ものであるが。(以上引用)(*5)

 

霊界の光 という証言は多々耳にするところだ。霊体そのものでなく、

光 として感じられたり、その霊体の真理の気づきに応じて、光の輝き

異なるという。

その光を、仏像彫刻なので、光背(こうはい)として表現されているの

を、ご覧になっていると思う。

その光は、まさに、個人相応であり、額で感じると天明は言う。

額 というのは、 第三の霊的目の所在点であり、霊覚 を感じるところ

をこう呼んでいるのだろう。

 

 

 

(6)地上人においても、その内的真実のものは額でのみ、見えるもの

であって、目に見え、目にうつるものは、地上的約束下に置かれ、映像

された第二義的なものである。

映像として真実であるが、第一義的真理ではない。(*6)

ゆえに、地上人の肉眼に映じたままのものが、霊界に存在するので

はない。(*7)(以上引用)

 

 第三の眼 は、地上人にとっても、こうした光を感じる(観る)ための眼

であり、それを天明はここで指摘している。

その額の眼ではなく、私たちの日常使っている肉体の目に映し出されたものは、

真理とみえようとも、そうでないと天明はいう。

それは、地上的拘束下 に置かれた二義的なものだという。地上的拘束と

いうのは、①この肉体を維持する環境の中常識想念

あるいは、(大衆的想念)の力や、

③肉体的機能の限定された能力、④あるいは、その人間の信念などをさしている

と思う。

 

どんなに 中立的な人でも、判断時に意識していない潜在心理には、多少 

これらの要素が

何かの決定事項や、事象判断にかかわっていないと誰が言えるだろう。 

潜在意識を超えた 超意識を自覚するためには、真理 を知ること。

そして、真理 を知るためには、額の眼を開いて、その光りの 質 と 

輝き をキャッチして、第一義的真理か第二義的真理かを判断する能力を

養うことが大切だということかもしれない。

 

 

 

 写真出典]   上記北極星写真は、Yahoo!検索(画像) より

 

 *参考図書 ”ひふみ神示” 2011年 岡本天明著 太陽出版 

 *******************************************

岡本天明氏について

1897年(明治30年)12月4日 - 1963年(昭和38年)4月7日

画家神道家、また、神典研究家である。

岡山県倉敷市玉島出身。

本名は信之、天明は「雅号」である。

信之は1944年(昭和19年)に

千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)の

麻賀多神社末社である天之日津久神社を参拝する。

その直後、同神社の社務所で『日月神示

(別名:『ひふみ神示』、『一二三神示』)を自動書記する。

この自動書記現象は約17年間にわたって続き

後に全39巻(本巻38巻、補巻1巻)にまとめられた。

なお書かれた文体は漢数字とカナ文字と記号などからなり、

書記した 天明自身、当初はまったく読めなかったといわれる。

(以上 ウィキぺディアより抜粋)

 

 
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素粒子レベルの癒しが求められる理由

2014年10月23日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

超素粒子は波動体と庭木は教える   2014・9・23

*******************************

著書から引用させていただく。

’井の中の蛙大海を知らず’ということわざがありますが

全くその通りで、私たち地球上の人間は地球で観たもの、考えたもの

作ったものしか知りません。

宇宙ロケットをつくって月に飛んだり、無人の人工衛星で得た

知識でしか宇宙というものをわかっていません。

月面着陸したアポロもほんの一部しか探索していませんし、

わずかな資料しか持ちかえっていません。

だから、ほんのちょっと宇宙を覗いたにすぎません。

それどころではありません。 自分たちの住んでいる星、母なる

地球のことすらわかっていないことがたくさんあるのです。

分かっていると思って進んできたことも結果として矛盾が出てきて

大慌てに慌てている状況です。

たとえば、医学でも行きづまりの出ているものもあります。

科学技術面は確かに大きな進展を見せてきたように思いますが

便利さの追及に明け暮れてきた結果、それにともなう、危険とか

環境破壊という悪い面が、便利さを通り越したくらい大きなマイナス

となって、かぶさってきています。

これら医学、科学技術面のマイナスはそもそも、大自然の法則を

無視した考え方によって、机の上で計画され、いきなり便利さに

直結されたものがほとんどです。

医学面での薬ひとつとっても、マウスやラットで投与テストしたものを

即、人体にあてがうものがほとんどと言ってよいくらいです。

結果は当然のことながら、薬害につながります。

生物の細胞は見かけは同じに見えても、それぞれ個性ある細胞として

本質は異なっています。

そしてそれらの細胞は原子よりまだ小さい素粒子、さらに 超素粒子

にまで連なっているのです。

人体は原子―分子ー細胞ー諸器官―組織の順で成り立っていると

普通考えられています。

ですが、原子のさらに小さな素粒子、まして超素粒子のことなど、

医療の対象には考えに入っていないのが現状です。

病気の治療は通常、諸器官の段階で診断が行われ、薬が投与されます。

病気によっては、原子、分子、細胞、それ以上まで掘り下げた治療手順が

考えられなくてはなりません。

だが、そこまで手が及んでいなのです。

徹底した治療、健診のためには原始より小さい素粒子、超素粒子まで

さかのぼる必要があります。

超素粒子の段階はいわゆる、”波動”段階ですから、全くといってよいほど、

手が入れられていません。

このあたりのことは医学の限界を超えた手の届かないものだと考えられて

いるのでしょう。

しかし、このあたりの領域が肝心要(かんじんかなめ)のポイントでは

ないでしょうか。

あらゆる病源はこのあたりの領域で生命体に侵入してくるのです。

このようなことをいう私は、実験者で、何も医学の本を読んだり、

講義を受けたりした現代医学の知識のもとに行っているのではありません。

常日頃、植物さんの教えをいただいているので自然とこのようなことが

浮かんでくるのです。

私と実験木さんとはこの実験室にいるかぎり、完全に繋がっています。

今書いていることも実は植物さんが書かせているというのがほんとうでしょう。”(引用終わり)

 

超素粒子レベルの波動体にまでさかのぼって真の治療が考えられるというのは

もっともな話だと思う。

さらに、博士はこの基本的考えを踏まえたうえで、古典医学のいう ”同種療法”

推奨している。

これは病気の源に適合する波動をもつ薬草を、服用したりせず、身体に携帯する

だけだという。

”この方法なら、別に飲むわけではないし、薬害のおそれは全くないわけです。

ただ適合した薬草を体に携帯するだけですから、金もかからず、簡便この上もない。

21世紀はこのような医療方法に替わってくるのではないでしょうか。”

と結んでいる。

これも波動を利用した方法の一つだ。

薬草の物質的成分を身体に入れるのではなく、その波動と共鳴するために

体に携帯するだけで良いのだという。

波動・・エネルギー、以前今年の9月20日前後にご紹介した、ユクテスワ師の幽界の

報告は、まさに、波動エネルギ―世界そのものだった。

ヨガナンダ師の前に亡くなった恩師、ユクテスワ師が肉体の衣をまとって

よみがえり、様々なメッセージを残していく。(*1)

もう一度、その箇所を引用してみると:

”幽界の畑には発光体のような光の野菜が豊富にある。

幽界の住人は野菜を食べ、輝かしい光の泉や幽質の川から甘露を

くみ上げて飲んでいる。”(引用終わり)

それらの野菜は大気中のエーテルの中の電波、エネルギーから

自らの意思によって、幽体化して存在している。

だから、光のような野菜という表現が使われている。

幽界人たちは 野菜という物質的塊の観方はなく、その中にある

エネルギーを食するのだ。

泉や川、飲料水もHOの化学式であらわされる 水 ではなく、

甘露 という比喩があてはまるほど、純粋な光のようなエネルギー

にあふれているのだろう。

だから、食された後、再び、それらの野菜やその他植物はエーテル

状に戻されて大気に返される。

三上博士が葉緑素について言及したように、この太陽エネルギー

に近い、宇宙エネルギー、もしくは光エネルギーによって幽界人は

生きているとユクテスワ師は言う。

”幽界の人間は、酸素を吸う必要はない。

宇宙光で生命を保っている。”

 

幽体人の活力、つまり、命を保持しているものはエネルギーの顕現

形態として ”ライフロン”=プラーナ” と呼ばれる。。

すべて、物質という粗雑な形態からより精妙な形態、

つまり、波動の世界そのものを形成しているのはこの

プラーナでであるといっても過言ではないだろう。

 

話しを戻すと、三上博士の研究から得られた結論の一つ、

超素粒子レベルの波動体にまで考えを及ぼして真の治療が考えられる”

地上世界においてもこの試みをしている先駆者たちは多い。

メタフィジカルな癒しは ある意味 この分野に入るだろう。

二元界(肉体層、幽界層レベル)の波動を超えた アートマ中枢レベル(観念界)

に 心の波動を変えることで、肉体に影響を

波及して心身ともに健全な本来の

姿を実現させる、~ それが拙協会の理想ともいえる。

                                           

 

 

 

*1~あるヨギの自叙伝 第43章

 

 

三上 晃(みかみ あきら)(1921年~2004年)                                   

 
拓殖大学で中国語を学び、中国(昔の満州)に渡る。
 
帰国後、広島で県立高校教頭を経て、広島県立廿日市養護学校校長就任。
 
「人間と植物との意思疎通」をテーマにした独自の研究や著作をおこなった。
 
教職を退いたのちは昭和57年4月日本相対磁波研究所を開設。
 
長年の研究を積み重ね「人間の問いかけに対して植物の意思(Yes, Noのランプ表示)を
 
読み取ることができる」という機器(LBS-Leaf Bio Sensor)を開発した。
 
この機器は「エネルギー変換器」+「超電流の増幅器」+「テスター」+「媒体センサー」
 
(名称はいずれも著書による)で構成されるシステムで、著書「植物は警告する」や
 
「植物の超能力」等に詳細が述べられている。
 
一教員であった著者がこの研究に入ったきっかけや、植物の「驚異能力を知る」過程は、
 
最初の書「木の葉のテレパシー」に書かれている。

また、著書の中で、「太陽には水がある」との説を発表。この説は、当時奇異に感じられたそうだが、
 
その後アメリカの科学雑誌「SCIENCE」に「Water on the sun」という論文発表があり、
 
研究成果の裏付けがなされたという。
 
著書に ”木の実のテレパシー” ”植物の超能力” ”植物は警告する”(すべてたま出版)がある。
 
勲4等瑞宝賞受賞。 理学博士。
 
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植物が語る宇宙の神秘

2014年10月20日 | 波動~物質・肉体・心・生命

太陽エネルギーと地球の熱の関係   2014・10・20

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先回に続いて三上晃博士の著書からご紹介したい。

腸の話にはまだ若干 補足がある。

引用すると、

▲腸は記憶力を持つ

眼や耳(ききとり能力)で得た情報は腸への連絡神経にのって、

いったん腸に送られ、記憶され、これが脳に送り返され次なる

行動に移される。

従って、腸に近い空間に知識というデータを引きよせるのだから、

スペースはいくらでもあるわけで、はじめに述べたように、

せまい脳のスペースとは比べものにならないのである。

そこで何十冊という辞書も努力次第では引きよせて

おくことができるのである。

胎教というものがあるが、胎児は母体につながる

「へその緒」を通じて母体からデータを得ることになる。 

だから妊婦たるもの、よいデータを集めることにより、

胎教をおこなう必要があるというものである。

出産してへその緒が切断されると、独立して、へそから電磁波

として自らの腸がたくさんのデータを取り込んでいくことになる。

それは乳のみ子から幼児、子供、少年、成年へとだんだん

高度なデータを集め吸収され、それぞれに応じた知的活動を

おこなっていくことになる。”

 

三上博士が独自に開発したシステムによって、

樹齢何百年かのご自宅の庭に生えている

老木の根本にセンサーを取り付けそれを

受信させた。

答えは、 イエス ノー のランプ点滅に従い、それを

科学することで 博士のいろいろな質問の回答を得ている。

 

博士は言う。

”テレパシーというものは、本人は意識しなくても、たいていの場合

植物さんが仲立ちをしてくれて始めて成功するものである

釈迦はボダイジュの木の下に座して瞑想し、悟りを開いたといわれている。 

これはボダイジュという植物さんの仲介で宇宙神(仏)からのテレパシーを

うけたものとおもえる。 

植物さんは偉大な能力をもち、神に近い存在である。”

 

物は人間の感情を理解するばかりか、博士の実験によると文字の判読も

できるのだそうだ。

以前 拙ブログでご紹介したように、ヒマラヤの大師がアメリカの調査団に 

太陽エネルギーに関して語っていた。

それは、一般に考えられているように、太陽からくるという熱光線で

地球が暖まるのではなく 実は、地球自身の持つ熱が主体で

あるという内容だった。

 

それを裏付けるような植物の回答を上記のセンサーで博士は得ている。

引用する。


”太陽は灼熱の光球ではない。

地球が熱源である。

地球にやってくる熱や光は、実は太陽エネルギーの放射と

地球の熱エネルギーが大気圏で交差して、地球に反射されたものなんだ。

太陽に金と銀が多いということはものすごいエネルギー源につながるわけだ。 

金は金属のうちで最高によく電流を通す、いわゆる導電率が高いわけだ。

次いで銀だ。 金と銀がたくさんあればどうなるとおもうかね。 

金と銀は電位差が高いということは知っているね。 

その電位差が問題なんだ。  

これが太陽エネルギーをつくるもとになっている。

莫大な金とたくさんの銀の間に流れる電流はすごいものだ。 

これによって金銀による強力にして特殊な電磁場ができ、四方の惑星空間に

強力な電磁場を放射しているんだ。太陽が黄色く見えるのもそこにある。

地球― 鉄反応
月 ―  プラチナ反応

月にはUFOの基地があるということだが、するとUFOの機体もプラチナかもしれない。


・太陽の黒点には水、大森林、生命体が存在するということ。

イギリスのハーシェルという天文学者は二百年近くも前に、よくそんなことを言ったものだね。 

彼の観察は正しいのだよ。

黒点はうす暗く穴があいているように見える。 

これは大森林なんだ。

だから植物は存在するし、動物もいるんだ。 

地球人とまったく同じ肉体とはいえないが、知能は地球人より何倍もすぐれいる。 

寿命も数倍高い。

もちろん水もあり空気もある。 地球のように汚染された環境ではない。 

清浄そのもので食物も豊富、争いや戦争はなく、平等で平和な暮らしを享受している。 

これこそ地球人の言う極楽浄土」だよ。

心臓は太陽エネルギーによって動かされている。 

成層圏をつきぬけたエネルギーは、俺たち植物はもちろん動物の根元すなわち

心臓をもうごかしているんだ。

太陽エネルギーは伝播するとき、「時計リズム的振動エネルギー」によっているんだ。

コロナは濃い水蒸気ということになる。 

すなわち、太陽の外層大気は水粒子を含んでおり、これが金銀エネルギー

によって美しく彩られるものとおもえる。”

現代的な太陽の科学的認識は以下だ。

太陽の中心核は 太陽半径の約0.25倍、中心温度は約1,500万KO、

16万キロメートル(三乗)と推定される、高密度で その中で核反応が

行われるので大量のエネルギーを拡散して輝いている。光子は吸収と放射

のプロセスを繰り返し太陽半径(RS)の0・25倍から0・8倍(0・86RSが一般的)

に広がっている。 光球の上には数千キロメートルの厚さの希薄な大気層があり、

基部の温度は4300K(0)であるが高度とともに温度は上昇。

この領域でさらにより希薄なコロナが 大体2000キロメートルにわたって

太陽表面全体に形成される・

密度は低いのでコロナの熱量は光球に比べれば非常に少ないといわれる。

19世紀の天王星を発見したウイリアム・ハーシェルは

”太陽は冷たい星で有り得る。”と言っている。

その理由は

”太陽が熱ければ近づけば近づくほど、明るくなり温度が上がる

はずだが、高周波の形で出る。これが熱波に替わる。

この変換は大気中で行われる。発電機は冷たいがその造る

電流は高温を発する。だから数百万度の熱が太陽の内部に

あるというのはナンセンスだ。”

これにヒントを得た三上博士が植物に聞いた返答が上記のようで

あった。

さらに 実験対象の木からの答えは以下であった。

引用する

”今の実験でわかったように地球にやってくる熱や

光りは実は太陽エネルギーの放射と地球の熱エネルギー

が大気層で交差して地球に反射されたものだ

この現象はちょうど人間が寝るときの布団と同じだ。

布団や毛布をたくさんかけるほど、温かい。

あれは、自分の体温がのがれないように、布団や

毛布でカバーしているから。 これと同じ理屈になる。

地球が熱の塊だということは、噴火山や火山活動でもわかる。

太陽からやって来ると思っていた熱は 実は住んでいる

(地球の)足元の熱だった、というわけだ。”

 

エミール大師というヒマラヤの聖者がアメリカ調査隊に語った

話~太陽の熱が熱いと地上では感じるがその熱そのものは

地球に根源を持つということに共通したお話しだ。

何やら、常識や人間の知恵の限界を超える こうした智慧を植物が

持っているとしたら、驚きでもある。

 

 

 

 

三上 晃(みかみ あきら)(1921年~2004年)                                  

 
拓殖大学で中国語を学び、中国(昔の満州)に渡る。
 
帰国後、広島で県立高校教頭を経て、広島県立廿日市養護学校校長就任。
 
「人間と植物との意思疎通」をテーマにした独自の研究や著作をおこなった。
 
教職を退いたのちは昭和57年4月日本相対磁波研究所を開設。
 
長年の研究を積み重ね「人間の問いかけに対して植物の意思(Yes, Noのランプ表示)を
 
読み取ることができる」という機器(LBS-Leaf Bio Sensor)を開発した。
 
この機器は「エネルギー変換器」+「超電流の増幅器」+「テスター」+「媒体センサー」
 
(名称はいずれも著書による)で構成されるシステムで、著書「植物は警告する」や
 
「植物の超能力」等に詳細が述べられている。
 
一教員であった著者がこの研究に入ったきっかけや、植物の「驚異能力を知る」過程は、
 
最初の書「木の葉のテレパシー」に書かれている。

また、著書の中で、「太陽には水がある」との説を発表。この説は、当時奇異に感じられたそうだが、
 
その後アメリカの科学雑誌「SCIENCE」に「Water on the sun」という論文発表があり、
 
研究成果の裏付けがなされたという。
 
 
 
著書に ”木の実のテレパシー” ”植物の超能力” ”植物は警告する”(すべてたま出版)がある。
 
勲4等瑞宝賞受賞。 理学博士。
 
 
 
 
 


 

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植物と会話した博士の自然治癒力

2014年10月17日 | 波動~物質・肉体・心・生命

馬鹿馬鹿しいと一笑する前に ・・・    2014・10・17

************************************************

 

皆さんは宇宙について、星々についてどのような興味をお持ちだろうか?

今日から数回にわたり お話しする 三上晃博士は知る人ぞ知る理学博士でありま

た、広い意味での超能力者でもあった。

 

ご自分の死後は 必ず 他の星に生まれ変わることを信じ、どの星かを知りたいがた

めに、植物 と話す器具を発明した人だ。

 

以前拙ブログでご紹介したように、ヨガナンダ師の師匠、ユクテスワ師が死後幽体で

顕現して死後移り住んでいる幽体宇宙の星とそこで果たしているミッションについて 

愛弟子のヨガナンダ師に、語った。

 

死後の体験を待つまでもなく、三上博士は、人は、死後、自分の波長にふさわしい星

へと生まれ変わるということを 生前から当たり前のように、受け止められておられ

た。

 

 

さて、植物との対話が 生まれかわりの宇宙の話とどう、繋がるのか?

筆者もはじめは この本のタイトルを怪訝(けげん)に感じた。

大人のための童話 のつもりで表紙を開いた。

読み進めてみるうちに、博士の植物との対話の内容が 真実に思われてきて、いつの

間にか壮大な宇宙に引き込まれるような心地よい気持ちすら覚えた

 

博士は ご自分が 植物から学んだ智慧を書き記しながら、現代人には一笑に付され

る話でしょうなあ”と 感慨深く溜息をもらされている。

 

一笑に付す前に、ぜひ、皆様に、今回と次回にわたって博士の意見をご紹介したい。

 

博士は 著書に、自然治癒力について以下のように述べているのでそのままここに引

用させていただく。(*1)


********

▲免疫はカラダのどこがおこなうのか?

 

おおよそ人間を含めた生命体は 内外からの病敵を排除するいわゆる免疫力があるか

ら生きておられるのである。

 

どうしても抗しきれない弱い部分が犯されることがあるが、これがいわゆる病気とい

うことで、人間はお医者さんやら薬のお世話になるわけである。

もし、この免疫力(自然治癒力)がなかったら、ほうぼうが病敵におそわれ、生命を

保つことはできない。

 

現代医学のことはまったくの素人ではあるが、聞くところによると、この自然治癒力

というのは体内のTリンパ球がその排除力を発揮するからだという。

このTリンパ球はどうやら胸腺に存在するらしいという話もある。 

胸腺は二つの肺の間にある紐のようなもので、年齢と共に縮小するということであ

る。

だから老齢者ほど これが小さくなって抵抗力が減少して 病気にかかりやすいのだ

とも聞いている。 

しかし、Tリンパ球(Thymus)のことは物の本によると、本当はあまりよく分かっ

いないのが実情のようである。



そこでLBE(*2)を介して”実験木”さんにうかがいをたててみた。

実験の方法は質問事項をインプット用紙に列挙して末端センサーを項目ごとに当て

る。こうして質問情報を”実験木”さんに送ってその「判断」を電気信号で送り返してもら

うのである。たとへば「Tリンパ球は胸腺からでている」、「胸腺はリンパ球とは関係ない」、

「胸腺は二つの肺の間にあって両肺のクッションの役目をしているにすぎない」、

「免疫物質は腸でつくられ、腸で最終的免疫効果が完成される」等々である。

これらの項目をテストカードに書いてセンサーを通じてインプットし”実験木”さんに

送るのである。 

これらに対する回答は”実験木”の判断の結果としてテスターに示される。

すなわち、質問に対する回答がイエスであればテスターに赤ランプが点灯し、

ノーであればランプはつかない。


では、いまかかげた数項の結果はどうであったか―

・胸腺はリンパ球とは関係ない― イエス

・胸腺は二つの肺のクッションの役目をしている― イエス

・免疫物質は腸でつくられ、腸で最終的免疫効果が完成される― イエス


このような結果から、免疫物質は腸でつくられるということを"実験木”さんから知ら

されたのである。

免疫物質は腸でつくられ、ここで最終的免疫効果が完成されるという項目で「最終

的」ということは、腸に至るまでの効果もあるということを意味している。


生命体のエネルギー源は栄養源にあるわけで、人間を含めた動物の場合、栄養源とい

うのは食物のことである。

食物はまず口から入る。 

口に入った食物はソシャクがおこなわれる。 

その際出てくる唾液(だえき)、これが重要な第一段階の免疫作用ともいえる静かな 

体内原子転換の仕事 をおこなうことになる。

原子転換といえば大げさな表現であるが、口に入れた物質が生命体に必要な基本栄養

素に変化することである。 

 

ダエキはそんな働きもするわけである。

例えば角砂糖を一個ナメてダエキにつけ、これをLBEのセンサーに接触させ、もう

一つのセンサーにダエキをつけていない角砂糖を接触させてLBEを作動させると、

テスターに赤ランプはつかない。

ダエキのついた角砂糖は原子転換がおこなわれて、もはや角砂糖の本質を失っている

からである。



このように口に入った食物はダエキと混ざることにより必要な栄養素に転換されるわ

けである。 

同時に免疫のための殺菌にもなるわけである。

 

ついで食道においても、通る食物は第二段の免疫物質による作用がおこなわれ、

それが胃に至り、綿密な流動物化がおこなわれ、ここでも胃液による第三段のセンレ

イがおこなわれて腸に送られる。



腸において、さきほど述べた最後の仕上げの免疫作用がおこなわれるわけである。

仕上げられた栄養素をつかって造血がおこなわれ、これが心臓に送られ、カラダ全体

に血液として配られ、各組織の活動がおこなわれて生命が維持されるのである。

腸の造血理論についてはお茶の水クリニック院長森下博が日本の第一人者のようであ

る。

腸で造血がおこなわれているということは、LBEによる植物(実験木)さんからの

回答でも、はっきりしていることである。 (引用終わり)

 





*「植物さんとの共同研究」(1996年)  三上 晃 著より~ 引用) 

 

三上 晃(みかみ あきら)(1921年~2004年)                                   

 
拓殖大学で中国語を学び、中国(昔の満州)に渡る。
 
帰国後、広島で県立高校教頭を経て、広島県立廿日市養護学校校長就任。
 
「人間と植物との意思疎通」をテーマにした独自の研究や著作をおこなった。
 
教職を退いたのちは昭和57年4月日本相対磁波研究所を開設。
 
長年の研究を積み重ね「人間の問いかけに対して植物の意思(Yes, Noのランプ表示)を
 
読み取ることができる」という機器(LBS-Leaf Bio Sensor)を開発した。
 
この機器は「エネルギー変換器」+「超電流の増幅器」+「テスター」+「媒体センサー」
 
(名称はいずれも著書による)で構成されるシステムで、著書「植物は警告する」や
 
「植物の超能力」等に詳細が述べられている。
 
一教員であった著者がこの研究に入ったきっかけや、植物の「驚異能力を知る」過程は、
 
最初の書「木の葉のテレパシー」に書かれている。

また、著書の中で、「太陽には水がある」との説を発表。この説は、当時奇異に感じられたそうだが、
 
その後アメリカの科学雑誌「SCIENCE」に「Water on the sun」という論文発表があり、
 
研究成果の裏付けがなされたという。
 
 
 
著書に ”木の実のテレパシー” ”植物の超能力” ”植物は警告する”(すべてたま出版)がある。
 
勲4等瑞宝賞受賞。 理学博士。
 
 
 
 
 
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