たけじゅん短歌

― 武富純一の短歌、書評、評論、エッセイ.etc ―

短歌往来/2022年10月号「評論月評」第一回「キエフ」から「キーウ」へ

2023-04-30 23:52:12 | エッセイ
『短歌研究』二〇二二年七月号・八月号の鯨井可菜子「短歌時評」を読む。同五月号「三〇〇人歌人新作作品集」において、ウクライナの首都名「キエフ」が、新しい呼称である「キーウ」にすべて変更されていたのだという。同八月号「「いち早く」の先に―もう一度「キーウ」について考える」から引用する。

原稿提出後に受けた連絡によると、もともと同特集に存在していた「キエフ」の語は、「編集部より作者の皆さんにお願いして了解いただいた上で」、校了の数日前に「キーウ」に変更されていたのだという(注1/三月二十日締切の同特集では、七月号で取り上げた澤村斉美作品以外はすべて「キエフ」だったとのことである。)。

編集長の國兼氏は、「日本政府の呼称変更の流れを汲んでのこと」で強く変更を迫ったわけではないとしつつ、「4月の情勢のなかで編集部から依頼があったなら「キーウ」への変更を断るということはできなかったかもしれませんと推測する(以上、カギカッコ内は五月二十日付メールを引用)。

まずは「えっ、これ、いいの?」と驚くのが自然だろう。しかしながら、流れを冷静に考えるうちに、少し思いが変わった。歌に使った言葉への干渉という側面は確かにあるものの、国際紛争という社会的な事情を汲んだ流動的なケースだし、何よりも決して勝手に変更したわけではないという編集部の思慮を強く感じるからだ。

ただ、他の対処としては、「キエフ」の歌稿はすべてそのまま掲載し、「編集部より」として「締切という編集上の諸事情のため元原稿の「キエフ」のままにした」と紙面のどこかに述べ置く手もあったのでは?と考えてしまった。呼称変更への対応が少しぐらい遅れても日本政府や社会はそこまで文句は言わないだろう。

もし私だったらどう応じただろうか。ちょっと戸惑いつつも、最後には「まぁ仕方ないか」と静かに承諾しただろうと思う。ただ、歌を創る者として、自分が選び取り表現した言葉が、何か抗いがたい大きな力でもって変えられるという事態はやはりどこか怖ろしい。当の歌人たちも同様に感じ取ったに違いない。

鯨井も「私自身、歌に読み込む言葉は、それまでに獲得して沈積していた言葉が〈自分の中から〉出てきたものだと思っている。「キエフ」と「キーウ」、音数は共に三音で、終わりの「フ」と「ウ」も同じウ段の響きであるが、それでもこの微差は、一首の韻律を左右する。定型の辻褄が合ったとしても、これは全く違う言葉なのである。」と述べている。

全く同感である。先の歌人たちは、「キエフ」の歌稿を送った時点では「キーウ」はまだ獲得も沈積もできていない言葉である。突然に降りてきた新語を後で端的にあてがわれても困ってしまう。音数が同じでよかったなどという悠長な思いにはまずなれない。

・妻を得てユトレヒトに今は住むといふユトレヒトにも雨降るらむか(大西民子)
・ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり(永井陽子)

音読するとさらに実感できるのだが、いずれも地名がとても印象的に響いてくる。ユトレヒトはオランダの都市。元の語にはもちろんそんな意味はないのだが短歌的には「ゆとり」や「人」という日本語が無意識のうちにどこかで淡く明滅する。アンダルシアはスペインの自治州。リフレインが調べの愛唱性をさらに増幅させている。既に完成され評価を受けているから、この先なにが起きても変わることはないが、これらに置き換わる地名は考えられない。「紫陽花、あじさい、アジサイ」「陽射し、日射し、日差し」「広島、ヒロシマ、Hiroshima」等、これらはそれぞれ別の言葉だ。伝えるものが違い、背負うイメージも違う。歌人はこれらを明確に使い分ける。事情はかなり異なるが「キエフ、キーウ」も似て非なるものだ。

この一件を機に「自己の歌の言葉を変えられる」状況について少し考えてみた。まずは「校正」が浮かぶ。これは誤字脱字や文法ミス等の基本的なチェック、訂正であり、結果が正しければ文句を言う立場にはない。主に編集者の仕事である。また「添削」というのもある。これは表現や言葉が、教える師によって時に大きく変えられてしまう。だから根底に双方の強い信頼関係がしっかり築かれてないとうまく成立しない。

今回の件に一番近いイメージは「校閲」ではないだろうか。校閲とは、例えば小説家が「その店は〇〇駅から歩いて五分のところにある」と書くとする。編集者は「あの店は駅から五分ではちょっと行けないですよ、実際、歩いてみましたが、十分でもぎりぎりでした」と細かな検証のやりとりをしながら正しい内容に変更する作業である。間違っているからといって勝手に変えるのではないし、小説家としては助手的な存在としてむしろありがたい関係である。今回の件と明確に違ったのは、こうした検討や考察のクッション的な余地がない言葉だったことだ。かなり特殊な状況下であったことを改めて思う。

ちなみに我がパソコンにはATOK(漢字変換ソフト)が入っていて、言葉の最新データがインターネットで更新される。試しに「キエフ」と入力すると「《地名変更「→キーウ」》」との情報を教えられ、そこから先は使用者の判断で確定となる。

「短歌往来」2022年10月号「評論月評/第一回」に加筆訂正。

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短歌連作に思うこと

2015-08-29 22:13:15 | エッセイ

毎年、二十首の連作を作り続けてきた。ずっとテーマや表現、構成等にジタバタ、おろおろを続けたなかで学んだことは数多い。

最初に悩まされたのは「構成」である。つまり、どう並べてゆくか。
始めは何もわからず、エッセイのように素直に時系列に並べてみたが、これだけではどうにもうまくまとまらないし、何よりおもしろくない。

そんなある日、短歌雑誌の新人賞の選考経緯で、ある候補作に選者先生の「すごく面白いストーリー展開だけれど、これならいっそ短歌よりも小説や脚本にした方が面白いのでは?」という発言に目が止まった。小説でも脚本でもなく、どこまでも"短歌"という「一行定型詩の連作」の選考であることを考えされられた。

短歌ならではの特性って何なのだろう?、そしてその連作って…?。
あれこれ思い悩むうち、なんとなく、その一面とはこういうことではないかという、連作へのイメージが年ごとに固まっていった。

つまり、お好み焼き、なのだ。
…これをセルフで焼かせてもらえる店がある。例えば「イカ豚」と注文すると、水溶きメリケン粉、生卵、キャベツ、そして豚肉、イカの入ったボウルが出てくる。これらをかき混ぜ、鉄板に落として焼けばいいわけだが、混ぜるときにあまりしつこく掻き混ぜるのは良くない。具材をカパカパと"ざっくり"軽く混ぜ、塊のようにしてささっと鉄板にかき落とす、そうするとうまく焼けてくれ、おいしい一枚となる。

連作とはつまりこんな感じの「ざっくり感」ではないのか?。よい意味での「荒さ」と言い換えることもできるかもしれない。前後の時間軸は、正直かなりエエ加減でもある。そして、その荒さ故に生じる「謎」や「歌の隙間」は、歌で説明するのではなく、どこまでも読者の想像力に任せきってしまうのだ。

眼前の事象、視点、回想、そして写実、叙情、省略、飛躍…それらを、ある程度の時間軸を意識しつつ、カパカパ、ざっくりと混ぜ、そして一枚のお好み焼きとして鉄板へかき落とす。問題はその塩梅なわけだが、そこが自在に制御できたら短歌の大先生になれるだろう。

この感覚を覚えて以来、連作を作るときはいつもこうしたイメージでもって歌を自在に並べてゆくことにしている。もっとも現実は理屈ばかりが先行して、なかなかそううまく事は運ばないのではあるが。

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言葉の力を信じて

2015-03-31 23:37:42 | エッセイ

 

 ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕殺ししその日おもほゆ(斎藤茂吉)

 紅椿いちりん落ちてその枝にいちりんほどの空咲きたり   (小島ゆかり)

ゴーギャンの自画像と蚕を殺した記憶は、本来なんの関連もない。椿の花が落ちた後に花がまだ咲いているなんてことは現実にはあり得ない。でも、私たちはこうした歌に触れるとなぜか心にさざ波が立ち、時に強い感動を覚える。

それぞれの言葉たちが背負っているイメージの喚起力が合わさり、共鳴し、ときに喩となってさらに増幅され、像が結ばれ、そこに詩情なるものが湧き上がるのだ。

言葉が持つこうした不思議な力の感覚をもっと味わってみたい、そしてもしできることなら人にそんな感覚を呼び起こさせてみたい…。短歌の周辺でずっとじたばたしているうちに、わたしの中の短歌とはつまりそんなエナジーなのではないかと思うようになった。

昨年、自分の歌にとことん向き合う機会を得た。歌集を上梓したのだ。最大の難所は選歌であった。どの歌を外し、どの歌を残すのか。気に入ってるとか嫌いだとか、佳い評をいただいたからとか…そんなことで自分の歌を選んでしまっていいのか?という疑問との闘いの日々だった。

自分らしくない歌、衒いのある歌、選を取りにいったようなウケ狙いの歌は、どんなに良い評をいただいていてもすべて外したつもりだった。しかし、甘かった…。いただいた批評のなかに、そんな歌があることを鋭く指摘する声があったのだ。

総じて思うに、私の歌は饒舌で軽い。言葉の摩擦が弱い。自虐的で詩的叙情が弱い…。課題は山積みである。この先、どう進んでゆけばよいのだろうか?、いまは全くわからない。言葉の持つ力を信じて、これから、じっくりと時間をかけて考えていきたいと思う。

「猪名川」2015年3月第15号より

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自分を笑う

2015-02-24 10:40:02 | エッセイ

大阪の街なかで、指鉄砲で見知らぬ人に「バーン!」とやるとどう反応するか…。テレビでそんな事をやっていた。大抵の人が「うーっ!」と倒れるふりをしてくれていた。しかし、同じ事を東京でやると事態は一変する。倒れるどころか、直立のまま「あなた、なにバカやってるの?」と、なんとも冷静な反応が返ってきていた。

また、大阪で「すみません、これで電話かけてもらえますか」とバナナを出してお願いすると、「はいはい…もしもし…って、これバナナですやんッ!」という反応ばかりだった。明らかにバナナと分かっていても、とにかく受け取り、そして"わざわざ"ボケてから返すのだ。大阪人の笑いである「ボケ→ノリボケ→ノリツッコミ」である。

東京でも同じ試みをしていたが、案の定、「あの、これバナナですよ、バナナで電話
なんて無理でしょ!」と、とても生真面目な反応となっていた。もちろん東京にも倒れたり電話してくれたりのノリの良い方はきっとおられるのだろうが、それはさておき大阪と東京のこの大きな違いとはいったい何なのだろう?。

つまり、大阪人は「自分を笑う」ことに対する寛容度が、東京と比べて相当に高いの
ではないのだろうか。指鉄砲に「うーん」と倒れるのも、バナナに「もしもし」と返すのも、つまりは自分を自らの笑いのネタとして受け入れてあっさり消化してしまうからであり、そこにはことさらに自虐めいた感覚を込めているわけではないのである。大阪人にとって「自分を笑う」という事は、別にかっこ悪いことでもなく、逆にまたかっこいいことでもなく、ごくごく普通の行動パターンなのだ。

そんな事を考えていたわけは、昨年『鯨の祖先』という歌集を上梓して、その中のいくつかの歌を「自虐的」だと数人の方に指摘されてしまったことによる。私としてはどこまでも「甘噛み」程度の感覚だったのだが…。

そんな思いのなか、兵庫県歌人クラブの読書会に拙歌集を取り上げていただき、レポーターの小谷博泰さんの『「笑われてなんぼのもんや」と言われる大阪では、自分ネタは自虐にあらず。親愛なるゆえに家族も機械も言葉もユーモアの対象(あるいはモチーフ)になっているのである』との評をお聞きし、下記の歌他をあげてくだり、我がもやもやの原因を見つけて少し嬉しくなってしまった。

 酔ったオッサン傾いてきたとかメールされているのだろう我はいま
 出た腹を無理に凹ませ歩きゆきプールに入りてホッと息抜く
 ごみ袋下げたる妻がやってきて缶、菓子袋、我を押し込む

 これは「自虐」なのだろうか…。自虐というものが短歌の表現としてはあまり誉められる部類のものじゃないことは理解しているつもりだし、これからはそうした傾向は改めたいとは思うのだが、東西の感覚差による歌の受け取り方の違いは、情報網が発達した現代においてもかくも大きいことを知った二月半ばの温かい日の夜でありました。

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ホームラン多き選手は…

2015-01-16 09:49:42 | エッセイ

短歌仲間の佐藤博之さんが、趣味の野球観戦の視点から我が拙歌を論じてくださいました。とってもユニークなんで紹介させていただきます。

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 ホームラン多き選手は三振もまた多いのだ俺はやめない

武富純一『鯨の祖先』

いつもお世話になってゐる武富さんの歌集の代表歌より。

この短歌に詠まれてゐる内容が事実かだうか、実際の記録を2014年度のNPB一軍(セリーグ・パリーグ)及び2014年の東都大学野球一部リーグ春秋の実際の記録を抜き出して分布図にまとめてみた。

※ともに縦軸が三振数・横軸が本塁打数。

東都大学リーグの試合数は、年間20~30試合とNPBの約1/5程度でNPBと直接的な数値の比較はできない。

結論から言ふと、打者には3タイプある。NPBで年間25本以上の本塁打を打ち、本塁打王を争ふ選手は確かに三振も多い。しかし0~25本あたりまでの選手には本塁打数と三振数に有意な関係性は見られない。東都大学野球一部リーグでは逆に本塁打の多い選手は三振は少ない。

つまりこの歌で述べられた情報は、嘘とは言へないまでも非常に限られた層の選手のみを対象とした言葉と言へる。勿論、そのこと自体がこの歌の短歌としての価値には全く影響しない。その情報が嘘であれ本当であれ、この歌は私が好きな野球詠の一首である。